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■ 小石川の花まつり ~ 天上天下唯我独尊 ~

本日4月8日は灌仏会(花まつり)でした。
お釈迦さまのお生まれになった4月8日に、その誕生を祝う行事です。
本堂前に御座された誕生仏に甘茶をかけて供養します。

本日、午後から小石川の寺院をいくつかまわってみました。
いくつかの寺院で誕生仏がお出ましでしたが、人影はまばらでした。

この世知辛い世の中、お釈迦さまの誕生を祝う余裕をもった人々もだんだんと減ってしまったのかもしれません。

それでも今年は予想外の桜の開花遅れ。
桜と誕生仏という貴重な景色が楽しめました。


【写真 上(左)】 伝通院の桜
【写真 下(右)】 月参堂善光寺の桜と六地蔵


【写真 上(左)】 ポスター
【写真 下(右)】 同


【写真 上(左)】 花まつりの説明(月参堂善光寺)
【写真 下(右)】 甘茶のふるまい(同)


【写真 上(左)】 月参堂善光寺
【写真 下(右)】 月参堂善光寺の誕生仏




【写真 上(左)】 伝通院
【写真 下(右)】 伝通院の誕生仏


【写真 上(左)】 伝通院の御朱印(御名号)
【写真 下(右)】 伝通院の御朱印(観音霊場)
※御朱印は以前いただいたものです。


葵の御紋の御朱印帳は紙質がいいです。


【写真 上(左)】 真珠院
【写真 下(右)】 真珠院の誕生仏





■ 【ライブ映像】吉澤嘉代子「泣き虫ジュゴン」

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■ 福壽山 普光明寺 千体地蔵尊御開帳(33年に一度)

最終日に参拝してきました。
屋台や囃子連も出てかなりの賑わいでした。

とりあえず写真のみです。




【写真 上(左)】 ポスター
【写真 下(右)】 案内サイン


【写真 上(左)】 屋台
【写真 下(右)】 山門


【写真 上(左)】 大和田囃子保存会
【写真 下(右)】 南永井囃子連


【写真 上(左)】 中門
【写真 下(右)】 幟


【写真 上(左)】 地蔵堂-1
【写真 下(右)】 地蔵堂-2


【写真 上(左)】 堂前-1
【写真 下(右)】 堂前-2


【写真 上(左)】 大護摩供奉修-1
【写真 下(右)】 大護摩供奉修-2


【写真 上(左)】 地蔵堂の御詠歌板と扁額
【写真 下(右)】 御詠歌板


【写真 上(左)】 横から地蔵堂と本堂
【写真 下(右)】 御開帳お守り


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂扁額


御朱印は書置。2種の授与でした。





これで、和光、朝霞、志木、新座4市でいただける御朱印・御首題はほぼ拝受したかと思います。
近日このようなフォーマットでご紹介したいと思います。

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普光明寺が元別当を司っていた、(大和田)氷川神社も参拝しました。
御朱印は以前に宮司様宅で拝受したものです。


【写真 上(左)】 (大和田)氷川神社
【写真 下(右)】 (大和田)氷川神社の御朱印

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2025-04-05 UP

埼玉県新座市の名刹、福壽山 普光明寺の千躰地蔵尊の33年に一度の御開帳が現在催行中です。
日程は4/4、5、6の3日間で明日(4/6(日))が最終日です。

情報→ 新座市Web

こちらは以前参拝したことがありますが、御朱印は不授与とのことで、今回いただける御朱印は33年に一度のものかもしれません。
なお、御開帳時は駐車場はなく、公共交通機関の利用となります。

■ 福壽山普光明寺 千体地蔵尊御開帳 境内の賑わい
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■ 猿島阪東観音霊場御開帳 ~ 12年に一度の御朱印 ~

御開帳もいよいよ後半に入りました。

ところで、公式Web記載の札所以外に、関連札所で2箇寺御開帳および御朱印授与されているところがありますので情報UPします。

1.小泉観音堂
こちらは掛所で、前回御開帳&御朱印授与されていました。
結願後の17時すぎに参拝してみると、なんと回向柱が建っていました。
堂内には書置御朱印らしきものも見えました。

坂東市に問合せしてもよくわからず、後日もう一度出向いて確認しました。
今回御開帳&御朱印授与されています。
霊場会?には加わらず、単独での御開帳とのこと。

御開帳日時は猿島阪東観音霊場と同様で、平日も御開帳されています。
観音堂裏手には霊験あらたかな「雨降り阿弥陀さま」も御座されます。

御朱印代は300円。書置(孔つき規定用紙?)のみの授与となっています。

地番不明ですが、「坂東市 小泉観音堂」でググると出てくる地図で経路案内をかけると、案内してくれます。
周囲には赤い幟が立ち並んでいるので、すぐにわかります。
地図は ↓ こちら



【写真 上(左)】 小泉観音堂-1
【写真 下(右)】 小泉観音堂-2


【写真 上(左)】 小泉観音堂-3
【写真 下(右)】 小泉観音堂の御朱印

2.毘沙門山 花蔵院
この記事でご紹介した「下総国の新四国猿島八十八ヶ所霊場」の札所一覧に「観音新掛所」とあったので参拝してみました。
こちらは前回の御開帳情報がみつからなかったので期待していませんでしたが、寺院に近づくと、なんと赤い幟が立ち並んでいました。
なんとびっくり御開帳です。

こちらも霊場会?には加わらず、単独での御開帳とのこと。
御開帳日時は猿島阪東観音霊場と異なり、4/13(日)の16時までです。

御朱印代は300円。書置(孔つき規定用紙?)のみの授与となっています。

こちらは新四国猿島八十八ヶ所霊場第63番札所で、本堂前の立派な大師堂のなかに、端正なお大師様が御座されていました。


【写真 上(左)】 花蔵院-1
【写真 下(右)】 花蔵院-2


【写真 上(左)】 花蔵院-3
【写真 下(右)】 花蔵院-4


花蔵院の御朱印


したがって、今回の御開帳&御朱印コンプリートは、40箇寺となります。


■ 朧月夜 - 中島美嘉


■ 桜 - 中村舞子


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2025-03-31 UP





3/30に一応結願しました。
したのですが、個人的に調べをつけたい事柄があるのと、萬蔵院寺宝展をやっているので、あと1~2回は出撃すると思います。

ご対応いただいたみなさまいずれも親切で、ほのぼのとした御開帳が味わえました。
まだ半月強ありますので、興味ある方はぜひぜひどうぞ。

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2025-03-29 UP

拝受した御朱印をUPします。

広域にはあまり知られていない霊場なので、巡る人も少ないのでは?と思いきや、かなり多くの方がまわられています。
なかには、年季の入った御詠歌を唱える団体も・・・。
さすがに300年からの歴史をもつ霊場です。

ある札所でお伺いしたところ、平日でも100名ほど、週末は300~400名ほどの巡拝があるとか。
たしかに平日でも他の巡拝者をかならずみるので、1時間に10名以上はいると思います。

後半にかけて、さらに巡拝者が増えていくかもしれません。

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2025-03-19 UP

昨日3/18、観世音菩薩のご縁日だったので仕事をうっちゃって出撃、発願してきました。



今回、専用納経帳を頒布しています。(2,000円)
揮毫(印刷)に朱印を捺印いただくタイプです。
専用納経帳の場合、札所対応は印判捺のみになるので、お納めは1ヶ所300円となります。
汎用御朱印帳の場合、書入札所は500円、書置授与はおおむね300円のようです。
なお、今回、旧9番久昌院様では前回御開帳(平成25年)の専用納経帳も安価で頒布されていたので思わず購入しました。
前回専用納経帳は今回よりやや大ぶりで、揮毫(印刷)は今回と同じものが多いですが、ことなる札所もあります。


左が今回、右が前回

 
巡拝の手引き

巡拝の手引きは100円で頒布されています。
とりあえず、第1番からおおむね順打ちで第10番まで巡拝しました。
せっかくなので、今回御開帳されていない札所もまわってみました。

今回御開帳の札所はおおむね駐車場をおもちのようです。
御本尊は観世音菩薩以外の例が多いですが、御本尊御朱印についてのご対応は札所によりまちまちのようです。

回向柱については、建立されていない札所もありますが、小規模な堂宇でもしっかり建立されている例が目立ちます。
年度をまたぐこのご多忙な時期に、檀家さん、在家の方々など札所にきっちり詰められてのご対応やお接待はありがたく、頭が下がります。

小ぶりの観音堂でも、御開帳の趣をまとわれて、いずれも華やかな装いです。
桜や菜の花の名所が随所にあるようで、これからが盛りです。

一昨日の御開帳初日は強風ながらかなり賑わったそうで、昨日も平日ながらそれなりに巡拝者がいました。
週末はかなりの人出がありそうです。

やはり貴重な感じの観音霊場御開帳。
この機会にまわられてみてはいかがでしょうか?

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第1番から、順次写真や御朱印を掲載していきます。

第1番
大悲山 福寿院
千葉県野田市関宿台町350
真言宗豊山派
御本尊:不動三尊?
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし


【写真 上(左)】 第1番_観音堂
【写真 下(右)】 同_札所板

 
【写真 上(左)】 第1番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(印判)

第2番
亀見山 大龍寺 大悲院
千葉県野田市関宿台町309
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:聖観世音菩薩(浄土七観音)
※御本尊御朱印:ご住職がお手すきのときのみ授与可?

 
【写真 上(左)】 第2番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

掛所新2番(今回御開帳なし?)
納谷観音堂
千葉県野田市関宿台町
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩


納谷観音堂

第3番
亀形山 延命寺 吉祥院
真言宗豊山派
境町新吉町974
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩

  
【写真 上(左)】 第3番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第4番
三宝山 観音寺 香取院
境町塚崎2887-4
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

  
【写真 上(左)】 第4番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第5番
医王山 善福院
境町横塚319
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

 
【写真 上(左)】 第5番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(印判)

第6番
新富山 妙法寺
境町稲尾569-24
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩

  
【写真 上(左)】 第6番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

第7番
大悲山 般若院
境町志鳥1041
真言宗豊山派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

  
【写真 上(左)】 第7番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

番外(今回御開帳なし?)
関観音堂
境町猿山
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩


関観音堂

第8番
青谷山 地蔵院 東漸寺(仲山観音堂)
古河市仁連557
真言宗豊山派
御本尊:大日如来(東漸寺)
札所本尊:十一面観世音菩薩

  
【写真 上(左)】 8番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

新8番
神田山 正覚院 妙音寺
坂東市神田山727-1
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与あり

 
【写真 上(左)】 第8番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第9番
益葉山 久昌院
古河市山田503
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
札所本尊:千手観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与あり

  
【写真 上(左)】 第9番_観音堂
【写真 下(右)】 同_札所板

 
【写真 上(左)】 第9番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)


同_専用納経帳(前回)

新9番
大政山 無量寿院 龍泉寺
坂東市沓掛3683
真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:聖観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 新9番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第10番
高日山 妙光院 遍照寺
古河市谷貝870
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与あり

  
【写真 上(左)】 第10番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)


同_専用納経帳(前回)

第11番
慈雲山 千手院 常繁寺
坂東市逆井883
浄土宗
御本尊:阿弥陀三尊
札所本尊:千手観世音菩薩
※御本尊御朱印:ご住職がお手すきのときのみ授与可?

 
【写真 上(左)】 第11番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)


同_専用納経帳(前回)

第12番
宝蔵院(山村宝蔵院)
坂東市山321
真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 第12番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

番外
圓明院(霊場開祖雄弁上人御廟所)
坂東市生子新田152
真言宗豊山派
御本尊:
札所本尊:霊場開祖雄弁上人御廟所

 
【写真 上(左)】 圓明院_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

第13番
瑠璃光山 福乗院
坂東市菅谷699-2
真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 第13番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第14番
慈眼院
境町下小橋411-1
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

  
【写真 上(左)】 第14番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(印判)

第15番
教王山 神護寺 大照院
境町伏木2153
真言宗豊山派
御本尊:延命地蔵菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:ご住職がお手すきのときのみ授与可?

  
【写真 上(左)】 第15番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

第16番-1
摩尼珠山 聖宝院 東光寺
坂東市長須1550
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

  
【写真 上(左)】 第16番-1_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)


同_専用納経帳(前回)

第16番-2
摩尼珠山 聖宝院 金剛院
境町若林1916-1
真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

 
【写真 上(左)】 第16番-2_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第17番
慈徳山 神護護国聖宝寺 萬蔵院
坂東市生子1617
真言宗豊山派
御本尊:胎蔵界大日如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印:ご住職がお手すきのときのみ授与可?

 
【写真 上(左)】 第17番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第18番
延寿山 医王寺 伝授院
坂東市仮宿110-2
真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩

  
【写真 上(左)】 第18番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

第19番
東光院
坂東市半谷
浄土宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 第19番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

番外
西村観音堂
坂東市沓掛1589
真言宗豊山派
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:如意輪観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 西村観音堂_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

第20番
福寿院
坂東市沓掛
真言宗豊山派
御本尊:不動三尊?
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

 
【写真 上(左)】 第20番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第21番
延命山 照明院
坂東市冨田
真言宗豊山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 第21番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

第22番
持宝山 善通寺 正光院
坂東市弓田1704-3
真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 第22番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

第23番
万福寺
坂東市駒跿(こまはね)
真言宗豊山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩

 
【写真 上(左)】 第23番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

第24番
出島山 薬王院 浄泉寺
坂東市上出島821
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:ご住職がお手すきのときのみ授与可?

   
【写真 上(左)】 第24番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第25番
医王山 金剛院 延命寺
坂東市岩井1111
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:千手観世音菩薩
※薬師如来の御朱印授与あり

 
【写真 上(左)】 第25番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第26番
寿亀山 金剛寺 自性院
坂東市馬立593-1
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与あり

 
【写真 上(左)】 第26番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第27番
辺田山 地蔵院 歓喜寺
坂東市辺田978
真言宗豊山派
御本尊:延命地蔵菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与あり

 
【写真 上(左)】 第27番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第28番
神田山 如意輪寺 延命院
坂東市神田山715
真言宗智山派
御本尊:延命地蔵菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与あり

 
【写真 上(左)】 第28番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(書置)

掛所(今回御開帳なし?)
八幡山 無量院 宝蔵寺
真言宗智山派
坂東市中里
御本尊:
札所本尊:聖観世音菩薩


宝蔵寺

第29番
東谷山 補陀落院 泉福寺
坂東市大谷口381
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

 
【写真 上(左)】 第29番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

掛所
小泉観音堂
天台宗
坂東市小泉
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩


小泉観音堂の御朱印

第30番
密厳山 観音院 大安寺
坂東市矢作1856
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

 
【写真 上(左)】 第30番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第31番
太平山 浄国院 観音寺
坂東市莚打418
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

 
【写真 上(左)】 第31番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

第32番
醫王山 佐々木寺 地蔵院
坂東市小山977
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:千手観世音菩薩
※御本尊御朱印:授与なし

 
【写真 上(左)】 第32番_専用納経帳
【写真 下(右)】 同_汎用御朱印帳(揮毫)

新掛所?
毘沙門山 花蔵院
真言宗豊山派
境町長井戸1875
御本尊:毘沙門天
札所本尊:聖観世音菩薩


花蔵院の御朱印

第33番
補陀落山 極楽院 長谷寺
坂東市長谷1850-1
真言宗智山派
御本尊:
札所本尊:十一面観世音菩薩


第33番_専用納経帳


第33番_汎用御朱印帳(揮毫)


第33番_専用納経帳(前回)



結願証

結願証は1,500円。連名でいただけました。

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2025-03-15 UP

いよいよ3/17(月)から猿島阪東観音霊場の御開帳です。
考えてみると、300年も続いているイベントは、神社の祭礼をのぞくとかなり貴重です。
しかも12年に一度。

これから気候もよくなるし、桜の季節とも重なります。
また、折よく渋滞気味だった圏央道幸手IC~五霞IC間が昨日3月14日から4車線化され、アクセスがよくなっています。

興味のある方は、一度体験されてみてはいかがでしょう。


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2025-02-12 UP

今年(令和7年)3月17日から4月17日までの1ヶ月間、12年に1度の猿島阪東観音霊場の御開帳が行われます。

猿島阪東観音霊場とは、千葉県野田市関宿の福寿院を初番発願所とし、茨城県境町、古河市(旧三和町エリア)、坂東市の2県4市町をまわって、茨城県坂東市の長谷寺で結願となる観世音菩薩霊場です。
開創は享保十年(1725年)、第17番札所萬蔵院第52世住職・雄弁上人(おうべんしょうにん、1658-1729年)によると伝わり、今回は開創300年の記念開帳となります。

観音霊場としてはめずらしい巳年の御開帳で中開帳はなく、12年に一度、直近の御開帳平成25年(2013年)年3~4月以来12年ぶりの御開帳となります。

今回は300年の記念開帳ということもあってか、立派な公式Webが開設され、2県4市町の観光協会が協力しています。

御開帳日時:令和7年3月17日(月)~4月17日(木)の1ヶ月間
納経対応時間:午前8時30分~午後5時
納経料(墨書と御朱印):500円/1札所(朱印のみ(重印)は300円)
専用納経帳:あり(2,000円、各札所で頒布)

全札所は42(第1番~第33番、第8番・第9番・第16番重複、掛所×3、番外×3)ですが、今回は掛所×3、番外×1の4札所が非開帳の模様で、御開帳札所は計38となります。

霊場札所リスト(「ニッポンの霊場」様)

札所分布図




通年御朱印授与されている札所もありますが、多くの札所は無住の堂宇のため御開帳時以外は御朱印の拝受は困難で、「12年に一度の御朱印」が多くあります。
これは、メジャー霊場との兼務札所が第26番自性院(関東八十八箇所霊場第40番)くらいしか見当たらないことからも裏付けられます。

 
【写真 上(左)】 2番大悲院の札所御朱印
【写真 下(右)】 26番自性院の札所御朱印

著名な観光地が少なく、比較的地味なエリアですが圏央道「境古河IC」「坂東IC」(PDF)に近く交通は便利です。
札所のうちには平将門公、坂上田村麻呂ゆかりの寺院もあり、歴史的にも意味ぶかいエリアです。


御開帳期間は1ヶ月と比較的長く、気合いを入れれば結願はさほど困難ではないと思います。
興味のある方は、この貴重な機会に巡拝されてみてはいかがでしょうか。


※ 関連霊場「新四国猿島霊場」の記事は→ こちら


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真言宗の勤行式のなかに「祈願文」(きがんぶん・きがんもん)があります。
わが国では、中世の昔から僧侶のみならず在家の人々もこのような大きな願いを営々と託してきたとは、おどろくばかりです。

祈願文

至心発願(ししんほつがん)
天長地久(てんちょうちきゅう)
即身成仏(そくしんじょうぶつ)
密厳国土(みつごんこくど)

風雨順時(ふううじゅんじ)
五穀豊饒(ごこくぶにょう)
万邦協和(ばんぽきょうわ)
諸人快楽(しょにんけらく)

乃至(及以)法界(ないし(ぎゅうい)ほうかい)
平等利益(びょうどうりやく)


(意訳)愛宕山弘正寺様(愛知県岡崎市)の公式Webより引用
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真心を持って祈ります。
宇宙が永遠に存在し
すべての人がこの身このままで仏様になり
この世が仏様の世界となり

天地宇宙が順調に進み
農作物が豊かに実り
この世が平和で
人々が幸せであって

世界であまねく
仏様の恵みが平等でありますように

----------

こういう時代だからこそ、世の中の安寧と人々の幸せを願っての寺社巡りは意義あることなのかもしれません。

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ちょうど茨城県境町の地酒「徳正宗」を飲んでいました。
蔵元は「萩原酒造」、銘柄は「徳正宗 純米吟醸」。
茨城県オリジナルの酒米「ひたち錦」100%使用で、精米歩合は50%です。

安政二年(1855年)創業の老舗で、この銘柄はゴク味が効いて飲み飽きしないなかなかの飲み口です。
利根川下流域の地酒でこの仕上がりはある意味おどろきです。

飲酒運転は当然厳禁ですが、酒好きの方はお土産にどうぞ。

【関連記事】
日本酒-1

この江戸時代創業の老舗でも創業170年。
開創300年の猿島阪東観音霊場の歴史を実感します。



桜曲特集です。

■ ひらひら ひらら - ClariS


■ はるのはるか - mimui(歌ってみた)


■ さよならメモリーズ - Covered by Hanon×Kotoha


■ 桜曲40曲!
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■ 武州江戸六阿弥陀詣の御朱印 ~ 足立姫伝説 ~ 【 後編 】

上野池之端の常楽院別堂を追記しました。

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■ 武州江戸六阿弥陀詣の御朱印 ~ 足立姫伝説 ~ 【 前編 】から


■ 第5番目 福増山 常楽院
公式Web
天台宗東京教区の紹介Web
調布市西つつじヶ丘4-9-1(旧下谷(上野)広小路)
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
他の札所:上野王子駒込辺三十三観音霊場第18番、京王三十三観音霊場第12番、東方三十三観音霊場第18番


『江戸名所図会』十七(国会図書館DC(保護期間満了資料)より転載)

天平年間(729-749年)(勝宝年中(749-757年)とも)、行基菩薩の開創、慈覚大師の中興と伝わる名刹で、もとは寶王山 常楽院 長福壽寺と号しました。
戦前までは下谷(上野広小路、現在のABAB付近)にありましたが、昭和20年3月戦災での焼失を機に当地の福増山 蓮蔵寺を合併して調布市に移転しています。
なお、現在も上野広小路には常楽院の別堂が残ります。
行基作と伝わる御本尊阿弥陀如来は六阿弥陀第5番目です。

常楽院は、六阿弥陀唯一の御府内(町奉行の支配に属した江戸の市域とされる)の寺院でした。
なので、『新編武蔵風土記稿』の範囲外で「御府内風土記」に記載とみられていますが、「御府内風土記」は焼失したとされています。
「御府内風土記」の編纂資料として整理された『寺社書上(御府内備考) 下谷寺社書上 壱』(国会図書館DC)の常楽院の項には「六阿弥陀」の略縁起が記されていますので、以下引用します。

「抑当国六阿弥陀如来の尊像ハ 行基菩薩の御作にして霊験あらた(か)なる尊像なり
むかし此地に足立の長者といへる人あり 年老るまて子なきをうれひ、熊野権現に祈りて女子を生り 容顔うるハしくして人みな心をかけすといふ事なし 又そのほとりに豊嶋の長者といふものあり 此娘を娶りし●いかなる故にやありけん 此娘荒川に身を投て死す。侍女もともに入水して失ぬ 足立の長者これをかなしミ 娘●侍女の菩提のために諸國の霊場を見めぐり 紀州牟宴の郡熊野権現に参籠して霊夢を蒙り霊木を得て 弥陀の尊像を彫刻せんと願を発し 願ハくハ當山権現本地阿弥陀如来我願をミたしめ●ハ 此霊木わか本國沼田の浦に流れよるべしと祈りしに 不思儀に此木百有余里の波涛をへて本國沼田の浦につき夜ごとに光を放つ 其頃行基菩薩諸國をめぐりて此所に来り給ひ 誠に亡女ハ汝を浄土に導んがための佛菩薩の化身なるべしとて 南無阿弥陀佛の六字の数にあハせて彼の一木を以て六體の弥陀を彫刻して其此の街道の六ヶ所の村里に安置し給ひしより千有余年にちかし 伏して惟ハ弥陀如来は五劫の間思惟し給ひて四十八願をたて 濁悪の衆生をして悉ク極楽浄土に往生せしめんとの御誓ひなりといふ 況や現世にして願ふ所の事一切圓満せずといふ事なし 仰ぎ尊ふべくふして信ずべし ことに二李の彼岸にハこの六ケ寺を巡礼して尊容を拝すべきものなり。」(文政八年(1825年)再版)

