民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「空想科学 日本昔話 読本」 柳田 理科雄

2012年12月30日 00時20分51秒 | 民話(語り)について
 「まえがき」  「空想科学 日本昔話 読本」 柳田 理科雄 株 扶桑社 2006年

 きっかけは、ある年配の方に「どんな本を書いているの」と尋ねられたことだった。
「ウルトラマンが本当に現れたらどうなるか、現実の科学で研究しています」と答えると、
まったく要領をを得ない面持ちで「ウルトラマン?よく知りませんねえ」とおっしゃった。

 ご年齢を考えれば当たり前なのだが、ちょっとした衝撃だった。
われらのウルトラマンを、ある世代から上の人は知らない。
すると彼らは、どんなヒーローに憧れて育ったのだろう。

 鞍馬天狗か、笛吹童子か。その前の世代、源義経など歴史上の人物か。
ならばその前は?
このように考えていくと、ある一群が浮かび上がってきた。
昔話の主人公たちではなかったか。
考えてみれば、彼らも物凄い人たちである。
一寸法師は自分よりはるかに大きな鬼を倒し、
桃太郎は犬 猿 雉子という兵力で鬼の大軍勢を屈従させる。
わらしべ長者が一本のわらから巨万の富を得れば、かぐや姫はたった三ヶ月で美しい乙女に成長。
なんと思い切った設定。
そしてパワフルな展開であろう。

 ウルトラマンや仮面ライダーがそうであったように、彼らもまた 子供たちの憧れを 
全身で 受け止めてきたのではないだろうか。
ゆえに、その横顔や行跡には、人間の想像力が限界まで注ぎ込まれているに違いない。
ならば 科学の力で、その実力を見極めてみようではないか。

 昔話に科学。
無謀のようでもあり、愚行のようでもあるが、筆者は信じている。
いかなる対象も、疑問や興味を抱き、データを集め、技能を磨き、自分の頭で徹底的に考えれば、
それまでになかった新しい何かが生まれる、と。
はるか昔から多くの子どもたちに愛されてきた人々が、何を見せてくれるか、楽しみでたまらない。

 こうして研究を初めてみると、あることに気がついた。
細部を確かめるために本を開くと、自分の知っている話と微妙に違うのだ。
本によって、食い違うことも多い。
それもそのはず、昔話は口承文化であるから、語り伝えられているうちに、
語り手の脚色や改編が加えられて当然である。
子どもや孫を少しでも喜ばせたい、わくわくさせたい、あるいは 陰惨すぎる場面は聞かせたくない。
そうした愛情が、昔話をバージョン豊かにしているのだろう。

 味噌汁の味が家庭によって違うように、人々の心の中にある昔話も、さまざまである。
本書は筆者が知っている昔話を材料にして書かせてもらった。
あなたが知っている昔話と違う点があったら、
それこそは 人みな それぞれに愛されてきた証拠なのだと思う。

「貧乏神と福の神」 まんが日本昔ばなし 

2012年12月28日 00時16分15秒 | 民話(昔話)
 「貧乏神と福の神」 まんが日本昔ばなし 講談社

 むかしむかし、ある村に、そりゃあ もう 貧乏な男が 住んでおった。
いくら働いても、暮らしは ちいっとも 楽にならん。
「わしゃ、なんで こう いつまでも 貧乏なんじゃろう・・・」
男は 近頃では、もう 働く気もなくして、毎日、ただただ ぼさあっと しておったそうな。

 実は、この家の天井裏に、ずっと以前から、一人の貧乏神が 住み着いておったのじゃ。
「いっひっひっ・・・。わし、貧乏神。
この家は 住み心地 よくってのう、ずうっと 住み着いておりますじゃあ。」
 これじゃ、いくら 働いたって、貧乏と縁の切れるわけがない。
気の毒なことよのう。

 村の人たちは、そんな暮らしぶりを みるにみかねて、この男に嫁ごを世話してやったと。
これが まあ、めんこい嫁ごで、男は大喜び、もう でれんと しておった。
 ところで、この嫁ごの よう 働くこと。
朝は 暗いうちから 畑に出て、家へ帰れば、まきわり、水くみ。
毎日、忙しく、よく働いた。
その上、朝晩 ちゃあんと 神棚に お供えをして、
「神さま、今日もよろしゅう。」と、手を合わす。

 さすがの貧乏神も、お供えをされた上に、こう ていねいに おがまれたんでは、気がひけてしもうた。
が、そこは 厚かましい 貧乏神のことじゃ。
「なになに、うーん、うまそうな 団子じゃあ。」
と、ちゃっかり 手を伸ばして ごちそうになっておった。

 なにしろ 嫁ごが こう 働きものでは、男も じっとしている わけにはいかん。
つられて働くうちに、家の中も うーんと きれいに なってきた。
そうなれば 張り合いも出る。
二人は、力を合わせて、せっせと よう 働いた。

 そうなると 困ったのは 貧乏神。
家の中は すっかり きれいになるし・・・、なんだか 居づらくなってしもうた。
「わしゃあ、どうすりゃ いいんじゃろう。」
夜 遅くまで働く 二人の姿をながめながら、貧乏神は しょんぼりと ため息をついておったそうな。

