民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「ガマの油」 春風亭 柳好

2013年03月30日 00時23分14秒 | 伝統文化
 「ガマの油」 春風亭 柳好の十八番(おはこ) 東京生まれ、明治21年生まれ、昭和21年没

 さァ、さァ、お立会い。
ご用とお急ぎのない方は、ゆっくりと、聞いておいで。
遠目(とおめ)、山越しは、笠の内、
聞かざる時は、物の文色(あいろ)、理方(りかた)、善し悪しが、とんと、わからない。
山寺の鐘、轟轟(ごうごう)と、鳴るといえど、童子来たって、鐘に撞木をあたえずば、
とんと、鐘の音色がわからない。

 だァが、お立ち会い。
手前、持ち出した棗(なつめ)の中、
一寸八分、唐子発条(からこぜんまい)の人形。
細工人、数多(あまた)あるといえど、京都にて守随(しゅずい)、
大阪表(おもて)にて竹田縫之助、近江のタイジョウ、藤原の朝臣(あそん)とある。
手前のは竹田の積(つも)り細工、
咽喉(のんど)に八枚の歯車を仕掛け、背中(せな)に十二枚の小鉤(こはぜ)をつけ、
棗(なつめ)の中に入れおき、大道に置くときは、天の光と地の湿りを受け、
陰陽合体して、ぱッと、ふたがとれる。
つかつかッと進む、虎の小走り、虎走り。孔雀・らん鳥の舞い。

 だがね、お立ち合い。
投げ銭や放り銭は断るよ、投げ銭や放り銭は。
物貰(もら)いと違うから、お断りする。
 さァ、投げ銭・放り銭を貰(もら)わずに、何を渡世にするやという方があったが、
手前、永年、渡世とするは、これにある「軍中膏」ガマの油。
 こんな蛙は縁の下や、流しのところに棲むという方があったら、それは蟇蛙(ひきがえる)、
薬力(やくりき)や効能のたしにならない。
四六のガマだ、四六のガマ。

 さァ、四六、五六というのはどこでわかる。
前肢(あし)の指が四本(しほん)、後ろ肢が六本。
これを名づけて、蟇面相(しきめんそう)は四六のガマ。
 こォのガマの棲むのは、これより北、北は筑波山の麓に、
大葉子(おんばこ)という露草をば喰らって育つ。

 さァ、こォのガマの油を採(と)るのには、四方に鏡を張り、下に金網を張る。
ガマ、この中に追い込む。
ガマ、己(おのれ)姿が四方の鏡に写り、
己(おのれ)で己(おのれ)が驚き、身体(しんたい)から油汗を流す。
これを金網の下に抜き取り、三七は二十と一日(いちにち)の間、
柳の小枝をもって、とろぉり、とろりッと煮炊(にた)きしめ、
赤いが辰砂(しんしゃ)・椰子(やし)ゥの油(ゆ)、テレメンテイガ、マンテイカ、
さ、かような油を練り合わせて拵(こしら)える。

 このガマの油の効能は、湿疹(しつ)に雁瘡(がんがさ)・揚梅瘡(ようばいそう)・
ひび・しもやけ・あかぎれの妙薬。

 まだある。
大の男が畳に転がって苦しむのが、虫歯の痛みだ、虫歯。
ねェ、虫歯だったら心配することはない。
紙に練って、空(うろ)に詰め、口をむすんでおくと、
しばらくたつってぇと、熱いよだれが出ると共に、歯の痛みが去るんだ、歯の痛みが。

 まだある。
刃物の切れ味を止める、刃物の切れ味を。
手前、持ち出したは、粗末な品ではあるが、刃引きや鈍刀(なまくら)と違う。
 抜けば、玉散る、氷の刃。
ただ能書きで具合が悪いから、紙を切ってお目にかけよう、紙を切って。

 一枚の紙が二枚、二枚が四枚(しまい)、四枚が八枚と切れる。
八枚が十六枚、十六枚が三十と二枚、三十二枚が六十と四(よん)枚、
六十四(よん)枚が一束と二十八枚と切れる。
ふっ(吹いて)嵐山は落花のかたち。

