アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

「ノットのブラ1」核心に迫る!

2016-10-15 10:00:00 | 音楽/芸術

いくつかまとめて記事にしようかと思っていたが、取り急ぎ忘れないうちに書き出してしまう。

7月にブルックナーの第8で聴いたジョナサン・ノット。今回はブラームスの第1を聴く機会を得た。もっとも機会を得たとは、自分で機会を作って乗りこんで行くといったような気持ちでコンサート会場へ向かった。今の季節は毎年行事が重なり、思うように事前からチケットの購入ができないので、結局演奏会情報は入手しているが行かない、あるいは行けない演奏会が多い。以前は、とりあえずチケットは入手しておいて、他の用事と重なればチケットの方は友人に譲ったり、転売することも多かった。しかし今では、それさえも億劫になり、直前までチケットは入手せず、時間が取れれば当日でも購入して聴きに行くようになった。それだけ思い入れるコンサートが少なくなったと言えるのかもしれないが、音楽鑑賞に関しては、やはり録音媒体で終わるようなことは避けたいし、あくまで実演至上主義で今後も楽しみたいと思っている。

さて今回の演奏会は、メインがブラームスの第1交響曲。その前に武満徹とドビュッシーの「海」が演奏された。今回もオーケストラは東京交響楽団。昔から在京オケの中でも、弦楽器群の安定感に定評があるこの東響であるが、相変わらずというか、前にも増して素晴らしい音色を奏でており、このままヨーロッパへ出て行っても全く引けを取らないと思われるくらい艶やかな音色に感じた。これは、やはり現在の主席常任指揮者であるノット氏の影響もあるのかもしれない。このノットは、レパートリーもさることながら、オーケストラへの指導も徹底しているようで、ここへきてある程度その効果が表れているはずだ。

武満のレクイエムは、隔世の音楽として響いていたし、ドビュッシーの海では、一変して明るく色彩感豊かな音楽に代わっていた。この前半のプロだけでも、静から動へ音楽を全く異質のものに変えて演奏したノットは、やはりオーケストラコントロールに対してかなりの実力をもっていると言ってよい。普段はなかなか聴かないフランス音楽でも、「海」の風と海との対話の部分では、流石のアントンKも熱くなってしまった。

そして後半は、メインプロ、ブラームスの第1交響曲が始まる。

アントンKは、ブラームスの交響曲ではやはり第1を好むし実演でも一番聴いている。思い出のあるブラ1の演奏会のことは次回に譲りたいが、今回のノットによるブラームスの第1は、アントンKの中ではやはり思った通り、隙のない無難な演奏に終わった。それが悪いことではないが、心が熱くなり、感動する場面が限られたのだ。全てが想定内に入り、良く言えば紳士的な演奏で、パッションが爆発したり、羽目を外したりといった演奏ではなかった。緩徐楽章の出のところで、Obの気持ちのこもり切ったフレーズには、オォッ!と思ったが、その後はノット氏の指揮の元、あり来たりの演奏内容だった。ノットは、基本はインテンポを貫き、序奏から主部に入ってもテンポは変わらない。これはこれで良いことだが、ノットの譜面上の交通整理がずば抜けているとしたら、もう一歩と欲が出てしまうのは当たり前の話。時に声を荒げながらの指揮振りは、素人目に見てもわかりやすく表情豊かに映るが、音楽に潜んでいる内面の部分が一向に見えなかった。目隠しして聴いたら、誰を聴いているか判らないと言った方が判りやすいか。確かに、ブルックナーの時もそうだったが、ホルンのバランスは、他の演奏と比較しても大きく取っている事はわかる。ならば、フィナーレの長調に転調するところからホルンでアルプスの山並みを感じさせてほしかった。山の稜線から朝日が昇り、冷たい空気の中、届けられる日の光を感じさせてほしかったのだ。ホルン奏者もスペシャリストのはずなのに、アントンKには、そうした想いは届かなかったのだ。それに引き換え、低音部は貧弱に聴こえてしまい楽曲全体を通して重厚感を欠いていたことも記しておきたい。第1楽章の出のティンパニやベース、フィナーレ全般のティンパニの主張はなく悲しかった。コーダへと向かう、上り坂の部分も表現があいまいであり、まるでノットが道に迷ってしまったかのよう。これはアントンKの好みなのだが、やはり低音部は目いっぱい重厚に鳴らして頂きたいのだ。でないと、音楽がか細く痩せて聴こえてしまうから。特にドイツ物、今回のブラームスでは必須ではないか。

言いたいことをつらつら書いてきてしまったが、こうしてノットを演奏を聴いてみると、その演奏にビジネスという現実が見え隠れしてしまうことに気が付いてしまった。誰でも受け入れられる良い演奏をして、たくさんの聴衆に聴いてもらうことを第一に考えているように映ってしまった。おそらくこれはアントンKの想い過ごしで、間違いだとは思うが、そんな簡単にサラリーマン指揮者になってはいけない。そう心から思うのだ。

本来音楽は、ビジネスで演奏するものではない。それは誰もがわかっていることだ。しかし現実は厳しいということになるのか。

ここ数年、アントンKと同世代の指揮者の活躍が目立つようになった。このノットや大植英次、そして上岡敏之らがそれに当たるが、常に目の上、それもはるか高くに存在していた指揮者という存在が、時が経っていつの間にか自分と同じような時代を生きてきた世代に変わりつつある現代に、大いに驚嘆するとともに、アントンKは今後彼等に対して出来る限り応援していきたい。将来巨匠と呼ばれる彼等を聴いてみたいのだ。所詮会場に足を運ぶことしかできないのだが・・・

2016-10-09  東京オペラシティシリーズ 第94回

ジョナサン・ノット指揮

東京交響楽団

武満徹  弦楽のためのレクイエム

ドビュッシー 交響詩「海」

ブラームス  交響曲第1番 ハ短調 OP68