風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ミリオンダラー・ベイビー

2005-06-11 02:10:32 | シネマに溺れる
milliondollar_baby
書けない。どうにも感想の言葉が出てこない。いや、裏切られたとか、予想外だったとかいう作品だったらまだいい、なんと言えばいいのだろう。その作品が「賞取り」を最初から意識した作品であることが見え透いていて、それでそのドンデン返しさえもが「賞」を意識したに違いないと思わせるとなんとも書く気がおこってこないのである。
「俺に質問するな」「言われたことだけをやれ!」「自分を守れ!」
役柄でもあるワンマン・トレーナーそのままにクリント・イーストウッドにそうせきたてられてこの作品は撮影されたに違いない。この作品にはイーストウッドの映画人生のノウハウ、泣かせどころや勘所がいっぱい詰まった作品には違いないだろう。だが、なんとも後味が悪いのである。

その作品とは、もう分かっただろうけどクリント・イーストウッドがメガホンをとり本年度のアカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞をとった映画『ミリオンダラー・ベイビー』である。
この作品を見たのはこの1日、映画の日の1本に選んで見に行ったものである。
中盤まではいい、胸のすくようなボクシング・シーン。女性どうしのボクシング・シーンに見ているこちらまで身体がおもわず左右に動いてしまうほどだった。31歳すぎから名トレーナーのフランキー(クリント・イーストウッド)の門を叩くマギー(ヒラリー・スワンク)。彼女がハングリ-精神のみで成り上がって行くそのプロセスは胸がすくようで痛快だ。華やかなパンチひとつで百万ドルを一晩で稼ぎだせると言うアメリカン・ドリームのような一発逆転の賭け事のような世界。そこまではいい。しかし、それはクリント・イーストウッドが描きたい世界ではなかったらしい。
しかし、映画の後半、これは日本でつくられたらアカデミー賞どころか、どこかの難病患者団体から抗議のくるような結末ではないか!
まだ未見のひとのために、詳しくは書かないでおくが、「安楽死」にたいする慎重な考察が全く欠如した映画でクリント・イーストウッドはアカデミー賞をとったことになり、アカデミー賞選考委員も軽薄なくらい配慮しなかったらしい。
これは、フィクションだからいいんだ、と言えるのだろうか?
実に、映画は後味悪く終わる。拍手をしたい気持ちも、観客の高揚感にも水をかけ、そして結論として言えばクリント・イーストウッドのそれが計算通りだったのだ。

まるで、場末のボクシング・ジムとか、なんだかハリウッド映画はもちろん、映画では最近見なかったダウンタウンがメインのロケーションだったので(とはいえ、この作品では風景は全くと言っていいほど重要ではない!)、期待したのだが、ボソボソとセリフを言うイーストウッドそのままにすべては計算尽くされているのだった。イーストウッドに重要なのは、観客の感情のコントロールだったのかもしれない?

しかし、百歩ゆずるならイーストウッドが栄光のスポーツ、格闘技の中に栄光と挫折だけでなく、死の匂いまで嗅ぎ付けていたのだったとしたら、ある意味たしかに凄いのだが、呼吸補助装置を止めることは、そして苦痛を感じないように興奮剤を患者に注射することはこれは立派な殺人罪になってしまう。もしかしたら、マギーは一時はおちぶれたジャンキーだったのだろうか。しかし、そのような伏線はない。

とはいえ、ジャズファンでもあるイーストウッドは音楽に素晴らしい感性を発揮する。この作品の音楽も監督自身の作曲である。(評価:★★★1/2)

(6月6日の朝日新聞夕刊に沢木耕太郎が「銀の森へ」で、書いていた。沢木氏は、まだ未見の読者に考慮したのか、突っ込んだ表現は取っていないが、こう書いている。「私にはこう思えてならない。確かに、これはほとんど完璧に作られている。だが、傑作ではない、と」。ボクはこれを読んで、大笑いしてしまい、やっとこの感想を書く気になったのだった。)

  …………………………………………………………………………
その華麗で耽美的な日本語でボクを圧倒した歌人の塚本邦雄氏が9日、呼吸不全で亡くなった。84歳だった。
前衛的で先鋭なその歌は、驚き以外のなにものでもありませんでした。

先生の死去の報に、せめてなりと哀惜の念をあらわさせていただきます。
素晴らしい歌人としての現世でした。

「死者の書」と 懐かしきひと めぐりあい うたい競うか 曲水の宴

先生にはかないません。ずっと圧倒されてきました。ボクなりのスタイルで継承します。

中有あり 極彩色の ほとけをば 抱きうつつに 煉獄めぐり
(塚本邦雄ファンサイトのBBSへのボクの書き込み)



さようなら!奇跡のミセス・ロビンソン!

