民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「化かす 騙す」 藤田 浩子

2013年02月28日 00時13分35秒 | 民話の背景(民俗)
 昔話に学ぶ生きる知恵 1 「化かす 騙す」  藤田 浩子 編著 2006年

 「騙す」「化かす」昔話に学ぶつきあいの知恵

 相手を傷つけないように、相手にいやな思いをさせないようにしながら、
こちらの言い分をしっかり通すには「騙(だま)す」のが一番です。
とくに相手が自分より強い立場の人であればあるほど、騙すことが大事です。

 小僧が和尚に、嫁が姑に、病人が医者に、農民が役人や殿様に、
動物(のようにあしらわれていた民衆)が人間に、とにかく弱い立場の者がもの申すには、
強い者を騙すための知恵が必要だったのです。

 相手の言い分をまず聞いて、相手を受け入れ、それを踏襲しながら、
相手をギャフンと言わせる。
そんな知恵が昔話にはたくさんあります。

 「騙す」というと聞こえが悪いのですが、人づきあいの上での騙しは
「相手をいい気持ちにさせる」と言いかえることもできます。
相手をいい気持ちにさせながら、こちらの言い分も通すのです。

 昔、下層階級の人たちは、今よりもっと言いたいことも言えず、
道理に合わないことも我慢して呑みこまなければならなかったでしょう。
それでも上手に人とつきあい、したたかに生きてきたのです。
その「知恵」が昔話の中にたくさん隠されています。

 人間界で「化ける」といえばまず思い浮かぶのは「化粧」です。
よそおいも新たに変身すれば、人の目をごまかせます。

 中略

 化けるというのは本来の自分を隠して、なりたい者に変身することですが、
完全に変身するのではなく、なりたい者をよそおったり、なりたい者のふりをすること、
本来の醜い自分を隠して「美人をよそおい」「美人のふり」をするのでしょうか。

 意味としてはそういうことかもしれませんが、
お化粧をしている人たちはそういう思いでお化粧をしているのではなく、
これから自分に出会う人たちが心地よく感じてくれるようにとの心遣いでしょう。

 男の人だってひげを剃ってスーツに着替えて出かけます。
人とのおつきあいには、まず相手が嫌な感じをもたない程度の身だしなみが必要なのです。

 そう考えると「化ける」というのは相手に対する思いやりでもありますね。

 中略

 人と人がつきあうとき、一直線ではうまくいかないことが多いのです。
子どもならともかく、大人になって「素直」だの「正直」だのと言われたら、
「人づきあいが下手」の代名詞かもしれません。

 自分の要求を通したいとき、相手を思いやって、自分を少しでも感じよくするために、
「化け」たり、相手が気持ちよくこちらの言い分を聞いてくれるように「騙し」たり、
する「知恵」を、ここに載せた話から汲み取っていただければ、きっとお役にたちます。

「藁(わら) 十六把」

2013年02月26日 00時10分58秒 | 民話(昔話)
 「藁(わら) 十六把」 「昔話に学ぶ生きる知恵」 2  藤田 浩子

 むがぁし まずあったと。

 あるところに お大尽様の家あって 
お大臣様の家の娘も年頃になったので婿(むこ)探していたと。

 したが この家の婿になるには 知恵のある男でなければならねぇというわけでな
門口(かどぐち)に一把(いちわ) 藁(わら)ぁ掛けておいたんだと。

 ほぉで この藁(わら)を十六把(じゅうろっぱ)にできる者がいたら 
その男を婿にとるから と そういう看板かけておいたんだと。

 したが その村の男たち
「なんぼ考えたって手品使いでもなければ 一把を十六把にすることはできねえ
そんな無理なことはできねえ」
と あきらめていたんだけんども 一人の男が
「ほんじは おら十六把にしてみっから」
と そうゆって その家さ入(へぇ)っていったそうな。

 ほおで 旦那様が
「十六把にしたか」
と 聞かれたもんで
「へえ ちょこっと 入(へぇ)れば にわ(庭) ござる
にわの隅には くわ(鍬) ござる
婆様(ばさま)のひたいにゃ しわ(皺) ござる
門に いちわ(一把) で じゅうろっぱ(十六把)」

 と こうゆったんだと。
庭(にわ)のところに入っていくと その隅っこのほうに 畑で使う鍬(くわ)が置いてある。
縁側で針仕事をしている婆様(ばさま)の額には皺(しわ)がある。
それを歌って 全部で十六把にしたんだと。