 さ、かように切れる刃物でも、たった一(ひ)とつけ、つけるときは、
鈍刀(なまくら)同様になる、お立ち合い。
 さァ、(手の平へ刀の刃をあてて)押しても、引いても、切れない。
手の平は厚いという方があったから、面の皮だったらよかろう、お立ち合い。
面の皮だよ、面の皮。(顔へ刀の刃をあてて)
ほォら、押しても、引いても、切れない。
大道商いの面の皮は厚いと言うのなら、二の腕だったらかわりがなかろう、二の腕。
それッ(二の腕にあてて)押しても、引いても、切れない。
だが、薬屋、その薬は、刃物を鈍刀(なまくら)にする薬かとね、いうような御仁があろうが、
いやしくも、大道商いはしているが、金看板、御免の、ガマの油。
そォんな薬は売らないね。
拭き取るときは、ちょいとさわって、このくらい(と刀を腕にちょっとふれて)
こう、赤い血が出た、お立ち合い。
どうだ、切れたよ。
切れても心配することはない。
切れたらば拭き取る。
薬をたった一(ひ)とつけ、つけるときは、煙草一服、飲むか飲まないうちに、かように血が止まる。

 エエ、どのぐらいで頒(わ)けてくれようかってぇ方があるだろう、どのぐらいで。
宿元(やどもと)で販売は一貝(ひとかい)が二百、
出張(でば)ってのご披露だから、一貝、百文と、負けよう。
 百や二百は益ないことに吾人(ごじん)使うが、
この貝、一貝あったら、どのくらい調法か、わからない。
(客に)へい、ありがとう存じます。へぇ、ありがとう存じます。

「差別される大道芸」 高柳 金芳

2013年03月28日 00時07分08秒 | 大道芸
 「江戸の大道芸」 所載 高柳 金芳 著 

 大道芸能者に対する卑賤感

 差別される芸能者

 江戸時代の大道芸(門付芸)の芸能者は、すでに述べてきた通り、
その多くが幕府をはじめ一般庶民から卑賤視され、差別されてきた。

 しかし、こうした制度・社会通念は決して江戸時代にはじまったことではなく、
古く大和朝廷時代に遡る。
 しかも、時の為政者・一般庶民による卑賤視・差別は、
他の多くの被差別民に対する単なる職業上の卑賤視とは異なり、
むしろその生活様式・態度に拠(よ)るものであったと考える。

 一般庶民は、生業(なりわい)たる芸能に対しては、むしろ羨望と崇敬さえ有していたが、
物を乞う乞食(ほがい)性と、非生産的な生活態度に対する卑賤感をもっていたのであった。

 物乞いに対する卑賤感

 わが国の貨幣制度は、和銅元年(708年)に始まったが、
平安末期の商業の発展とともに実際の等価交換の手段として一般に流通するようになった。

 そして、芸能の代償として銭が渡されるようになり、
これを受けることが「物乞い」という観念になり、
いわゆる「乞食人(ほがいびと)」を生じたのである。

 加えて、観る側と観せる側とに差異が生じてきた。
他人の意を迎える、あるいは金銭を得んがために行う芸能は卑しいとされたのである。

 非農耕者に対する卑賤感

 水稲耕作をちゅうしんとした農耕社会を形成してきた我が国では、
農耕に適さないの居住者は地子物(租税)を免除されたが、
荘園主を初め一般良民からも卑賤視され、差別されたのである。

 その後も、この思想は変わることがなかった。
特に江戸時代は、農作物ことに米の生産を以(もっ)て領地経営の基盤とし、
武士の格式・軽重も「禄高」という米の収穫高で表示した。
領民も、農民を第一位に置き、非生産者は無為徒食の輩として、卑しめられたのである。

「落語の国の精神分析」 藤山 直樹

2013年03月26日 00時04分14秒 | 伝統文化
 「落語の国の精神分析」 所載  藤山 直樹 1953年生まれ  みすず書房

 まえがき(より)

 この本の主題は、ひとつは落語の根多(ネタ)である。
それは江戸から明治大正にかけての民衆の生み出したフォークロア(民話)だと言ってよい。
無名の民衆が作り出し、楽しみ続けてきたものには、必ず無意識の力が動いている。
精神分析家として私は、それを読み解いてみたいと思った。

 そしてもうひとつの主題は、落語家という人間の生き方だ。
落語家も精神分析家も単にひとつの職業にとどまらない、ひとつの生き方であるように思う。
落語家という、ひとりでこの世を相手にしている生き方と精神分析家には共通しているところがある。
それを前提に落語家として生きるとはどんなことなのか、
そのことに少しでも迫りたいと思った。


