民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「本屋さんで待ちあわせ」 その20 三浦 しをん  

2017年12月30日 23時23分08秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その20 三浦 しをん  大和書房 2012年

 読まずにわかる『東海道四谷怪談』 その5
 第三夜 ワルが際立つ名台詞(めいぜりふ) その1 P-134

 『東海道四谷怪談』の主人公・民谷伊右衛門は浪人だ。伊右衛門が仕えていた塩谷(えんや)家の殿さまは、殿中で高野(こうや)氏に切りかかった咎で切腹、お家は取り潰しになった。そのため、伊右衛門は職を失ってしまったのである。世間では、塩谷家の浪人たちが主君の遺恨を晴らすため、高野家に討ち入りする準備を進めている、ともっぱらの噂だ。

 観客はここで、「ははぁん」と思う。「この劇は、『忠臣蔵』の設定を借りて進行する話なのだな」と。
 江戸時代には、実際の事件や実在の人物を、劇でそのまま取り上げることが許されていなかった。逆に言うと、人物や団体の名称をちょっと変えれば、なにを上演しても基本的にはお目こぼしされた。このへんが、江戸時代人のおおらかというかいいかげんなところである。


「本屋さんで待ちあわせ」 その19 三浦 しをん  

2017年12月28日 00時35分19秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その19 三浦 しをん  大和書房 2012年

 読まずにわかる『東海道四谷怪談』 その4
 第二夜 伊右衛門 悪の魅力 その2 P-133

 鶴屋南北が『四谷怪談』を書いたころ、『忠臣蔵』はおおかたのひとにとって、「古くて、リアルじゃない」話になってしまっていた。いまどき、大真面目に主君の仇討ちをする頓狂なやつなんていないぜ、というわけだ。
 では、鶴屋南北はどうやって、新しい時代にふさわしい劇を作ったか。『四谷怪談』の主人公・民谷伊右衛門(たみやいえもん)を、ニヒルで血も涙もなく、ちょっとモテるからといってすぐいい気になり、主君の仇討ちなどそっちのけだが、金と出世のためなら何人殺そうと屁とも思わないような人物として設定したのである。

 伊右衛門は、はっきり言って最低最悪の性格だ。できればお近づきになりたくない。しかし、彼の欲望と破滅の軌跡は、抗しがたい悪の魅力を放ってもいる。

「本屋さんで待ちあわせ」 その18 三浦 しをん

2017年12月26日 00時12分33秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その18 三浦 しをん  大和書房 2012年

 読まずにわかる『東海道四谷怪談』 その3
 第二夜 伊右衛門 悪の魅力 その1 P-132

 『仮名手本忠臣蔵』を少し知っておくと、『東海道四谷怪談』をより楽しめる。
 『忠臣蔵』は、「赤穂浪士が吉良邸に討ち入りし、主君・浅野内匠頭の敵を取る」という、史実に基づいたストーリーだ。いま読むと、「忠義一本槍な生き方(=武士社会)への多大なる疑念がこめられている」と解釈することも可能な物語なのだが、まあ、古臭く大時代な話だと感じる人もいるだろう。

 なんで、自分の生活や命を犠牲にしてまで、バカ殿のために仇を討たねばならんのだ、と。『四谷怪談』は『忠臣蔵』のパロディー、「忠臣にはなれなかった(なりたいなんて毛一筋も思わなかった)人々の話である。『四谷怪談』の作者・鶴屋南北は明らかに、「主君のために命をかけて仇討ちするなんて、古い。時代遅れだ」と考えていたと見受けられる。

 それも当然だろう。『仮名手本忠臣蔵』の初演は、寛延元年(1748年)。『東海道四谷怪談』よりも、77年もまえにできた作品なのだ。いま(2009年)から77年まえといったら、1932年(昭和7年)だ。昭和7年の感覚で、たとえば「髪の毛を茶色く染めるなんてとんでもない!」と言ったところで、現在の若者は当然聞く耳を持たない。習慣や常識や価値観は、わずか数十年で大きく変動する。

「本屋さんで待ちあわせ」 その17 三浦 しをん  

2017年12月24日 00時11分24秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その17 三浦 しをん  大和書房 2012年

 読まずにわかる『東海道四谷怪談』 その2
 第一夜 幕末迫る1825年に初演 P-130

 では、『四谷怪談』が初演された1825年とは、どんな年だったのか。高校時代に使っていた参考書、『詳説日本史研究』(笠原一男、山川出版社)を引っ張りだしてちょっと調べてみた。それによると、幕府が『異国船打払令』を出している。幕府的にはあくまで鎖国していたかったのだろうが、ペリーの来航は1853年、大政奉還は1867年だ。ちなみに、勝海舟は1823年、西郷隆盛は1827年、坂本龍馬は1835年に生まれている。

 ということは、『四谷怪談』初演当時には二歳児だったり母親の子宮内にする影も形もなかったりした子どもたちが成長しておっさんになるころ、江戸幕府は終焉を迎えたことになる。
 いまの私たちが、経済や政治や日常に漠然とした不安を感じつつ、現状の社会の仕組みが根底から覆されることはなかろうと信じているように、『四谷怪談』を初演時に見た観客も、江戸幕府に対して獏とした不安や不満は抱きつつも、まさか明治時代が到来し、武士がちょんまげを切る社会になろうとは、本気で予想してはいなかっただろう。

 劇は時代を映す鏡だ。激変期を目前に控え、しかし多くの人が、「なんとなくこのまま日常はつづくんだろうな」と思っていたころ、血なまぐさも充溢したエネルギーを秘めて、『東海道四谷怪談』の幕は開いた。

「本屋さんで待ちあわせ」 その16 三浦 しをん

2017年12月22日 00時37分24秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その16 三浦 しをん  大和書房 2012年

 読まずにわかる『東海道四谷怪談』 その1
 第一夜 幕末迫る1825年に初演 P-130

 鶴屋南北が書いた『東海道四谷怪談』は、文政8年(1825年)に江戸の中村座ではじめて上演され、いまに至るまで、舞台を見る私たちを楽しませつづけている作品だ。
 1825年といえば、いまから184年まえ、つまり今年(2009年)は、『四谷怪談』誕生180周年でも185周年でもない。こんな中途半端な年に『四谷怪談』を取り上げてしまって恐縮なのだが、この作品、戯曲として文字で読んでもとてもおもしろい。

 不況で生活が苦しいさま、凶悪な犯罪が次々と起こる世相、それでもたくましく生きる人々の日常が活写されていて、現代に通じるものがある。というより、時代が変わっても人間の心理は変わらないのだなと、知らしめてくれる。