戦後60年。被爆一世はほとんど70歳以上になり、戦争体験の語り部たちも少なくなっていく。ボクたちは戦争体験を「ガラスのウサギ」や、「火垂るの墓」のようなアニメで残して涙を流せばいいものだろうか(まるで八月用のTV番組の格好のエンタメ・ソフトであるかのようだ)。
せめて、八月には「戦争文学」作品でもひっぱりだして、追悼したいものだと思うのだ……。
しかし、言うまでもなく昨日6日は「ヒロシマ」のメモリアル・ディであり、明後日9日はナガサキであります。「死者たちの八月」は、もう始まっているのだ。
八月が死者たちの月だというのは、もちろん旧盆に先祖の霊魂が帰って来ると言う「盂蘭盆会」(サンスクリットのullambanaウラバンナからきた)という風習があるということもある。一応、仏教の風習ということになっている。しかし、これは古来の精霊信仰に基づく風習と思われる。神道的なもの、もっといえばアニミズム的な風習の痕跡なのではないかと思う。
その上に8・6、8・9、8・15がある。八月は先祖霊、東京大空襲・神戸空襲・横浜空襲などでの市民被災・犠牲者としての死者の霊、兵士として戦死者、二発の原子爆弾で犠牲となった数10万のひとびと(原爆症で今日まで亡くなった方を含めると37万人)の霊が帰ってくるのだ(と考えられている)。
一般には靖国神社問題で英霊として合祀された霊だけが、戦争の貴い御霊と考える人もいるようだが、戦争の犠牲になった個人、市民、犠牲者というのは兵士以上に、国家の犠牲となった貴い御霊なのではないだろうか。だからと言って、靖国神社にともに合祀せよと主張するのではない。ひとつの神社に御霊を合祀しようという考え方こそ、国家神道に導く意図をもったもので不純であると考える。
かって出征兵士は地元の小学校や職場で出征のお祝いをされ、見送られ全国どこにでもあった鎮守の森の小さな祠や、神社に武運長久や、凱旋帰還の祈りを捧げて戦地へ赴いたのではなかったのだろうか。
ならば、出征兵士自身も郷土の森や丘や祠にこそ眠りたいのではないだろうか?
むしろ国家に犠牲になったものは、手厚く葬るのは当然としてむしろ、その霊は
うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川
に還してあげることこそが、御霊を供養することになるのではないだろうか?
樹木葬を実行し、その意味を考え続け詩まで書いてきたボクは「死者たちの八月」の今日、そう考えた。
せめて、八月には「戦争文学」作品でもひっぱりだして、追悼したいものだと思うのだ……。
しかし、言うまでもなく昨日6日は「ヒロシマ」のメモリアル・ディであり、明後日9日はナガサキであります。「死者たちの八月」は、もう始まっているのだ。
八月が死者たちの月だというのは、もちろん旧盆に先祖の霊魂が帰って来ると言う「盂蘭盆会」(サンスクリットのullambanaウラバンナからきた)という風習があるということもある。一応、仏教の風習ということになっている。しかし、これは古来の精霊信仰に基づく風習と思われる。神道的なもの、もっといえばアニミズム的な風習の痕跡なのではないかと思う。
その上に8・6、8・9、8・15がある。八月は先祖霊、東京大空襲・神戸空襲・横浜空襲などでの市民被災・犠牲者としての死者の霊、兵士として戦死者、二発の原子爆弾で犠牲となった数10万のひとびと(原爆症で今日まで亡くなった方を含めると37万人)の霊が帰ってくるのだ(と考えられている)。
一般には靖国神社問題で英霊として合祀された霊だけが、戦争の貴い御霊と考える人もいるようだが、戦争の犠牲になった個人、市民、犠牲者というのは兵士以上に、国家の犠牲となった貴い御霊なのではないだろうか。だからと言って、靖国神社にともに合祀せよと主張するのではない。ひとつの神社に御霊を合祀しようという考え方こそ、国家神道に導く意図をもったもので不純であると考える。
かって出征兵士は地元の小学校や職場で出征のお祝いをされ、見送られ全国どこにでもあった鎮守の森の小さな祠や、神社に武運長久や、凱旋帰還の祈りを捧げて戦地へ赴いたのではなかったのだろうか。
ならば、出征兵士自身も郷土の森や丘や祠にこそ眠りたいのではないだろうか?