なお、天台宗東京教区のWebには、「足立の長者」は庄司従二位藤原正成で、「聖武天皇(724~749)の頃」と記されています。

京王線「つつじケ丘」駅南口から徒歩3分。いちおう駐車場もあるようですが、周辺道路はすこぶる狭く人通りも多いので電車利用がおすすめです。


【写真 上(左)】 入口?
【写真 下(右)】 山門


【写真 上(左)】 寺号板&札所板
【写真 下(右)】 境内

参拝時の記憶があいまいなのですが、たしか呼び鈴を押して六阿弥陀参拝の旨をお伝えすると、本堂内にあげていただいたかと思います。
御朱印はたしか本堂内で揮毫いただいたと思われ、揮毫中に勤行一式あげさせていただいた記憶があります。
現在はどういう形での授与かはわかりませんが、できれば数珠と経本持参で、般若心経、阿弥陀如来の御真言などを唱えられた方がベターかもしれません。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 院号扁額

本堂はおそらく切妻造平入り銅板葺で、千鳥破風の向拝が付設されています。
向拝見上げに「常楽院」の院号扁額。


【写真 上(左)】 お地蔵さま
【写真 下(右)】 「思い出のアルバム」の歌碑

境内には「思い出のアルバム」の歌碑が建てられています。
”日本の歌百選”にも選ばれた「思い出のアルバム」は、当院住職で当院付属の神代幼稚園の園長でもあった第五十二世住職本多慈祐氏(作曲家名本多鉄麿、昭和41年没)の作曲による卒園歌の名曲です。
鉄麿氏はこのほかにも讃仏歌、仏教保育歌、各地の校歌などを数多く作曲されました。

■ 思い出のアルバム - 芹 洋子

↑ 古きよき日本を彷彿とさせる3拍子の好メロ曲。


● 江戸六阿弥陀第5番目の御朱印

中央に阿弥陀如来の種子キリーク(蓮華座+火焔宝珠)の御寶印と「六阿弥陀如来」とキリークの揮毫。右に「第五番」の札所印。
左下に山号寺号の揮毫と寺院印。
こちらの御寶印は蓮華座+火焔宝珠が菱形の枠内に収まる、比較的めずらしい意匠のものです。

六阿弥陀のほか複数の観音霊場の札所を兼ねておられますが、いずれも現役霊場ではなく、そちらの御朱印の授与については不明です。


【旧地/常楽院別堂】

■ 第5番目 福増山 常楽院
公式Web
紹介Web
台東区池之端1-4-1 東天紅敷地内
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
他の札所:上野王子駒込辺三十三観音霊場第18番、京王三十三観音霊場第12番、東方三十三観音霊場第18番

上野池之端の常楽院別堂もご紹介します。

上野公園・不忍池至近の立地ですが、1本裏手に入っているので意外に気がつきません。
筆者もこの前の路地を通るのははじめてでした。


【写真 上(左)】 不忍池の桜と東天紅本社ビル
【写真 下(右)】 東天紅本社ビルの一画にあります

中華料理レストラン「東天紅」本社ビルの敷地内、植栽の茂みのなかにこぢんまりとあります。


【写真 上(左)】 路地から
【写真 下(右)】 正面が阿弥陀堂

参道横に「誹風柳多留巻頭の地」の石碑。
Wikipediaによると、『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』とは、江戸時代中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行されていた川柳の句集とのこと。
明和二年から天保十一年(1765–1840年)にかけて計167編が刊行されたらしく、「巻頭の地」ということは、初版刊行ゆかりの地ということでしょうか。


【写真 上(左)】 「誹風柳多留巻頭の地」の石碑
【写真 下(右)】 句碑

川柳ゆかりの地にふさわしく、堂前には
「五番目は同じ作でも江戸産れ」
との句碑がありました。

左右の門柱には「六阿彌陀」「第五番」の標示があり、江戸六阿弥陀第5番札所ゆかりの地であることを主張しています。


【写真 上(左)】 六阿彌陀の標示
【写真 下(右)】 第五番の標示

正面に切妻造妻入一間銅板葺の阿弥陀堂。
花頭窓風格子のおくの堂内には光背を置き、阿弥陀定印を結ばれた、整った面立ちの阿弥陀さまが御座されていました。
こちらは、調布に遷られた第五番阿弥陀如来の模刻の尊像です。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 阿弥陀さま

阿弥陀堂向かって右手には、かなりの年代を感じる露座像が御座されていますが、尊格は不明です。
あるいは旧・常楽院ゆかりの石仏かもしれません。

右手壁面には「江戸六阿弥陀縁起」が掲示されていました。
以下に転記します。

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江戸六阿弥陀縁起
聖武天皇の頃(724-749年)、武蔵国足立郡に沼田の長者と呼ばれる庄司従二位藤原正成という人がいて、多年子宝に恵まれずにいたが、ある時、熊野権現に詣でて祈願したところご利益を得てようよう一女を授かった。
この息女は足立姫と呼ばれた程にみめ美しく、仏を崇い、天質聡明であったが、隣の群に住む領主豊島左エ門尉清光に嫁がせると、領主の姑が事々に辛くあたり悲嘆の日々を送ることになった。
そしてある時、里帰りの折りに思い余って沼田川(現荒川)に身を投げ五人の侍女もまた姫の後を追って川に身を投じたのであった。

後日、息女らの供養に諸国巡礼の旅に出た長者が再び熊野権現に詣でたところ夢に権現が立ち、一女を授けたのはそなたを仏道に導く方便であった、これより熊野山中にある霊木により六体の阿弥陀仏を彫み広く衆生を済度せよ、と申されたのであった。

長者が熊野山中を探し歩くと果たして光り輝く霊木をみつけ、長者は念を込めてその霊木を海に流したのである。
長者が帰国してみると霊木は沼田の入江に流れ着いており、間もなくこれも先の夢のお告げの通りに、諸国巡礼の途に沼田の地に立ち寄られた行基菩薩に乞うて六体の阿弥陀仏を彫り、六女ゆかりの地にそれぞれお堂を建ててこれを祀ったのである。

江戸時代に入り、この六阿弥陀を巡拝し、極楽往生を願う信仰が行楽を伴って盛んになり、特に第五番常楽院は上野広小路の繁華街(現ABAB赤札堂地)にあったので両彼岸などは特に大いに賑わい、江戸名所図会にも描かれている。

広小路のお堂は、関東大震災と第二次世界大戦期の焼失を継て、ご本尊阿弥陀さまは調布市に移ったが、参詣の便を図って縁のある上野池之端、此東天紅の敷地を拝借して別院を設け、模刻の阿弥陀さまをお祀りしている。

六阿弥陀第五番 常楽院
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■ 第6番目 西帰山 常光寺
公式Web
江東区亀戸4-48-3
曹洞宗
御本尊:阿弥陀如来
他の札所:亀戸七福神(寿老人)、新葛西三十三観音霊場第32番、南葛八十八ヶ所霊場第66番

公式Webの縁起によると、こちらも「足立姫伝説」ゆかりの開基です。

建立は天平九年(737年)、開山は行基菩薩、開基は豊島の冠者、御本尊は行基菩薩作、座像六寸の阿弥陀如来像で六阿弥陀第6番目です。
天文十三年(1544年)に曹洞宗に改宗、中興開山は浅草総泉寺四世の勝庵最大和尚で、中興開基は下総の里見義実と伝わります。

縁起によると、足立姫の父は足立庄司従二位宰相藤原正成、嫁ぎ先は豊島左衛門尉清光となっています。

「禅宗曹洞派豊嶋郡橋場村 總泉寺末、西蹄山ト號ス 本尊彌陀行基ノ作ニシテ長六寸許 脇立ニ観音勢至ヲ安ス コレ六阿彌陀第六番目ニシテ春秋彼岸ハ殊ニ参詣ノモノ多シ 縁起アレト世ノ知ル所ニシテ外ニ事寶カハラサレハ●ス當寺ハ行基草創ノ地ナリト云傳ヘ又中興ヲ勝庵最和尚ト云天文十三年七月十五日寂ス」
(『御府内風土記新編武蔵風土記稿』巻之24葛飾郡之5(国会図書館DC)より)

当山七世圓月江寂禅師は、元禄七年(1694年)正月武府に生まれ、総泉寺(常光寺の本寺)大寂に得度、常光寺了山に従い参禅、各地を遍参され当山や越後宝光寺、武府総泉寺に住されました。
後、武蔵の龍穏寺三十七世に昇住、元文五年(1740年)永平寺禅師を拝命され、寛延二年(1749年)の五百回大恩忌に永平寺で現存する最古の木造建築である山門再建を発願、完成に至りました。
墨跡には曹洞宗の禅師としてはめずらしく「南無阿弥陀仏」が多いとされます。


【写真 上(左)】 山門まわり
【写真 下(右)】 山門の札所標

江戸川区との区界にも近い亀戸四丁目にあります。
亀戸駅から10分ほど、押上駅からも意外に近く北十間川沿いに2㎞ほどです。


【写真 上(左)】 境内
【写真 下(右)】 本堂1

 
【写真 上(左)】 本堂2
【写真 下(右)】 本堂向拝

広々した印象の境内で、アーチ状の身舎に破風向拝を張り出した個性的な意匠の本堂。
本堂向かって左側には、亀戸七福神の壽老人堂と定印を結ばれた阿弥陀如来が趺坐される無量寿塔があります。


【写真 上(左)】 壽老人堂
【写真 下(右)】 無量寿塔


【写真 上(左)】 南葛霊場の札所標
【写真 下(右)】 六阿弥陀の道標

こちらは南葛八十八ヶ所霊場第66番の札所で札所碑もありましたが、南葛第66番は亀戸三丁目の龍光寺に移動したという情報があり、実際、龍光寺の大師堂には「南葛霊場八十八ヶ所第六十六番」の札所板が掲げられていました。
なお、龍光寺は御朱印の授与はされておりません。(2019年5月確認)

本堂手前の「南無阿弥陀佛」の道標は延宝七年(1679年)在銘で、江戸六阿弥陀最古のものとされています。

御朱印は庫裡にて授与いただきました。
ほかに亀戸七福神の寿老人の御朱印も授与されていますが(筆者は未拝受)、新葛西三十三観音霊場の御朱印授与は不明です。

● 江戸六阿弥陀第6番目の御朱印

中央に三寶印と「六阿弥陀如来」とキリークの揮毫。右に「亀戸六番」の札所印。
左下に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 木余の弥陀 龍燈山 貞香院 性翁寺
公式Web
足立区扇2-19-3
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
他の札所:荒綾八十八ヶ所霊場第47番

公式Webの由緒によると、こちらも「足立姫伝説」ゆかりの開基で、足立姫の墓所となっています。

寺伝および山門前説明板によると、神亀三年(726年)行基菩薩が庵を開いた(あるいは足立姫菩提所として開創)のが始まりで、(足立姫の父)足立荘司宮城宰相が開基となり、明応元年(1492)には行蓮社正譽龍呑上人が開山とあります。
江戸時代、阿出川對馬守貞次が中興開基となり、慶安元年(1648年)には三代将軍徳川家光公から朱印地十石を与えられ、以降阿出川對馬守を大檀那とする名刹です。

『新編武蔵風土記稿』(足立郡之二、国会図書館DCコマ番号80/196)には以下の記述があります。
「浄土宗、埼玉郡岩槻浄國寺の末、龍燈山貞香院と號す、本尊彌陀行基の作なり、昔此邊六阿彌陀の像彫刻の時、根元の餘木を以て彫刻せし像なれば、根元阿彌陀と稱すと云、六阿彌陀の由来は小臺村の條に出したれば合せ見るべし、寺領十石慶安元年御朱印を賜ふ、開山行蓮社正譽龍呑、明應七年二月十五日寂す、開基は足立庄司宮城宰相と云傳ふ、此人【宮城家譜】及び他の書にも所見なし、かの家譜を見るに、豊嶋二郎吉國が子六郎政業(叉の譜には宮城中務と載せたり)當所を領してより、宮城を氏とせりと云ときは、此人の開基なるにや、されど天正十七年卒せし人なれば、開山より少し時代おくれし人なり、よりて思ふに中興の檀越をたヾちに開基と稱すること、他にも其例あれば、是も實は中興の開基なるも知るべからず、其後阿出川對馬守藤原貞次と云者、中興開基せり、此人は北條氏の家人なりしが、彼家没落の後、當村に土着し、元和二年三月廿三日死す、法諡を性翁院覺譽相圓と云、子孫今村内に住すれど、家系及び記録なければ詳ならず、叉云開闢の頃は荒川の水除堤の外にありしが、何の頃か今の地へ移れりと云。古墳。境内にあり、菩提樹として植てしるしとせり、是は足立庄司の女足立姫の墓なりとて、恵曜禅定門、永禄十三年八月十五日と彫たる古碑をたつ、かの女の碑ならざることは彫せし法諡にても知るべし、寺傳によるに足立姫の法諡を蓮相浄地と號し、卒年は詳ならず、父庄司が此女の爲に六阿彌陀を彫刻せしことは、小臺村の條に出したればここには略す。」

「性翁寺は六阿弥陀発祥の地にして根元の旧跡」といわれ、足立姫物語を描いた『紙本着色性翁寺縁起絵』(足立区登録有形文化財)が伝わります。


『紙本着色性翁寺縁起絵』(足立区史料より。)

これまでの内容と重複するところもありますが、足立姫と当寺の所縁が詳細に説明されている足立区の縁起絵の説明文から抜粋引用します。
「性翁寺は、宮城宰相の娘足立姫の悲劇にまつわる六阿弥陀伝説ゆかりの寺で、この縁起絵は六阿弥陀伝説を檀家にわかりやすく説明するために作られたものです。(中略)
足立姫と豊島左衛門尉が婚礼し、婚家と不仲になった足立姫が十二人の侍女と荒川(現隅田川)へ入水します。足立姫の父である宮城宰相は、十二人の侍女の亡骸を荒川から引き上げましたが、姫の亡骸は見つかりませんでした。宮城宰相は、墓石を立てて、供養のため諸国霊場巡礼の旅に出ます。そして、紀州熊野権現(和歌山県)へたどり着きました。宮城宰相は熊野権現から霊木を授かり、霊木を熊野灘に流します。宮城宰相が紀州を出て邸宅へ帰ると、流した霊木が現在の熊野木付近(足立区江北)で引き上げられていました。宮城宰相はたまたま付近に来ていた行基菩薩を邸宅に招き、行基菩薩に霊木を使って仏を彫るよう依頼します。行基菩薩は、熊野権現の助けを借りて一夜の内に、六体の阿弥陀如来と余った霊木からさらにもう一体の阿弥陀如来を彫りあげました。宮城宰相夫婦は行基菩薩に足立姫の形見の菩提樹で作られた数珠を差し出し、行基菩薩がその数珠を埋葬供養して姫の葬儀をしました。宮城宰相は姫の墓所横へ草庵を建て、木余り如来を安置し、姫の菩提を追善しました。)

第2番目恵明寺からほど近い、荒川の流れのそばにあります。
住宅地のなか、豪壮な山門と瓦塀を構えています。


【写真 上(左)】 門1_「山門」
【写真 下(右)】 軒丸瓦に施された「木餘」

門がふたつありますが、伽藍構成がわからないので、仮に道に面した門を「山門」、その奥の門を「中門」とします。

「山門」は切妻屋根本瓦葺で塀と連接し、寺院にはめずらしい自動扉です。
「山門」周囲の瓦塀の軒丸瓦に施された「木餘」の文字もなかなかの見どころ。


【写真 上(左)】 門2_「中門」
【写真 下(右)】 お不動さま

その先には中門で、右手には矜羯羅・制吒迦の二童子を従えた坐像のお不動さまが御座します。台座には「成田山」の文字。
東京下町には浄土宗寺院でも、お不動さまが御座す例がけっこうあります。


【写真 上(左)】 斜めからの「中門」
【写真 下(右)】 「中門」屋根の見事な意匠

「中門」は、おそらく四脚門ないし薬医門で本瓦葺。
梁上に二連の本蟇股。大棟の熨斗瓦端に鴟尾、降棟の鬼瓦部に「性翁寺」とその上に龍の棟飾り。精緻な設えの留蓋瓦の下に巴紋?を刻した軒丸瓦(鐙瓦)が並ぶ見事な意匠です。

参拝前に右手の事務所にお声掛けするのがルールとなっています。

こぢんまりとしていますが、細やかに手入れされ「女人霊場」にふさわしいしっとり落ち着いた山内です。


【写真 上(左)】 「中門」越しの本堂
【写真 下(右)】 緑ゆたかな山内

参道左手には三基の「木餘如来」の石碑、その先の本堂手前にも「木餘如来」の石碑があります。


【写真 上(左)】 「木余如来」の石碑1
【写真 下(右)】 「木余如来」の石碑2


【写真 上(左)】 本堂前参道
【写真 下(右)】 本堂


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 お地蔵さま

本堂左手前にはお地蔵さまが御座します。
本堂は陸屋根の近代建築で、屋根側面に浄土宗の月影杏葉紋、向拝見上げに「木余如来」の扁額、扉の下欄に葵紋。
堂内上部には「竜灯山」の扁額が掲げられていました。


○ お寺様でいただいた東京都教育庁のポストカードより(御本尊の阿弥陀如来)

御本尊の木像阿弥陀如来坐像は東京都指定文化財(彫刻)
六阿弥陀の余木で作られたされる伝・行基作の阿弥陀如来像で、平安末期から鎌倉初期の作とみられています。
六阿弥陀を刻したあとの根元の余り木を用いたお像と伝わるため、「根元阿弥陀」とも呼ばれます。

阿弥陀如来像、『紙本着色性翁寺縁起絵』ともに、不定期ながら公開されることがあります。

足立姫の墓所は墓地内にあります。
寺務所で場所をお伺いしたところ快くご教示いただいたので、部外者でもお参り可能かと思いますが、事前に寺務所にて申し出た方がよろしいかと思います。


【写真 上(左)】 足立姫の墓所
【写真 下(右)】 「足立荘司」の碑

足立姫の墓所は奥まった一画にあります。
手前に「足立姫」の石碑と、向かって右手奥には「足立荘司 宮城宰相」と刻された石碑ないし墓石がありました。

御朱印は、寺務所での参拝受付時に書置のものを拝受できます。
なお、御朱印は江戸六阿弥陀の1種で、荒綾八十八ヶ所霊場の御朱印は授与されていない模様です。

● 江戸六阿弥陀 木余の弥陀の御朱印

中央に阿弥陀三尊の種子「キリーク、サ、サク」の御寶印と「木余如来」の揮毫。右に「第札所印、左下に寺号の揮毫と「木餘」の寺院印が捺されています。


■ 木残(末木)の観音 補陀山 補陀落寿院 昌林寺
北区西ケ原3-12-6
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
他の札所:上野王子駒込辺三十三観音霊場第5番、北豊島三十三観音霊場第19番、滝野川寺院めぐり第10番

『滝野川寺院めぐり案内』には、開創・開山・開基などは不詳。行基菩薩の作とされる末木観世音菩薩を御本尊とする。応永年間(1394~1428年)に鎌倉公方足利持氏公が再興し、禅刹に改め祥林寺と号した。その後江戸橋場総泉寺4世の宗最和尚が中興開山となり、昌林寺に改称。太田道灌公の寄進を受けて伽藍を善美とし、彫刻物はすべて左甚五郎の作と伝わる。明治十六年(1883年)曹洞宗大本山永平寺の61世絶海天真禅師がご入山され御隠寮となり、太政大臣三条実美公は当山の風光を賞して「百花一覧之台」と賛した。などの寺歴が記されています。

『新編武蔵風土記稿』(豊島郡之10、国会図書館DCコマ番号20/114)に以下の記述があります。
「禅宗曹洞派橋場總泉寺末 補陀山ト号ス 古ハ補陀楽壽院ト号セシヲ應永十八年足利持氏再營シテ祥林寺ト改メ 文明十一年太田道灌田園二十四町を寄附セリ 其後大永五年丙丁ニ罹リシ後本山四世勝庵宗最中興シテ今ノ文字ニ改ム 此僧ハ天文十三年七月十五寂ス 本尊正観音ハ行基ノ作ニテ 六阿彌陀彫刻ノ時同木ノ末木ヲ以テコノ像ヲ作リシユヘ 末木ノ観音と号と云 昔ハ本堂ノ造リモ壮厳ヲ盡セシニヤ 今ノ堂ニ用ル所ノ扉獅子牡丹桐鳳凰等ノ彫刻最工ニシテ 近世ノモノニアラス是左甚五郎ノ作ニテ先年火災ノ時僅ニ残リシモノト云」

昌林寺は江戸(武州)六阿弥陀ゆかりの木残の末木観音様として知られ、『江戸名所図会』に「本尊末木観世音菩薩は、開山行基菩薩の作なり。往古六阿弥陀彫刻の折から末木を以って作りたまひしとぞ。」と記され、江戸六阿弥陀との関連が裏付けられています。

江戸六阿弥陀の無量寺、与楽寺、昌林寺の3寺は滝野川寺院めぐりの札所と重複します。
滝野川寺院めぐりは、桜の名所であった王子・飛鳥山、紅葉の名所として知られた滝野川、つつじの名所の駒込染井など、江戸時代のレクリエーションの名所ときれいに重なっていますが、江戸六阿弥陀も一部同じコースを辿ります。


【写真 上(左)】 山門から山内
【写真 下(右)】 上野王子駒込辺三十三観音霊場(西國霊場)の札所標

谷田川通りから少し入った住宅街のなかにこぢんまりと整った山内。
山門脇に上野王子駒込辺三十三観音霊場(西國霊場)第5番の札所標が建っています。


【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 上野王子駒込辺三十三観音霊場(西國霊場)の札所碑


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜め左から本堂

入母屋造本瓦様の銅板葺で、軒下に向拝を付設しています。
水引虹梁両端に木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に「補陀山」の扁額を掲げています。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 向拝見上げ

朱の欄干と横長の花頭窓が印象的な本堂の手前には、江戸六阿弥陀&上野王子駒込辺三十三観音霊場(西國霊場)の札所標と昭和62年造立の百寿観世音菩薩が御座します。


【写真 上(左)】 百寿観世音菩薩
【写真 下(右)】 本堂扁額

御朱印は庫裡にて拝受しました。
メジャー霊場の札所ではありませんが、最近は「江戸六阿弥陀」巡拝者も増えているのか、御朱印対応は手慣れておられます。
滝野川寺院めぐりの御朱印も問題なく授与いただけました。
なお、上野王子駒込辺三十三観音霊場第5番の札所印は、「江戸六阿弥陀」の参拝でも捺されているようです。

● 江戸六阿弥陀 木残(末木)の観音の御朱印

中央に「本尊 末木観世音菩薩」の印判と聖観世音菩薩の種子「サ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)とその下に「末木観世音菩薩 西国五番」の横書きの印判。
左上に上野王子駒込辺三十三観音霊場第5番の札所印の札所印「藤井寺寫 西國第五番」の札所印が捺されています。
左下には山号・寺号の印判と寺院印が捺されています。
滝野川霊場の御朱印では「末木観音」の揮毫。
江戸六阿弥陀と観音霊場の御朱印では「本尊 末木観世音菩薩」の印判の様式にて授与されるようです。

