民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「ももたろう」 代田 昇

2014年02月28日 11時11分42秒 | 民話(おとぎ話・創作)
 「ももたろう」 代田 昇・文  箕田 源二郎・絵  講談社

 以前、ももたろうをリメイクしたことがあるけど、その時、もっとも参考にした本です。

 とんと むかしの ことだげな。
 あるところに、たいして 仲のいい じっさまと ばっさまが おった。
 ある日、じっさまは、よっこら よっこら よっこらしょと、山へ 柴刈りに 出かけたと。
 ばっさまは、これまた とんこら とんこら とんこらさと、川へ 洗濯に 出かけたそうな。

 ばっさまが、ざんぶり じゃぶじゃぶ、ざんぶり じゃぶじゃぶ 洗濯をしていたらば、
上(かみ)の方から、つんぷか かんぷか つんぷか かんぷか つっこんこと、
大きな桃が 流れてきたんだって。
 ばっさまは うれしくなって、
「おらえの桃なら、こっちさ来るはず。よそんちの桃なら、あっちさ 行くはず。」
と、歌ったらば、桃は、つんぷか かんぷか、つんぷか かんぷかと、
ひとりでに ばっさまの 足もとに 流れ着いたと。
 ばっさまは もう ほくほくして、
「はよう 帰って、じっさまと 食べるべえ。」
と、ほいさか ほいさか、急いで うちへ 帰ったんだって。

 じっさまは、
「こりゃあ、みごとな 桃じゃわい。」と、おおよろこびで、さっそく 割ろうと したらば、
桃は ぱくりっと、これまた ひとりでに 割れて、
「ほおげあ ほおげあ。」と、中から めんこい 男の子が 生まれて出たそうな。
 じっさまと ばっさまは びっくらこいたが、そりゃあ たいして 喜んで、
桃から 生まれたによって、「桃太郎」と いう 名前に したそうな。
 
 桃太郎は、あわのおかゆを ひとわん 食べては、ずくん。
鱒の塩焼き 二串 食べては ずくん、ずぐん。
山芋汁をば 三杯 食べては ずくん、ずぐん、ずうぐん と、大きくなって、
たちまち 立派な若者になった。

 桃太郎は 図体は でかぶつだったが、たいした なまけものだった。
近所の 若い衆(しゅ)が、
「たきぎ 取りに 行くべえ。」と、言ったらば、
「草履が ねえから 行かれねえ。」と、ごろりんと 寝転んどった。
「草履 持ってきたから 行かず。」と、言ったらば、
「しょいこが ねえから 行かれねえ。」と、また ごろりんと 寝転んどった。
「しょいこ 持って きたから 行かず。」と、言ったらば、
「鎌が ねえから だちゃかんわ。」と、またまた ごろりんと 寝転んどった。
とうとう、
「鎌 持って きたで 行かずよ。」と、言ったらば、
「ほわほわあ。」と、大きな あくびを ぶっこいてから、
「しかたねえのう。」と、しぶりしぶり 山へ 出かけたそうな。

 山に 行った 桃太郎は またまた なんにも せんと、ごろりんと 寝転んどった。
 それでも、夕方に なって 日が暮れかかると、突然 むくりっと 起き上がり、
大きな 松の 根っこに しょんべん こいて、土を やっこくした。
 それから、松の木を ゆっさゆっさと ゆさぶって、
「えいややっ。」と、ひっこぬき、ぽいっと 木を 肩にかつぐと、
ほいさかどどどう ほいさかどどどう と、雷みてえな 地響き たてて、
一気に うちまでかけて、帰ったそうな。

 桃太郎が、「ばっさま、たきぎは どこさ おくだ。」と、声を かけたが、返事がない。
桃太郎は 気になって うちの中を そっとのぞいて みたげな。
なんちゅう こった、うちの中には だあれも おらん。
 桃太郎は びっくらこいて、
「ありゃあ、ばっさまよう どうしただ。」
と、叫んだらば、屋根のてっぺんに とまっておった カラスが 言った。
「えらい こったよ、桃太郎。鬼が島の 鬼どもが 村を荒らしに やってきて、
塩、米、あわを 奪ったうえに 若い 娘っこ、みんな さらっていったわさ。」