 対談 立川 談春 × 藤山 直樹

 「落語の国の国境をこえて」

 談春 あんなに(立川談志のこと)稽古した人はいないですよ。
ただ、一度も僕らには見せない。

 略

 兄弟子でこういうことを言った人がいる。
談志や志ん朝が天才だと言うけど、そんな天才じゃねえ、と。
もし、天才だと言うなら、あの人たちはひとつの噺(ハナシ)を百回稽古する才能に恵まれたんだと。
百回稽古するということは、九十九回目が気に入らないから百回目をやるわけでしょう。
修練ではないんですよ。
ひとつの噺(ハナシ)に九十九、テーマが見つけられる。
なるほど、それを天才と言ってるならすごいセリフだと思ったんですけれど。

「寿限夢」 落語

2013年03月24日 01時31分35秒 | 伝統文化
 毎月、第四金曜日、学童保育のボランティアに行ってる。
半年は過ぎたかな。
今回は(3月22日)落語の「寿限無」をやった。
以前にアップしたのを新しくリメイクしてやった。

 「寿限夢」 

 むかぁし、むかぁーし、とっても長ぁーい名前の子どもがいたんだって。
あんまり、名前が長いんでその子のまわりでは、
いつも、なんか問題を起きていたんだって。

 ある日のこと、金坊という子どもが、泣きながら、
(その)長い名前の子どもの家の玄関に入って行ったんだって。

「エーン、エーン、おばさぁーーん、・・・エーン、エーン」
「おや、おや、金坊、どうしたんだい?」
「あのね、おばさんとこの、

寿限夢 寿限夢、五劫のすりきれ(ず)、海砂利 水魚の 水行末、雲来末、風来末、
食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、
パイポ パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの 長久命の 長助が、

オイラの頭をげんこつでゴッツンしてネ、
目から火花が出るほど痛かっただヨ。
そんでネ、こんな大きなたんこぶができちゃった。
エーン、エーン」

「あら、あら、ごめんね。うちのお父さんによく言ってきかせるからね。」
「ねぇ、お父さん、うちの、

寿限夢 寿限夢、五劫のすりきれ(ず)、海砂利 水魚の 水行末、雲来末、風行末、
食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、
パイポ パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの 長久命の 長助が、

金坊の頭をゴッツンして、たんこぶができちゃったんだって。
あやまっておくれよ。」

「なんだと、うちの、

寿限夢 寿限夢、五劫のすりきれ(ず)、海砂利 水魚の 水行末、雲来末、風行末、
食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、
パイポ パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの 長久命の 長助が、

おめぇの頭、げんこつでゴッツンして、たんこぶができたんだって。
すまねぇなぁ。どれどれ、見せてみぃ、アタマを・・・
なーんでぇ、たんこぶなんかできてねぇじゃねーか」

「エーン、エーン、
あんまり名前が長いんで、名前を言ってるうちに、たんこぶがひっこんじまった。
エーン、エーン」

「半貝」 落語

2013年03月22日 00時21分16秒 | 伝統文化
 「半貝」 落語 破礼話(ばればなし)→わいせつな話

 大道商いのガマの油、これが儲かるというので、同業者がたくさん出てきた。
自然、競争がはげしくなったので、油屋、一計を案じ、年頃の娘に男装をさせ、
父親が「一貝が百文、半貝は五十文」と口上をのべたて、娘に油を売らせたところ、
娘の色っぽさが人気を呼んで大変よく売れた。

 ところが、油屋の父親、酒が過ぎて病気になってしまう。
一家の稼ぎ手が病気になられては大変、娘はさっそく王子の名主の滝で、
真っ裸となって水垢離(みずごり)をとり、父親が一日も早く治るように祈っていた。

 ここを通りかかった八公(はちこう)、
「おう、ねえさん、感心じゃねえか、これで親父にうめえ物でも食わせてやんな」
と、胴巻きから百文をつまんで娘にやると、娘は感激、両手を差し出してこの金を受け取った途端、
(娘の大事なところの)繁みがすっかり見えてしまった。

 八公、大喜びに喜んで長屋に帰り、得意げにこの話をする。
うすのろの熊公(くまこう)、これを聞いて「よし、おれもひとつ」とばかり、
スケベ根性を燃やして名主の滝に出かけた。
案の定、彼女、今日も水垢離(みずごり)をとっている。
百文出せば、熊公、いい男なのだが、しみったれて五十文渡すと、敵もさるもの。
彼女、片手で大事なところを押さえて、片手でこの金を受け取る。
「おい、八公の時みてえに両手を出しなよ」
「五十文では片手です」
「それはまた、どうしてだ」
「五十文は半貝でございます」