2005-06-09 01:00:03 | シネマに溺れる
graduate
バンコク(スパチャラサイ国立競技場)でジーコジャパンが余裕さえみせて北朝鮮を2?0で下しW杯出場を決めた夜、ふと夕刊を見て、アン・バンクロフトの訃報を知った。アン・バンクロフトといったら歌(サイモン&ガーファンクル)にもなった「ミセス・ロビンソン」を『卒業』(67年)で演じた女優である。ダフティ・ホフマン(まだ若き青年だった!)を誘惑にかかる年上のおんなという役どころだった。

ところが、その4年ほど前にはパティ・デュークが体当たり演技でヘレン・ケラーを演じた『奇跡の人』(62年。日本公開63年)で、サリバン先生を舞台に引き続いて演じアカデミー主演女優賞を獲得した。もともとはアクターズ・スタジオで学んだ舞台の出身だった。
ほかに映画の代表作として『女が愛情に渇くとき』(64年)『愛と喝采の日々』(77年)『アグネス』(85年)などがあり、『エレファント・マン』(80年)にも出演していた。
その演技力は、演劇の基礎訓練のたまものだったのでしょうが、ながい間ボクの頭の中には、指導が厳格な「サリバン先生」のイメージがこびりついていて、久しぶりにスクリーンで出会ったら色情狂のようなミセス・ロビンソンとなって頭がトチ狂いました。映画の役柄のイメージに終始まどわされる、こういうひとは本当の意味での名女優なのでしょう。

「サリバン先生! ボクを誘惑しないで下さい!」
と、間違えて言いたくなるくらい混乱しましたね(笑)!

旦那は鬼才メル・ブルックス監督。
両親はイタリア移民でNYのブロンクスの出身。死んだのもNYシティでNYっ子だったのかもしれません。73歳、ガン死でした。合掌。
※『卒業』のパッケージのストッキングの美しいお御足がアン・バンクロフトさんの足です。
(数時間前からWEBニュースでも掲載されています)


狸のこと(3)タヌキとムジナと大狸

2005-03-29 01:44:18 | シネマに溺れる
sinsyun_tanukinagata1鈴木清順監督の新作「オペレッタ狸御殿」をめぐって展開してきたこの論考は、自分でも意外な方向へボク自身を導いてゆく。書くことが、書くことの迷路へ導いて行くかのように……。書かれたことが、新たな書くことへボクを誘って行くのだ。

「狸御殿」シリーズは、「永田雅一(のち大映社長)とシナリオライター八尋不二が徳島を旅した折に聞いた阿波徳島に伝わる狸伝説」のアイディアから始まったということは、昨日書いた。そう、日本映画における「タヌキもの」「狸御殿」シリーズを生み出した人物である永田雅一は、かっての日本映画がいい意味でも、悪い意味でも六社協議に縛られていた頃の、映画界のドンであった人物だ。また、映画以外でもパリーグの創設者として知られ、大いなる影響を野球界にも残した(1988年に殿堂入りしている)。ボクにとっては親しい東京スタジアム(南千住にあった幻の球場だそうだが、ボクは隣の都立高校に通ってナイターを良くテラスの上に昇ってボーッと見ていたと言う思い出を持つ。ちなみにボクの同級生は「アタックNo.1」の原作者で、マンガ家志望だったボクと気があって、一緒に出版社へ売り込みに行っていた!)を作った人物である。それどころか、岸信介、児島誉士男などとも交流があり、政界のフィクサー的な力さえ発揮した人物である。

永田は、自身若い頃にそうだったように、仁侠心が強く、こうと決めたこと、発言したこと、思い込んだことに異様なほどの執着心を見せたらしく、その天下御免の放言ぶりで「永田ラッパ」などというありがたくないあだ名を付けられる。だから大毎オリオンズのオーナーとなったきっかけも、アメリカ視察の際に、尊敬される大物たるものの名誉職は球団オーナーだと知ったからだと言う!