 ちょこっと 入(へぇ)れば にわ(庭・二把) ござる
にわの隅には くわ(鍬・九把) ござる
婆様(ばさま)のひたいにゃ しわ(皺・四把) ござる
門に いちわ(一把) で じゅうろっぱ(十六把)

 足し算の話でした。

 おしまい


「蚤の串刺し」 藤田 浩子 

2013年02月24日 00時16分46秒 | 民話(昔話)
 「蚤の串刺し」 昔話に学ぶ生きる知恵 1 「化かす騙す」 藤田 浩子 

 むがぁし まずあったと。

 あるところに 旅の男一人いてなぁ 
その男 旅先で宿ぉとったんだと。
したが(ところが)梅雨時でもあったかなんだして 
その宿のふとんさ足ぃ突っ込んだとたんに 
チクッと 蚤に食わっちゃ(刺された)んだと。 

 いやいや 蚤にかじらっちゃようだわ
となって その旅の男 今 かじらっちゃところ
もそらもそら 探っていたっけが 今度(こんだ)もものあたり チクッ
今度(こんだ)ぁ ももたのあたり かじらっちゃようだなぁ
と思っていたれば 今度ぁ 尻(けつ)のあたり ヂクリ
 あららら 今度ぁ 尻だわ
となっていると 腹のあたり ヂクリ
いや まず 背中から胸から首筋から ヂクリヂクリ
寝らっちゃもんでねぇ。

 旅とゆっても ほれ 車があるわけでねえ 電車があるわけでねえ
朝から歩き通しであったから 疲れに疲れているんだが
とろとろぉっとすると ヂクリ
うとうとぉっとすると ヂクリ
いや あっちぃ もそらもそら こっちぃ もそらもそら 
足ぃ 伸ばしてみたり 縮めてみたり 
あっちゃぁ 向いてみたり こっちゃぁ向いてみたり
ごろらごろら しているうちに 空ぁ明るくなってしまったんだと。

 ほぉでまぁ はれぼったい眼(まなこ)こすりこすり 起きだしていってみると
囲炉裏端に宿の婆様(ばさま)座って ずねぇ(大きい)鍋の味噌汁かんましながらな
「よぉく 寝らっちゃがン?」
なんて聞くんだと。
男も まぁ 答えようがねく(なく)てなぁ
「いやぁー この家(や)は まず 蚤が ふだ(豊富)のようだなン」
と こう言えば 婆様も
「そのようだなン」なんてゆってる。

 いやいや この婆様 一筋縄ではいがねぇような 婆様だ
となって 旅の男 囲炉裏端さ座るとなぁ 
ろくたま 実の入(へぇ)ってねえような 汁ぅすすりすすり 
ずねぇ声で ひとりごと 語ったんだと。

「いやぁ いたましい(もったいない)なぁ 
これ こだに(こんなに)蚤がふだなのに 
これぇ集めて 銭(ぜに)になるがんだが(なるんだが)
おらの旅 先ぃ急がねばならねえし この蚤取ってる暇はねぇし
いやぁ いたましいなぁ!」
と 語り 語り 汁ぅすすっていたれば 
宿の婆様の目が キカッと こう光ってな
「もぉし 旅のお方 蚤っちゃ銭になるのがン?」
と こう聞く。

 「あーぁ ほう(そう)のようだぞン」
「して(それで)なじょして(どうやって)銭にするんだン?」
「いやぁ おらも よっくとは わからねぇだけんども 
なんでも 蚤っつうのは 薬になるがんだそうだ
ほぉで 都の薬種屋(やくしゅや)がなぁ 蚤ぃ 集めて 
ほぉで 薬にしてるもんで いや 都には 蚤 払底してしまって 一匹もいねぇ
したから おらのような旅回りの者のとこさ 
どこぞで 蚤ぃ ふだにいるとこあったら 教えてくんなんしょ
手間に見合うくれぇの銭は払うからと こういう話 来てるんだけんど 
いや なにしろ おら この度は急ぐ旅であるから とても 蚤集めなんざぁ してられねえ」
と こういう風に語って 旅の男は
「いやぁ ご馳走(ごっつぉう)になりやした。
となって わらじぃ履いて 旅支度すると
「ほんじは(それでは)世話になったなン」
と 出ていこうとした。 

 すると 婆様が また
「もうし 旅のお方 おめさま 帰(けぇ)りも ここぉ 通らっかン(通るか)?」
「あぁ この先一本道だでなぁ 帰りも また世話になるぞン」
と こうゆって 男は 旅立っていったんだと。

