風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

チェ・ゲバラによる「タニアのうた」

2009-01-31 23:58:32 | コラムなこむら返し
Che_39_cinema なんとも待ち切れない気持ちで、ロードショー公開初日のスティーヴン・ソダーバーグ監督の『CHE』二部作パート2『チェ39歳別れの手紙』を見に行く。
 映画の感想は後日書きたいが、映画の中にタニアとドブレが登場する。ドブレとは、レジス・ドブレのことで、彼はサルトルなどのフランス知識人をはじめとする知識人とゲバラそしてボリビア人民解放軍との橋渡しをした人物である。ドブレが書いた『革命の中の革命』によってラテン・アメリカの解放闘争そしてチェ・ゲバラの存在は世界に知れ渡ることとなった。もちろん、ゲバラを20世紀のイコンに持ち上げたのはコルダの撮ったあの有名な肖像写真だろうが、1966年頃から燎原の炎のように世界中に燃え広がった若者たちによる叛乱はベトナム人民の闘いとともに少人数でジャングルや山岳地帯で、ゲリラ戦を展開するゲバラのラテン・アメリカ解放闘争などによってはげまされた。その闘いのシンクロニシティがゲバラを世界的な規模(いまななら「ワールドワイドな」と使うだろう)で、「時代の顔」にした。ゲバラの存在、ラテナメリカでの英雄的な闘い??その事実を知らしめたのがドブレだったと言うわけである。

 もうひとりタニアはドイツ系アルゼンチン人で数年前から地下工作員としてゲリラ活動の受け入れ準備などをになっていた女性である。ゲバラと合流し、ゲリラの一員となって映画で描かれるように待ち伏せにあつて政府軍に殺された当時、ゲバラの愛人説や口さがないウワサが飛びかった。
 タニアのひととなりの真実を伝えるために追悼文集が死後編纂された。翻訳もされた。そして、その中にゲバラによるタニアの追悼詩が掲載された。
 一昨年、ボクが主催する「E.G.P.P.」で「ゲバラ」をテーマとした時(07年10月/Step75)、冒頭にリィディングした詩である。この機会にボクらがタニアを思い出す(はじめてのひとには知らせる)意味でも掲載しておくのも意味があることではないだろうか?
(明日に続きます!)

(写真は映画『CHE』part2より)


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