風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

新宿「スカラ座」ラスト・ディ<2>

2007-10-20 16:38:34 | コラムなこむら返し
Scara_mach 「ひとはパンのみにて生きるにあらず」というのは、新訳聖書の言葉だった。まさしく言いえて妙だ。「飢え」は肉体の空腹感だけでなく、心の次元にもあった。終戦直後に開店した「新宿風月堂」や「らんぶる」「スカラ座」の役割とは、荒廃した焼跡の上で復興にたちあがる貧しきひとびと、貧乏学生につかの間の豊かさ、馥郁たるヨーロッパの香りをかがせ、音楽を聞かせ、手の届かない憧れをなぐさめ癒すことだったのかもしれない。
 これは、新宿の「名曲喫茶」に顕著な傾向だったが、「名曲喫茶」の外装や内装がふたつにおおきな傾向として分かれる。ムード作りという意味でも「名曲喫茶」は競うように、内外装に凝り出すのである。
 ひとつは華美なほどの「バロック・ロココ調様式」に、もうひとつは「山小屋ロッジ様式」にである。先の典型が第1期の「新宿風月堂」(のちにスタイルがフランスカフェ風になる)であり、後の典型が「新宿スカラ座」であったと言えるだろう。
 そして、後者はすぐあとに「灯(ともしび)」(新宿西武新宿駅前)から火がついた「歌声喫茶」の典型的な内装に影響を与える。「スカラ座」の姉妹店(同族経営)である歌声喫茶「カチューシャ」や、要通りの「どん底」その名も「山小屋」などが、その類いのスタイルを継承した。

 なぜ、新宿から「山小屋」風だったのか?

 1950年代、学生や給与生活者にひとつの「レジャー・ブーム」が巻き起こる。そのブームを背景にして創刊された雑誌が「山と渓谷」や「岳人」だった。山登りやキャンプ用品の専門店(「石井スポーツ」など)が、次々とオープンし成長する。そう、「山岳(登山)」ブームである。ダーク・ダックスが歌った「山男のうた」をはやらせたのは、このようなブームだったし、また「歌声喫茶」ブームだった。名もない民衆がブームを領導した。
 で、当時もっとも若い街だった新宿と山岳ブームはどこでつながるのか?
(さらにつづく)
 
(写真)昨日アップしたマッチの画像は、携帯写真なので鮮明さに著しく欠けているため再度アップしました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