〔滝野川寺院めぐり第10番の御朱印〕

中央に「末木観音」の揮毫と聖観世音菩薩の種子「サ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)とその下に「末木観世音菩薩 西国五番」の横書きの印判。
左上に「滝野川寺院めぐり 第十番寺」の札所印で、札所無申告で授与されると思われる「藤井寺寫 西國第五番」の上野王子駒込辺三十三観音霊場第5番の札所印は捺されていません。
左下に山号・寺号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 江戸六阿弥陀 その他の関連寺社

□ 船方神社
北区堀船4-13-28


旧船方村鎮守。
もとは十二天塚とも称され、六阿弥陀伝承ゆかりのお社と伝わります。

現地案内板(北区教育委員会)より抜粋引用します。
「昔、この地域の荘園領主の豊島清光は子供に恵まれず、熊野権現の神々に祈願して一人の姫を授かります。成人して足立小輔に嫁がせましたが、心ない仕打ちを受けた姫は入間川(荒川)に身を投げ、十二人の侍女も姫を追って身を投げたという話が江戸六阿弥陀伝承のなかにあります。(中略)熊野信仰が盛んだった荒川流域の村々では悲しい侍女達の地域伝承と密教の十二天や熊野信仰とが結びつき、船方神社の十二天社としてまつられたものといえます。なお、この伝承は江戸時代、江戸六阿弥陀参詣の札所寺院によって縁起化されました。しかし荒川に身を沈めたのは清光の姫でなく、足立庄司の姫だという伝承、姫の父親に実在しなかった人物の登場する点や伝承の時代設定とは異なる奈良時代の高僧行基が登場する点などのように付会性が強く、縁起の内容は寺院により少しずつ異なって伝えられています。」

『新編武蔵風土記稿』(豊島郡之九、国会図書館DCコマ番号170/209)には以下の記述があります。
「(船方村)十二天社 足立郡宮城村性翁寺の縁起に、神龜二年六月足立庄司宮城宰相の女、豊嶋左衛門に嫁せしか故有て荒川に入水せし時、彼に従ひたる侍女十二人主に殉して水に投せし骸を葬て十二天森と號す、今の船方村鎮守是なりと載たり、されと彼事績の疑ふへきことは性翁寺の條にも辨せし如くなれは元より信すへき事にはあらず、延命寺持。」

当社は御朱印不授与の模様です。


□ 中臺山 医王院 光圓寺
文京区小石川4-12-8
浄土宗

小石川にある浄土宗寺院で江戸六阿弥陀とのゆかりが伝わります。

『小石川區史』/文京区立真砂中央図書館蔵P.834の光圓寺の項には「六阿弥陀」ゆかりの縁起が記されていますので以下引用します。
「天平十三年行基菩薩東國巡錫の砌此處に一宇を建立し、薬師如来を自刻して安置し、堂前に一公孫樹を植ゑたのが當寺の創めであると云ふ。(中略)文政時代には境内三千坪あり、本堂には薬師如来を本尊とし、別に江戸六阿彌陀の一と稱せられる阿彌陀如来を新本尊として其背後に勧請した。」


『江戸名所図会』7巻[13](国会図書館DC(保護期間満了資料)より転載)

また、『江戸名所図会』の光圓寺の挿絵には、確かに「六阿弥陀本木薬師如来安置あり」とあり、光圓寺の項(7巻 [13])には「行基菩薩件の杉の本木を以て此本尊を模刻し此境に一宇を営んで安置せり又六道流傳の衆生●救ハん為末木を以て六躰の弥陀像を彫造し六所に分ちたり 江戸六阿弥陀と稱●る●の是なり」とあります。

この伝承によると杉の本木から刻したのは薬師如来で、六体の阿弥陀造は末木を刻したことになっています。

また、当寺公式Webには以下の記載があります。
「天平13(741)年、行基菩薩が43歳の時、東の方の国の人々に教えを広めようとして、まず南紀州の熊野神社に泊まりがけで参詣をして奈良へ帰る路の傍らに大きな杉の木がありました。これを像の材として仏像を作ろうとその木を切って、心に誓って思われましたのは、『もし御仏様のこころにかないますなら、この木を流しますから縁のある土地に到着さしてください』と。ご自分は全国を回り東の方の国に行かれ、この小石川の土地にいたり給うと、紀州から流された杉の木が小石川という入江に流れ着いていました。(注釈して、大昔はこの辺りから高田のあたりまで神田橋の内外すべて入江で河をなしていたと記されています)。これは御仏様のこころであると自分のやさしい母のため香や花をささげ、礼拝して信心のまことをおつくしになりました。そうすると目の前に薬師女が金色の光を放って表れました。行基菩薩は、例の流れ着いた杉の木の本木で御本尊様をかたどって刻み、この土地に一つの寺を建てて安置申し上げました。」

足立姫、足立の長者、豊島の長者などは登場しないものの、六阿弥陀伝承に近い内容となっています。

当寺は御朱印不授与の模様です。


□ 本木熊野神社
足立区本木南町18-8

性翁寺がある足立区扇の東隣に本木というエリアがあります。
『新編武蔵風土記稿』(足立郡之二、国会図書館DCコマ番号76/196)には、旧本木村について以下の記述があります。
「(本木村) 村名の起りは、今宮城村性翁寺の本尊本木阿彌陀と云もの、昔村内善覺寺に在て名高かりしゆへ、後村名になせしと云(中略)かの一番の像は今豊島村西福寺にあり」

旧本木村の善覺寺は荒川辺八十八ヶ所霊場の第33番札所で、廃寺となったのちは札所は六阿弥陀第1番目の西福寺に移動しています。
『風土記稿』の記載によると、六阿弥陀第1番目の阿弥陀如来も善覺寺から西福寺に移動したことになります。

なお、善覺寺は本木北野神社(足立区本木南町17-1)の元別当だったので、現在の足立区本木南町付近にあったのではないでしょうか。

なお、六阿弥陀伝承は熊野信仰とふかいつながりがありますが、本木熊野神社(→「猫の足あと」様)は熊野を信仰していた豊島清光による創建と伝わります。(本木北野神社も豊島清光創建と伝わります。)

さらに王子神社の公式Webの「御由緒」には、「元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。」とあり、豊島氏がこの大社の奉斉にかかわっていたことがうかがえます。

となると、江戸六阿弥陀は豊島氏を介して王子神社とも関わりをもっていた可能性もあります。
豊島氏が熊野より勧請したのは王子大神で、「若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)」と称したと伝わり、こちらについては複雑な経緯もありそうなので稿を改めます。

また、『東都六阿弥陀考證』という文献もみつかりましたが、これについても別途調べてみたいと思います。


【 BGM 】
■ ひらひら ひらら - ClariS


■ 夢の途中 - KOKIA


■ 潮見表 - 遊佐未森
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■ 渾身の一撃的ロッカ・バラード ~ Steve Perry/Journey ~

なぜか突然聴きたくなり、聴き直してみたらやっぱり凄かった。
Steve PerryなくしてJourneyなし!

■ Journey - Faithfully (Official HD Video - 1983)


■ Steve Perry/Journey "Still They Ride" Live and Studio versions


■ Journey - When You Love a Woman (Official HD Video - 1996)
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■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編&全記事のリスト)

記事リストのリンクが錯綜して、バックナンバー(UP済記事)がたどりにくくなっていましたので、末尾に最新の記事リスト&リンクをまとめてみました。

秋~冬の鎌倉もいいですが、やはり花で彩られる春の鎌倉は格別です。
気の向くままに、巡ってみてはいかがでしょうか。


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2022/01/22 UP


【写真 上(左)】 鶴岡八幡宮参道
【写真 下(右)】 建長寺半僧坊大権現からの相模湾


【写真 上(左)】 安国論寺(大町)
【写真 下(右)】 満福寺の義経腰越状の像(腰越)


鎌倉といえば寺社、寺社といえば鎌倉。
鎌倉にはいったいどのくらいの寺社があるのでしょうか。

鎌倉市統計書によると、平成29年の宗教法人数(P.130)は仏教系寺院で121、神道系神社で41となっています。宗教法人数と寺社の数は厳密には一致しないとは思いますが、Web上で寺社数150程度としている情報がみられるので、おおむねその程度なのでしょう。

同統計書(P.132)によると平成28年の各寺社(有料)の年間観光客数は582万人、鶴岡八幡宮1,184万人、銭洗弁財天120万人で、これだけで年間1,886万人、月で157万人、日で5.1万人ですから、その数はハンパではありません。(ちなみに鎌倉市の人口は17万人程度)

じつは、神奈川県資料をみると、鎌倉市の宗教法人数は際立って多い訳ではありません。

1.横浜市 1,092
2.川崎市 334
3.小田原市 256
4.横須賀市 237
5.相模原市 215
6.鎌倉市 174
6.平塚市 174
8.伊勢原市 170
9.厚木市 138
10.秦野市 111

市域の広い政令指定都市の横浜、川崎、相模原はさておき、小田原、横須賀より少なく、平塚と同数です。
それでも鎌倉に「寺社だらけ」のイメージがあるのは、寺社が特定のエリアにかたまっていること、著名な観光寺社が多いことなどが原因と思われます。
しかも、多くの寺院は複数の札所を兼ね、数種の御朱印を授与されているので、拝受できる御朱印の数はおのずから多くなります。
やはり、鎌倉は「御朱印王国」といってもいいのだと思います。

鎌倉でいただける御朱印・御首題はほぼ拝受した気がするし、今年は鎌倉をメイン舞台とするNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も放映されるので、無謀な試みとは思いつつも、一念発起してこれまでいただいた御朱印・御首題をご紹介することとしました。

【エリア概要】
鎌倉は平安時代に相模守となった清和(河内)源氏直系の源頼義公が戦で勝利した際、源氏の氏神である京都の石清水八幡宮を勧請し、康平六年(1063年)鶴岡八幡宮(元八幡・現在の由比若宮)の地に社殿を造営、頼義公の子、八幡太郎義家公も永保元年(1081年)八幡宮を改修と伝わり、天養二年(1145年)頃には頼朝公の父、義朝公が寿福寺のあたりに住んでいたと伝わります。
このように源氏は平安時代より鎌倉と深いつながりをもっていました。

旗揚げ後の石橋山の合戦で大敗を喫し安房国に逃れた源頼朝公に対し、地元の豪族千葉介常胤が「今いる所(房総半島)は、敵襲を受けたとき防ぐには適当な場所ではなく、源家ゆかりの地でもない。速やかに相模国の鎌倉に赴くべきである。」と鎌倉入りを薦め、これを受けて頼朝公が入ったとされます。(吾妻鏡)

鎌倉は南方を相模湾、残り三方を山に囲まれた天然の要害で、陸上交通や物資の搬入は困難をきわめました。市中も狭隘で、いまでも車での鎌倉入りは苦労の多いものとなっています。

往年の鎌倉の中心地はおそらく雪ノ下の鶴岡八幡宮~若宮大路で、そこから、相模湾と七口とも八口とも云われる切り通しに向かって寺社が分布します。
鎌倉七切通しは朝比奈(朝夷奈)切通し(北東)、名越切通し(東)、極楽寺坂切通し(南西)、大仏切通し(西)、化粧坂切通し(北西)、巨福呂坂切通し(北)、亀ヶ谷坂切通し(北)とされています。
この切り通しの内側のすべてのエリアにバランスよく観光寺社が立地し、見どころが分散しているのが観光都市・鎌倉の強みだと思います。(北鎌倉エリアは切り通し外))

なお、切り通し外側の寺社は観光客もすくなく中心部とはいささか趣きが異なります。

鎌倉の寺院は、将軍家や北条執権家、鎌倉御家人ゆかりのものが多く、歴史の香りが高くなっています。山内が名勝となり、拝観料が必要な寺院も少なくありません。

宗派は、禅宗が多くメインエリアでは臨済宗建長寺派、臨済宗円覚寺派が目立ち、曹洞宗寺院は多くはありません。
密寺では真言宗では高野山真言宗、御室派、大覚寺派、泉涌寺派や真言律宗がメインで、新義真言宗はほとんどありません。天台宗寺院も比較的少なくなっています。
浄土宗は材木座に大本山光明寺があり、その影響か浄土宗寺院も比較的多いです。
時宗もおとなりの藤沢市に総本山清浄光寺(通称 遊行寺)があるためか、複数みられます。

鎌倉は日蓮聖人ゆかりの地で、霊跡寺院や由緒寺院、著名な寺院が複数立地します。
妙本寺、本覚寺、安国論寺などがその例です。


【写真 上(左)】 妙本寺の御首題
【写真 下(右)】 安国論寺の御首題

龍ノ口法難ゆかりの霊蹟寺院龍口寺は藤沢市ですが、輪番制度を担った龍口寺輪番八ヶ寺のうち六ヶ寺が鎌倉市内に位置しています。

【鎌倉と札所】
鎌倉は霊場札所のメッカです。
超メジャー霊場、坂東三十三箇所(観音霊場)は鎌倉・杉本寺からの打ち始めです。

【写真 上(左)】 坂東霊場初番・杉本寺の御朱印
【写真 下(右)】 坂東霊場第3番・安養院の御朱印

鎌倉のメジャー霊場として鎌倉三十三観音霊場、鎌倉二十四地蔵霊場、鎌倉・江ノ島七福神があり、現役霊場として円覚寺百観音霊場、鎌倉十三仏霊場、鎌倉六阿弥陀霊場、これに知名度は低いですが相州二十一ヶ所霊場が加わり、さらに認知度の低い相模国準四国八十八ヶ所霊場、鎌倉郡三十三観音霊場の札所が点在します。


■ 鎌倉三十三観音霊場の専用納経帳


【写真 上(左)】 観音霊場発願の御朱印(杉本寺)
【写真 下(右)】 観音霊場結願の御朱印(円覚寺佛日庵)


■ 鎌倉二十四地蔵霊場の専用納経帳


【写真 上(左)】 地蔵霊場発願の御朱印(宝戒寺)
【写真 下(右)】 地蔵霊場結願の御朱印(安養院)


■ 相州二十一ヶ所霊場の専用納経帳


【写真 上(左)】 相州二十一ヶ所発願の御朱印(宝戒寺)
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所結願の御朱印(荘厳寺)


【写真 上(左)】 鎌倉十三仏霊場発願寺の御朱印(明王院)
【写真 下(右)】 鎌倉十三仏霊場結願寺の御朱印(星井寺)


【写真 上(左)】 円覚寺百観音霊場第1番の御朱印
【写真 下(右)】 円覚寺百観音霊場第100番の御朱印頁(未拝受)

霊場とはいえないかもしれませんが、鎌倉五山は有名で、鎌倉寺院御朱印の入門コースとしているガイドもあります。(じつは、さりげに難易度高いのですが・・・(笑))
日蓮宗寺院では龍口寺輪番八ヵ寺のうち六ヶ寺が鎌倉市内です。


【写真 上(左)】 鎌倉五山第一位 建長寺の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉五山第一位 建長寺の扁額


【写真 上(左)】 鎌倉五山第二位 円覚寺の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉五山第三位 寿福寺の御朱印


【写真 上(左)】 鎌倉五山第四位 浄智寺の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉五山第五位 浄妙寺の御朱印

広域霊場では、坂東三十三箇所(観音霊場)、東国花の寺百ヶ寺霊場、関東八十八箇所、新四国東国八十八ヶ所霊場、関東九十一薬師霊場、関東百八地蔵尊霊場、七観音霊場、小田急沿線花の寺四季めぐりの札所があり、まさにカオス的状況となっています。


【写真 上(左)】 七観音霊場の御朱印・光明寺
【写真 下(右)】 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印・補陀洛寺

鎌倉は現役霊場比率が高く、ひとつの寺院で4~5種類程度の御朱印を授与される例はざらで、「御朱印をいただきたい」旨の申告をするとすかさず「何の御朱印ですか?」と切り返されるケースもあります。
また、地蔵尊霊場や十三仏霊場は境外仏堂も多く、御朱印申告をすると「お地蔵さまの場所はわかりましたか?」などと訊かれたりします。
快く一度に数種の御朱印をいただける札所もあれば、1回の参拝でひとつだけとされている寺院もあります。

観光寺院が多い鎌倉ですが、このように御朱印難易度はけっこう高く、御朱印コンプリートを目指す向きは、事前に霊場についてしっかり押さえられたほうがベターかと。
また、霊場をきっちり巡拝したいならば、専用納経帳をつくることをおすすめします。

おどしめいたことをいろいろ書きましたが(笑)、とくに知識がなくても容易く御朱印をいただける寺社ももちろんたくさんあります。
間口の広い観光寺院とマニアックな知る人ぞ知る系寺院が混在する鎌倉は、さながら「御朱印のパラレルワールド」ともいえましょう。

【鎌倉の寺社の回り方】
鎌倉の寺社を車でまわるか、歩いてまわるかは難しい選択です。
中心部をまわるには鉄道+バス+徒歩が無難ですが、繁忙期には電車もバスもかなり混み、バスでは乗り残しが出たりします。
鎌倉は地形的に抜け道・裏道が少なく交通規制も多いので、繁忙期に鎌倉に車で突入するのはほとんど自殺行為です。

ただし、周辺部は車が圧倒的に便利で、中心部でも平日はそれなりに走れるし、コインパーキングも増えてきました。(探せばけっこう良心的な料金のところもあり)
なので、週末は鉄道・バス・徒歩、平日ならば車という選択もありかと思います。

鉄道の便は、横須賀線が直通している千葉方面からは以前からよく、2001年からは湘南新宿ラインが運行開始したので、埼玉方面からのアクセスも向上しました。
変わったところでは、繁忙期の週末に不定期運行される「ホリデー快速 鎌倉」号で、武蔵野線から武蔵野貨物線(武蔵野南線)に入り、鶴見・生麦あたりから東海道線、大船から横須賀線に入るという変則ルートで、普段は乗れない武蔵野貨物線(武蔵野南線)に乗れるので、鉄道ファンには有名な列車です。(全席指定)

鎌倉の第2の玄関口である「北鎌倉」駅は従来、円覚寺寄り(逗子方)の改札のみで、ホームが狭いため、シーズン週末午前などは大船寄りの車両から降りると大混雑に巻き込まれました。
生徒通学専用として設置された下り線大船側出口が平成29年4月から臨時改札口として利用できるようになったため(情報)、いまはさほどでもないかもしれませんが、臨時改札は交通系ICカード専用で精算はできません。なので、いずれにしても北鎌倉下車の場合は前寄り(逗子寄り)の車両に乗るのがベターです。

県央方面からだと、藤沢から江ノ電で鎌倉に入る手があり、車窓は楽しめますがけっこう時間はかかります。腰越、極楽寺、長谷あたりで下車して寺社を回るなら、江ノ電1日乗車券『のりおりくん』がお得です。

北鎌倉、二階堂、浄妙寺あたりの寺院は高低差が大きく見どころも多い大寺が多く、参拝に思いのほか時間を要します。佐助方面の神社アクセスもほとんどハイキングコースです。
よくばらずに、エリアを絞り時間をかけてじっくりまわるのが鎌倉寺社めぐりのポイントかと思います。

季節については、鎌倉はもともと湿気が多いので梅雨~夏場の暑気は耐え難いものがあります。
春は花、晩秋は紅葉と、それぞれに混み合います。
なので、一番のおすすめは空気が乾いて陽射しの明るい冬場~春先です。修学旅行生は多いですが、紅葉前で暑さが落ち着いた10月あたりもおすすめです。

鎌倉の寺社をまとめるには、やはりエリア別がわかりやすく、観光ガイドもたいていそのようになっています。
この記事もこれに従い、東から西、北から南の流れで括ってみたいと思います。


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それでは順にご紹介していきます。(連載形式とし、時間をかけていきます。)

■ 鎌倉の御朱印-2(A.朝夷奈口)へつづく


【 記事リスト 】

■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編)

■ 同-2 (A.朝夷奈口-1)

1.十二所神社 /鎌倉市十二所
2.岩蔵山 光觸寺 /十二所
3.飯盛山 明王院 /十二所
4.稲荷山 浄妙寺 /浄明寺3

■ 同-3 (A.朝夷奈口-2)

5.(浄明寺)熊野神社 /浄明寺3
6.長盛山 松久寺 /浄明寺5
7.功臣山 報国寺 /浄明寺2
8.大蔵山 杉本寺 /二階堂

■ 同-4 (A.朝夷奈口-3)

9.荏柄天神社 /二階堂
10.鎌倉宮 /二階堂
11.南方社・村上社 /二階堂
12.錦屏山 瑞泉寺 /二階堂

■ 同-5 (A.朝夷奈口-4)

13.鷲峰山 覚園寺 /二階堂
14.(西御門/大蔵)白旗神社 /西御門2
15.満光山 来迎寺 /西御門1
16.鶴岡八幡宮 /雪ノ下2 ※現況御朱印のみ掲載。
17.(鶴岡八幡宮境内)白旗神社2 /雪ノ下 ※同上
18.旗上辨財天社 /雪ノ下1 ※同上
19.巌窟堂 岩谷不動尊 /雪ノ下2

■ 同-6 (B.名越口-1)

20.妙法華経山 安国論寺 /大町4
21.楞厳山 妙法寺 /大町4
22.法華山 本興寺 /大町2
23.法久山 上行寺 /大町2

■ 同-7 (B.名越口-2)

24.祇園山 安養院 /大町3
25.稲荷山 別願寺 /大町1

■ 同-8 (B.名越口-3)

26.多福山 大寳寺 /大町3
27.八雲神社 /大町1
28.慧雲山 常栄寺 /大町1
29.中座山 教恩寺 /大町1

■ 同-9 (B.名越口-4)

30.長興山 妙本寺 /大町1
31.金龍山 宝戒寺 /小町3
32.叡昌山 妙隆寺 /小町2

■ 同-10 (B.名越口-5)

33.蛭子神社 /小町2
34.長慶山 大巧寺 /小町2
35.妙厳山 本覚寺 /小町1

■ 同-11 (B.名越口-6)

36.天照山 光明寺 /材木座6

■ 同-12 (B.名越口-7)

37.天照山 蓮乗院 /材木座6
38.天照山 千手院 /材木座6
39.石井山 長勝寺 /材木座2

■ 同-13 (B.名越口-8)

40.隨我山 来迎寺 /材木座2
41.五所神社 /材木座2
42.弘延山 實相寺 /材木座4

■ 同-14 (B.名越口-9)

43.南向山 補陀落寺 /材木座6
44.円龍山 向福寺 /材木座3

■ 同-15 (B.名越口-10)

45.内裏山 九品寺 /材木座5
46.海潮山 妙長寺 /材木座2

■ 同-16 (B.名越口-11)

47.法華山 本興寺 /大町2
48.由比若宮(鶴岡八幡宮元宮・元鶴岡八幡宮) /材木座1

■ 同-17 (B.名越口-12)

49.中座山 教恩寺 /材木座1
50.帰命山 延命寺 /材木座1

■ 同-18 (C.極楽寺口-1)

51.甘縄神明宮 /長谷1
52.獅子吼山 高徳院(鎌倉大仏) /長谷4

■ 同-19 (C.極楽寺口-2)