球団のオーナーとしても、経営者としてもそのワンマンぶりたるや、西武ライオンズのオーナーだった雲上人・堤義明氏(先日、1億円もの保釈金を積んでシャバに戻ってきた!)とも共通点があるが、この映画界、野球界、政治に大いなる権勢を誇った「タヌキ親父」のことを調べ始めたら、同時にこれは、昨年のパリーグ新球団創設の際にライブドア、楽天が競った一件を思い起こすのは、ボクひとりではあるまい。

永田雅一の時代には、メディアの雄は映画だった。上り坂の新興メディアが球団買収や、他の映画会社を買い取り・合併に走ること、また政治家とも癒着すること(癒着ぶりはまだ顕在化していないが……)??歴史はくり返されると言うべきなのか、「同じ穴のムジナ」と言うべきなのか(そう、ムジナは狸と混同されている)?
奇妙な符牒、シンクロニシティがそこにもあることにボクは気付いた。そうなのだ。ニッポン放送株の買い付け、ひいては新興メディアが旧態のメディアを買い付け、呑み込み併合して行こうとすることは世の習いとは言え、そのメディアへの露出ぶりも含めて永田雅一というかっての映画界のドンの轍を再び踏むべきではないのだ。

とはいえ、ムジナとタヌキは、似て非なるものでありながら(ムジナはアナグマの仲間、狸は犬の仲間)、混同され、巣穴を共有するように(どうやらムジナの巣を狸が借用するらしいのだが)同じように、農作物や、ニワトリなどを狙うらしい。
ターゲットは、汗水垂らして獲得した村びとの富なのだ。どうせ、ムジナも、タヌキも「同じ穴の」……あっ、何だっけ?

(写真は永田雅一氏。隣は市川雷蔵、若尾文子主演の「初春狸御殿」(1959年大映)より)


狸のこと(2)狸御殿はオペレッタ

2005-03-28 01:05:40 | シネマに溺れる
tanukiこの資料からだけでも、たくさんの連想が沸き上がってしまうが、ここではこのシリーズが戦前から一貫していわば、時の人気スターによるミュージカルとして、制作され続けてきたシリーズもしくは映画界のドル箱であったこと。そして、それぞれの作品を担当した作詞と作曲の名前に着目して欲しいと言うこと。さらに、このシリーズそのもののアイディアは当時、新興キネマ京都撮影所長の永田雅一(のち大映社長)とシナリオライター八尋不二が徳島を旅した折に聞いた阿波徳島に伝わる狸伝説をヒントに「阿波狸合戦」を製作し、これの予想外の大ヒットを期に次々と製作していったものだということに注目しておこう。

そして、今回の鈴木清順監督のものが、「狸御殿」の8作目だというのだが、「平成狸合戦ぽんぽこ」(スタジオジブリ作品、1994年)は「狸もの」の系譜に是非加えておきたい。なんとなれば、「永田雅一(のち大映社長)とシナリオライター八尋不二が徳島を旅した折に聞いた阿波徳島に伝わる狸伝説」というのは、まさしく「平成狸合戦ぽんぽこ」の一方の設定であるからだ。
というより、高畑勲氏は「平成狸合戦ぽんぽこ」を明らかに、この日本映画の輝かしきドル箱映画「狸御殿」シリーズから着想したことは、明らかだからである。

そして、今回の清順作品でも注目すべきは、キャスティングだ。主演男優:オダギリジョー(雨千代)、ヒロインを演じる主演女優にチャン・ツィイー(狸姫)。脇を固める俳優人も豪華だ。
鈴木清順監督は、時代の最も熱い「タヌキ」=スターを起用している。

狸という野生生物は、照葉樹林で棲息し、ある意味、里山で人間にも親しい動物である(日本と中国にしか棲息していない)。家族形態で同じペアで子育てをするというきわめて人間に近いほ乳動物でもある。
森林縦断道路や、やまなみハイウェィとかいった身勝手な観光道路を作られることによって跳ね飛ばされ、危険が増し、迷惑を被っているのはこのような小動物ではないかと思うのだが……(道路公団の功罪に、なぜこのことも加わらないのかと切に思うのだ)。狸は意外に思われるかも知れないが、狼などと同じ、イヌの仲間なのだ。 狸の生態を調べて行くと、実は人間のほうがイメージで言うところの「タヌキ」なのではないかと思うことがある。狸より浮気性であるし、オス(おとこ)は狸ほどにも子育てに関わらないという意味においても……。「狸」ひとつでも奥深いのである。

