アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

女流指揮者 シモーネ・ヤングを聴く

2016-11-05 10:00:00 | 音楽/芸術

アントンKが今年気になっていた指揮者シモーネ・ヤングを聴いてきたので書き留めておきたい。

シモーネ・ヤングは、アントンKと同年代の指揮者であり、オペラの世界で名声を広めたオーストラリア出身の指揮者。以前からブルックナーの交響曲の録音を行い、最近になって全曲集が発売になったタイミング。アントンKも以前から発売ごとに手にとり聴いてきたが、どの楽曲もブルックナーの演奏としてグレードが高く、印象が鮮明に残り目が離せない存在になっていた。

本当はブルックナーで聴きたいところだが、今回はブラームスの第4交響曲。どんなふうにこのデリケートな楽曲に立ち向かうのかワクワクしながら会場に向かった。メインのブラームスの前には、ドヴォルザークのチェロ協奏曲が演奏された。これは思いのほか淡泊な印象。もっと泥臭いエグイくらいの大きさが欲しいとも思ったが、ヤングのキメの細かい指示は演奏に生かされていたように思う。弦楽器に限らず、重要な木管群の旋律やハーモニーが美しく常にそこには唱があったのである。独奏者であるチェリストのワイラースタインの音色は、きめ細かい線の細い美しい音色。特に消えそうになるようなピアニッシモは羽毛が宙を舞うがごとく優しい音色に感じた。逆に言えば、このドヴォコンの音色にはマッチしているのかと問えば、残念ながらアンマッチだったように思えてならない。もちろんこの演奏だけ考えれば立派なものだが、過去に聴いたガリガリとホールが共鳴してしまうくらいの力量や情熱は感じられず、アントンKにとってはそこが不満足。まあこれは仕方がないことなのだが・・・

さて後半のブラームスの第4交響曲。実はこの第4交響曲は、アントンKにとってブラームスでも苦手な楽曲だった。暗く常にジメッとしていて、若い頃は聴くと憂鬱になったくらい。しかしその後、チェリビダッケの独自性丸出しの演奏で開花され現在に至っており、昔のようなイメージは消え失せ、素直に自分にも浸透するようになった。この日の演奏でも、ドヴォコンの時とはガラッと印象が変わり、指揮者ヤングの主張が明確に表れていた。ここでは、繊細さよりも感情的な部分が勝っており、指揮者自らの想いが伝わってきたが、特に第2楽章の前半からの下りは、ホールが哀愁に包まれていった。この雰囲気は、かつて味わったことのないもので、目の前に夕日で赤く染まったハンブルクの街並みが広がっていた。それにしても、今回のオーケストラ東京交響楽団は、いつにも増して素晴らしい音色で我々を堪能させてくれた。ベルリン・フィルやミュンヘン・フィルがそうであったように、お互いのパートが音色を聴き合い、しかも各人音楽を楽しんでいることが聴衆に伝わっていた。ヤングの明確で情熱的な指示に反応し、特に木管楽器の雄弁さは素晴らしく舌を巻いた。

今回は女性であるヤングが、どんな指揮振りで我々に新しい発見をもたらしてくれるのかが最大の関心事だった。見かけは大柄だが、出てきた音楽は以外や繊細であり、明確な指示によりオケをコントロールしていた印象だった。やはりオペラ出身の指揮者は、こういった明確な音づくりになるのだろうか。後期ロマン派が特に得意と言われるシモーネ・ヤングだが、また次回新たな発見を期待して楽しみに待ちたいと思う。

掲載写真は、当日のリハーサル風景(ツイッター)

東京交響楽団 名曲全集第122回

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調   OP104

ブラームス  交響曲第4番 ホ短調 OP98

バッハ   無伴奏ソナタ 第3番 サラバンド(アンコール)

シモーネ・ヤング 指揮

東京交響楽団 

アリサ・ワイラースタイン (Vc)

2016-11-03     ミューザ川崎シンフォニーホール