53.行時山 光則寺 /長谷3
54.海光山 長谷寺 /長谷3

■ 同-20 (C.極楽寺口-3)

55.四条山 収玄寺 /長谷2
56.御霊神社 /坂の下3

■ 同-21 (C.極楽寺口-4)

57.明鏡山 星井寺(虚空蔵堂) /坂の下
58.普明山 成就院 /極楽寺1
59.月影地蔵堂 /極楽寺3

■ 同-22 (C.極楽寺口-5)

60.霊鷲山 極楽律寺 /極楽寺3
61.導地蔵堂 /極楽寺2

■ 同-23 (C.極楽寺口-6)

62.龍護山 満福寺 /腰越2
63.小動神社 /腰越2

■ 同-24 (C.極楽寺口-7)

64.小動山 浄泉寺 /腰越2
65.龍口山 東漸寺 /腰越2
66.龍口山 妙典寺 /腰越2
67.龍口山 勧行寺 /腰越2

最新記事は↑です。
以下、つづきます。



【 BGM 】
■ ヴィヴァルディ: 「四季」より冬


■ Ave Maria - 志方あきこ w / 葉加瀬太郎


■ 冬景色 - はいだしょうこ
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■ 御朱印の読み方

寺院の御朱印では、ふつうは御本尊や札所本尊の尊格名が揮毫されることが多いです。
この場合は、仏教の尊格の知識があればとくに問題なく解読できます。

ところが、御朱印には尊格に文字が付加されたり、まったく異なる字句(文字)が揮毫されることがあります。
そこで、今回はそのような例をあげてみます。

それぞれの字句(文字)については、それぞれ深い意味があるのでじっくり調べてから追記することとし、まずは事例メインにあげてみます。

なお、日蓮宗、法華宗系寺院で授与される御首題・お題目(南無妙法蓮華経)は「御朱印」ではありません。


■ 御寶号・ご宝号(ごほうごう)
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)

真言宗でもっとも重要とされるお唱えです。
「南無」は梵語で「ナマス」。帰依、帰命、敬礼などを意味します。
「大師」は、お大師さま(弘法大師空海)。
「遍照金剛」は、お大師さまが師の恵果阿闍梨よりいただいた「密号」というお名前です。
真言宗智山派総本山智積院資料

真言宗寺院では比較的よく授与されますが、揮毫は「遍照金剛」ないし「南無遍照金剛」となる場合が多いようです。
他宗でも、弘法大師霊場の札所寺院では授与されることがあります。

 
【写真 上(左)】 高野山 東京別院(高野山真言宗/港区高輪)
【写真 下(右)】 大悲山 塩船観音寺(真言宗醍醐派/東京都青梅市)


■ 六字御名号(ろくじごみょうごう)
南無阿弥陀仏 南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)

浄土宗、時宗、真宗など、浄土教系で奉じられる名号です。
「南無」は梵語で「ナマス」。帰依、帰命、敬礼などを意味します。
阿弥陀仏(阿弥陀如来)に帰依するとの意です。

浄土宗、時宗、真宗寺院でよく授与される揮毫です。

 
【写真 上(左)】 三縁山 増上寺(浄土宗/港区芝公園)
【写真 下(右)】 藤沢山 清浄光寺(遊行寺)(時宗/神奈川県藤沢市)

この他、御名号は九字御名号、十字御名号などがあります。
九字御名号(南無不可思議光如来)は真宗系の御朱印(参拝記念)で授与されることがあります。


寿徳山 萬榮寺(真宗大谷派/北区田端)

十字御名号(帰命尽十方無碍光如来)の授与例は少ないようですが、「光雲無碍(こううんむげ)」として揮毫授与される例はあります。

 
【写真 上(左)】 東本願寺(浄土真宗東本願寺派/台東区西浅草)
【写真 下(右)】 牛久大佛(浄土真宗東本願寺派/茨城県牛久市)


■ 本尊唱名(ほんぞんしょうみょう)
南無釈迦牟尼佛 南無釋迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)

禅宗系の宗派本尊、釈迦牟尼佛に帰依するとの意です。

禅宗、とくに曹洞宗、臨済宗寺院でよく授与される揮毫です。
御本尊が釈迦牟尼佛でない禅刹でも、宗派本尊として授与される場合があります。

 
【写真 上(左)】 金鳳山 平林寺(臨済宗妙心寺派/埼玉県新座市)
【写真 下(右)】 大平山 大中寺(曹洞宗/栃木県栃木市)


■ 無量寿(光)殿(むりょうじゅ(こう)でん)

阿弥陀仏(阿弥陀如来)の梵号は「アミターユス」「アミターバ」で、「アミターユス」は「量りしれないいのち(寿)をもつ者」、「アミターバ」は「量りしれないひかり(光)をもつ者」を意味します。
よって、阿弥陀仏(阿弥陀如来)を無量寿仏・無量光仏とあらわす場合があります。

「殿」は尊格が御座(おわ)すところ、仏殿・仏堂を意味します。
総本山知恩院布教師会Web

天台宗寺院、真言宗寺院などでときおり授与される揮毫です。

 
【写真 上(左)】 走湯山 般若院(高野山真言宗/静岡県熱海市)
【写真 下(右)】 浮岳山 深大寺(天台宗/東京都調布市)


■ 瑠璃(光)殿(るり(こう)でん)

薬師如来(薬師瑠璃光如来)をあらわします。
薬師如来は東方浄瑠璃(光)浄土の教主とされ、「瑠璃」が象徴語です。
「瑠璃光」がつかわれる場合もあります。

比較的幅広い宗派の寺院で授与される揮毫です。

 
【写真 上(左)】 東叡山 寛永寺(天台宗/台東区上野公園)
【写真 下(右)】 三療山 薬王寺(真言宗御室派/横浜市金沢区)


■ 大雄宝殿(だいゆうほうでん)

禅宗系の本堂をいいます。
禅宗系寺院の御本尊は釈迦牟尼佛が多いので、間接的に釈迦牟尼佛をあらわす場合もあります。

とくに黄檗宗寺院の御朱印で目立つ揮毫です。

 
【写真 上(左)】 牛頭山 弘福寺(黄檗宗/墨田区向島)
【写真 下(右)】 錦屏山 瑞泉寺(臨済宗円覚寺派/鎌倉市二階堂)


■ 大悲殿/大悲閣(だいひでん/だいひかく)

御朱印をいただきはじめて、まず??マークがつくのがおそらくこの揮毫です。
「悲」というインパクトのある文字が入るので、気になります。

「大悲」とは観世音菩薩(観自在菩薩)の別名です。
Wikipediaには、『観世音菩薩普門品』(観音経)は「観音菩薩の力を信じ、慈悲の心を信じ、その名を唱えれば、観音菩薩に救われることが書かれた経文」とあり、「大悲」は観世音菩薩の慈悲の心をあらわすことばとされます。

「殿」は尊格が御座す仏殿・仏堂、「閣」も同様ですが「閣」は「殿」よりも高い建物をあらわすようです。
つまり「大悲殿」「大悲閣」は観音さまの御座す仏殿・仏閣をあらわすことになります。

幅広い宗派で授与されますが、とくに観音霊場の御朱印で多用されるようです。

 
【写真 上(左)】 荒神山 龍昌寺(真言宗智山派/埼玉県熊谷市)
忍秩父三十四観音霊場第1番
【写真 下(右)】 補陀山 普門寺(曹洞宗/山梨県都留市)
郡内三十三番観音霊場第1番

 
【写真 上(左)】 功臣山 報国寺(臨済宗建長寺派/鎌倉市浄明寺)
鎌倉三十三観音霊場第10番 聖観世音菩薩を示す例
【写真 下(右)】 大蔵山 杉本寺(天台宗/鎌倉市二階堂)
坂東三十三箇所(観音霊場)第1番 十一面観世音菩薩を示す例


■ 圓通閣/圓通殿(えんつ(づ)うかく/えんつ(づ)うでん)

「圓通」も観世音菩薩(観自在菩薩)の別名とされます。
横浜市鶴見区の曹洞宗 醫王山 成願寺のWeb「今月の禅語・当寺所蔵」の2019年7月の項には以下のとおりあります。

作者:總持寺 第5世 新井石禅禅師 書
出典:
題名:圓通「えんづう」
意味:「周圓融通」円満、円成にして神通、通力をさす。聖者所証の理。

Webで「周圓融通」を検索してみると、「智慧によって悟られた絶対の真理は、あまねくゆきわたり、その作用は自在であること。また、真理を悟る智慧の実践。」という定義が複数みつかります。
おそらく孫引きと思われるので原典があるはずですが、いまのところ不明です。
(重要な仏教経典とされる『首楞厳経』(しゅりょうごんきょう)では、「圓通」について能く説かれているとされます。)

京都市北区鷹峯北鷹峯町の源光庵は「悟りの窓」と「迷いの窓」で有名ですが、公式Webの「悟りの窓」の説明には「悟りの窓の円型は『禅と円通』の心を表し」とあります。

「圓通大士」をぐぐると、「円満融通の菩薩 の意、観世音菩薩の異称。」という説明がヒットします。(goo辞書)

八王子市の曹洞宗 皎月院の公式Webの『大悲呪』の説明に「千手千眼を持つ観自在菩薩(観世音菩薩、観音さま)の広大無辺・無量円満・無礙融通なる大慈悲心を表した陀羅尼です。」とあります。

Wikipediaには、『大悲呪』(大悲心陀羅尼)とは「『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』に含まれているため千手観音の陀羅尼として知られているが、(略)主に禅宗で広く読誦される。」とあります。

「圓通」と観音さまの結びつきをみるとき、「周圓融通」よりも「大悲呪」(無量円満・無礙融通)の方がより観音さまに絞られているような気がしますが、「圓通」系の御朱印は千手観世音菩薩以外にも使われ、しかも禅刹以外でも授与されるので、さらに混沌としてきます。

ともあれ、「圓通閣」「圓通殿」はふつう観音堂の意で用いられ、観音堂の扁額に掲げられることもめずらしくありません。
「円通閣」「円通殿」と揮毫されることもあります。

 
【写真 上(左)】 白華山 観音寺(真言宗系単立/群馬県藤岡市)
【写真 下(右)】 慈雲山 逢善寺(天台宗/茨城県稲敷市)

 
【写真 上(左)】 飛渕山 龍石寺(曹洞宗/埼玉県秩父市)
千手観世音菩薩の例
【写真 下(右)】 大悲山 塩船観音寺(真言宗醍醐派/東京都青梅市)
山号との複合例


■ 大光普照/大光普照殿(だいこうふしょう/だいこうふしょうでん)

レファレンス協同データベース(香川県立図書館)には「そもそも、六観音信仰は、六世紀に中国の天台大師智顗が『摩訶止観』で展開した説にはじまります。大師は書中で、大悲・大慈・獅子無畏・大光普照・天人丈夫・大梵深遠の六観音を説きました。」とあります。

六観音とは六道それぞれの衆生を救う六尊の観世音菩薩で、Webでググった結果、天台大師智顗の六観音と現在の六観音、そして六道との間にはおそらく以下の関連があります。

大悲:聖観世音菩薩:地獄道
大慈:千手観世音菩薩:餓鬼道
獅子無畏:馬頭観世音菩薩:畜生道
大光普照:十一面観世音菩薩:修羅道
天人丈夫:准胝観世音菩薩(or 不空羂索観世音菩薩):人間道
大梵深遠:如意輪観世音菩薩:天道/天上界

仏教では、衆生は生死を繰り返しながら六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界)を彷徨いつづけるとされます。
これが六道輪廻です。
極楽往生を遂げるとは、この六道輪廻から抜け出すことをいいます。

六道のうち、最上の天上界は人間道より上の世界で、「苦しみがほとんどない世界」とされます。
凡人には、このような世界から救われるというイメージはなかなか湧きにくいですが、とにかくそういうことになっています。

「苦しみがほとんどない世界」(天上界)といえども依然として六道輪廻のなかにありますから、行いによっては他の世界に生まれかわる可能性はあるわけで、真の救いはやはり六道輪廻から脱けだす極楽往生ということになるのかと。

諸説ありますが、衆生は死後、閻魔大王を含む十回の裁きを受けて来世の道(六道のいずれか)が決まるといいます。
人間道は上から二番目のポジションで、行いが悪ければ修羅道~地獄道、行いがよければ人間道、あるいは天上界が来世ということになります。

しかし、いずれにしても六道輪廻のなかですから、衆生が六道輪廻から抜け出すのは容易ではないようにも思われます。
これを超越するスペシャルなコースが、いわゆる「御来迎」です。

これは臨終の際に、極楽浄土から教主の阿弥陀如来みずからが観世音菩薩、勢至菩薩を従えて地上まで迎えにこられるというものです。
「御来迎」は臨終から極楽への直行コースですから、裁きを受けることなく六道を抜けて極楽往生ということになります。

阿弥陀聖衆来迎図(文化遺産オンライン)

「御来迎」は、”利他”を極めた生涯を送った人に訪れるものだそうです。
たとえば自らを犠牲にして多くの人々を救ったなどが、これにあたるとも思いますが、そのような人はごくごく一部ですから、やはり煩悩を抱えるふつうの人々は六道を彷徨うこととなります。


”忘己利他”の碑(延生山 城興寺(天台宗/栃木県芳賀町))

□ 松任谷由実 - 守ってあげたい

恋愛、子育てや肉親の介護も”利他”を含むと思うが、「御来迎」を招くほどの”利他”は、もっとパブリックなものでは?
(1981年リリースのヒット曲。人々のきもちや社会の空気に余裕のあったこの頃は、いまより”利他”の意識が高かったかもしれぬ。)



しかし、救いはあるもので、どの道にあろうとも救いの手を差し伸べてくださる存在がおられます。
それが六地蔵、六観音です。

六地蔵は六道それぞれの衆生の苦悩を救済するとされ、六観音は六道それぞれ、ないし六道輪廻から衆生を救うとされます。
「六道輪廻から救う」ということは極楽往生を意味しますから、これは究極の救済ともみられます。(このあたりの解釈は宗派によって異なるようです。)

観世音菩薩はこのような「浄土への救済」(極楽往生)を施す存在なので、観音信仰が遍く広まったという見方もあります。

はなしが逸れました。
さて、↑ によると「大光普照:十一面観世音菩薩」ですから、大光普照殿とは十一面観世音菩薩の御座す仏殿をさすことになります。
じっさい、「大光普照」あるいは「大光普照殿」の御朱印を授与される寺院の多くは十一面観世音菩薩をメインに安しているようです。

現世での10種類の利益(十種勝利)と来世での4種類の果報(四種功徳)をもたらすとされる強力な観音さまです。

 
【写真 上(左)】 金鑚山 大光普照寺(天台宗/埼玉県神川町)
【写真 下(右)】 青苔山 法長寺(曹洞宗/埼玉県横瀬町)


■ 阿遮羅殿(あしゃらでん)

「阿遮羅」とは不動明王の梵名「acalanātha(アチャラナータ)」の漢字表記で、不動堂を阿遮羅殿と記す場合があります。
こちらはなかなかレアな揮毫で、筆者はこれまでわずか2例(いずれも真言密寺)しか拝受しておりません。

 
【写真 上(左)】妙池山 實相寺(真言宗豊山派/群馬県板倉町)
【写真 下(右)】八幡山 観音寺(真言宗智山派/横浜市港北区)

北区滝野川の本智院(真言宗智山派)の不動明王が御座す堂宇の扁額には「阿遮羅尊」とあります。
また、荒川区東尾久の蓮華寺(真言宗豊山派)は、不動明王を御本尊とする寺院で、山号を「阿遮羅山」、院号を「阿遮院」と号します。

 
【写真 上(左)】 本智院の扁額
【写真 下(右)】 蓮華寺(阿遮院)の御朱印
御朱印尊格は「不動明王」です。


■ 蓮華王/蓮華王殿(れんげおう/れんげおうでん)

「蓮華王」とは、千手観世音菩薩をさす揮毫です。

千手観世音菩薩は、千手千眼観世音菩薩(観自在菩薩)、十一面千手千眼観世音菩薩などとも呼ばれ、六観音の一尊に数えられます。
梵名の「sahasrabhuja/サハスラブジャ」は「千の手を持つもの」の意で、三昧耶形は開蓮華、蓮華上宝珠。

実際に千以上の手を持たれる像例もありますが、一般には十一面四十二臂で、うち「真手」といわれる二本の手は衆生救済のため四十の功徳をあらわされるといいます。
真手以外の四十本の手は、一本の手でおのおの二十五の苦しみや災難を救う功徳があるといわれ、40×25=1,000で千手をあらわすといいます。
掌に眼をもたれることから「千眼」の名が付されることがあります。

別名「蓮華王」を称されることについては、Web検索すると「胎蔵界曼荼羅で観音が配置される場所を『蓮華部』というが、千手観音はその中でも『蓮華王菩薩』と称される最高位の存在」という記述がかなり見つかります。

しかし高野山霊宝館資料文化庁Web資料『胎蔵マンダラ虚空蔵院の思想』(八田幸雄氏(PDF))などの諸資料をみても、千手千眼観世音菩薩は胎蔵(界)曼荼羅の「虚空蔵院」に位置しています。
なので「蓮華王」といういう名称は、三昧耶形である開蓮華、蓮華上宝珠からきているものと思われます。

「蓮華王」の御朱印授与例は多くはありません。
筆者がこれまでいただいた例はいずれも古義真言宗(高野山真言宗)寺院ですが、1,001躯の千手観世音菩薩立像を御本尊とする京都・東山の三十三間堂(天台宗)は別名を「蓮華王院」といい、天台宗寺院でも授与されている可能性があります。
※Web検索によると三十三間堂の御朱印の揮毫は「大悲殿」のようです。

 
【写真 上(左)】海照山 圓應寺(高野山真言宗/横浜市港北区) 
【写真 下(右)】吉利倶山 光照寺(高野山真言宗/栃木県那珂川町)


■ 施無畏尊/無畏閣(せむいそん/むいかく)

「施無畏/無畏施」とは、観世音菩薩をさす揮毫です。

「無畏施」はいわゆる「三施」のひとつです。
1.財施(ざいせ) : 食べものや衣食などを必要とする人に施すこと
2.無畏施(むいせ) : 恐怖や不安を取り除き、安心や安らぎを与えること
3.法施(ほうせ) : 仏教の教えを説くこと

観世音菩薩は「施無畏力」をもたれるとされるため施無畏者とも呼ばれ、観世音菩薩の御朱印に揮毫されることがあります。

仏像的には「施無畏印」が知られ、こちらも恐怖の払拭や慈悲などをあらわしおもに釈迦如来像や盧舎那仏像が結ばれますが、「施無畏力」は観世音菩薩に象徴されるため、観世音菩薩をあらわすことばとなっているようです。

仏堂や堂宇の扁額に「施無畏」とある場合、ほとんどが観音堂を指します。
聖観世音菩薩に限らず、多彩な観音様をあらわします。

 
【写真 上(左)】光明山 常楽寺(真言宗豊山派/群馬県館林市/尊格:十一面観世音菩薩) 
【写真 下(右)】金色山 大悲願寺(真言宗豊山派/東京都あきる野市/尊格:千手観世音菩薩)


以下、つづきます。


【関連記事】
■ 日本仏教13宗派と御朱印(首都圏版)
■ 御朱印帳の使い分け



■ 野性の風 - 今井美樹


■ Precious One ~かけがえのないストーリー - 杏里


■ One Reason - milet
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■ カラオケバトルの新星、永井あみりちゃん

先ほどまで、録画していたカラバト(2/23放送)を視ていました。
ひさびさに耳を奪われたのが、永井あみりちゃん。
最近のカラバトで二度視するテイクはほとんどないけど、この子のテイクは一気に三度視した。
でもって、この記事を書いています(笑)

@nagaiamiri ずっと憧れだったカラオケバトル出演。 皆さま本当にありがとうございました。 #15歳 #永井あみり #カラオケバトル ♬ オリジナル楽曲 - 永井あみり


全然知らなかったと思いきや、1/28の「熱唱!ミリオンシンガー」にも出演していましたね。

@nagaiamiri 昨日放送された 日本テレビ「熱唱!ミリオンシンガー」に出演しました。松田聖子さまのあなたに逢いたくて~Missing You~ で神声挑戦‼️最年少でした。 #永井あみり #15歳 #中三 #日本テレビ #初テレビ出演 ♬ オリジナル楽曲 - nagaiamiri - 永井あみり


15歳の中学3年生で、路上ライブなどで活動している模様。

■ 「I LOVE YOU/クリス・ハート」cover 永井あみり 姫路公認路上ライブ


■ 「三日月 /絢香」cover 永井あみり 姫路公認路上ライブ


■ 「First Love/宇多田ヒカル」cover 永井あみり 姫路公認路上ライブ


■ 「雪の華/中島美嘉」cover 永井あみり 姫路公認路上ライブ


■ 永井あみり 晩餐歌 / tuki. 2024.03.28 南堀江knave



声域の広さもさることながら、声に力があってスケール感を帯びている。
この声の響き方からすると、ぜったい倍音もっていると思う。
しかも非整数次倍音系
リズム感が抜群のようで、歌にキレがあるのがいい。
歌に感情をぶつけていくようなエモーショナルな場をもっていて、聴き手を飽きさせない。


まだ荒削りな感じもするし、曲を選ぶ感じもする。
「熱唱!ミリオンシンガー」の松田聖子の曲で、強く印象に残らなかったのはこういうところによるかも・・・。

でも、↓ のテイク聴いたりすると、底知れぬポテンシャルを感じる。

【永井あみり 2024 4.28】《Beyonce - Listen》東京アイドル劇場


歌幅を広げていければ、大化けするかもしれない逸材だと思います。
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■ 美女神社

2021/08/20・2020/10/13 更新UP / 2019/10/22 UP

御朱印と写真を追加しました。

・当社を含む「朝霞五社巡り」の記事もご覧くださいませ。
・お隣の志木市には志木開運・招福七社参りもあります。

朝霞市の黒目川~志木市の新河岸川周辺は桜の名所です。
春先に巡ってみるのもいいかもしれません。


【写真 上(左)】新河岸川の桜
【写真 下(右)】敷島神社の桜


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美女祈願の寺社はかずかずあれど、そのものズバリの「美女神社」。
先日発刊された「御朱印でめぐる埼玉の神社」(ダイヤモンド・ビッグ社)に掲載されているのですでにご存じの方もいるかと思いますが、埼玉県朝霞市に鎮座する神社です。
御朱印授与開始は比較的最近(2018年夏ごろ?)と思われます。

埼玉県朝霞市田島2-16-33
御祭神:市杵島姫命
旧社格:- 、田島神明神社の飛地境内社
元別当:冨善寺(朝霞市田島)
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:美女神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫の足あと」様



 

朝霞市の荒川寄りの、なかなか行きにくい場所にあります。駐車場はおそらくないと思います。
詳細は「猫の足あと」様で紹介されていますのでこちらを



境内の由緒書によると御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
古くから「美宮」「宇津久志の宮」「うつくしさま」と親しまれ、子供の病気を治したり、健康を守る神様として信仰されてきたとのこと。

社号の由来については、由緒書では、一説として「いちきしま→うつくしさま」の訛化をあげていますが、荒川の対岸、首都高のジャンクションで有名な美女木には「美女」にちなむ伝承があり、これと何らかの関係があるかもしれません。(戸田市美女木には、美女木八幡神社という神社があります。)