そしてさらに、ミュージカルという呼び名ではなく、「オペレッタ」とモダーン・レトロに呼んだところにも鈴木清順監督のセンスを感じる。オペレッタは1920年代に大ブームしたもので、いわば「大衆オペラ」とでも言うべきジャンルである。日本での完成形は、「宝塚少女歌劇団」と言っていいだろう。大衆の願望や、欲望を叶え、大団円という天国へ連れて行く予定調和のエンターティメントだ。恋あり、涙ありなのだが、美男・美女が色恋沙汰に華麗に舞い、踊り、世界を劇場にしてしまうような方法論だ。
鈴木清順という日本映画界のタヌキオヤジな監督は(失礼!)、まるですべてを見通したかのように、暗い世相を吹き飛ばすべく華麗なるシネマの爆弾を仕掛けたのに相違ない。
これが、ボクの買い被りなのか、見事に正解なのかは4月下旬のロードショーを俟たねばならない! あ~、楽しみだ!
(写真はウチの近所に出没しているおタヌキさま)


狸のこと(1)映画界の清順タヌキさらに化けんとす?

2005-03-27 00:00:02 | シネマに溺れる
tanuki-goten実はまだ未見だし、それにこれから公開される映画だから、話題に取り上げたくはなかったのだが、好きな監督だし、それにこの時期にこのような映画を撮ってると言うことに妙に感心したものだから、あえて触れてみる。しかし、内容そのものには踏み込まない。つい先日、完成披露試写会が東京で開かれたばかりだ。

正直に言うと、昨日ボクはこの映画の存在を映画館の予告編という形で知ったのだ。
じゃ、昨日見た映画評を書けばいい訳だが、一昨日の書き込みから思わぬシンクロニシティを、またまた感じてしまったので、気持ちはこの新作の方に取られてしまっていた。

一昨日のボクのブログの記事、つまりニッポン放送株をめぐる企業買収合戦のありさまが、「化かし合い、騙しあいの狸合戦」というボクの揶揄・皮肉にまさに呼応したような映画がこれから公開されるのだと知って妙にウキウキしてしまった。それも監督はボクも大好きな鈴木清順、その映画のタイトルもそのものずばり「狸御殿」! 正確には『オペレッタ狸御殿』というのだ(2004年松竹・日本ヘラルド)!

シンクロニシティというものは、ボクはよく体験するのだが、不思議なものだ。そこから、とてつもない連想が膨らんで、ボクはその予告編を見ながら、一気に子どもの頃に見た美空ひばり主演の「七変化狸御殿」や、「大当たり狸御殿」などという作品を思い出していた。雷蔵主演の「初春狸御殿」などという作品もあり、当然、清順監督はこれらの「狸御殿」ものを踏まえて今回の『オペレッタ狸御殿』を製作したに違いない。と思って公式サイトを探してみたら、その通りでなんと、「狸御殿」ものは戦前から過去7作も製作されているのだと言う(さらに「狸もの」の映画はこの前に、2作あり3作めが「狸御殿」だった)!

1.「狸御殿」(1939)/配給 新興キネマ/監督・原作・脚本 木村恵吾/撮影 牧田行正/音楽 佐藤顕雄/出演 高山広子/伊庭駿三郎/阪東太郎/尾上松緑(2代目)/東良之助/水野浩/高松昌子/三保敦美/香織不二根

2.「歌ふ狸御殿」(1942)/配給 大映/監督・脚本 木村恵吾/撮影 牧田行正/美術 上里義三/音楽 佐藤顕雄/作詞  サトウ・ハチロー/作曲 古賀政男/出演 高山広子/宮城千賀子/草笛美子/楠木繁夫/美ち奴/大河三鈴/豆千代/雲井八重子/伊藤久男

3.「春爛漫狸祭」(1948)/配給 大映/監督・脚本 木村恵吾/企画 清水龍之介/撮影 牧田行正/美術 上里義三/照明 岡本健一/音楽 服部良一/作詞 西條八十/出演 喜多川千鶴/草笛美子/曉照子/萩町子/明日待子/杉狂児/野々宮由紀/丸山英子/日高澄子/笠置シヅ子/豆千代

