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アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

地味に現れた EF61牽引の荷物列車

2024-12-02 17:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 その当時から関東に住んでいると、忘れがちだった電気機関車はEF61型だったように思う。当時とは国鉄時代だが、同時にその時期アントンKもまだまだ駆け出しの鉄小僧であり、鉄道という鉄道に何でもいいからカメラを向けていたような時期だった。すべてが新鮮に映り、シャッターを切るということの今では比較できないくらいの重みと満足感。その列車を捕まえたというような征服感があったように思う。まだ結果も見ていないうちから、そんな想いに酔いしれた時代だった。現代は、軽薄短小が当たり前、情報があってからの撮影がほとんどだが、当時は全く違っていて、撮影結果はさて置いて、思いの列車をカメラに収めることが出来ただけで満たされもの。その列車に出会えた撮影出来たことが幸福だった。
 ようやくモノクロフィルムで撮影した画像のデータ化が、ある程度完成しつつある。ブローニ版から始めて、35mm版がやっと目途が付きそう。次の段階として、被写体ごとに区分けする膨大な作業が待ち受けているが、まあこれも時間をかけて丁寧にまとめていくつもりである。手元にあった画像より1枚掲載しておきたい。アントンKには、あまり馴染みがなく忘れがちなEF61の荷物列車(荷38レ)名古屋駅通過シーン。曇天から今にも雨が降り出しそうな真っ黒な空に変わり、愕然としていた所に貨物列車のごとく地味に現れたニモレのEF61であった。この時代、日中EF58が構内に停泊しているのも懐かしく右端に写っているが、こんなごくあり触れた日常が、半世紀近く経った今、宝物に思える。
1976-07-24    荷38レ  EF61 7            名古屋駅

さらば 憧れの特急機 EF65 500番台

2024-11-25 21:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 JR東日本高崎車両センターにて最後まで孤軍奮闘、数々の活躍シーンを見せてくれたEF65P型 EF65 501号機が勇退した。先週末、2か月続いた引退セレモニーもとうとう最後を迎え、好天に誘われて北風吹く上州へお別れに行ってきた。
 この高崎に所属していた電気機関車とディーゼル機関車は、この日をもって引退の道を辿るということらしい。つまりEF65 501号機に限らず、EF64 1000番台の2台(1001号機、1053号機)、DD51 842、DD51 895の2台の計5台を指している。こう考えると、いよいよ旅客会社に所属して客車を牽く機関車は、蒸気機関車を除けば数両に留まるのだ。もちろん機関車自体は、貨物列車で毎日見られるだろうが、機関車に牽かれた客車で旅情豊かに乗車を楽しむ贅沢な時間は、いずれ忘れ去られてしまうのだろう。哀しく切ない気持ちになってしまうが、これが現代の鉄道の姿なのかもしれない。なかなか割り切れるものでもないのだが・・・
 ここでは誰もが憧れた、アントンKにも当時から鉄道趣味を決定づけたEF65 500番台のブルートレインの写真を掲載しておく。ヘッドマークの一番似合う電機は今でもEF65P型だと思う。それは、毎日東海道を行き来したあのブルトレの先頭に立った貫禄あるイメージが強いからかもしれない。この当時は501号機は、下関に配置され滅多にお目にかかれなかった機関車だった。民営化後も、元気に活躍の場を広げ、我々にその雄姿を躊躇いなく見せてきた。今後もし動くことがないのなら、鉄道文化遺産としてでも保存され、未来の鉄チャンにもその姿を見せて上げてほしいものだ。
1978-05-14     3列車   EF65 506     はやぶさ    田町にて 

補機付き重連、いざ国境へ~EF16

2024-11-13 02:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 機関車の重連列車は、今も昔も写欲をそそる被写体だ。古くは八王子からの石油列車5472レ、夕方の東海道を堂々と下った荷35レ、出張ついでにいつも狙った倉賀野発の5780レ、そして近年まで残り楽しませてくれた根岸からの8094レなど思い出に残る列車は少なくない。中でも一番印象深い列車は、やはり北海道内をばく進していたDD51重連による夜行列車郡だろう。その本数もさることながら、風光明媚な北海道の大地を駆け巡っていた列車を渡道のたび何処で撮影しようかと、悩みながら行動する贅沢さも今では懐かしく思える。
 そんな思い出深い重連列車から、上越線のEF16による貨物列車を掲載しておく。ここも谷川岳越えで連続勾配を有するため、水上-石打間ではEF16の補機が付くことが多かった。スキー臨のEF58と重連になる8702レが有名だが、実際にはEF15とペアを組む貨物列車の方が、重連運転が数多く見られた。
 1979-02-13   793ㇾ      EF16 31+EF15 101        石打にて

忘れかけた原風景~EF15

2024-11-07 15:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 まだ貨物取扱駅が全国に存在し、電車に乗れば必ずと言っていいほど貨物列車に出会えた時代。それが国鉄時代だったように思う。貨車は二軸が当たり前で、タキ専用列車はまだ珍しかった記憶だ。もちろんコンテナ編成で走る特急貨物列車にも出会ったが、圧倒的に黒いイメージの貨物列車がアントンKには印象深い。
 今や旅客列車に機関車の要らない時代に入っていて、ここ数年でまた鉄道のシーンが変わっていくのだろう。鉄道で旅するという目的が昔とは変わってしまい、新しい価値観の創造によって次々と新たな列車が生まれ、そして伝統ある列車が消えていった。こういった流れが今後も繰り返されて時代は進んでいくのだろう。アントンKには、なかなかシンドイものだ。
 半世紀近く前に撮影した、EF15の貨物列車を掲載してみる。中央線快速に乗るため、ホームで電車入線を待つ間の1コマと思われる。現代の駅構内を見ると、当時は何て長閑な雰囲気が漂っているのか。ラッシュが始まる前の午後のワンシーン。黄色い点状ブロックやホームドアはもちろん無く、ゆっくり入線してきた黒い貨物列車を眺めている様子。都内であっても、今より時間がゆっくり流れているように感じるのはどうしてなのか。シルバーシート表示も懐かしい。
  1976-06-06   3485レ   EF15 69 [八]     立川にて


吊り掛け電車 の記憶

2024-11-05 15:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 国鉄時代、旧型電車と言えば吊り掛け式制御の電車を指していたように思う。その吊り掛け式電車がほぼいなくなり、当時新性能電車と呼ばれていた電車が今や旧型電車と呼ばれている。車両の寿命を考えても40年以上時間が過ぎれば当たり前の話だが、自分に置き換えると、そんなに時間経過が感じられずにいる。案外、人生なんてあっという間に過ぎてしまうのかもしれない。
 アントンKにとって、吊り掛け電車で一番の思い出は、やはり幼少の時代に乗った京王帝都の緑色の電車たちだ。井の頭線のデハ1800・1900型は特に思い入れがある。油臭い黒い木の床が印象的で、床に物を落とすと油で汚れて凹んだ思い出も数々。でも、あの吊り掛け式のモーターの唸り音やジョイントからの振動は、今でも魅力的に感じとても懐かしく思い出される。
 同じ吊り掛け電車の国鉄73系鶴見線を掲載。この形式は番台によって個性が異なり、形態も様々、とても把握できなかった想いがあるが、左側のクモハ73289は原形顔で好印象だった。今の鶴見線には、最新鋭のE131系が走っているのだから隔世の感である。
 1978-09      鶴見線  国道駅にて