『新編武蔵風土記稿 巻之155足立郡21』(国立国会図書館DC)より。
「美女木村ハモト上笹目ト云ヒシカ後今ノ村名トナリシ 謂レハ古へ京師ヨリ故アリテ美麗ノ官女数人当所ニ来リ居リシコトアリ 其頃近所ノモノ当村ヲサシテ美女来トノミ呼シニヨリ イツトナク村名ノ如クナリユキテ其古名ヲハ失ヒタリト云」
この地に京から数名の美麗の官女が来て居住したため「美女来」と呼ばれ、それがいつしか村名となったという、明らかに「美女」由来の伝承があります。

なお、「美女木」は「美女来」からの訛化かもしれません。

当社の御祭神、市杵島姫命は古くから水、美、芸能などと関係の深い尊格として尊崇されているので、関わりはあるとみていいのかもしれません。
〔 追記 〕
宮戸神社の公式Webに「子どもの神様とも言われ、疱瘡やはしか、百日咳になったときは、社殿の大きな鈴についている布を腕に巻いてお願いすると、痕が残らず美女になると言われ(中略)現在でも子供の七五三の時などには参詣する人が多く賑わいを見せます。」とあり、「美女」との関連が確認できました。

ちなみに、弁財天は神仏習合では市杵島姫命の本地仏とされ、ちかごろ美人の神様・美人証明で有名な足利の「美人弁天」は市杵島姫命の御分身とされます。
また、美人祈願で有名な江島神社・中津宮も市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。
(下記をご覧ください。)

メイン道路から少し引き込んだところにあるので、通りがかりに気づくことはまずありません。
社頭、玉垣の親柱に「美女神社」の社号。由緒書と最近建てられた「朝霞五社巡り」の案内板。
(先日巡拝しましたので、近日UPします。)
鳥居は石造丸柱で貫の抜けがない神明系です。



石敷の参道のすぐ先に社殿。一間社流造で、社殿では比較的めずらしい桟瓦葺です。
妻部に経の巻3個の獅子口は、これも社殿としてはめずらしいもの。
向かって右の妻部軒下に「美女宮」の扁額を掲げます。
向拝柱上部に斗栱、水引虹梁に木鼻と彫刻、中備に板蟇股、軒天に二軒の平行垂木。
正面の桟唐戸は閉されているので、御内陣は拝めません。

御朱印は朝霞市内に鎮座する(宮戸神社)の兼務社である(天明稲荷神社)で拝受できます。
近くの((田島鎮座)神明神社)(旧村社)の飛地境内社的な位置づけなので、神社印は現在のところ(田島鎮座)神明神社のものを捺印されているそうです。
※リンクは「『猫の足あと』様」に貼らさせていただいています。


【写真 上(左)】 宮戸神社
【写真 下(右)】 お守り

宮戸神社の御祭神、面足尊は「身体と容貌の完備した最初の神」とされ、これにあやかってか、両社の社務を務められている天明稲荷神社では「美男守」「美女守」が授与されています。

〔追加情報-2019/10/22〕
美女神社の御朱印が新しくなっていました。
神社印が新調され、カラーの書置タイプも授与されています。(揮毫御朱印も可)
わたしはカラー御朱印と墨朱御朱印の選択ができる場合、ふつうは墨朱タイプを拝受しますが、このカラー書置御朱印はたいへん綺麗で、思わずこちらを拝受していました(笑)
天明稲荷神社では朝霞市内の5社をまわる「朝霞五社巡り」を始められていますが、それに合わせてか御朱印代も500円になっていました。→ ( 「朝霞五社巡り」の記事


美女神社の御朱印(新/カラー書置Vers.)

 
【写真 上(左)】 美女神社の御朱印(新/御朱印帳書入Vers.)
【写真 下(右)】 美女神社の御朱印(旧Vers.)


【写真 上(左)】 (田島鎮座)神明神社の御朱印
【写真 下(右)】 同、カラー書置御朱印
※即位礼正殿の儀当日の神明神社(御祭神天照皇大神)の御朱印です。


本社の神明神社(天照皇大神)の光により、境内社の美女神社(市杵島姫命)が照らされ、鳳凰を舞い踊らせながら輝く、という美しい図柄の御朱印です。


お正月、3月、夏休み限定授与の御朱印です。


南隣の和光市には御朱印を授与される寺社が複数あり、北隣の志木市では日にち限定ながら「田子山富士塚」の御朱印が授与されるなど、このあたり、御朱印スポットとしての機運が高まっているのかもしれません。

【写真 上(左)】 田子山富士塚の御朱印
【写真 下(右)】 田子山富士塚の隣に鎮座する敷島神社の御朱印

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※ 追加です
この際なので(笑)、美人祈願に関連する尊格が御座され、御朱印を授与されている寺社の御朱印もご紹介します。

江島神社・中津宮
神奈川県藤沢市江の島2-3-21
御祭神:市寸島比責命(いちきしまひめのみこと)


美人弁天(明石弁天)
栃木県足利市本城2-1860
御祭神:美人弁天(厳島神社の御祭神、市杵島姫命の分身)

【写真 上(左)】 美人弁天の御朱印
【写真 下(右)】 足利七福神では、本城厳島神社(明石弁天)の御朱印となります。

雷電神社境内の弁財天
群馬県板倉町板倉2334
御祭神:弁財天(公式Webに「別の名を市杵島姫命」)


上神明天祖神社(蛇窪神社)の弁財天
東京都品川区二葉4-4-12
御祭神:厳島弁天社の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

【写真 上(左)】 蛇窪神社の弁財天の御朱印
【写真 下(右)】 蛇窪神社の蛇窪祭の御朱印

穏田神社
東京都渋谷区神宮前5-26-6
御祭神:淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神、櫛御食野神


櫻木神社境内の川屋神社
千葉県野田市桜台210-1
御祭神:埴山姫神(はにやまひめ)、弥都波能売神(ミヅハノメ)
※植村花菜のヒット曲で歌われていた「トイレの神様」です。


☆トイレの神様/植村花菜


川崎大師(金剛山平間寺)しょうづかの婆さん
神奈川県川崎市川崎区大師町4-48
尊格:しょうづかの婆さん


【写真 上(左)】 しょうづかの婆さん
【写真 下(右)】 川崎大師の御朱印

霊雲山 蟠龍寺のおしろい地蔵尊
東京都目黒区下目黒3-4-4
尊格:おしろい地蔵尊


おしろい地蔵尊


【写真 上(左)】 岩屋辨天の御朱印
【写真 下(右)】 御本尊の御朱印

梧棲山 玉鳳寺の御化粧延命地蔵尊
東京都港区三田4-11-19
尊格:御化粧延命地蔵尊

【写真 上(左)】 御化粧延命地蔵尊の御朱印
【写真 下(右)】 御本尊の御朱印

※ ↑ の「御祭神」「尊格」は美人祈願に御利益ありとされる尊格で、主祭神、御本尊とはことなる場合もあります。

美人祈願の神社で御朱印をいただける神社は京都の下鴨神社の摂社、河合神社、八坂神社の境内社、美御前社などが有名ですが、関東にも ↑ のようにいくつかあります。
ほかにも見つかったら追加していきます。

また、萌え寺で有名な八王子の了法寺は、八王子七福神の弁財天をお祀りされています。
了法寺のキャラ(たしかにけっこうかわいい(笑))


これから随時■ 美人祈願の寺社御朱印に追加していきます。



【 BGM 】
二木蒼生 × 熊田このは - A Whole New World / 2020/01/12 「あおいとこのは SPECIAL 2マン STAGE」溝ノ口劇場


三阪咲 × 富金原佑菜 - Y / C&K / 2018/09/17 あべのAステージ


ClariS『アンダンテ』 Music Video 【TVアニメ「狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF」エンディングテーマ】


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■ 美人祈願の寺社御朱印

美人祈願や女子力UP祈願の寺社はけっこうありそうですが、じつは多くはありません。
(縁結びの寺社はたくさんありますが。)

美人祈願で知られ御朱印をいただける神社は京都の下鴨神社の摂社、河合神社、八坂神社の境内社、美御前社などが有名ですが、関東にもいくつかあり、その稀少な例をご紹介します。

従前、埼玉県朝霞市の美女神社の記事でいくつかご紹介しましたが、分離・独立の記事とします。

なお、ほとんどの寺社様は「本当に美しくなるには外観だけ整えてもダメで、心根も清めること」と説かれています。
念のため・・・。

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※ 「御祭神」「尊格」は美人祈願に御利益ありとされる尊格で、主祭神、御本尊とはことなる場合もあります。


■ 美女神社
埼玉県朝霞市田島2-16-33
御祭神:市杵島姫命
授与所:天明稲荷神社社務所
・当社を含む「朝霞五社巡り」の記事もご覧くださいませ。

美女祈願の寺社はかずかずあれど、そのものズバリの「美女神社」。
境内由緒書によると御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
古くから「美宮」「宇津久志の宮」「うつくしさま」と親しまれ、子供の病気を治したり、健康を守る神様として信仰されてきたとのこと。

宮戸神社の公式Webに「子どもの神様とも言われ、疱瘡やはしか、百日咳になったときは、社殿の大きな鈴についている布を腕に巻いてお願いすると、痕が残らず美女になると言われ(中略)現在でも子供の七五三の時などには参詣する人が多く賑わいを見せます。」とあり、「美女」との関連が確認できました。

宮戸神社の御祭神、面足尊は「身体と容貌の完備した最初の神」とされ、これにあやかってか、両社の社務を務められている天明稲荷神社では「美男守」「美女守」が授与されています。


【写真 上(左)】 宮戸神社
【写真 下(右)】 お守り

〔追加情報-2019/10/22〕
美女神社の御朱印が新しくなっていました。
神社印が新調され、カラーの書置タイプも授与されています。(揮毫御朱印も可)
わたしはカラー御朱印と墨朱御朱印の選択ができる場合、ふつうは墨朱タイプを拝受しますが、このカラー書置御朱印はたいへん綺麗で、思わずこちらを拝受していました(笑)
天明稲荷神社では朝霞市内の5社をまわる「朝霞五社巡り」を始められていますが、それに合わせてか御朱印代も500円になっていました。→ ( 「朝霞五社巡り」の記事


美女神社の御朱印(新/カラー書置Vers.)

 
【写真 上(左)】 美女神社の御朱印(新/御朱印帳書入Vers.)
【写真 下(右)】 美女神社の御朱印(旧Vers.)


本社の神明神社(天照皇大神)の光により、境内社の美女神社(市杵島姫命)が照らされ、鳳凰を舞い踊らせながら輝く、という美しい図柄の御朱印です。


お正月、3月、夏休み限定授与の御朱印です。


美人弁天(明石弁天)
栃木県足利市本城2-1860
御祭神:美人弁天(厳島神社の御祭神、市杵島姫命の分身)

【写真 上(左)】 美人弁天の御朱印
【写真 下(右)】 足利七福神では、本城厳島神社(明石弁天)の御朱印となります。

弁財天は神仏習合では市杵島姫命の本地仏とされ、ちかごろ美人の神様・美人証明で有名な足利の「美人弁天」は市杵島姫命の御分身とされます。


江島神社・中津宮
神奈川県藤沢市江の島2-3-21
御祭神:市寸島比責命(いちきしまひめのみこと)

美人祈願で有名な江島神社・中津宮も市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。


雷電神社境内の弁財天
群馬県板倉町板倉2334
御祭神:弁財天(公式Webに「別の名を市杵島姫命」)



上神明天祖神社(蛇窪神社)の弁財天
東京都品川区二葉4-4-12
御祭神:厳島弁天社の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

【写真 上(左)】 蛇窪神社の弁財天の御朱印
【写真 下(右)】 蛇窪神社の蛇窪祭の御朱印


穏田神社
東京都渋谷区神宮前5-26-6
御祭神:淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神、櫛御食野神



櫻木神社境内の川屋神社
千葉県野田市桜台210-1
御祭神:埴山姫神(はにやまひめ)、弥都波能売神(ミヅハノメ)
※植村花菜のヒット曲で歌われていた「トイレの神様」です。


☆トイレの神様/植村花菜



川崎大師(金剛山平間寺)しょうづかの婆さん
神奈川県川崎市川崎区大師町4-48
尊格:しょうづかの婆さん


【写真 上(左)】 しょうづかの婆さん
【写真 下(右)】 川崎大師の御朱印


霊雲山 蟠龍寺のおしろい地蔵尊
東京都目黒区下目黒3-4-4
尊格:おしろい地蔵尊


おしろい地蔵尊


【写真 上(左)】 岩屋辨天の御朱印
【写真 下(右)】 御本尊の御朱印


梧棲山 玉鳳寺の御化粧延命地蔵尊
東京都港区三田4-11-19
尊格:御化粧延命地蔵尊

【写真 上(左)】 御化粧延命地蔵尊の御朱印
【写真 下(右)】 御本尊の御朱印


亀有香取神社・境内社の(亀有北向)道祖神社
東京都葛飾区亀有3-42-24
御祭神:岐大神


【写真 上(左)】 (亀有北向)道祖神社
【写真 下(右)】 (亀有北向)道祖神社の御朱印
「美脚」の神様として知られているようです。


■ 吉祥天
一乗山 久松寺 吉祥院
東京都八王子市長房町58-3
八王子七福神
吉祥天は、仏教のなかでも代表的な美貌の尊格として知られています。
ヒンドゥー教の女神・ラクシュミーが仏教に取り入れられた尊格とされ、ラクシュミーの「美と富と豊穣と幸運を司る」と同様の性格をもたれるといいます。
御本尊とされる例は少ないですが、七福神(ないし八福神)の一尊として祀られる例があり、御朱印も授与されています。


【写真 上(左)】 吉祥院の吉祥天
【写真 下(右)】 同 御朱印


走水神社
神奈川県横須賀市走水2-12-5
御祭神:日本武尊、弟橘媛命
女子力アップのパワスポとして知られているようです。


【写真 上(左)】 走水神社
【写真 下(右)】 走水神社の御朱印


(沼田)榛名神社の境内社・面美様(めめよしさま)
群馬県沼田市榛名町2851
御祭神:埴山姫命
説明書の「面美様の顔を撫で、その手で顔を撫でると美人になるという言い伝えがあり、数百年にわたって多くの美女をうみだしている。」という断定調の(?)説明は、すこぶるインパクトがあります。


【写真 上(左)】 面美様
【写真 下(右)】 面美様の説明書


面美様の御朱印


また、萌え寺で有名な八王子の了法寺は、八王子七福神の弁財天をお祀りされています。
了法寺のキャラ(たしかにけっこうかわいい(笑))
八王子七福神をはじめいくつかの七福神では、弁財天と吉祥天をお祀りしています。
弁財天も美貌の尊格とされていますので、美しい尊格をめぐる七福神ということができるかもしれません。


【写真 上(左)】 了法寺のキャラ看板
【写真 下(右)】 了法寺の弁財天の御朱印



【 BGM 】
二木蒼生 × 熊田このは - A Whole New World / 2020/01/12 「あおいとこのは SPECIAL 2マン STAGE」溝ノ口劇場


三阪咲 × 富金原佑菜 - Y / C&K / 2018/09/17 あべのAステージ


ClariS『アンダンテ』 Music Video 【TVアニメ「狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF」エンディングテーマ】


■ kalafina - into the world
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■ 鎌倉市の御朱印-24 (C.極楽寺口-7)

これからの季節、あかるい日射しのもと早春の花々が楽しめる鎌倉は個人的にはおすすめです。
しばらくサボっていた連載を再開します。

■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編)
■ 同-2 (A.朝夷奈口)
■ 同-3 (A.朝夷奈口)
■ 同-4 (A.朝夷奈口)
■ 同-5 (A.朝夷奈口)
■ 同-6 (B.名越口-1)
■ 同-7 (B.名越口-2)
■ 同-8 (B.名越口-3)
■ 同-9 (B.名越口-4)
■ 同-10 (B.名越口-5)
■ 同-11 (B.名越口-6)
■ 同-12 (B.名越口-7)
■ 同-13 (B.名越口-8)
■ 同-14 (B.名越口-9)
■ 同-15 (B.名越口-10)
■ 同-16 (B.名越口-11)
■ 同-17 (B.名越口-12)
■ 同-18 (C.極楽寺口-1)
■ 同-19 (C.極楽寺口-2)
■ 同-20 (C.極楽寺口-3)
■ 同-21 (C.極楽寺口-4)
■ 同-22 (C.極楽寺口-5)
■ 同-23 (C.極楽寺口-6)から。


64.小動山 浄泉寺(じょうせんじ)
鎌倉市腰越2-10-7
真言宗大覚寺派
御本尊:不動明王
司元別当:小動神社(腰越)
札所:新四国東国八十八ヶ所霊場第85番、相州二十一ヶ所霊場第16番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第29番

浄泉寺は弘法大師の開山と伝わる古義真言宗の古刹です。

下記史料・資料、現地掲示などから縁起沿革を追ってみます。

浄泉寺の開山は弘法大師空海と伝わります。
『新編相模國風土記稿』に「小動松 浄泉寺略縁起中に弘仁(810-824年)中、弘法大師小動山に登り一七日護摩を修せしに満日当山の松樹に神女影向あり」とあります。
このときに弘法大師が当山を開山されたのではないでしょうか。

中興開山は弘治四年(1558年)に寂した元秀と伝わります。
もとは青蓮寺の末でしたが、のちに京都大覚寺の末となりました。

通常、不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣を右手、羂索を左手にもたれますが、当山の不動尊は腕を交差させ左手で剣をもたれていることから「左剣不動明王」と呼ばれます。

当山は大正6年7月までは小動神社の別当でした。
浄泉寺の歴史(鎌倉シニア通信様Web)に「昭和30年(1955年)小動神社と続いていたお寺の敷地内を、国道134号線が造られた時、本堂の位置と向きを変更し、山門も国道側へ移したとのことです。」とあり、昭和30年までは小動神社と浄泉寺は地続きだったようです。

小動神社と浄泉寺の習合関係は強く、『鎌倉市史 社寺編』によると、小動神社のお祭りのとき、当山の住職が馬に乗って小動神社の神輿に供奉していたそうです。

弘法大師ゆかりの寺院だけあって、新四国東国八十八ヶ所霊場、相州二十一ヶ所霊場、相模国準四国八十八ヶ所霊場という3つの弘法大師霊場の札所となっています。

当山の史資料はあまり見当たらず、この程度しかご紹介できません。


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【史料・資料】
『新編相模國風土記稿』(国立国会図書館)※抜粋
八王子社
守鎮とす、幣殿・拝殿あり、社地を小動(古由留義)と云ふ。按ずるに【鎌倉志】に此地を当國の名所、小余呂伎磯となし、證歌を引用し、或は大磯の濱を詠とも記したるは、謬と云ふべし、彼名所は、淘綾郡大磯の属なること論を挨ず
本地佛 十一面観音 銅造長四寸を安ず
牛頭天王歳德神を合祀し、神社の額を扁す 今の領主の筆
縁起に拠るに文治年中(1185-1190年)佐々木盛綱の勧請と云ふ。毎年正月十六日を祭期とし、六月十四日には天王の祭事を行へり
境内社後に至れば翠岩丹壁峙立して海中に突出し頗勝地たり
別当は村内浄泉寺兼管す、神木銀杏樹あり

小動松
浄泉寺略縁起中に弘仁(810-824年)中、弘法大師小動山に登り一七日護摩を修せしに満日当山の松樹に神女影向あり
小動の松と云ふ是なりと記し、又文治年中(1185-1190年)佐々木盛綱当山に詣で老松樹の邊に至るに此松平日風なきに、枝葉靡き動く、其妙音恰(あたか)も琴瑟の如し、天女遊戯の霊木なり、此故に此松を小動の松と号すと記せり【鎌倉志】には、山の端に、海邊へ指出たる松あり。風無に常に動く、故にこゆるぎの松と云ふとなりとあり。

■ 鎌倉市史 社寺編(鎌倉市)(抜粋)
小動山松岩院浄泉寺と号する。古義真言宗。もと青蓮寺末。いま京都大覚寺末。
開山は空海と伝える。
中興開山は弘治四年(1558年)に寂した元秀である。
本尊、左剣不動明王。
境内地413.55坪。本堂・地蔵堂・山門・庫裏がある。
大正六年七月まで小動神社の別当で、中興後二十二世栗林龍照の時、神仏分離した。
腰越の老人のうちには、お祭りのとき、当寺の住職が馬に乗って、神輿に供奉したのを覚えている人があるという。
『関東古義真言宗本末帳』には、浄泉寺、寺内御免とみえている。

■ 小動神社境内掲示(小動神社由緒略記/抜粋)
相模風土記に往時、弘仁年中(810-822年)弘法大師、小動山に登りし時、老松に神女影向あり、この松を小動の松と云うとあり。


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江ノ電「腰越」駅からほど近いところ、小動神社と国道134号を挟んで相対しています。


【写真 上(左)】 浄泉寺方向から小動神社
【写真 下(右)】 国道から

山門、本堂ともにもとは江ノ電の線路の方(北側)を向いて建っていましたが、昭和30年国道134号線が整備されたときに、現在の向きに移されたそうです。

国道134号に面して目立つ朱塗りの山門を構えています。
切妻屋根桟瓦葺の四脚門で、門前に「除厄弘法大師」と刻んだ寺号標と廻国供𫝥塔。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門前の石標


【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 永代供養廟

山内はけっこう広く、参道左手に正面に弘法大師が御座す永代供養廟。
その奥には宝形造桟瓦葺の地蔵堂があります。

江ノ電方面からの古参道は永代供養廟・地蔵堂あたりに突き当たるので、以前の本堂はこのあたりにあったのでは?