 それぇ聞くと 婆様 くるっと振り向いて 家ん中さ入ると 
まぁ ぼろ布団めくりあげるわ
むしろ ひっぺがえすわ キリッとたすき掛けしてな 
ほぉで 蚤取り眼 つう言葉があるぐれぇだから 目ぇ皿のようにして
ほぉで 蚤取りはじゃった(はじめた)と。

 蚤っつうのは ぴょんつら ぴょんつら 跳んで跳ねるから 
このぴょんとぴょんの間の この蚤が 一息ついてるときに
指先なめて ピュッと押しゃめぇて(押さえつけて)
親指の爪と爪で プチッと こう つぶす
その間合いが大切であってな
婆様 まぁ 日がな一日朝から晩まで ほかの仕事みなぁ放り出して
尻(けつ)ぅ 天丼さ 向けたまんま まぁ蚤取りしていたんだと。

 いく日たったもんだがなぁ 
また 旅の男 その宿にとまったんだと。
したが まぁ この度は なに 気持ちいいもんだか 蚤なんざ一匹もいねぇ
手も足も スーッと伸ばして ほぉで ぐっすり眠ったもんで
旅の疲れ すっかりとれてなぁ

 ほぉで 朝間 機嫌よく にこたにこたしながら 起きだしていくと
囲炉裏端の婆様も また にこたにこた しながら
飯ぃ盛ったり 汁ぅ分けたりしてたんだと。
この度はまぁ 汁も実がいっぺぇ入って 飯もてんこ盛り ほぉで
「ほれ 食わっしぇえ ほれ 代えらっしぇえ(お代わりしなさい)」
となって 男も 辞儀(遠慮)するような男でねえからな 
いくたびもいくたびも 代えてもらって 
ほぉで 腹よっぱら(一杯)食ってな
しまいの湯ぅなんぞ つつつーっと こうすすっていたっけが
婆様 スクッと立ち上がると 納戸の方さ 行って
納戸kら 桶こ一つ たんがえて(かかえて)きたんだと。
ほぉで その桶こ 旅の男の脇さ置くとな
「のぅ 旅のお方 これ ちょこっと見てくなんしょ(ください)」
こうゆって 出してよこしたと。

 男が その桶こ のぞいて見たれば まぁ たまげたことに 
桶こ七分目か八分目だか 蚤 いっぺぇ詰まっていたんだと。

「いやいや 婆様 おめえ 蚤取ったのがン おらの話 まともに受けて 取ったのがン」
こうゆったれば 婆様 キッとなってな
「はぁ 取ったわン して これ なんぼぐらいに なっぺなン?」
「これなぁー 婆様 銭にはならねぇんだわン」
「なにぃ 銭にならねぇ すると おめえは おらが 田舎者だと思って 
うそぉこいて おらことだまして 蚤取りさせたのがン?」
とまぁ 婆様 目玉ギカギカと光らせてせめてくる。
「んね(ちがう)んね おら うそはこかねえ うそはこかねけんども
話半分しかしねかった(しなかった)
なじょったわけだか わからねけんど 
蚤つうのは メスオス一緒では これ 薬にならねえんだそうで
したから 薬種屋さ持っていくときは メスはメス オスはオスと こう分けて
十匹ずつ串しゃ(串に)刺しておかねえと これぇ 薬種屋が引き取ってくれねえんだわン
話半分しか語らなかったおらも悪(わり)いけんど 
婆様 取るだら取るとゆわなかった おめえさまも悪いぞン」
とゆわれてな 婆様 はぁ 立ち上がる元気もねぇ。
ぺたらぁんと そこさ 座ってしまった。

 「婆様 婆様 気ぃ落とさんな 今度 蚤取るときは メスはメス オスはオスと
ちゃんと分けて 十匹ずつ 串しゃ刺しておいてくなんしょ。
したれば おら それ 預かって 銭にしてきてやっからな
したら まず 世話になったなン」

 と こうゆって 旅の男 帰っていったんだと。

 おしまい



「女の底力」 藤田 浩子

2013年02月22日 00時10分21秒 | 民話の背景(民俗)
 昔話に学ぶ生きる知恵 4 「女の底力」  藤田 浩子 編著 2006年

 姑は嫁の教育係だった

 昔話には、やさしい姑の話ももちろんありますが、いじわるな姑の話の方がたくさんあります。

 なぜ、昔の姑は、嫁につらくあたったのでしょう。
それは姑が嫁の教育係だったからです。

 嫁を次代の「主婦」に育てる教育係です。
子どもから娘に育ててくれるのは実家の親だとしても、
嫁いでから先の教育係は、嫁ぎ先の姑だったのです。

 「嫁」というのは、夫の連れ合いという意味合いより、
その「家」に入ってきた新しい家族ということでしたから、
その新しい家族に、飯の炊き方から漬け物の漬け方、掃除洗濯の仕方や子どもの育て方、
祖先の祀り方に行事の催し方、そして財布(経済)の管理まで、
その家のやり方をあれこれ嫁に伝えるのが姑の役でした。