 それを聞いた 桃太郎は かっと 目を 見開いて、
「なになに!鬼が島の 鬼めが!」と、声をあらげて 叫んだ。
それから、腕を組んで すわりこんで、目をつむり むっつり 考え込んだと。
しばらくすると 今度は ごろんと 寝転んで 考え込んどった。
あんまり 考え込んどって、ばっさまとじっさまが 帰ってきたのも とんと 気がつかなかったそうな。
ばっさまが 心配になって 
「桃太郎、芋粥が できただよ。」と、何度 言っても ごろんと 寝転んだまんま、
何日も 何日も むっつり 考え込んどったそうな。
 
 桃太郎は ある日 突然 むくりっと 起き上がり、
「じっさま、ばっさまよう。わしは 今から 鬼が島に行って、鬼どもを こらしめてくるわい。」
と、たいした 大声を 張り上げた。
じっさまとばっさまは、たまげてしまって なんとか とめようとしたが、桃太郎は、
「いーや、行くと 決めたら 行くだ。そこで ばっさま、大きい キビ団子を 三つ 作ってくれや。」
と、言うもんだから、とうとう あきらめて、
「それじゃ、あんじょ 行ってこい。水だの 蛇だの サメには、とくと 気をつけて行けや。」
と、言って、大きい キビの団子を 三つ 作って 桃太郎を 見送ったそうな。

 桃太郎は 小船に 乗って ぎっこらぎっこら 沖に向かった。
「米、あわ、さらった 鬼どもめ。塩っこ 奪った鬼どもめ。娘っこ 泣かした 鬼どもめ。
日本一(にっぽんいち)の 桃太郎が きっと 退治して みせるわい。
ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。」
桃太郎は 元気に 歌いながら すうーいすうーいと、沖に向かって 行ったそうな。

 桃太郎は 船を漕いだ。ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。
ゆくが ゆくが 犬が島に 着くと イヌが言った。
「桃太郎どん、桃太郎どん。して、どこぞへ いかっしゃるのかいな。」
「鬼が島へ 鬼退治じゃ。」
「お腰の もんは はて なんじゃいな。」
「日本一の キビ団子。」
「一つ くだされ、仲間に なろう。」
「一つは ならん。半分 やろうぞ。」
桃太郎とイヌは キビ団子を 半分ずつ 食べて 仲間になった。

 桃太郎とイヌは 一緒に 船を漕いだ。ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。
ゆくが ゆくが 猿が島に 着くと サルが言った。
「桃太郎どん、桃太郎どん。して、どこぞへ いかっしゃるのかいな。」
「鬼が島へ 鬼退治じゃ。」
「お腰の もんは はて なんじゃいな。」
「日本一の キビ団子。」
「一つ くだされ、仲間に なろう。」
「一つは ならん。半分 やろうぞ。」
桃太郎とサルは キビ団子を 半分ずつ 食べて 仲間になった。

 桃太郎とイヌとサルは 一緒に 船を漕いだ。ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。
ゆくが ゆくが 雉が島に 着くと キジが言った。
「桃太郎どん、桃太郎どん。して、どこぞへ いかっしゃるのかいな。」
「鬼が島へ 鬼退治じゃ。」
「お腰の もんは はて なんじゃいな。」
「日本一の キビ団子。」
「一つ くだされ、仲間に なろう。」
「一つは ならん。半分 やろうぞ。」
桃太郎とキジは キビ団子を 半分ずつ 食べて 仲間になった。