【写真 上(左)】 地蔵堂
【写真 下(右)】 本堂

本堂は入母屋造銅板本瓦棒葺で流れ向拝。
軒唐破風の手前に大がかりな千鳥破風を構えたダイナミックな意匠です。


【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 向拝-1

向拝柱向かって右に寺号板、左手には「左剣不動明王」の尊格板が掲げられています。


【写真 上(左)】 「左剣不動明王」の尊格板
【写真 下(右)】 寺号板

水引虹梁両端に見返り獅子の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎に沿って海老虹梁、中備に龍の彫刻とそのうえに笈形付大瓶束を置いています。
彫刻類はボリューミーで立体感を備えて見応えがあります。


【写真 上(左)】 向拝-2
【写真 下(右)】 木鼻の見返りの獅子

向拝正面桟唐戸のうえに寺号扁額を掲げています。


【写真 上(左)】 扁額
【写真 下(右)】 梵字の仏塔

山内には密寺らしく梵字が刻まれた仏塔もおかれていました。


御朱印は本堂向かって右手の庫裏にて拝受しました。


〔 浄泉寺の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 御本尊(新四国東国八十八ヶ所霊場)の御朱印
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印


65.龍口山 東漸寺(とうぜんじ)

鎌倉市腰越2-22-13
日蓮宗
御本尊:曼荼羅(『鎌倉市史 社寺編』)
司元別当:
札所:龍口寺輪番八ヵ寺

東漸寺は、龍口寺輪番八ヵ寺の一寺をなす日蓮宗寺院です。
龍口寺輪番八ヵ寺とは、日蓮宗の名刹・龍口寺を輪番で護持した片瀬・腰越に点在する八箇寺の日蓮宗寺院をいい、いずれも山号を龍口山と号します。

龍口山 本蓮寺(藤沢市片瀬、元 大光山本圀寺末)  
龍口山 常立寺(藤沢市片瀬、元 身延山久遠寺末)
龍口山 勧行寺(鎌倉市腰越、元 経王山妙法華寺末) 
龍口山 本成寺(鎌倉市腰越、元 妙厳山本覚寺末)
龍口山 妙典寺(鎌倉市腰越、元 長興山妙本寺末)
龍口山 本龍寺(鎌倉市腰越、元 長興山妙本寺末)
龍口山 法源寺(鎌倉市腰越、元 正中山法華経寺末)
龍口山 東漸寺(鎌倉市腰越、元 正中山法華経寺末)

龍口寺は日蓮宗の重要な霊跡であり、日蓮宗の主だった門流が護持の輪番をつとめていたことがわかります。

延元二年(1337年)の敷皮堂建立(龍口寺草創)から、明治19年(1886年)の太政官布達により龍口寺に住職が置かれるまでの約550年間は、龍口寺には住職はおられず、輪番八ヵ寺が輪番制で龍口寺を護持していました。

龍口寺輪番八ヵ寺を語るとき、龍口寺の開創・沿革は外せないので、龍口寺公式Web、下記史料・資料などから縁起沿革を追ってみます。

文応元年(1260年)7月、日蓮聖人は『立正安国論』を幕臣の宿屋光則を通じて前執権北条時頼に提出しました。
しかし、この論は幕府に異見するものとされ、他宗からも反感を買い、日蓮聖人は数々の法難を受けられました。

「龍口(たつのくち)法難」もそのひとつです。
龍口寺公式WebWikipediaを参考にその経緯を追ってみます。

文永八年(1271年)9月12日、日蓮聖人の御年五十歳の年、鎌倉幕府は幕府や諸宗を批判したとの咎で平頼綱率いる数百人で松葉ヶ谷の草庵を襲い、日蓮聖人を捕縛連行して佐渡國への流罪を申し渡しました。

9月13日子丑の刻、日蓮聖人は申し渡しに相違して、はだか馬に乗せられ鎌倉口の頸の座(現・龍ノ口)に引き出され、あわや斬首の危機となりましたが、「不思議の奇瑞」により難を遁れたと伝わります。

その後、日蓮聖人は愛甲郡依智郷(現・厚木市)の佐渡守護代・本間六郎左衛門重連の館に移送され、一ヶ月後に佐渡に配流となりました。

この龍ノ口での法難は「龍口法難」と呼ばれ、「伊豆法難」(弘長元年(1261年)5月12日)、「小松原法難」(文永元年(1264年)11月11日)、「佐渡法難」(文永八年(1271年)10月28日)と並んで「日蓮聖人四大法難」と呼ばれ、その法難の地はいずれも法華(日蓮)宗の霊跡となっています。

日蓮聖人入滅ののち、延元二年(1337年)に日蓮聖人の弟子・日法上人が「龍ノ口法難霊蹟」の地に「敷皮堂」という草庵を結び、自作の祖師像(日蓮聖人御像)と首敷皮を奉じたのが龍口寺の草始と伝わります。

なお、延文二年(1357)の創始は六老僧(日朗、日昭、日興、日向、日頂、日持)が協力して豪荘な伽藍を建立したという伝えがある一方、寺院としての体裁・格式を整えたのは慶長六年(1601年)、地元津村の国人で日蓮宗の信者であった島村采女の寄進によるという伝えもあって、中世の龍口寺の沿革は諸説ある模様です。

しかし、山内には日蓮聖人が一晩を過ごされた土牢が残り、法華(日蓮)宗各門流の輪番八ヵ寺が龍口寺を綿々と護持してきたことからも、法華(日蓮)宗にとって重要な霊跡寺院であることがわかります。
いまも本山(霊跡寺院)の寺格を有し、「片瀬のお祖師様」とも呼ばれて多くの参拝客を集めています。


【写真 上(左)】 龍口寺
【写真 下(右)】 龍口寺の御首題

東漸寺は旧・津村にあって輪番八ヵ寺のひとつであり、『新編相模國風土記稿』には、開山は日東上人(正蓮阿闍梨)、本尊に三寶祖師を安し、下總國中山法華寺末とあります。
開創は、正平七年(1352年)と伝わります。

境内には、日本薬学の祖ともいわれる長井長義夫妻の記念碑も建てられています。


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【史料・資料】
『新編鎌倉志』(国立国会図書館)
龍口寺
龍口寺は、腰越村の内なり。寂光山と号す。日蓮遷化の後、弟子六老僧、力を合て建立す。因て日蓮を開山とす。此寺は、八箇寺輪番に住持す。妙典寺(比企谷末寺也)・本成寺(身延の末寺也)・本立寺(比企谷末寺也)・法源寺(中山の末寺也)・本蓮寺(本國寺末寺也)・觀行寺(玉澤の末寺也)・東漸寺(中山の末寺也)・淨立寺(碑文谷末寺也)・是を固瀨(かたせ)の八箇寺と云。皆龍口寺の近邊にあり。
本堂 日蓮の像を安ず。堂内に、日蓮首の座の石とてあり。注畫讚に、文永八年(1271年)九月十二日、日蓮難に遭とあり。
日蓮土籠 堂の西の山の根に、巖窟あるを云ふ。前に日蓮の敷皮石とてあれ共、非なり。堂内に有を以て正とすと云ふ。

『鎌倉攬勝考』(国立国会図書館)
(片瀬村)龍口寺
腰越村の内なり。寂光山と号す。日蓮上人遷化の後に、弟子六老僧、力を合せ建立す。仍て日蓮を開山とし、此寺を八箇寺の輪番にて住職せり。腰越の内、神戸妙典寺(比企谷妙本寺末)、神戸本成寺(身延山末)、神戸本立寺(比企谷の末)・固瀬村法源寺(中山の末)、固瀬村本蓮寺(京本國寺末)、同所觀行寺(玉澤の末)、同所東漸寺(中山の末)、同所常立寺(碑文谷の末) 是を固瀨の八箇寺といふ。皆龍口寺の近所也。
本堂 日蓮上人の像、中老日法の作を安ず。堂内に日蓮上人頸の座石といふ有。注畫讚に、文永八年(1271年)九月十二日、日蓮難に逢とあり。又日蓮一夜土の牢、堂の西の方山際に洞窟あるをいふ。日蓮敷皮石といふもあれど、古えのものは堂内に置けり。

『新編相模國風土記稿』(国立国会図書館)
(津村)東漸寺
龍口山と号す 下總國中山法華経寺末 開山は日東 正蓮阿闍梨と号す 本尊三寶祖師を安ず

『新編相模國風土記稿』(国立国会図書館)
(片瀬村)龍口寺
寂光山と號す法華宗(無本山)文永八年(1271年)九月十二日宗祖日蓮刑に當りし舊蹟たるを以て弘安(1278-1288年)の頃六老僧等力を戮せて創立し(中略)即日蓮を開山となし、近隣八箇寺(村内常立・本蓮の二寺、腰越村本成・勸行・法源の三寺、津村東漸・本龍・妙典の三寺)にて輪番す、本尊は祖師日蓮なり(長二尺二分日法作) 堂内に敷皮石(長二尺三寸五分幅一尺八寸)と稱するあり (中略)
或は首の座石とも呼ぶ、是日蓮斬に當らんとして座を設けし石なりとぞ堂頭に敷皮堂の三字を扁す(寶鏡寺宮、墨蹟と云ふ)毎歳九月十一十二兩日の會式には宗門の緇素群参せり
日蓮士牢 本堂の西山麓にある岩窟を云ふ、日蓮厄難の時假に設けし牢なりと傳ふ、傍に膳窟と呼べるあり、同時膳所たりし遺址と云ふ
經八稲荷社

■ 鎌倉市史 社寺編(鎌倉市)(抜粋)
龍口山東漸寺と号する。日蓮宗。片瀬龍口寺輪番八ヶ寺の一。もと中山法華経寺末 開山、日東。本尊、曼荼羅。

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江ノ電「腰越」駅東の路地を山手に入ったところに、本龍寺、本成寺、勧行寺、妙典寺、そして東漸寺があります。


【写真 上(左)】 腰越駅と江ノ電
【写真 下(右)】 山門前

東漸寺はもっとも山手で、その奥は行き止まりです。
車の通行量は多くはないですが、「腰越」駅東からの路地は道幅が狭く、通行人も多いので鉄道での参拝をおすすめします。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 お題目塔

路地に面して山門と、その手前にお題目塔。

山門は龍口寺門前で文政十一年(1828年)から饅頭店を営む老舗、片瀬上州屋六代目・新倉守蔵氏が施主となり昭和55年に建立された桟瓦葺の薬医門で、見上げに山号扁額、飾り瓦にめずらしい波形を置いています。


【写真 上(左)】 山門扁額
【写真 下(右)】 山内

山手に奥まった山内はすこぶる静かで、よく整備されています。


【写真 上(左)】 よく整備された山内
【写真 下(右)】 本堂


【写真 上(左)】 天水鉢
【写真 下(右)】 本堂向拝

参道正面が本堂、左手が庫裏です。
本堂は入母屋造桟瓦葺で流れ向拝。流れ向拝部の降り棟が特徴的で、降り棟のうえには牡丹?の飾り瓦を置いています。

水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上と中備に斗栱を置き、正面桟唐戸の上には豪快な筆致の寺号扁額を掲げています。
身舎の花頭窓がよく効いて、整った印象の本堂です。


【写真 上(左)】 向拝扁額
【写真 下(右)】 庫裏


御首題は庫裏にて快く授与いただけました。


〔 東漸寺の御首題 〕




66.龍口山 妙典寺(みょうでんじ)
公式Web
鎌倉観光公式ガイド(鎌倉市観光協会)

鎌倉市腰越2-20-5
日蓮宗
御本尊:久遠実成釈迦牟尼佛(『公式Web』)
司元別当:
札所:龍口寺輪番八ヵ寺

妙典寺も、龍口寺輪番八ヵ寺の一寺をなす日蓮宗寺院です。
龍口寺輪番八ヵ寺とは、日蓮宗の名刹・龍口寺を輪番で護持した片瀬・腰越に点在する八箇寺の日蓮宗寺院をいい、いずれも山号を龍口山と号します。

龍口山 本蓮寺(藤沢市片瀬、元 大光山本圀寺末)  
龍口山 常立寺(藤沢市片瀬、元 身延山久遠寺末)
龍口山 勧行寺(鎌倉市腰越、元 経王山妙法華寺末) 
龍口山 本成寺(鎌倉市腰越、元 妙厳山本覚寺末)
龍口山 妙典寺(鎌倉市腰越、元 長興山妙本寺末)
龍口山 本龍寺(鎌倉市腰越、元 長興山妙本寺末)
龍口山 法源寺(鎌倉市腰越、元 正中山法華経寺末)
龍口山 東漸寺(鎌倉市腰越、元 正中山法華経寺末)

龍口寺輪番八ヵ寺については「65.龍口山 東漸寺」をご参照ください。

公式Web、下記史料・資料、現地掲示などから縁起沿革を追ってみます。

妙典寺は旧・津村(神戸)にあって輪番八ヵ寺のひとつであり、『新編相模國風土記稿』には、開山は中老僧 美濃阿闍梨天目上人、本尊に宗法の諸尊を安し、比企谷妙本寺末とあります。
史料類には開創は正和二年(1313年)とありますが、公式Webには、延慶元年(1308)4月の開創とあります。

公式Webには「明治19年、『太政官布達』により片瀬・霊跡本山龍口寺に貫首制度が定められるまで、片瀬八ヶ寺の一寺として龍口寺住職を輪番しておりました。」とあります。

元和八年(1614年)の『妙本寺客殿建立走舞真俗交名札銘』、延宝二年(1674年)の徳川光圀公著『鎌倉日記』などには「片瀬妙伝寺」と記され、当初は妙伝寺と称していたようです。

谷の奥深くにあったため、通称「腰越の谷戸寺」と呼ばれました。

妙典寺の開山・美濃阿闍梨天目上人(1256-1337年)は、日蓮六老僧・日朗上人の弟子「九老僧」の一人ともいわれ上法房日盛とも称します。
「九老僧」については諸説ある模様ですが、日蓮大聖人の直弟子十二人「十二中老僧」にはほぼ数えられるようです。

日蓮宗ポータルサイトの「妙顕寺」(栃木県佐野市)のページに天目上人の事跡が記されているので、要旨を抜粋引用させていただきます。

天目上人の俗性は畠山氏で、母は熱原法難で知られる熱原神四郎の娘といいます。
美濃阿闍梨を称し、日蓮大聖人が図顕された文永十一年(1274年)6月御図顕と、弘安五年(1282年)4月御図顕のふたつの御図顕(天目授与本尊)を授与されたとも伝わる日蓮宗の高僧です。

下野安蘇郡奈良渕村布教時に、唐沢城主の佐野家および家臣・若田部源五郎光盛が帰依して一宇を建立、天目上人を開山に仰いだのが日蓮宗の本山(由緒寺院)妙顕寺の創始といいます。

品川の天妙国寺、茨城県城里町の小勝本門寺(修多羅寺)、鎌倉・大町の本興寺、足立区谷在家の本応寺などの開山と伝わります。


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【史料・資料】
『新編鎌倉志』(国立国会図書館)
龍口寺
龍口寺は、腰越村の内なり。寂光山と号す。日蓮遷化の後、弟子六老僧、力を合て建立す。因て日蓮を開山とす。此寺は、八箇寺輪番に住持す。妙典寺(比企谷末寺也)・本成寺(身延の末寺也)・本立寺(比企谷末寺也)・法源寺(中山の末寺也)・本蓮寺(本國寺末寺也)・觀行寺(玉澤の末寺也)・東漸寺(中山の末寺也)・淨立寺(碑文谷末寺也)・是を固瀨(かたせ)の八箇寺と云。皆龍口寺の近邊にあり。

『鎌倉攬勝考』(国立国会図書館)
(片瀬村)龍口寺
腰越村の内なり。寂光山と号す。日蓮上人遷化の後に、弟子六老僧、力を合せ建立す。仍て日蓮を開山とし、此寺を八箇寺の輪番にて住職せり。腰越の内、神戸妙典寺(比企谷妙本寺末)、神戸本成寺(身延山末)、神戸本立寺(比企谷の末)・固瀬村法源寺(中山の末)、固瀬村本蓮寺(京本國寺末)、同所觀行寺(玉澤の末)、同所東漸寺(中山の末)、同所常立寺(碑文谷の末) 是を固瀨の八箇寺といふ。皆龍口寺の近所也。

『新編相模國風土記稿』(国立国会図書館)
(津村)妙典寺
龍口山と号す 片瀬村龍口寺輪番八ヵ寺の一なり、故に皆此山號あり、法華宗比企谷妙本寺末、開山は阿闍梨天目と云ふ 其像を置く、池上右衛門太夫宗仲の作なり、正和二年(1313年)の創建にて本尊宗法の諸尊を置く

■ 鎌倉市史 社寺編(鎌倉市)(抜粋)
龍口山妙典寺と号する。日蓮宗。片瀬龍口寺輪番八ヶ寺の一。もと妙本寺末 開山 阿闍梨天目。正和二年(1313年)開創と伝える。本尊、三宝祖師。境内地七畝二歩。本堂・庫裏・門あり。

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江ノ電「腰越」駅東の路地を山手に入ったところに、本龍寺、本成寺、勧行寺、東漸寺と妙典寺があります。

妙典寺はもっとも山手の東漸寺の手前にあります。
車の通行量は多くはないですが、「腰越」駅東からの路地は道幅が狭く、通行人も多いので鉄道での参拝をおすすめします。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 寺号標

路地に面して寺号標を掲げた門柱と、その手前に六地蔵尊。
こちらの「腰越谷戸六地蔵菩薩」の中央壁面には大曼荼羅が掲げられ、門前から日蓮宗寺院の趣があります。


【写真 上(左)】 腰越谷戸六地蔵菩薩
【写真 下(右)】 本堂

山内左手が本堂。
本堂向かって右手前には、大黒尊天像が安置されています。
本堂内に安置の福徳大黒尊天の御前立ちとのことです。


【写真 上(左)】 天水鉢
【写真 下(右)】 大黒尊天像


【写真 上(左)】 大黒尊天像と向拝
【写真 下(右)】 向拝

本堂は入母屋造銅板本瓦棒葺で流れ向拝。向拝軒に唐破風を興しています。
水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に本蟇股を置いています。
唐破風には日蓮宗宗紋「井桁橘」が置かれた鬼板と朱雀?の兎の毛通しが見えます。
向拝見上げには寺号扁額。


【写真 上(左)】 横からの向拝
【写真 下(右)】 扁額

高台にある山内は、明るく風通しもよく清掃もいきとどいて清々しい空気感。

背後の山上に広がる「鎌倉富士見霊園」はゴンドラでのアブローチ。
相模湾と富士を望んで眺望絶佳とのことです。


御首題は庫裏にて快く授与いただけました。


〔 妙典寺の御首題 〕




67.龍口山 勧行寺(かんぎょうじ)
鎌倉市腰越2-19-15
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
司元別当:
札所:龍口寺輪番八ヵ寺

勧行寺も、龍口寺輪番八ヵ寺の一寺をなす日蓮宗寺院です。
龍口寺輪番八ヵ寺とは、日蓮宗の名刹・龍口寺を輪番で護持した片瀬・腰越に点在する八箇寺の日蓮宗寺院をいい、いずれも山号を龍口山と号します。

龍口山 本蓮寺(藤沢市片瀬、元 大光山本圀寺末)  
龍口山 常立寺(藤沢市片瀬、元 身延山久遠寺末)
龍口山 勧行寺(鎌倉市腰越、元 経王山妙法華寺末) 
龍口山 本成寺(鎌倉市腰越、元 妙厳山本覚寺末)
龍口山 妙典寺(鎌倉市腰越、元 長興山妙本寺末)
龍口山 本龍寺(鎌倉市腰越、元 長興山妙本寺末)
龍口山 法源寺(鎌倉市腰越、元 正中山法華経寺末)
龍口山 東漸寺(鎌倉市腰越、元 正中山法華経寺末)

龍口寺輪番八ヵ寺については「65.龍口山 東漸寺」をご参照ください。

下記史料・資料、現地掲示などから縁起沿革を追ってみます。

勧行寺は旧・腰越村にある輪番八ヵ寺のひとつで、『新編相模國風土記稿』には「豆州玉澤妙法華寺末、開山日實 但馬阿闍梨と号す 嘉元元年(1303年)建つ」とあります。

開山但馬阿闍梨日實上人は、伊豆法難で日蓮聖人の命を救った漁師「舟守弥三郎」の子で正安元年(1299年)に材木座の妙長寺を開山された日実(日實)上人とも思われますが、調べた限りでは妙長寺開山の日実(日實)上人には「但馬阿闍梨」の号はみあたらず、別人かもしれません。

旧本山の豆州玉澤妙法華寺は六老僧の一人・日昭の門流の本山で、鎌倉では材木座の実相寺も末寺でした。

『新編相模國風土記稿』によると御本尊の文殊菩薩像(銅像長一寸八分)は、海中出現の尊像とのこと。

勧行寺について、Wikipediaには、天和三年(1683年)火災で伽藍を焼失、寛政三年(1791年)暴風雨で被害、大正12年、関東大震災で被害とあって寺伝等を失っている可能性があり、じっさい史料類は多くありません。

よって、ご紹介はこの程度となります。

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【史料・資料】
『新編鎌倉志』(国立国会図書館)
龍口寺
龍口寺は、腰越村の内なり。寂光山と号す。日蓮遷化の後、弟子六老僧、力を合て建立す。因て日蓮を開山とす。此寺は、八箇寺輪番に住持す。妙典寺(比企谷末寺也)・本成寺(身延の末寺也)・本立寺(比企谷末寺也)・法源寺(中山の末寺也)・本蓮寺(本國寺末寺也)・觀行寺(玉澤の末寺也)・東漸寺(中山の末寺也)・淨立寺(碑文谷末寺也)・是を固瀨(かたせ)の八箇寺と云。皆龍口寺の近邊にあり。

『鎌倉攬勝考』(国立国会図書館)
(片瀬村)龍口寺
腰越村の内なり。寂光山と号す。日蓮上人遷化の後に、弟子六老僧、力を合せ建立す。仍て日蓮を開山とし、此寺を八箇寺の輪番にて住職せり。腰越の内、神戸妙典寺(比企谷妙本寺末)、神戸本成寺(身延山末)、神戸本立寺(比企谷の末)・固瀬村法源寺(中山の末)、固瀬村本蓮寺(京本國寺末)、同所觀行寺(玉澤の末)、同所東漸寺(中山の末)、同所常立寺(碑文谷の末) 是を固瀨の八箇寺といふ。皆龍口寺の近所也。

『新編相模國風土記稿』(国立国会図書館)
(腰越村)勧行寺
龍口山と号す 豆州玉澤妙法華寺末、開山日實 但馬阿闍梨と号す 嘉元元年(1303年)建つ、本尊三寶祖師及文殊 銅像長一寸八分、海中出現の像と云ふを置く

■ 鎌倉市史 社寺編(鎌倉市)(抜粋)
龍口山勧行寺と号する。日蓮宗。片瀬龍口寺輪番八ヶ寺の一、もと豆州玉沢妙法華寺末妙本寺末 開山、日実。嘉元元年(1303年)の草創という。本尊、三宝祖師。境内地二六六.七六坪。本堂・庫裏あり。

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江ノ電「腰越」駅東の路地を山手に入ったところに、本龍寺、本成寺、東漸寺、妙典寺と勧行寺があります。

勧行寺は妙典寺の手前、「腰越」駅寄りにあります。
車の通行量は多くはないですが、「腰越」駅東からの路地は道幅が狭く、通行人も多いので鉄道での参拝をおすすめします。


【写真 上(左)】 お題目塔
【写真 下(右)】 本堂

路地に面して近代的な建物の庫裏。
前に建つお題目塔がなければ、通り過ぎてしまいそうです。
庫裏の奥がわ右手に本堂。

本堂は入母屋銅板葺で、おそらく妻入りとみられます。
正面妻側千鳥破風の鬼板には、日蓮宗宗紋「井桁橘」が掲げられています。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 側面からの向拝

水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側には海老虹梁、中備には豪壮な龍の彫刻を置いています。
妻入りながら、向拝左右の身舎には大ぶりな花頭窓を備えています。
桟唐戸の上には山号扁額。


【写真 上(左)】 向拝上部
【写真 下(右)】 清水瓢左先生の歌碑

こぢんまりとしていますが、落ち着きのある山内です。
昭和の連句人・清水瓢左先生の歌碑も置かれていました。

御首題は庫裏にて快く授与いただけました。


〔 勧行寺の御首題 〕




以下、つづきます。



【 BGM 】 (サザンオールスターズ特集-3)
■ 栞(しおり)のテーマ


■ 涙のアベニュー


■ Oh!クラウディア
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■ 女神系歌姫のLIVEテイク&MV

秀逸な男性ヴォーカル10人が束になってかかっても、1人の才能ある女性ヴォーカルの前では到底かなわない。
という音楽格言?があります。

そんなことを実感する、優れもののLIVEテイク&MVをいくつかあつめてみました。

■ 愛内里菜 - Magic


■ Sachi Tainaka - 最高の片想い


■ 森恵 - そばに


■ 平野綾 - For You


■ KOKIA - 孤独な生きもの


■ コバソロ & naho - 幾億光年(Covered)


