風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

狸御殿はオペレッタ!

2005-06-16 23:55:33 | シネマに溺れる
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やっと見に行った。前売チケットをまたムダにするところだった。明日でロードショー上映は打ち切りのようだった。間に合った。

鈴木清順監督作品『オペレッタ狸御殿』(日本ヘラルド・松竹。2005年)。怪作いや快作である。こういう映画はたしかに鈴木清順でなければ、作り得ぬ映画だろう。鈴木清順監督デビュー50周年記念作品でもある。この映画に関しては見る前から多言を弄した(3月27~29日のブログ記事を参照→カテゴリー「シネマに溺れる」をクリックすると過去の記事に飛びます)。

狸御殿映画の系譜の事もあえてくり返さない。だから、今回は鑑賞しての苦言を呈そう。
そう、チープでいながら超豪華という矛盾に満ちたセットを基調にした舞台風の作り方には異論はないが、むしろCGの部分がしっくりしない。この作品に向かう時の「正しい」「鑑賞」「態度」は、インド映画(マサラ・ムービー)を見る時のように、構えず何も考えずに頭をからっぽにして楽しむことである。
それは分かっている。だけど、どうやら鈴木清順監督とCGは相性が悪いのではないだろうか?

たとえばCGと声紋分析技術で甦った美空ひばり(「光りの女人」「雨千代の母」)だ。ひばりといったら自らも狸御殿映画に主演しているスターだ(『七変化狸御殿』(54・松竹)『歌まつり満月狸合戦』(55・新東宝)『大当たり狸御殿』(58・東宝))。いやおうでも期待するではないか!
だが、それはデジタル技術で作った影絵のようなものだった。そして声紋分析でつくったひばりの新曲(?)「極楽蛙の観音力」も、やはりいただけないものだった。「ま、似ているか」としか言い様がなく、「こぶし」をまわす部分では音声が歪んでしまっている。

それに、肝心の「狸姫」を演じたチャン・ツィイーの中国語がしっくりこない。これまでの狸御殿ものの系譜がそうだったように、ここで一気に国際化してしまうと中国に狸伝承ってどのような形であったのかとまどってしまう。狸の生息分布はたしかに、中国までである。照葉樹林帯の里山に棲息する人間のすぐ隣に暮らしてきた野生動物だ。だから、中国にも狸伝承は存在するはずだ。だが、知らない。知られていない。

四国や、佐渡や、全国各地の山地に伝承され、地方独自の狸が命名までされてひとびとに親しまれた。この国の中でのタヌキは、化かされ話しも含めて里山に住むひとびとに愛されてきた動物だ。いや、もちろん、隣接しあって棲息してきたために農作物や、家畜を襲い、殺してしまう被害をもたらす動物なのだが、それでもその愛嬌ある顔つきもあるのか、憎まれることはなかった。
今回の作品は、そのような意味でこの国の伝承としてのタヌキ話しがもっと加味されるのかと期待していたから、一気に中国(唐)になってしまったのだ残念だった。

これは、「狸姫」は「時の一番のスターが演じなければ駄目」(鈴木清順)から言えば、現代日本に花のある「大スター」が不在だと言うことの証なのかも知れないのだが……。

もうひとつ個人的には残念なことがある。チャン・ツィイーのキャスティングが決まった時、約束されていたというあのクリストファー・ドイルがカメラを回すことが実現できなかったことだ。ドイルが撮っていたらという映像の期待は悔やみきれないものがある。(評価:★★1/2)


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