 新しい家族である嫁が、その家に馴染み、一人前の「主婦」になるまで、
自分の配下において、あれもこれも教え、最終的に「主婦の座」を譲って、
自分が隠居できるようにしていくのが姑のつとめだったのです。

 となれば、他家で育った娘を、その家の家風に合わせて教育し直すというのは、
されるほうもつらかったかもしれませんが、教育するほうだって生半可な気持ちではできません。
厳しくなるのも無理からぬことです。

 今は、社会人、職業人として育てられる機会はあるとしても、若い娘を一人前の主婦に、
一人前の母親になるよう、みっちりと仕込んでくれる人がいなくなりました。

 今は、なにもできなくても、結婚すれば、次の日から「主婦」と呼ばれます。
姑に十年十五年みっちり仕込まれてから、やっと「へら渡し」をされて
「主婦」になった時代の方々から見れば、私もふくめて頼りない主婦ばかりなのでしょうね。

 主婦の仕事は「へら加減」

 「へら渡し」というのは、家のやりくりの主導権(主婦の座)を姑から嫁に渡し、
姑は隠居するということです。

 食料が十分でなかった頃、大勢の家族や使用人のための食事の支度は、主婦の大事な仕事でした。
働く人の仕事の量に合わせたり、子どもたちの成長に合わせて食事を用意する、
そのへら加減が主婦の仕事だったのです。

 毎日の食事だけではありません。
秋に穫れた穀類を一年間どうやりくりするか、それも大事な仕事でした。
ですから、その「へら」を渡すということは、主婦権を渡すということだったのです。


「やたんじ さたんじ」

2013年02月20日 00時12分20秒 | 民話(昔話)
 「やたんじ さたんじ」  「女の底力」  昔話に学ぶ生きる知恵 その4  藤田 浩子

 むがぁし まずあったと。

 あるところに やたんじと さたんじ という兄弟が いたんだと。
山さ行って 狩りをするのが 仕事であったそうだけんど 

 ある日 ふたんじ(二人で)山さ行ったら 山の崖端(がけばた)のところで
「うーん うーん」
て うなってる声 聞こえる。

 ほぉで(それで) だんじゃべ(誰だろう)なぁ
と 思ってのぞいてみたれば 山んばが 額から汗流して たいそう苦しんでいたんだと。

 ほぉで 
「なじょしたン(どうしたんですか)」と ゆったれば(言うと)
「いや 今 お産するとこなんだけんど 水が飲みてぇ 水 汲んできてくんなんしょ(ください)」
と こう言う。

 ほぉで 二人は
「お産のおなごに近づくと 穢れるってゆわれるけんど 
あだに 苦しんでいるのを 見過ごすわけいかねぇなぁ」

 そうゆって ふたんじ 水汲んできて ほぉで 水飲ませるやら 背中さすってっやるやら 手伝って
やがて 山んば やや子 産(な)したんだと。

「いやぁ ありがてぇ ありがてぇ 今まで 何人もの人に頼んだのに 
みんな お産不浄とゆって 近寄ってくんにかった。
おめ方だけ こうして助けてくれた。
いやぁ ありがてぇ お礼のしるしに おめ方が山さ入ったときには かならず 獲物 授けるから
山さ入るときには
「やたんじ さたんじ これにあり」と ずねぇ(大きい)声で呼ばってくんなんしょ。
したれば おれ かならず 獲物 授けるから」
と そうゆって 約束してくっちゃんだと。

 それからというもの やたんじ さたんじ は 山さ 入るたんびに
「やたんじ さたんじ これにありぃ!」
と ずねぇ声でずなれば かならず 獲物 授けてもらえたんだと。

 それは昔の話なんだけんども 今でも 山さ入る人は
「やたんじ さたんじ これにありぃ!」
と ずねぇ声でずなるそうな。

 そうすると 山んばは今でも
(やたんじ さたんじが生きている)
と 思ってんだか なんだか かならず 獲物 授けてくれんだと

おしまい