■ コバソロ & 安果音 - 奏(Covered)


■ 篠崎愛 - さよならエレジー (Covered)


■ 石川由依 - いのちの名前(Covered)


■ 野口衣織 - ベテルギウス (Covered)


■ 富金原佑菜 - 蝶々結び (Covered)


■ 新垣結衣 - ハナミズキ(Covered)


■ ClariS - コネクト


■ 鈴木愛理 - 三日月(Covered)


■ 祈世麻里 - 世界中の誰よりきっと(Covered)


■ 和佳奈 - あなたがいることで(Covered)


■ 中恵光城 - Marginality


■ shallm - へミニス


■ Poppin'Party - STAR BEAT!〜ホシノコドウ〜


■ Uh. - I LOVE...(Covered)


■ 今井美樹 - Goodbye Yesterday


■ Kalafina - into the world


■ Yuna Ito - Endless Story


女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)
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■ 東京都台東区の札所と御朱印-1

この記事、2017年1月から放置プレイでしたが、台東区は今年は大河ドラマの舞台にもなるので、御朱印・御首題を追加していきます。

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東京都台東区の札所と御朱印・御首題授与寺社のご紹介です。
なお、掲載の御朱印・御首題は現在授与されていない可能性があります。

■ 東京都台東区の札所と御朱印

【エリア概要】
東京下町を代表する台東区。
浅草、上野など都内有数の観光地と、このところ人気上昇中の谷中、下谷、入谷、蔵前など下町の風情を残すエリアを含み、江戸期から手軽な参詣地として親しまれてきた。
江戸の町人文化を支えてきた古い町だけに由緒ある神社も多く鎮座し、神社御朱印エリアとしての人気も高い。

区内はもとより、台東区をとり巻いて文京区の本郷・根津、北区の田端、荒川区の日暮里、隅田川向こうには墨田区の向島・吾妻橋など寺社エリアが隣接し、周辺を含めて都内有数の御朱印エリアを形成している。

旧下谷区と旧浅草区の二区合併により誕生した台東区は上野も擁し、街区ごとに街の顔がことなる。
下町らしいディープなご当地グルメも盛りだくさんで、参詣地としての魅力にあふれていることも昨今の人気の一因では。

台東区の寺院巡りは南北に動きをとることが多いので、南から順にみていきます。

日本橋馬喰町に接する浅草橋から鳥越にかけては神社がメイン。
銀杏岡八幡神社、榊神社、鳥越神社などの古社が点在し、御朱印を授与されているが寺院の数は多くない。

蔵前四丁目界隈には浄土宗寺院を中心に5箇寺ほどが集まっているが、ご朱印はほとんど授与されていない模様。
ここから西側の御徒町にかけて、三筋、小島、台東の一帯は寺院は少ない。
このように、春日通り(都営大江戸線)以南の区南部は、御朱印スポットとはいえない状況となっている。

ところが春日通り(都営大江戸線)以北となると、俄然様相が変わってくる。
西側の東上野エリア(六丁目を除く)こそ寺院が少ないものの、東側、元浅草三・四丁目、寿一・二丁目エリアは寺町といってもいいほどの寺院の集積がみられる。
宗派的には真言宗智山派と真宗高田派が目立つ。ことに真言宗智山派はメジャー霊場・御府内八十八箇所の札所の一大集積地となっており、御朱印収集的には外せないエリアといえる。

銀座線「稲荷町」駅から「田原町」駅にかけては仏壇・仏具の専門店が多く、お寺のイメージが強いところ。
ここから北側にかけての一帯も寺院の集積地を形成している。
西側、東上野六丁目は真宗大谷派の寺院が20以上も集まる寺町だが、宗派的な理由もあってか御朱印授与の情報はほとんど得られていない。

その西の松が谷一~三丁目も寺町の趣で多彩な宗派の寺院があるものの、札所は少なく授与寺の軒数は多いとはいえない。
西浅草界隈も寺院が目立つが、東本願寺をはじめ真宗寺院がメインで、他宗派の寺院も札所ではないため授与寺の情報はほとんどない。
総じて東上野六丁目~松が谷にかけては寺院数のわりにメジャー霊場の札所が少なく(古い霊場札所はけっこうある)、御朱印的には上級者向けのエリアでは。

東京を代表する名刹、浅草寺。
複数の札所を兼ねる都内有数の御朱印のメッカで、授与所となっている影向堂では平日でも行列ができることがしばしば。
紙質のよい大判御朱印帳も頒布されているので、ここでお寺御朱印デビューする人も多いのでは?
本坊の伝法院も含め広大な寺域を擁するものの、北側の「裏浅草」と呼ばれる浅草三~六丁目は寺院が少なく、古刹や授与寺院は少ない。
御朱印エリアのイメージが濃厚な浅草駅周辺だが、意外に授与寺は少なく浅草寺が一手に引き受けている感じがある。

御朱印拝受をめざす場合、一般的にはここから隅田川沿いに北上し、浅草七丁目~今戸~橋場エリアに向かう。(区バス「めぐりん」号をつかうのも安くて便利で一手)
浅草七丁目には名刹、本龍院(待乳山聖天)、橋場には関東三十六不動尊霊場の札所橋場不動尊がある。
今戸二丁目、清川一丁目にも寺院は多いものの、真宗と浄土宗がメインで札所は少なく授与情報はほとんどとれていない。

清川、日本堤、東浅草、千束エリアは寺院が散在し、交通の便もいまひとつなので回りにくいところ。
それでも御朱印収集的には江戸六地蔵第2番の東禅寺(東浅草)、御朱印帳が人気の鷲神社(千束)など外せない寺社がある。

日光街道・日比谷線に沿った三ノ輪、竜泉、下谷、根岸、入谷は寺院が多く授与寺もそれなりにある。ただし、入谷七福神関連では1月限定の寺院もあるので要注意。
宗派的には多彩な印象で、下谷エリアには入谷鬼子母神(真源寺)をはじめ法華宗の寺院も目立つ。
根岸は江戸期に「根岸古寺巡り」という霊場が開設されたほど寺院の多いエリアだが、残念ながら授与情報は限定的。

山手線内側に入ると上野広小路・池之端あたりから北が台東区。
池之端エリアは日蓮宗寺院が多く御首題がメイン。

「上野のお山」といわれる上野公園一帯は江戸時代は徳川家菩提寺である寛永寺の寺域。
いまでも徳川家ゆかりの寺社が多く残って、都内有数の御朱印エリアとなっている。
天台宗関東総本山寛永寺のお膝元だけに天台宗寺院がほとんど。

言問通りから北は、いよいよ都内屈指の寺町、谷中エリアに入る。
このエリアは上野駅から入るよりも、千代田線「根津」駅から入った方が便利がよい。
ちなみにこのあたりは、「谷根千」(谷中・根津・千駄木)と呼ばれ、下町情緒やグルメが楽しめるエリアとして近年人気急上昇中。

言問通り・善光寺坂北側の谷中一丁目は日蓮宗・御首題メインのエリア。坂を上りきった谷中六丁目は日蓮宗と他宗派の混在エリアとなり、御府内八十八箇所の札所も。
ここから北側の谷中五丁目から西日暮里三丁目(荒川区)にかけてが谷中のメインエリア。
東は谷中霊園で、JR「日暮里」駅からスタートする散策客も目立つ。

谷中五丁目の真言宗寺院は御府内八十八箇所の札所も多く、御朱印収集的に外せないエリア。これを抜きにしても寺町の趣ゆたかで散策する価値は十分にあると思う。

【台東区と札所】
弘法大師霊場としては御府内八十八箇所の札所が多数あり、荒川辺八十八ヶ所霊場も入ってくるがこの霊場での御朱印授与は少ない模様。
豊島、南葛、荒綾などの弘法大師諸霊場のエリアは台東区内まで及んでいない。

観音霊場では(昭和新撰)江戸三十三観音霊場がメインで、上野王子駒込辺三十三観音霊場も入ってくるが、この霊場での御朱印授与例は多くない。
異彩を放つのは根岸エリアの「根岸古寺巡り」。9箇寺からなる江戸期開創の古い霊場だが、御朱印非授与の札所もある。
(ただし専用集印帳のスタンプは御寶印や三寶印なので、これで御朱印の要件を備えている。→ 特集記事


根岸古寺巡りの集印帳

七福神では浅草(名所)七福神、入谷七福神、谷中七福神の3つ。いずれもメジャーだが、お寺さまによっては正月しか拝受できないところもあるので要注意。
また、御本尊の御朱印を拝受できる寺院がいくつかある。


【拝受データ】 (おおむね西部から。現時点で授与休廃止の可能性あり、形態(直書・書置など)は状況により変化する可能性大です。)

神社の御祭神の欄で(掲)は出典が公式Web・境内掲示、(庁)は出典が東京都神社庁Web資料を示します。

台東区の寺院巡りは南北に動きをとることが多いので、南から順にみていきます。

【浅草橋・鳥越・蔵前エリア】
銀杏岡八幡神社、榊神社、鳥越神社などの古社が点在し、御朱印を授与されているが寺院の数は多くない。
蔵前四丁目界隈には浄土宗寺院を中心に5箇寺ほどが集まっているが、ご朱印はほとんど授与されていない模様。
ここから西側の御徒町にかけて、三筋、小島、台東の一帯は寺院は少ない。
このように、春日通り(都営大江戸線)以南の区南部は、御朱印スポットとはいえない状況となっている。

■ 銀杏岡八幡神社
(いちょうがおかはちまんじんじゃ)
台東区浅草橋1-29-11
御祭神:誉田別皇命、武内宿祢命(庁)
旧社格等:村社、旧浅草福井町鎮守
元別当:覚吽院(修験 醍醐三宝院末)



■ 此葉稲荷神社
(このはいなりじんじゃ)
台東区浅草橋1-29-11
御祭神:
旧社格等:銀杏岡八幡神社境内社、宮元町会御守護



■ (浅草橋)須賀神社 〔祇園祠牛頭天王社・笹團子團子天王〕
(すがじんじゃ)
台東区浅草橋2-29-16
御祭神:素盞鳴尊(庁)
旧社格等:村社、大倉前惣鎮守
元別当:真鏡山宝現院大圓寺(天台宗寛永寺末)



■ 第六天榊神社 〔第六天神宮〕
(だいろくてんさかきじんじゃ)
台東区蔵前1-4-3
御祭神:天神第六代坐榊皇大御神、面足尊、惶根尊(庁)
旧社格等:村社、徳川幕府浅草御蔵総鎮守



■ 伝授山 長應院
(ちょうおういん)
台東区蔵前4-17-14
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
・御朱印尊格:種子(キリーク/阿弥陀如来)



■ 蔵前神社 〔東石清水宮〕
(くらまえじんじゃ)
台東区蔵前3-14-11
御祭神:應神天皇、神功皇后、姫大神、倉稲魂命、菅原道真公、塩土翁命(庁)
旧社格等:郷社、江戸城鬼門除の守護神・徳川将軍家祈願所
元別当:雄徳山神光寺大護院(文殊院)(真言宗)



■ 池中山 盈満院 榧寺 〔正覚寺〕
(かやでら)
台東区蔵前3-22-9
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:江戸東方四十八地蔵霊場第38番、江戸地蔵菩薩霊場三十六ヶ所 (5番)
・朱印尊格:阿弥陀如来、お初地蔵尊、秋葉大権現

 

■ 鳥越神社 〔鳥越明神〕
(とりこえじんじゃ)
台東区鳥越2-4-1
御祭神:日本武尊 【相殿】天児屋根命、東照宮公(庁)
旧社格等:郷社
元別当:鳥越山長楽寺



■ 福寿神社
(ふくじゅじんじゃ)
台東区鳥越2-4-1
御祭神:倉稲魂命、大黒天神、恵比寿神、菅原道真公(掲)
旧社格等:鳥越神社境内社



■ 志志岐神社
(ししきじんじゃ)
台東区鳥越2-4-1
御祭神:豊玉姫命(掲)
旧社格等:鳥越神社境内社




【東上野エリア】
上野駅の東側にあたる東上野エリアは、台東区役所など公的施設が多く、寺社は少ないが下谷神社が有名どころ。
上野六丁目は真宗大谷派の寺院が多数集まる寺町だが、教義的な理由もあってか御朱印授与の情報はほとんど得られていない。
メジャー霊場・御府内八十八箇所の札所がこのあたりから入ってくる。

■ 下谷神社 〔下谷稲荷社〕
(したやじんじゃ)
台東区東上野3-29-8
御祭神:大年神 【相殿】日本武尊(掲)
旧社格等:郷社
元別当:



■ 隆栄稲荷神社
(りゅうえいいなりじんじゃ)
台東区東上野3-29-8
御祭神:宇賀魂命(掲)
旧社格等:下谷神社境内社
元別当:



■ 摩尼山 宝光寺 成就院 〔田中成就院〕
(じょうじゅいん)
台東区東上野3-32-15
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:御府内八十八箇所第78番、江戸八十八ヶ所霊場第78番、奥の細道関東路三十三所霊場第5番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕
 

■ 朝日山 願成院 永昌寺
(えいしょうじ)
台東区東上野5-1-2
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:江戸東方三十三観音霊場第27番、江戸東方四十八地蔵霊場第33番

〔御名号の御朱印〕


■ 高龍山 謝徳院 坂東報恩寺
(ばんどうほうおんじ)
台東区東上野6-13-13
真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
札所:真宗二十四輩第1番

〔御名号の御朱印〕



【元浅草・寿エリア】
浅草通りと春日通りにはさまれたこのエリアは、寺町といってもいいほど寺院が集積し、御府内八十八箇所の札所も多いため、区内有数の御朱印スポットとなっている。
日蓮宗寺院も多く、複数の御首題を拝受できる。

■ 妙盈山 法泉寺
(ほうせんじ)
台東区元浅草1-14-3
日蓮宗
御首題



■ 恵日山 延命寺 地蔵院
(じぞういん)
台東区元浅草1-15-8
真言宗智山派
御本尊:地蔵菩薩
札所:御府内二十一ヶ所霊場第14番、荒川辺八十八ヶ所霊場第84番、弘法大師二十一ヶ寺第5番

〔御府内二十一ヶ所霊場の御朱印〕


■ 寿量山 妙経寺
(みょうきょうじ)
台東区元浅草2-5-13
日蓮宗
御首題



■ 安立山 長遠寺 〔土富店祖師〕
(ぢょうおんじ)
台東区元浅草2-2-3
日蓮宗 江戸十大祖師
御首題



■ 長昌山 経王寺
(けいおうじ/きょうおうじ)
台東区元浅草2-8-4
日蓮宗
御首題



■ 摩尼山 隆全寺 吉祥院
(きちじょういん)
台東区元浅草2-1-14
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所:御府内八十八箇所第60番、江戸八十八ヶ所霊場60番、弘法大師二十一ヶ寺第11番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕
 

■ 青林山 最勝寺 龍福院
(りゅうふくいん)
台東区元浅草3-17-2
真言宗智山派
御本尊:金剛界大日如来
札所:御府内八十八箇所第82番、江戸八十八ヶ所霊場第82番、弘法大師二十一ヶ寺第9番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕
 

■ 広幡山 観蔵院
(かんぞういん)
台東区元浅草3-18-5
真言宗智山派
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所:御府内八十八箇所第45番、荒川辺八十八ヶ所霊場第83番、弘法大師二十一ヶ寺第13番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕
 

■ 玉龍山 弘憲寺 延命院
(えんめいいん)
台東区元浅草4-5-2
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:御府内八十八箇所第51番、荒川辺八十八ヶ所霊場第82番、弘法大師二十一ヶ寺第20
番、奥の細道関東路三十三所霊場第3番、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第6番、弁財天百社参り第67番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕
 

■ 五剣山 普門寺 大乗院
(だいじょういん)
台東区元浅草4-5-2
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所:御府内二十一ヶ所霊場第16番、荒川辺八十八ヶ所霊場第81番、弘法大師二十一ヶ寺第3番

〔御本尊の御朱印〕


■ 瑞亀山 弘願院 誓教寺
(せいきょうじ)
台東区元浅草4-6-9
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:

〔御名号の御朱印〕


■ (摂取山 遍照院)光明寺 〔新光明寺〕
(こうみょうじ)
台東区元浅草4-7-10
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:江戸東方三十三観音霊場第25番、江戸坂東三十三ヶ所観音霊場第15番

〔御本尊の御朱印〕


■ 望月山 般若寺 正福院
(しょうふくいん)
台東区元浅草4-7-21
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:御府内八十八箇所第61番、江戸八十八ヶ所霊場第61番、弘法大師二十一ヶ寺第14番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕
 

■ 神勝山 成就院 〔百観音成就院〕
(じょうじゅいん)
台東区元浅草4-8-12
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:御府内八十八箇所第43番、江戸八十八ヶ所霊場第43番、弘法大師二十一ヶ寺第12番、江戸東方三十三観音霊場第24番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕
 

■ 阿遮山 円満寺 不動院 〔浅草寿不動尊〕
(ふどういん)
台東区寿2-5-2
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所:御府内八十八箇所第72番、江戸八十八ヶ所霊場第72番、弘法大師二十一ヶ寺第6番、関東三十六不動尊霊場第22番、御府内二十八不動霊場第18番、坂東写東都三十三観音霊場第14番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕


〔関東三十六不動尊霊場の御朱印〕


■ 鶴亭山 隆全寺 威光院
(いこういん)
台東区寿2-6-8
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:御府内八十八箇所第62番、江戸八十八ヶ所霊場第62番、弘法大師二十一ヶ寺第16番

〔御府内八十八箇所の御朱印〕
 

■ 蜂松山 遮那院 仙蔵寺
(せんぞうじ)
台東区寿2-8-15
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:弘法大師二十一ヶ寺第7番、荒川辺八十八ヶ所霊場第79番

〔御本尊の御朱印〕


■ 長瀧山 本法寺 〔熊谷稲荷/熊谷堂〕
(ほんぽうじ)
台東区寿2-9-7
日蓮宗
御首題



■ 白雲山 金龍寺
(きんりゅうじ)
台東区寿2-10-4
臨済宗妙心寺派
御本尊:
札所:



■ 本社(寿)三島神社 〔三島明神〕
(ほんしゃ みしまじんじゃ)
台東区寿4-9-1
御祭神:大山祇命(庁)
旧社格等:村社、旧金杉鎮守
元別当:圓明山宝福寺西蔵院(真言宗智山派/台東区根岸)




【松が谷・西浅草エリア】
浅草・雷門にほど近いが、以外に地味な感じのあるエリア。
寺院は多いが真宗寺院も多く、メジャー霊場の札所も少ないため御朱印授与率は低くなっている。
日蓮宗寺院は江戸十大祖師の本覚寺、妙音寺(御首題不授与の模様)が立地するものの、比較的少ない。

■ 龍鳴山 本覚寺 〔日限満願祖師/江戸十大祖師〕
(ほんがくじ)
台東区松が谷2-8-16
日蓮宗
御首題



■ 矢先稲荷神社
(やさきいなりじんじゃ)
台東区寿4-9-1
御祭神:倉稲魂命(庁)
旧社格等:浅草三十三間堂の鎮守として創祀、旧浅草松葉町鎮守
元別当:浅草三十三間堂
札所:浅草名所七福神(福禄寿)
※「福禄寿」の御朱印も授与されています。



■ 江北山 宝聚院 清水寺
(せいすいじ)
台東区松が谷2-25-10
天台宗
御本尊:千手千眼観世音菩薩
札所:江戸三十三観音札所第2番、江戸東方三十三観音霊場第21番、近世江戸三十三観音霊場第7番、東方三十三観音霊場第20番、東都北部三十三観音霊場第20番、江都三十三観音霊場第4番、江戸坂東三十三ヶ所観音霊場第17番、東京市史稿撰四十四観音霊場(第2番)
、弁財天百社参り第66番

〔江戸三十三観音札所の御朱印(四万六千日)〕


■ 巨嶽山 曹源寺(かっぱ寺)
(そうげんじ)
台東区松が谷3-7-2
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:江戸浅草辺三十三観音霊場第17番

〔江戸浅草辺三十三観音霊場の御朱印〕


■ 秋葉神社
(あきばじんじゃ)
台東区松が谷3-10-7
御祭神:火産霊大神、水波能売大神、埴山比売大神(庁)
旧社格等:東京市民の火災鎮護祈願所
元別当:



■ 田中山 徳生院 清光寺
(せいこうじ)
台東区西浅草1-7-19
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:



■ 東本願寺
(ひがしほんがんじ)
台東区西浅草1-5-5
浄土真宗東本願寺派
御本尊:阿弥陀如来



■ (西浅草)八幡神社
(にしあさくさ はちまんじんじゃ)
台東区西浅草2-14-5
御祭神:應神天皇(庁)
旧社格等:旧浅草田島町鎮守
元別当:田島山誓願寺(浄土宗系単立、府中市紅葉丘へ移転)
※要事前連絡。大黒天の御朱印も授与。

 

■ (芝崎)日枝神社
(しばざき ひえじんじゃ)
台東区西浅草3-8-1
御祭神:大山咋神
旧社格等:
元別当:薬王山医王寺東光院(天台宗/台東区西浅草)
※授与日限定



■ 泰昭山 寿仙院
(じゅせんいん)
台東区西浅草3-28-1
日蓮宗
御首題




【浅草・駒形・今戸エリア】
浅草エリアの中心地。南の駒形~北の今戸にかけては著名な神社もご鎮座され、屈指の御朱印スポットとなっている。浅草(名所)七福神の札所も多く、拝受しやすいエリア。

■ (駒形)諏訪神社 〔おすわさま〕
(こまがた すわじんじゃ)
台東区駒形1-4-15
御祭神:建御名方神、八坂刀売神
旧社格等:村社
元別当:浅草寺子院修善寺



■ 金龍山 浅草寺
(せんそうじ)
台東区浅草2-3-1
聖観音宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所:坂東三十三箇所(観音霊場)第13番、浅草(名所)七福神(大黒天)、東京三十三観音霊場第31番、大東京百観音霊場特番1、江戸東方三十三観音霊場第1番、東都七観音霊場第1番、近世江戸三十三観音霊場第1番、坂東写東都三十三観音霊場第13番、東方三十三観音霊場第24番、江都三十三観音霊場第1番、御府内二十八不動霊場第3番、東京三十三所観世音霊場第31番、江戸坂東三十三ヶ所観音霊場第22番、東京市史稿撰四十四観音霊場(1番)、江戸地蔵菩薩霊場三十六ヶ所(36番)、弁財天百社参り第73~76番、御府内十三仏霊場(文殊菩薩、普賢菩薩)

〔坂東三十三箇所(観音霊場)の御朱印〕


〔同 四万六千日の御朱印〕


〔江戸三十三観音札所の御朱印〕


〔浅草寺の御朱印帳〕


〔浅草名所七福神(大黒天)の御朱印〕


■ 金龍山 銭塚地蔵堂
(ぜにづかじぞうどう)
台東区浅草2-29-19
聖観音宗
御本尊:地蔵菩薩



■ 浅草神社 〔浅草三社権現、三社様〕
(あさくさじんじゃ)
台東区浅草2-3-1
御祭神:土師真中知命、檜前浜成命、檜前武成命(庁)
旧社格等:郷社、浅草総鎮守
元別当:浅草寺衆徒顕松院
札所:浅草名所七福神(恵比寿神)