むしろ国家に犠牲になったものは、手厚く葬るのは当然としてむしろ、その霊は
うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川
に還してあげることこそが、御霊を供養することになるのではないだろうか?
樹木葬を実行し、その意味を考え続け詩まで書いてきたボクは「死者たちの八月」の今日、そう考えた。
人の死は特に戦争での死は、当事者やその周辺に多くの、悲しい影響をもたらす。わたしは、今迄、あまりそういった死に遭遇した事はなかったが、人がこの世から消えてしまうということの重大さはこのごろよくわかるようになって来た。死とは、集団ではなく、1人々のストーリーを伴ってある。個人のものとしての死を考える時、戦争の無惨さが実感として伝わって来る。亡くなられた方々に黙祷するのみ。
個人の人生、ストリーの積み重ねとして歴史、ヒストリー。語り部の重要さ、ひとにとっての物語りの重要さ。
歴史に抽象はなく、具体的な人生しかない。時代に翻弄されようとも、ひとは自分の人生しか生きられない。
「死者たちの八月」こそは、そのストリーに思いを馳せる月だと思うのです。
樹木葬をブログでまのあたりにし、感銘を受けた者として、やはり、霊魂にも、故郷に帰ってほしいと思う。
戦争を知らない、我々のみが残されて行く中、何が出来るのか‥、せめて、左右を選ぶ道では、常に意識して行きたい事であります。
とはいえ、戦争で亡くなったひとびとも無罪では有りません。ヒロシマでの死者も(ヒロシマ、そしてナガサキはそれぞれ呉や三菱造船場を後ろにしたがえる軍事都市だった)ナガサキの死者も銃後の市民もまた翼賛体制化の国家総動員にかり出された人々だったのです。
ましてや、兵士たちも大東亜の壮大な国家幻想に付き従って、侵略戦争に加担し、アジアのひとびとを苦しめたのです。わたしたちは被爆国ではあっても、被害者ではないのです。侵略戦争と個人の「良心」、「人間的心情」、「倫理」はやはり問われなければならないのです。
しかし死者をむち打つのはやめましょう。
み霊にやすらかな眠りを与えるためにも、ボクはひとつの神社に合祀して国家の後ろ楯を与えるよりも、それぞれの故郷の土に還してあげた方がいいのではないかと主張したのです。死者が自らの「良心」に従うことができなかったのであればこそ、その安らぎと癒しの場所は「故郷」にしかないのではないか、とそう強く思うのです。
戦後60年と言う時間は重かったのでしょうか? きちんと検証されるに充分な時間だったのでしょうか?
しかし、東京大空襲の3月10日も、沖縄戦が終わった月も、
日中戦争が勃発(自然現象みたいな言い方でとんでもない)した月も、
みんな特別な月なのです。
何だか記念って、点で捕らえることを躊躇します。
日本の現代史を学校で、きっちり教えることが基本だと思います。
日本史は古代から始めて、先生も触れたくないから時間切れで明治維新で終わり。
点ではなく、線で捕らえる認識の基本ができていない「今」なのだと思います。
たしかにそれぞれが「特別の日」で、「月」です。しかし、戦後60年を経て、これから語り部もいなくなって戦争体験はどんどん風化していくと思われます。
せめて「記念日」で、平和教育という名前で憲法九条の精神を子供達に伝えていくためにも(ましてや現代史は教えられないのであればなおのこと)必要なのではないでしょうか?
そうしないと8・6がなんであり、8・9、8・15、3・10、12・8などの日付けの意味が失われかねません。
戦後民主教育が守り育ててきた果実を、自虐史観だと言う教科書(扶桑社版)が採択され易い環境を作っている現在、その行く末は憲法改正になってしまうでしょう。