  桃太郎とイヌ、サル、キジは 一緒に 船を漕いだ。ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。
ゆくが ゆくが とうとう 鬼が島に 着いた。
桃太郎は 鬼の館の 門前で 大音声(だいおんじょう)に叫んだ。
「やあ、やあ、にくき 鬼ども、ようく 聞け。
日本一の桃太郎が 鬼を退治にやってきたわい。
さあ、さあ、覚悟、覚悟。」
これを聞いた 鬼どもは、
「なにを こしゃくな あおびょうたんめ。日本一とは へそが よじれるわい。
さあ、やれるもんなら やってみろ。」と、えへらえへらと 笑いながら、ふんぞり返って おった。

 すかさず キジが、きーんと 飛び立って すばやく 門のかぎをあけた。
桃太郎が、「そうれ、やっつけろ。」
と、ほいさかどどどと 門の中に 飛び込んで、青、赤、黒の 鬼どもを ぽいんぽいんとあたりかまわず投げ飛ばせば イヌはかみつく サルはひっかく、キジは空から 突っつきまわった。

 鬼どもは おったまげて 
「あいや、あいや、まいった、まいった。」
と、ちりぢりばらばら 逃げ回った。
桃太郎は「えい。やっ!」と、とうとう 鬼の大将を投げ飛ばし すかさず ねじ伏せてしまった。

 鬼の大将は もはや これまでと 思ってか 手をついて 頭を下げて 降参した。
「どうか 命ばかりは お助けくだされ。
娘っこ、塩、米、あわは お返しもうす。
大きな船と 金、銀、さんごも おあげもうす。」
桃太郎と イヌ、サル、キジは
「えいっ!おう!わん!きゃつ!きーん!」
と、天まで 届く 勝どきを あげたそうな。

 大きな 船は 得手に 帆をあげて 走った。
「塩、米、あわは 取り返したよ。えんやこうら えんやっさ。
かわいい 娘っこ 取り返したよ。えんやこうら えんやっさ。
金、銀、さんごも ざっくざく。えんやこうら えんやっさ。
桃太郎と イヌ、サル、キジは、娘っこらの手拍子で、歌って 踊って、無事を 祝ったとさ。
えんやこうら えんやっさ。えんやこうら えんやっさ。

 桃太郎は 村に帰ると 一番 お気に入りの 娘っこを 嫁にもらって、ほくほく 喜んだ。
桃太郎夫婦は じっさまや ばっさまと 仲良く 楽しく 暮らしたってさ。

 めでたし、めでたし。はい、これまで。

 

「私だけが百(ひゃくけん)を好きならいい」 佐野 洋子

2014年02月28日 00時10分56秒 | エッセイ(模範)
 「私だけが百(ひゃくけん)を好きならいい」 佐野 洋子  「覚えていない」より 2006年 

 今や女は、何にでもなれる。偉い学者も居れば、宇宙飛行士も居る。ダンプの運転手も小説家も居る。
しかし、なれないなあと思うのは永井荷風と内田百ではないか、というのが私の意見である。
無理すれば深沢七郎みたいなバアさん(小説は別だけど)には、なれない事もないかなあと思う。

 若い時、夏目漱石は読んだが、内田百など、読みたいとも思わなかった。
百という字が、何か近より難。一方的にシンキくさいと思い込んでいた。

 中略

 一年に一回、自分のためのパーティーを借金しながら、ホテルやらで開く。
摩阿陀(まあだ)会というのは、マアダ死なないからで、自分は、医者と坊主の間に座り、
医者は「寝てばかりいてはいけませんよ。成る可く起きている様になさらないと」と言い、
坊主は「今は大変こんでいる。暫くお待ち下さい。すいたら知らせます」などと言って、
お客は、「未だ百は死なざるや、まだ百は死なざるや」と歌ったりする。

 ねえ、こういうバアさんにはなれないでしょう。バアさんがやったら変で、様にならない。
しかも、今のバアさんはますますなれない。
これは、もはや現代に、百先生の様な変な人は出て来られない世の中の仕組というものになり、
これはどうしても明治時代に生まれた人でなければならない。

