![tree_tomb_oct30 tree_tomb_oct30](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6f/d6/5f579e385b54bbcaa32308704b2023fb_s.jpg)
気持ち良くなったところで、運転をしないでいいボクだけビールを飲んで気持ち良くなる。
翌日の日曜が「集い」の本番で、ボクは朝から生まれて始めて握った草刈り機で駐車スペースを作るため高台の墓地前を草刈りした。もうこの時点からボクはすっかりこの山寺に数十年もやっかいになっている身寄りのない寺男の気分になっていた(あとで住職に紹介された時、「寺男です」と言って、笑いをとった)。これも、修行と淡々と作業に取り組む。
ボクの役割は、草刈りの後、駐車場係り、運転手、配膳係りそしてカメラ係りであった。
この日は、おおよそ90名の樹木葬、桜葬の会員の方が集まったところで、歩いて近くの柿農園の柿畑に柿もぎに行き、帰ってきたところで有機栽培の新米、伊勢海老いりのお汁、煮物などのお昼を食し、歓談・交流をする。
人数的にも伊勢海老などまわってこないのではと覚悟していたが、さいわいにもカラだけだが回ってきた。
受付のテーブルで食事にありついていたボクを、住職が突然指名して先のジョークをとっさに言った。
「天徳寺の寺男です。現在修行中です」
関東圏でははじめての樹木葬の霊園を作った場所は、ボクが母の骨を自然に還した1年前とは違い、たちまちのうちに満杯となったらしい。いま第2区画を行政認可をとるべく整地しており、この葬送の仕方がエコロジカルと同時に「土に還る」思想をもつ日本人にぴったりの方法として人気を呼びつつあることが実感できた。
いや、ともかくも地衣を墓石で埋めつくして、不毛の大地にするよりは、はるかにエコロジカルである。
それに亡くなった家族は死んで花実の咲く樹木として、遺族の前にすがたを表わし、その樹木の栄養に、肥料になっている。そして、それは同時に里山を取り戻す、植樹でもある。
いち早く、樹木葬にして埋葬した母が「にぎやかになって、友だちもたくさんできたよ。ありがとう」とあの世で喜んでいるような気がしてならない。
(写真は生前契約され、この日自分達の為に選んだ樹木を植樹している方々)
自然、生きること、死、魂、宇宙、エネルギー、すべてがつながっていることを感じられる気がしますね。
樹木葬はその偉大なるサークルを回復し、里山も森も再生させようという試みです。
土に還り、森に帰り、自然に還ることを現代の日本人はおそれるようになったのでしょうか?
樹木葬を関東圏で実施できる場所をつくることが、ひとつの夢でした。
それを実現させたのが天徳寺で、ボクは強力に応援しています。
森が再生することは、今わたしたちにとって一番大切なことだとも思います。
私の祖父は、木をとても大切にする人です。祖父は意識していないけど、たぶん祖父は木にも木の気持ち、魂があると、自然に思っているのではないかと、私は感じるのです。そういう感覚を私ももてたらいいのになーと、たまに思います。