 
【写真 上(左)】 通常の御朱印
【写真 下(右)】 三社祭の御朱印


浅草名所七福神(恵比寿神)の御朱印


浅草神社の御朱印帳

■ 被官稲荷神社
(ひかんいなりじんじゃ)
台東区浅草2-31-16
御祭神:倉稲魂命(掲)
旧社格等:浅草神社境内社



■ 浅草富士浅間神社 〔富士権現〕
(あさくさふじせんげんじんじゃ)
台東区浅草5-3-2
御祭神:木花咲耶比売命(掲)
旧社格等:
元別当:浅草寺子院修善寺



■ 待乳山 本龍院 〔待乳山聖天〕
(ほんりゅういん)
台東区浅草7-4-1
聖観音宗
御本尊:大聖歓喜天・十一面観世音菩薩
札所:浅草名所七福神(毘沙門天)、江戸東方三十三観音霊場第12番、近世江戸三十三観音霊場第3番、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第12番、弁財天百社参り第78番

〔御本尊の御朱印〕


〔浅草名所七福神(毘沙門天)の御朱印〕


■ 蒼海山 潮江院
(ちょうこういん)
台東区今戸1-6-7
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:



■ 深栄山 長昌寺
(ちょうしょうじ)
台東区今戸2-32-16
日蓮宗
札所:大東京百観音霊場第30番
御首題



■ 今戸神社 〔今戸八幡〕
(いまどじんじゃ)
台東区今戸1-5-22
御祭神:應神天皇、伊弉諾命、伊弉冉命、福禄寿(庁)
旧社格等:村社、今戸鎮守
元別当:八幡山無量寺松林院(浅草寺末)
札所:浅草名所七福神(福禄寿)

 


今戸神社の御朱印帳


【橋場・清川・東浅草エリア】
浅草の北側で荒川区南千住、白髭橋を介して隅田区向島と接する。
清川1丁目には多彩な宗派の寺院が集まるが御朱印授与寺は少ない。
他は寺社が点在するイメージだが、メジャーな霊場の札所も立地し、霊場巡拝者には避けて通れないエリア。

■ 砂尾山 橋場寺 不動院 〔橋場不動尊〕
(ふどういん)
台東区橋場2-14-19
天台宗
御本尊:不動明王
札所:関東三十六不動尊霊場第23番、御府内二十八不動霊場第7番、浅草名所七福神(布袋尊)

〔関東三十六不動尊霊場の御朱印〕


〔浅草名所七福神(布袋尊)の御朱印〕


■ 玉姫稲荷神社 〔珠姫稲荷社、山谷の玉姫さま〕
(たまひめいなりじんじゃ)
台東区清川2-13-20
御祭神:宇迦之御魂命(庁)
旧社格等:村社
元別当:砂尾山橋場寺不動院(天台宗/台東区橋場)



■ 誠向山 正法寺
(しょうほうじ/しょうぼうじ)
台東区東浅草1-1-15
日蓮宗
御首題



■ 唱楽山 宝晃寺
(ほうこうじ)
台東区東浅草2-25-16
日蓮宗
御首題



■ 洞雲山 東禅寺
(とうぜんじ)
台東区東浅草2-12-13
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所:江戸六地蔵第2番、江戸浅草辺三十三観音霊場第19番

〔江戸六地蔵の御朱印〕



【三ノ輪・竜泉・千束エリア】
荒川区との境をなすエリアで、旧吉原を含む。
竜泉1丁目、2丁目、千束3丁目には寺社が集中し、御朱印授与率も比較的高い。
千束の鷲神社、長國寺は酉の市には賑わう。

■ 養光山 金碑院 永久寺 〔目黄不動尊〕
(えいきゅうじ)
台東区三ノ輪2-14-5
天台宗
御本尊:不動明王
札所:江戸五色不動、東都北部三十三観音霊場第17番

〔江戸五色不動の御朱印〕


■ 正覚山 得生院 寿永寺
(じゅえいじ)
台東区三ノ輪1-22-15
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:下谷七福神(布袋尊)、江戸東方四十八地蔵霊場第10番、東都北部三十三観音霊場第29番

〔御本尊の御朱印〕


〔下谷七福神(布袋尊)の御朱印〕


■ 龍光山 三高寺 正寶院 〔飛不動尊〕
(しょうぼういん)
台東区竜泉3-11-11
天台宗系単立
御本尊:不動明王
札所:関東三十六不動尊霊場第24番、下谷七福神(恵比寿神)

〔関東三十六不動尊霊場の御朱印〕


〔下谷七福神(恵比寿神)の御朱印〕


■ 千束稲荷神社
(せんぞくいなりじんじゃ)
台東区竜泉2-19-3
御祭神:倉稲魂命、素盞鳴尊(庁)
旧社格等:村社、旧竜泉寺村鎮守
元別当:東光山等印院龍泉寺(真言宗智山派/台東区竜泉)



■ 瑞光山 月洲寺
(げっしゅうじ)
台東区竜泉2-15-11
臨済宗南禅寺派
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:東都北部三十三観音霊場第32番、弁財天百社参り第72番



■ 東陽山 正燈寺
(しょうとうじ)
台東区竜泉1-23-11
臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来



■ 光照山 西徳寺
(さいとくじ)
台東区竜泉1-20-19
真宗佛光寺派
御本尊:阿弥陀如来



■ 朝日山 弁天院 〔朝日弁財天〕
(べんてんいん)
台東区竜泉1-15-9
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:下谷七福神(弁財天)

〔御本尊の御朱印〕


〔下谷七福神(弁財天)の御朱印〕


■ 竜泉妙義教会 〔最上稲荷〕
(りゅうせんみょうぎきょうかい)
台東区竜泉3-8-6
日蓮宗
御首題



■ 鷲在山 長國寺 〔酉の寺〕
(ちょうこくじ)
台東区千束3-19-6
法華宗本門流

〔御首題〕


〔御朱印〕


〔酉の市特別御朱印〕
 

■ 鷲神社 〔おとりさま、鷲大明神社〕
(おおとりじんじゃ)
台東区千束3-18-7
御祭神:天日鷲命、日本武尊(庁)、寿老神
旧社格等:
元別当:鷲在山長國寺(法華宗本門流/台東区千束)
札所:浅草名所七福神(寿老神)

 
【写真 上(左)】 通常の御朱印
【写真 下(右)】 三の酉の御朱印


御朱印帳

■ 吉原神社
(よしわらじんじゃ)
台東区千束3-20-2
御祭神:倉稲魂命(庁)
旧社格等:新吉原遊廓守護
元別当:



■ 吉原弁財天
(よしわらべんざいてん)
台東区千束3-22花園公園
御祭神:弁財天
旧社格等:吉原神社の境外末社
札所:浅草名所七福神(弁財天)



【下谷・根岸エリア】
JR「鶯谷」駅の北側、昭和通りと尾竹橋通りに挟まれた街区で、ランドマーク的な名所や施設が少なく比較的地味なエリアながら寺社の集積度は高い。
下谷には有名な入谷鬼子母神があり、周辺には法華宗本門流寺院が多い。
下谷七福神を除くとメジャー霊場の札所は少ないが、御朱印授与に積極的な神社もあり、御朱印授与率はかなり高い。
根岸には九箇寺からなる「根岸古寺めぐり」があり、専用集印帳にスタンプを受けられたが、現況の対応は不明。御朱印不授与の寺院でも御寶印・三寶印のスタンプを受けられたので貴重。

■ 三島神社 〔下谷の三島様〕
(みしまじんじゃ)
台東区下谷3-7-5
御祭神:大山祇命(庁)
旧社格等:村社、旧金杉村鎮守



■ 火除稲荷社
(ひよけいなりしゃ)
台東区下谷3-7-5
御祭神:保食命(掲)
旧社格等:三島神社境内社(三島神社の地主神)



■ 覺法山 了源院 〔火除観世音〕
(りょうげんいん)
台東区下谷3-6-6
臨済宗妙心寺派
御本尊:火除観世音菩薩
札所:坂東写東都三十三観音霊場第17番、東都北部三十三観音霊場第30番



■ 小野照崎神社 〔渡江天神、小野照さま〕
(おのてるさきじんじゃ)
台東区下谷2-13-14
御祭神:小野篁命、菅原道真命(庁)
旧社格等:村社
元別当:小野山禅定寺嶺照院(天台宗/台東区下谷)
札所:東京二十五社天神霊場第14番



■ 下谷坂本富士
(したやさかもとふじ)
台東区下谷2-13-14
御祭神:
旧社格等:小野照崎神社境内の富士塚
※期間限定授与



■ 日照山 法昌寺
(ほうしょうじ)
台東区下谷2-10-6
法華宗本門流
御首題
札所:下谷七福神(毘沙門天)

〔御首題〕


〔下谷七福神(毘沙門天)の御朱印〕


■ 寶塔山 感應寺
(かんのうじ)
台東区下谷2-8-3
法華宗本門流
御首題



■ 紫雲山 英信寺
(えいしんじ)
台東区下谷2-5-14
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:下谷七福神(大黒天)、東都北部三十三観音霊場第27番

〔御本尊の御朱印〕


〔下谷七福神(大黒天)の御朱印〕


■ 仏立山 真源寺 〔入谷鬼子母神〕
(しんげんじ)
台東区下谷1-12-16
法華宗本門流
札所:下谷七福神(福禄寿)、荒川下町七福神(福禄寿)

〔入谷鬼子母尊神の御朱印〕


〔下谷七福神(福禄寿)の御朱印〕


■ 月円山 長松寺
(ちょうしょうじ)
台東区下谷1-8-20
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:円光大師東都二十五ヶ所霊場第15番、御府内円光大師二十五拝霊場第18番、江戸東方四十八地蔵霊場第3番、東都北部三十三観音霊場第23番



■ 東光山 長命院 薬王寺
(やくおうじ)
台東区根岸5-18-5
天台宗
御本尊:薬師如来
札所:根岸古寺めぐり第1番、東都七薬師霊場第6番、東都北部三十三観音霊場第19番

〔御本尊の御朱印〕


〔根岸古寺めぐりの集印〕


■ 日光山 大空庵
(だいくうあん)
台東区根岸5-8-12
真言宗霊雲寺派
御本尊:虚空蔵菩薩
札所:根岸古寺めぐり第2番、御府内十三仏霊場第13番(虚空蔵菩薩)

〔根岸古寺めぐりの集印〕


■ 御行の松不動堂 〔時雨岡不動堂〕
(おぎょうのまつふどうどう)
台東区根岸4-9-5
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所:弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第20番


※揮毫冊子あり

■ 佛迎山 往生院 安楽寺
(あんらくじ)
台東区根岸4-1-3
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:根岸古寺めぐり第3番、江戸東方三十三観音霊場第30番、江戸東方四十八地蔵霊場第7番、近世江戸三十三観音霊場第8番、坂東写東都三十三観音霊場第23番、東都北部三十三観音霊場第14番、江都三十三観音霊場第5番

〔御本尊の御朱印〕


〔根岸古寺めぐりの集印〕


■ 東国山 中養院 西念寺
(さいねんじ)
台東区根岸3-13-17
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:根岸古寺めぐり第4番、江戸東方四十八地蔵霊場第6番

〔御本尊の御朱印〕


〔根岸古寺めぐりの集印〕


■ 鐡砂山 観音院 世尊寺
(せそんじ)
台東区根岸3-13-22
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所:根岸古寺めぐり第5番、荒川辺八十八ヶ所霊場第1番、弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第12番

〔根岸古寺めぐりの集印〕


■ 補陀洛山 千手院
(せんじゅいん)
台東区根岸3-12-48
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所:根岸古寺めぐり第6番、荒川辺八十八ヶ所霊場第88番、江戸東方三十三観音霊場第29番、大東京百観音霊場第28番、御府内十三仏霊場第11番(阿閦如来)

〔大東京百観音霊場の御朱印〕


〔根岸古寺めぐりの集印〕


■ 圓明山 宝福寺 西蔵院
(せいぞういん)
台東区根岸3-12-38
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所:弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第11番、荒川辺八十八ヶ所霊場第2番

〔御本尊の御朱印〕


■ 寶鏡山 円光寺 〔藤寺〕
(えんこうじ)
台東区根岸3-11-4
臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:根岸古寺めぐり第8番、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第3番、弁財天百社参り第65番

〔根岸古寺めぐりの集印〕


■ 法住山 要傳寺
(ようでんじ)
台東区根岸3-4-14
日蓮宗
御首題
札所:根岸古寺めぐり第7番

〔御首題〕


〔根岸古寺めぐりの集印〕


■ 元三島神社 〔三島さま〕
(もとみしまじんじゃ)
御祭神:大山祇命(庁)
旧社格等:村社
元別当:圓明山宝福寺西蔵院(真言宗智山派/台東区根岸)
札所:下谷七福神(寿老神)、荒川下町七福神(寿老神)





字数オーバーにつき、Vol.2につづけます。
こちら



【 BGM 】
■ 「Secret base~君がくれたもの~」cover by【Mesxmokonax冥月x洛】


■ 私にはできない - Eiーvy(Vo.Suno [音楽生成AI])


■ 星空と君のうた - AliA
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■ 東京都台東区の札所と御朱印-2

字数オーバーにつき、Vol.2につづけます。
Vol.1は→ こちら

※掲載の御朱印・御首題は現在授与されていない可能性があります。
※神社の御祭神の欄で(掲)は出典が公式Web・境内掲示、(庁)は出典が東京都神社庁Web資料を示します。


【池之端・上野・上野公園エリア】
一旦、南に下ります。
御徒町~池之端エリアは不忍池西南側の低地にあり、日蓮宗寺院(御首題)がメインで御朱印エリアのイメージはうすい。
不忍池のほとりの辨天堂から上野の山ふところ、上野、上野公園エリアは寛永寺、東照宮などが並ぶ一大参詣エリアで、御朱印スポットとなっている。
多くは授与所が設けられ、御朱印見本も掲出されているので、都内でももっとも御朱印を拝受しやすく初心者向き。

■ 妙宣山 徳大寺 〔下谷摩利支天〕
(とくだいじ)
台東区上野4-6-2
日蓮宗
御首題

〔御首題〕


〔御朱印(摩利支天/亥の日)〕


〔御朱印(浄行菩薩)〕


■ 石橋稲荷
(いしばしいなり)
台東区上野4-6-2
徳大寺境内社



■ 妙光山 宗賢寺
(そうけんじ)
台東区池之端2-1-15
日蓮宗
御首題



■ 本野山 覺性寺
(かくしょうじ)
台東区池之端2-1-15
日蓮宗
御首題



■ 盛林山 大正寺
(たいしょうじ)
台東区池之端2-1-21
日蓮宗
御首題



■ 東叡山 寛永寺 不忍池辯天堂 〔上野不忍池辯才天〕
(しのばずのいけべんてんどう)
台東区上野公園1-29
天台宗
御本尊:八臂大辯才天
元別当:天龍山妙音寺生池院(天台宗)
札所:谷中七福神(弁才天)、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第1番、江戸六弁天、弁財天百社参り第61番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第30番、江戸坂東三十三ヶ所観音霊場第12番、東都七観音霊場第4番
※「大黒天」の御朱印も授与されています。

〔御朱印(辨財天)〕


〔御朱印(宇賀神王)〕


■ 東叡山 寛永寺 清水観音堂
(きよみずかんのんどう)
台東区上野公園1-29
天台宗
御本尊:千手観世音菩薩
札所:江戸三十三観音札所第6番、東京三十三観音霊場第30番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第16番、東都七観音霊場第3番、(京成)東三十三観音霊場第1番、江戸東方三十三観音霊場第33番、近世江戸三十三観音霊場第9番、東方三十三観音霊場第17番、江都三十三観音霊場第6番、江戸坂東三十三ヶ所観音霊場第13番、東京市史稿撰四十四観音霊場(13番)、大田南畝糸桜三十三番霊場第26番、御府内十三仏霊場第8番(観世音菩薩)、江戸・東京四十四閻魔参り第13番

〔江戸三十三観音札所の御朱印(四万六千日)〕


■ 五條天神社 〔下谷天満宮〕
(ごじょうてんじんじゃ)
御祭神:大己貴命、少彦名命 【相殿】菅原道真公(庁)
旧社格等:
札所:御府内二十五社天神霊場第20番、東都七天神第6番、東京二十五社天神霊場第13番



■ 花園稲荷神社 〔忍岡稲荷、穴稲荷〕
(はなぞのいなりじんしゃ)
御祭神:倉稲魂命
旧社格等:村社、上野の山(忍ヶ岡)の守護神
札所:江戸坂東三十三ヶ所観音霊場第11番(忍岡稲荷)、江戸東方三十三観音霊場第32番(忍岡稲荷)



■ 東叡山 寛永寺 上野大仏
(うえのだいぶつ)
台東区上野公園
天台宗
御本尊:釈迦如来
札所:東都六地蔵霊場第5番(大仏堂)



■ 東叡山 寛永寺 パゴダ薬師堂
(ぱごだやくしどう)
台東区上野公園
天台宗
御本尊:薬師如来



■ 東叡山 寛永寺
(かんえいじ)
台東区上野桜木1-14-11
天台宗
御本尊:薬師如来
札所:江戸薬師如来霊場三十二ヶ所(1番)、弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第20番(一乗院)、大田南畝糸桜三十三番霊場第18番(願王院)、大東京百観音霊場第27番(養寿院)、東方三十三観音霊場第15番(養寿院)、東京三十三所観世音霊場第29番(養寿院)、大田南畝糸桜三十三番霊場第19番(等覚院)



■ 東叡山 寒松院
(かんしょういん)
台東区上野公園15-11
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
寛永寺の子院、東照宮の元別当
札所:大田南畝糸桜三十三番霊場第25番



■ 東叡山 輪王寺 〔両大師、開山堂〕
(りんのうじ)
台東区上野公園14-5
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:大田南畝糸桜三十三番霊場第17番(旧慈眼堂)

〔厄除両大師の御朱印〕


〔厄除開山両大師の御朱印〕


〔厄除慈恵大師の御朱印〕


■ 上野東照宮 〔三処権現〕
(うえのとうしょうぐう)
御祭神:徳川家康公(東照大権現)(掲)
旧社格等:府社

 


上野東照宮の御朱印帳

■ 栄誉権現社
(えいよごんげんしゃ)
御祭神:栄誉権現(御狸様)
旧社格等:上野東照宮境内社



■ 東叡山 寛永寺 護国院
(ごこくいん)
台東区上野公園10-18
天台宗
御本尊:釈迦如来
札所:大東京百観音霊場第26番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第14番、(京成)東三十三観音霊場第2番、東都七観音霊場第2番、東方三十三観音霊場第16番、大田南畝糸桜三十三番霊場第21番

〔御本尊の御朱印〕


〔大黒天の御朱印〕


■ 東叡山 寛永寺 浄名院
(じょうみょういん)
台東区上野桜木2-6-4
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:江戸六番地蔵尊番外、御府内十三仏霊場第5番(地蔵菩薩)

〔御本尊の御朱印〕
 

〔江戸六地蔵の御朱印〕


〔八萬四千体地蔵尊の御朱印〕


〔へちま地蔵尊の御朱印〕




以降は「谷中」エリアとなります。
別記事■ 谷中の御朱印・御首題をご覧くださいませ。



【 BGM 】
■ 絢香 -みんな空の下


■ 今井美樹 - Goodbye Yesterday


■ 中島美嘉 - 朧月夜 ~ 祈り
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■ 都内の閻魔大王の御朱印

 

記事(YAHOO!ニュース JAPAN 1/16(木) 10:32配信)

こともあろうに、深川のおゑんまさまから閻魔賽日に賽銭を盗むとは・・・。
ゑんまさまもご住職も見逃すはずがありません。

しかし、それほどまでに世相が世知辛くなっているのかも・・・。

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2025-01-14 UP

1月16日は閻魔大王のご縁日「初閻魔」です。
閻魔様を祀る寺院では、御開扉されたり、限定御朱印が授与されるところがあります。

都内の閻魔霊場「江戸・東京四十四閻魔参り」を結願していますので、拝受した閻魔大王の御朱印をすべてUPします。
なお、現時点では拝受できない御朱印があるかもしれません。

【説法をされる閻魔さま】法乗院(深川えんま堂) 2021年5月8日(土)


こんな時代だからこそ、閻魔様詣でをしつつ、勧善懲悪、因果応報の教えを噛みしめてみるのもいいかもしれせん。

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1番.金地院(港区芝公園3-5-4)


2番.寶珠院(港区芝公園4-8-55)
 

3番.長傳寺(港区元麻布1-2-2)


4番.浄土寺(港区赤坂4-3-5)


5番.太宗寺(新宿区新宿2-9-2)
 

7番.正蔵院(新宿区神楽坂6-54)
 

8番.還国寺(文京区小日向2-19-7)
 

9番.源覚寺(文京区小石川2-23-14)
 

10番.法真寺(文京区本郷5-27-11)


11番.天王寺(台東区谷中7-14-8)


14番.華厳寺(墨田区本所2-12-3)
 

15番.法乗院(江東区深川2-16-3)
  

 
※ご縁日にはご開扉され、ゑんま堂内に入堂できます。
ゑんま様の真後ろには、本地の地蔵菩薩が御座されています。

16番.長徳寺(品川区南品川2-8-16)
 

18番.嶺雲寺(品川区東大井2-15-10)
 

21番.安養寺(大田区西六郷2-33-10)


28番.華徳院(杉並区松ノ木3-32-11)


29番.真性寺(豊島区巣鴨3-21-21)
 

30番.善養寺(豊島区西巣鴨4-8-25)
 

39番.勝専寺(足立区千住2-11)
 

40番.上品寺(葛飾区東新小岩7-8-2)
 

41番.安養寺(江戸川区東瑞江2-50-2)


43番.正受院(新宿区新宿2-15-20)



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2024-07-16 UP

本日7月16日は閻魔大王のご縁日「薮入り」です。
閻魔様を祀る寺院では、御開扉されたり、限定御朱印が授与されるところがあります。

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2024-01-15 UP

明日1月16日は閻魔大王のご縁日「初閻魔」です。
閻魔様を祀る寺院では、御開扉されたり、限定御朱印が授与されるところがありますのでアゲてみました。

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2023/07/15 UP

明日7月16日は閻魔大王のご縁日「薮入り」です。
閻魔様を祀る寺院では、御開扉されたり、限定御朱印が授与されるところがあります。

そこで、江戸の閻魔様関連のふたつの霊場(江戸・東京四十四閻魔参り、閻魔三拾遺)の札所をベースに、江戸時代の著名な閻魔様(『江戸歳時記』)のデータを加えて、閻魔様の御朱印をいただける寺院を整理してみました。
なお、ふたつの霊場はいずれも現役霊場ではなく、諸般のご事情で現在御朱印授与を休廃止されている可能性もあります。


※表中、オレンジの寺院は、閻魔様詣でにとくにおすすめのお寺さまです。

閻魔様の御朱印はかなりレアですが、都内では比較的授与例が多くなっています。
ただし、毎月16日のご縁日や、閻魔賽日(初閻魔(1/16)、藪入り(7/16))のみの限定授与のケースも多くみられます。

閻魔大王については、こちらの記事(「古今御朱印研究所」様)がわかりやすいので、ご覧くださいませ。



【 BGM 】
■ 孤独な生きもの - KOKIA


■ One Reason - milet


■ answer - 遥海
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