その新聞の投稿欄には名前と、居住地が掲載される。そこに今年になって(高崎市)でも(佐世保市)でも(アメリカ)でもなく、(ホームレス)つまり「住所不定」と自ら名乗る投稿者が現れた。最初は1月19日付け朝刊に、選者二名に選ばれて星印がついて掲載された。
☆日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る (ホームレス)公田耕一
(選)佐々木幸綱・高野公彦
ホームレスの新参者としてダンボールハウス村に仲間入りした隣人は、日産の自動車工場をリストラされた日系ブラジル人だった。
暗い世相を最底辺から見据えた歌だ。なんの飾りもなく素直に自分の身辺を歌ったのだろうが、まさしく現在という世相が、この歌をアクチュアルな秀歌にした。おそらく、この「リストラ」は派遣切りか、期間労働者のクビなのだろう。「流れ来たる」と「隣りて」が、ホームレスや、浮浪者を簡単に生み出すセーフティネット??つまり貧困化した時、救済処置のほとんどないこの国の政治、政策の貧困さを表わしている。
そう、この投稿欄とは、朝日新聞の「朝日歌壇」であり、毎週月曜日の朝刊に掲載されているものである。そもそも、そんなに毎週目を通すほどの熱心さもっている訳ではないが、坂口弘が投稿しなくなって関心が薄くなった頃に、(アメリカ)の刑務所から投稿し、毎週のように軽視されていた郷隼人が登場してからまた興味が涌いてきていた。
郷隼人は、最近ではこんなうたをうたっている。
YOYOMA(ヨーヨーマ)を聴きてしみじみ回顧する<懲罰棟>投獄一周年記念日 (アメリカ)郷隼人
(選)高野公彦
繰り返し<TORA・TORA・TORA>を放映す獄中ケーブルはDEC・7(デっセンバー・セブン)に (アメリカ)郷隼人
(選)馬場あき子
(ホームレス)公田耕一さんは、なんと次週にも三人の選者に選ばれて掲載された。26日付けだ。
☆親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす (ホームレス)公田耕一
(選)佐々木幸綱・高野公彦・永田和宏
「親不孝通り」は、たとえば現実には博多などにあるが、それは若者が集まる繁華街の別称だろう。作者は身寄りも家族もいないホームレスとして若者の街の路上で放心している。
投稿するためにはハガキを買わなければならない。少なくとも週一回は新聞も買わなければならないかも知れない。食にもこと欠くホームレスの立場では大変な出資かもしれない。しかし、それは(ホームレス)公田耕一さんにとってはドキドキするような生きることの、生き延びてあることの喜び、希望のような時間なのだろうと推測する。
これからも、秀歌を期待しています。きっと、このボクのブログなど読むことがないだろう(ホームレス)公田耕一さん!
☆日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る (ホームレス)公田耕一
(選)佐々木幸綱・高野公彦
ホームレスの新参者としてダンボールハウス村に仲間入りした隣人は、日産の自動車工場をリストラされた日系ブラジル人だった。
暗い世相を最底辺から見据えた歌だ。なんの飾りもなく素直に自分の身辺を歌ったのだろうが、まさしく現在という世相が、この歌をアクチュアルな秀歌にした。おそらく、この「リストラ」は派遣切りか、期間労働者のクビなのだろう。「流れ来たる」と「隣りて」が、ホームレスや、浮浪者を簡単に生み出すセーフティネット??つまり貧困化した時、救済処置のほとんどないこの国の政治、政策の貧困さを表わしている。
そう、この投稿欄とは、朝日新聞の「朝日歌壇」であり、毎週月曜日の朝刊に掲載されているものである。そもそも、そんなに毎週目を通すほどの熱心さもっている訳ではないが、坂口弘が投稿しなくなって関心が薄くなった頃に、(アメリカ)の刑務所から投稿し、毎週のように軽視されていた郷隼人が登場してからまた興味が涌いてきていた。
郷隼人は、最近ではこんなうたをうたっている。
YOYOMA(ヨーヨーマ)を聴きてしみじみ回顧する<懲罰棟>投獄一周年記念日 (アメリカ)郷隼人
(選)高野公彦
繰り返し<TORA・TORA・TORA>を放映す獄中ケーブルはDEC・7(デっセンバー・セブン)に (アメリカ)郷隼人
(選)馬場あき子
(ホームレス)公田耕一さんは、なんと次週にも三人の選者に選ばれて掲載された。26日付けだ。
☆親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす (ホームレス)公田耕一
(選)佐々木幸綱・高野公彦・永田和宏
「親不孝通り」は、たとえば現実には博多などにあるが、それは若者が集まる繁華街の別称だろう。作者は身寄りも家族もいないホームレスとして若者の街の路上で放心している。
投稿するためにはハガキを買わなければならない。少なくとも週一回は新聞も買わなければならないかも知れない。食にもこと欠くホームレスの立場では大変な出資かもしれない。しかし、それは(ホームレス)公田耕一さんにとってはドキドキするような生きることの、生き延びてあることの喜び、希望のような時間なのだろうと推測する。
これからも、秀歌を期待しています。きっと、このボクのブログなど読むことがないだろう(ホームレス)公田耕一さん!
読者表明をありがとうございます。励まされます!