4.「花くらべ狸御殿」(1949)/配給 大映/監督・脚本 木村恵吾/企画 清水龍之介/撮影 牧田行正/美術 上里義三/照明 岡本健一/音楽 服部良一/出演 水の江滝子/喜多川千鶴/柳家金語楼/京マチ子/暁テル子/大伴千春/常盤操/藤井貢/杉狂児/竹山逸郎/渡辺篤/寺島貢/灰田勝彦

5.「七変化狸御殿」(1955)/配給 松竹/監督 大曾根辰夫/企画 福島通人/製作 市川哲夫/脚本 柳川真一/中田竜雄/森田龍男/撮影 石本秀雄/美術 川村芳久/照明 寺田重雄/音楽 万城目正/出演 美空ひばり/宮城千賀子/野沢英一/堺駿二/山路義人/有島一郎/淡路恵子/渡辺篤/伴淳三郎/広沢虎造/近衛十四郎/フランキー堺/奈良光枝/高田浩吉

6.「大当り狸御殿」(1958)/配給 東宝/監督 佐伯幸三/製作 杉原貞雄/原作 木村恵吾/脚色 中田竜雄/撮影 岡崎宏三/美術 小川一夫/照明 下村一夫/音楽 松井八郎/出演 美空ひばり/雪村いづみ/山田真二/白川由美/淡路恵子/有島一郎/井上大助/左卜全/千石規子/峯京子/トニー谷/ミヤコ蝶々/佐原健二/河内桃子

7.「初春狸御殿」(1959)/配給 大映/監督・脚本 木村恵吾/企画 山崎昭郎/製作 杉原貞雄/撮影 今井ひろし/美術 上里義三/西岡善信/照明 岡本健一/音楽 吉田正/編集 菅沼完二/出演 市川雷蔵/若尾文子/勝新太郎/中村玉緒/近藤美恵子/仁木多鶴子/金田一敦子/中村鴈治郎/菅井一郎/水谷良重/楠トシエ/江戸家猫八/三遊亭小金馬/トニー谷/左卜全/神楽坂浮子/藤本二三代/松尾和子
(資料出典:『オペレッタ狸御殿』公式サイトより。番号つけはボクによる)

(画像も公式サイトから。松竹・日本ヘラルドさま。宣伝に貢献しましたゆえ画像転載をお許し下さい)



ハウルの動く城??声に蠱惑される!

2005-03-14 00:53:17 | シネマに溺れる
young_baishohowlやっと『ハウルの動く城』(スタジオジブリ作品。二馬力2004年)を見にいった。さすがに、公開115日目ともなると、席も空いていた。日曜の第1回めの上映と言うこともあったのか、ガラガラだった。ま、稼ぎに稼いだ作品だから、終了間際であってみれば仕方ないだろう。というより、座れるか座れないかという状態では、見に行く気力がわかないのだ、最近は。
『魔女の宅急便』につながる魔女・魔術ものと言えばいいだろうか。さすがに、展開と言うか、演出は、小道具も含めてもう驚きはなくなった。宮崎-鈴木作品でのおなじみのものと言えるだろう(原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔』)。
ボーッと物語の展開にまかせながら、シートにもたれて見ているボクはハウル(声・木村拓哉)が、翼をはやして変身して空中に飛び立つたびに、つげ義春作品の『無能の人』連作の一編である『鳥師』という作品を思い出していた。というのも、前日、読み返したばかりだったからだ。

これまでの作品に比べ、安心して見ていられるかも知れないが新しさも面白さも感じられなかった。ただひとつ感想がある。それは、声優としてソフィの声を担当した倍賞千恵子さんについてだ。ソフィは物語りの中で18才のこれといって目立ったところのない、自分では美しくないと思っている帽子屋の少女だ。むしろ、ブロンド髪の妹ベティは男にチヤホヤされているため、そう思い込んでしまっているようだ。
そのソフィは「荒れ地の魔女」(声・美輪明宏)によって90才の老婆に変えられてしまう。ボクが感心したのは、少女と90才の老婆の声を使い分ける倍賞千恵子さんの声の演技に対してだった。
18才の少女ソフィの時は、艶やかに、老婆の時は、嗄れて……途中、効果音にかき消されてきこえづらいシーンもあったが、とても良かった。

倍賞さんは、パンフレットにも堂々と生年月日を公開しているが、今年64才のベテラン女優だ(ちなみにロマンスグレーの宮崎監督と同じ歳)。多くは、『フーテンの寅さん』シリーズの渥美清の妹さくら役で知られているが、SKDの出身で1961年にスクリーンデビューを飾って以来、清純派のイメージで楚々とした演技を貫いて来た女優さんで、また歌手でもいらっしゃる。
その倍賞さんも、もはやベテランの域に入り、老いを全面に出したCMなどにも出演なさっている。こんな言い方は、失礼だが、清純派のおばぁちゃんでいらっしゃる!