 何故(なぜ)明治と言われてもさだかにはわからないが、絶対に明治に生まれた人でなければならない。
何故だかわからぬが、おのずから品格というものが違う。時代の品格というものがあるのだ。

 中略

 百先生とその大哲学者は法政大学で同僚だった事があったそうだ。
私は内田百はどんな人でしたかとうかがうと
「いや、あれはゆかいな人物であった。
ある日、百は、ひげをそって来た。すると、ドイツ人の教授は『お前のひげはお前一人のひげではない。
我々は長年お前のひげに親しんで来た。勝手は許さん』と言ったのだ。
すると百は、『僕は、僕のひげに見物料というものをもらった事がない。今までの分を払ってもらおう』
と言ったのだ。いや実にゆかいな人物であった」
私はその九十四才の哲学者が大正、昭和と長々と生きて来たのに、
何か、なつかしい私の知らない明治という時代の香りを感じたものだった。

 私の囲(まわ)りにもう明治がずんずん消えてゆく。淋しい。しかし、私には内田百がある。
内田百がどんな大文学者か、私の様なものが、その文学について、何も言えないが、
現代のどんな名文豪と言われる人のものも、何かどこかトゲトゲしくて気が小さい。
百先生は、話し始めたら、あちらこちら、やたら勝手に話題を自由に広げ、
それが、どんなにつまらないささいな事でも、口をあけて、ポーッとききほれてしまって、
時々、フ、フ、フ、と笑えて、知人変人で、金策に走り回っているのに、
何かでっかい海にただよっている様な気分になれる。
お金を貸して下さいというのに、どうして、ちっとも下品でいやらしくないのだろうか。
やたらリアルなのに、夢か幻か。
恐いと思えば、おかしい。
本当は世界で私だけが内田百好きならいいなと思っている。

「百姓女 たよ」 木下 順二 

2014年02月26日 00時16分19秒 | 民話の背景(民俗)
 「百姓女 たよ」 木下 順二 1954年 ラジオの朗読台本 (朗読者 山本 安英)

          木下 順二集 11巻 岩波書店 1988年

 「女工哀史」はリメイクしたいと思ってる作品。
それで調べていたら、木下 順二が「女工哀史」という作品を書いているので、
図書館で借りてきた。

「絵姿女房」「女工哀史」「百姓女 たよ」の三つの作品が朗読台本として書かれたようだ。
「女工哀史」はその中のひとつの作品。
意外と短い作品(8ページ)なので驚いた。

 他に、「女工哀史」細井 和喜蔵、「わたしの女工哀史」高井 としを、
の二冊も借りてきて、その分厚さに、なかなか読む気力がわかないでいた。

 借りてきて10日くらいして、やっと手にしたのが木下 順二だった。
そして見つけたのが、以下に紹介する文章。

 「百姓女 たよ」の書き出しから、少ししたところに書いてある。 

 「縁切寺というお寺の話を聞いたのは、たよが まだ少女の頃のことだった。
村一番の物知りのじっさがその話をしてくれた。
その物知りのじっさというのは、顔中一杯切りこんだような深いしわのある、
しかし、てらてら禿げの大入道で、たよたち村の娘が集まっているところへやってきて、
娘たちのもっともはずかしがりそうな話をしては、
キャッキャッと、娘たちを笑わせるのが、何よりの楽しみであるらしかった。
縁切寺の話も、顔をまっかにしてキャッキャッと笑いながら、たよたちは聞いた。

  ― ― ―ええか、何でも若え時に仕込んどいて、これが無駄だというもんはねえだ。
よう聞いて、ようおぼえとけ。

 というのが、そのじっさの決まり文句だった。
そして、さもさも 尤(もっと)もらしく、一大事をこれからうちあけるといったようす(様子)で
話し出すじっさの調子に、たよたちはいつもすぐ乗せられてじっさの顔に目を集めた。」

「声の道場」 山村 庸子

2014年02月24日 00時27分11秒 | 日本語について
 「声の道場」 日本の声があぶない  山村 庸子 著  一世出版  2010年(平成22年)