その方が、ハウル役の木村拓哉に向かって言うのだ。

「だって、ワタシあなたを愛してる1」

いや、びっくりしました。その艶やかな声、若々しい張りのある清らかな声。美輪さんとは、違った意味で(今回の美輪さんが、介護老人のような声を出すのにも驚きましたが…)、またひとり化け物に出会った思いでした! (失礼!)
(画像は「ハウルの動く城」(c)二馬力。倍賞さんのものは所属事務所のものです。←借用に感謝します。)


モーターサイクル・ダイアリーズ/青春のチェ・ゲバラ

2004-12-13 23:13:24 | シネマに溺れる
diariesChe(ロングラン公開もそろそろ終わった頃だと思うが、04年印象に残った1本なのでこちらにも再録します)

軍事政権下の圧政と、アメリカの傀儡政権のような独裁政治に苦しむ人民(Peoples)を解放するために社会主義国キューバの要職を捨ててまでラテン・アメリカの解放闘争、その実体は障気と空腹とジャングルの中でのゲリラ戦を闘う事に、あえて飛び込んで行くゲバラの英雄的な行為??ゲバラがCIAに謀殺された1967年、全世界的に盛り上がった世界同時革命の気運の中でゲバラは人民のためにその生命も、知恵も、理論も、人生もささげつくした英雄(ヒーロー)だった。いや、その顔は革命のシンボルでもあり、それどころか60年代というポップな時代のシンボルでもあった。
皮肉な事に、敵対するアメリカの巨大消費社会のシンボル=コカコーラの瓶(これは同時に中味を詰め替えればモロトフ・カクテルつまり火炎瓶となった)とゲバラのあのベレー帽を被った不適な髭面は60年代を代表するイコンであろう。

ボクもこれまで『ゲバラ日記』『ゲリラ戦争』などを読んできた。しかし、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(角川文庫/2004.09 1997.10の現代企画室判『モーターサイクル南米旅行日記』の加筆、訂正版)ほどヴィヴィッドで若々しいチェ(ゲバラはラテンアメリカでは尊敬と愛着を込めてチェと呼ばれている)の素顔が透けて見える著作はない。といっても、この作品は旅ノートの形で書かれたものであり、後年、物語としてチェ自身が書きあらためたものだということだ。チェ・ゲバラには個人書簡を含む文書保管所がキューバ政府の手によって作られている。最も重要なのは『ゲバラ日記』のオリジナル・テキストもあるがカストロへの別れの手紙(1965年4月1日付け)であろう。チェには革命が成就したとしても、政府官僚なぞになる意志はなかった(チェは大臣として処遇されていた。また、チェは生前、キューバ政府の代表として訪日もしている)。その生命と人生をラテン・アメリカの解放に捧げ尽くすという「他(人民)のために生きる」信念がチェにはあった。そのような、信念が生まれたきっかけにチェが若いときに敢行した無謀に近いある旅があった。その旅は、旅ノートのかたちで残されたのだ。革命家チェ・ゲバラの医学生時代の若書きの文章として……。それが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』に描かれた南米の旅だったのだ。