 <謡(うたい)を習いに来る人たち> P-16

 謡や仕舞を教えさせて頂くようになって十五年を越しますが、この頃お稽古を始められる方たちの
雰囲気が変わってきました。

 以前は趣味として、または能を観るためにという方がほとんどでした。
そういう方たちはもちろん稽古が面白くなり熱心に来て下さっています。
が、最近みえる方は、ちょっと違うのです。
何かなさっていることがあり、そのために謡を稽古したいという、目的がはっきりしている方が
多いのです。

 中でも演劇をしている方が多く、「すぐ喉を痛めてしまう」とか、「広い劇場で声が通らない」とか。
「声を作るために声楽のボイストレーニングに行ってみたけれど、セリフを言う時に違和感がある。
日本語の発声には何かいい修練の方法があるのではないか」という方も。
また、語りや朗読を本格的になさっている方もみえました。

 その中のプロとしても活躍中の方に、「素晴らしいお声・表現力だし、お忙しいのにわざわざ
お稽古にいらっしゃらなくても」と私が言った時のお話です。
「いろいろな分野の役者さんたちが出演する演劇公演があり、それを観に行った時の事。
広いホールの三階席にいて、はっきりセリフが聞こえたのは能・狂言の役者さんたちだった。
とくに現代演劇の方たちのセリフはよく聞き取れなかった。
同じ公演にもう一度行き、その時は前列の舞台際で観ていたところ、驚いたことに三階席で聞き取れ
なかった声が今度は大き過ぎて聴きづらく、能・狂言の方の声は三階席と同じように聞こえた」

 そういう経験から、「日本の言葉を語る上で、より良い発声を求めるならば謡を稽古するのが
いいのではないか」と思ったそうです。

「親子で楽しむこどもの本」 谷川 澄雄

2014年02月22日 00時07分29秒 | 民話(語り)について
 「親子で楽しむこどもの本」 谷川 澄雄 著  にっけん教育出版社
 

 長く語り伝えられてきた民話には、人々の心を深くとらえる力があります。
ですから、ただ一回の読み、語りでは、その深さを味わいとることはむずかしいと思います。
読み、語る工夫を重ねることによって、幼いこどもたちの心を深くとらえることができると思うのです。

 炉端で語られた民話については、忘れることのできない情景があります。
それは、もうずっと前のことになりますが、
NHKの新日本紀行というテレビでとりあげられた雪深い小千谷の山里の炉端のことです。

 「しんしんと雪が降っています。
囲炉裏には赤々と火が燃え、吊りかぎにかかった鍋からは湯気が立ち上っていました。

 老いたばあさまが、唇をつかって糸をよっています。
その唇は長い年月の糸よりで深くひびわれていました。
 その向かいには頬の赤い少女がすわって食い入るように、ばあさまを見つめています。

 ばあさまは、「六地蔵」の話をぽつりぽつりと語っていきます。
糸を唇に持っていくたびに話はぽつりと切れます。
少女は、そのとぎれのたびに、それからどうなったのかと話の先を催促しています。

 炉の木がときどきはじけて燃え上がる音のほか、まったく物音ひとつしません。
ほんとうに静かな雪に埋もれた山里の囲炉裏端です」

 民話を語るというのは、こういうことではないかと思いました。
大勢の人を前にして一気に語ってみせるというのでなく、ほんとうにたどたどしいまでに、
ゆっくりと間を取って語っていくこと、それが民話の語り聞かせではないかと思ったのです。
その語りのとぎれの間に、聞いている子はどんなに広く、深く想像力を働かせることでしょう。

 テレビの語りにもよいものがありますが、どうしても一方的な流れ込むままになってしまい、
想像力を働かせようと思っても、たちまち画面にあらわれては消えてしまいます。

 ですから、ときにはまだるっこしいほど間を取って、こどもの表情を見ながら読み聞かせたり、
語ったりするのがいいと考えます。