そのノートを原作とする映画が、チェの37年目の命日にあたる10月9日にロードショー公開された。ロバート・レッドフォードが制作指揮したという『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004年英=米合作/監督ウォルター・サレス)である。この映画をやっと先日見た。オーソドックスなまでにチェの旅日誌に忠実に作られている。ま、いわばロード・ムービー風な作りなのだが、物語がリアルであるだけに2時間余の上映時間が短く、もの足りなく感じさせるほどだ。
1951年、23歳の喘息もちの医大生、愛称フーセル(激しい男)は年上の友人アルベルトと語らって、書物でしか知らない南米をノートン500というバイクで走破する計画を立てる。その名も「怪力(ポデローサ)二世号」。しかし、この39年式のポンコツのバイクは、二人を息絶え絶えながらアンデス越えをさせたところのチリの南端で息絶えてしまう。そこからヒッチハイクすることにした二人は、通過して行く国、町、村、荒野で先住民のインディオや貧しきひとびとと触れあい、徐々にラテンアメリカはひとつの混血国家という認識を得て行くのだった。
エピソードとして心を打つのは、チュキカマタ銅鉱山に行く前の砂漠のキャンプで出会うインディオの夫婦、アマゾン河を遡ったサン・パブロ・ハンセン病療育所での患者のインディオとの触れあい、疑問、そしてアマゾン河を泳いで渡るエピソード、ボランティアのチェの24歳の誕生日を祝ってくれ、そこでチェが述べる見事な挨拶(あたかも、後年のラテン・アメリカ解放闘争の英雄的なゲリラであるチェ・ゲバラの誕生を予見させるような演説だ)。
アマゾン河を泳いで渡ると言った映画で付け加えられたエピソードもあるが、プロパガンダではなく(それはそうだ。アメリカとイギリスの資本と出資でこの映画は作られた。ある意味、ゲバラが敵視していたものによって作られたのだ)、静かに若き日のチェが培った汎ラテン・アメリカ主義の萌芽、いいかえるとゲバラのラテン・アメリカに対するワン・ラブ&ワン・ワールド(One LOVE & One World)が、浸透して行く。
映画公開とのタイアップで9月に刊行された文庫本では、若き日のゲバラの写真も増えているのだが、それを見ると映画の中でゲバラを演じるガエル・ガルシア・ベルナルは雰囲気が若きゲバラにそっくりだ。前作の『天国の口、終わりの楽園』(2001)のくだらなさを、この作品で回復した。
監督は老婆と子どものロードムービーだった『セントラル・ステーション』のウォルター・サレス。『セントラル… 』が賞をとったサンダンス映画祭を主宰するレッドフォードに全幅の信頼を受けて起用された。評価(★★★★)。

(スチール写真:(C)日本ヘラルド映画)


急行「北極号」に乗車して……

2004-12-12 23:59:21 | シネマに溺れる
polarexpressposter_0395年に製作された『ジュマンジ』という映画を見た時、すべてを現実化させてしまうゲーム「ジュマンジ」のアイディアにしてやられたと思った。誰でも考え付くアイディアのその見せ方に、感心してしまったのだ。とりわけ、古い家が熱帯雨林のジャングルとなり、泥の河にあふれんばかりの洪水になり、無気味なワニが泳ぎ回るというシーンには、ボクたちのこの閉塞・自閉しつつある精神世界のアナロジーかと思ったほどであった。
その原作が、実は「急行『北極号』」で知られるC・V・オールズバーグであった。
「急行『北極号』」は、作家の村上春樹が惚れ込んで訳して1987年に翻訳版が出版され、アメリカに負けぬ位のロングセラーを続けている児童文学作品である。
平たくいえば、絵本なのだが、この作品はオールズバーグ自身が描くパステル画の美しさとともに子どものものにしておくのが、惜しいくらいである。
クリスマス・プレゼントの絵本の定番になりつつあって、人気を誇っていた。

その作品が、2004年のクリスマス・シネマとして制作され、現在公開中である。重量感のあるCG、モーション・キャプチャーから進化した技法によるリアルな表情、しぐさ、動き。トム・ハンクスが『フォレスト・ガンプ』の監督とのコンビで映画化したのだったが、なにしろ原作は30ページに満たない物語??そこに、原作には登場しない人物を加えて、エピソードを付け加え、1時間40分の作品にしたものだ。

雪の降り積もった「北極号」の屋根で、コーヒーを沸かしているホーボーなど愛すべき登場人物を、あらたに作りあげた。しかし原作の静謐感にくらべれば、ジェットコースターのように「北極号」が突っ走る場面などドタバタ感が否めない。

「どんどんスピードを上げて、山を越え、ローラー・コースターみたいにひゅうっと谷間を抜けた」
という箇所はあるが、これは表現上のたとえである。

ま、しかしオールズバーグの映像美をここまで、引き延ばすものだと言う意味ではハリウッド映画の製作上のテクが透けて見えるようで面白かったが……。

北極点の街で、サンタクロースが世界中の子どもたちへのプレゼントをそりに乗せて出発する場面で、エアロスミスだと思われる小人エルフのロックバンドが演奏するワンカットがあって、個人的にはこの場面は楽しめた。(評価:★★★)

(映画「ポーラー・エクスプレス」ポスター(C)WARNER BROS.PICTURES)