 こうして 何年かが過ぎ、ある年の大晦日のこと。
「さあ、しおじゃけも こうたし、少しだが 餅もついた。」
「これで、ゆっくり 正月を迎えられますだ。」
二人が いろりばたで 話しておると・・・、
「うえーん、うえーん。」
どこからか、人の泣くような声がする。
「な、なんじゃろう?」
「さあ、なんでしょう。」
二人は 顔を 見合わせた。
「天井裏の方から 聞こえてきますだ。」
男は はしごをかけ、天井裏にのぼった。
驚いたことに、そこには うす汚いじいさまが 一人すわって、
悲しそうに、うえーん、うえーんと 泣いておった。
男は すっかり たまげてしまった。
「あんた、いったい 誰かね?」
「わしゃ、この家に むかあしから おる 貧乏神じゃ。」
「び、貧乏神!」
「そうじゃあ。なのに、おまえら夫婦が あまり よう 働くんで、
わしゃ とうとう この家に おれんようになっただ!わあん、わあん、わあん。」
男は、自分の家の 守り神が貧乏神ときいて、ちょっとがっかりしたが、それでも神さまは神さまじゃ。
「わけを話してくだされ。」
と、下に降りてもらい、神さまの話を聞いた。
貧乏神がいうには、今夜、この家に 福の神が やってくると。
 で、かわりに 貧乏神は 出ていかねばならないんだと。

 男も嫁ごも 気の毒になってきた。
「せっかく 今までいたんじゃ、ずうっと このまま いてくれてええだ。」
貧乏神は 夫婦の優しい言葉に、ますます 声を張り上げて泣いた。
今度のは うれし泣きじゃ。
 なにせ 貧乏神、どこへ行っても 嫌われてばっかり。
これほど 情けのある言葉は 初めてじゃった。
が、もう じき 福の神がやってくる。
がりがりの貧乏神は 簡単に 追い出されてしまうにちがいない。
「そうだ!わしに もちを食わせてけれ、もち 食ったら 福の神にも負けやせん!」
二人はなるほどと うなずいて、さっそく 貧乏神のために もちや 魚、酒などを用意した。
「ひゃあ、うめえ。はあ、うめえ!むしゃむしゃ。」
貧乏神はだされたごちそうを息もつかず、あっという間に きれいそっくり たいらげてしまったと。

 さて、いよいよ 夜も更けて 除夜の鐘が鳴り出した。
もうすぐ 新しい年がやってくる。
 ごーん、ごーん。
鐘は 神さまが 交代する合図じゃ。
 やがて とんとんと、戸を叩く音がした。
「こんな夜更けに いったいどなたですじゃ?」
「福の神じゃあ。」
「がっはっはっ、いやあ お待たせ、お待たせ。はるばる やってきた 福の神でっせ。
もうこの家も 貧乏とはおさらばじゃ。」
福の神が がっは、がっはと 笑いながら 入って来た。
「あ、あんたが 福の神・・・?」

 ここで 引き下がっては 男がすたる、と、貧乏神。
「やいやい、なにしにきた。ここは おらが 長年 住んどった 家だぞ!」
「なんだ、貧乏神、まだおったんか。はよ、出てけ!」
「なにをーっ。」
いやはや、明日はめでたい正月というのに、神さまが 二人 にらみあいをはじめた。
男と嫁ごは、ただ おろおろ。

 貧乏神は 福の神にとびかかったが、福の神はびくともせん。
「なんの、なんの、こんな がりがりのやせっぽち、すぐに追い出しますけん。」
「くそううっ、わしだって もち食ったんだぞ。おうっ、おうっ。」
 だが 福の神は強い。貧乏神を軽々と つり上げ 放り出そうとした。
「あっ、あぶねえ!貧乏神、負けるでねえ。」
おもわず 叫んだ男と嫁ごに 福の神は 唖然。
「なんで 貧乏神を応援するんじゃあ?」
 夫婦は 貧乏神が あぶなくなると 夢中で加勢をする。
「そうれ、貧乏神、負けるな!わっせ、わっせ。」
 とうとう 三人がかりで 福の神を 外に押し出してしまったと。

 家の外で 福の神は きょとんと 首をかしげるばかり。
「わし、福の神だよね。」
こんな目に あったのは はじめてで、なにがなんだかさっぱりわけがわからん。
「あのう・・・、くどいようだけど、わしが福の神だよねえ。
それで 中に居るのが 貧乏神・・・。
いったいぜんたい どういう こっちゃ。」
首をひねりひねり、すごすごと引き上げる 福の神。
中から 様子をうかがっていた 三人が 出てきた。
「行ったぞ。」
「ほ、ほんとだ。」
「わあい、福の神をおっぱらったぞ!」
と、まあ、おどりあがって、大喜び。
「さあ、これで 安心して お正月を迎えられるべ。」

 そして・・・・、次の日はめでたい お正月。
貧乏神は 屠蘇酒を すすめられ すっかり いーい気分。
「ういーっ、わしゃ 酔っぱらったどー。」
こうして 三人で楽しく 正月を祝ったんじゃ。

 この家は それからも あまり金持ちにはならなんだが 仲良く達者で けっこう 幸せに暮らしたと。
 そうそう、あの貧乏神、いまだに この家の天井裏に おるんだとさ。

 おしまい

「梅津の長者」 福娘童話集 より

2012年12月26日 00時53分21秒 | 民話(昔話)
 「梅津の長者」 福娘童話集 5月27日の日本民話 京都  「恵比寿様と貧乏神」に酷似 

 むかしむかし、山城の国(京都府南部)の梅津というところに、貧しい暮らしをしている夫婦がいました。
 夫婦は今の貧しい生活から抜け出たいと願い、毎日えびすさまにお祈りをしました。
 でもそれは自分の欲からではなく、夫は妻に、妻は夫に、おいしい物を食べさせ、
あたたかい着物を着せてやりたいと願ったからです。

 ある時、男がせりを摘(つ)みに野原に出かけていると尼さんが通りかかって、
困り果てた様子で京への道を尋ねてきました。
 男はていねいに道の説明をしていましたが、なかなかうまく伝わらないので、
男はわかりやすいところまでの道案内をしてやりました。

 そして目的地まで行くと、再びていねいにそれからの道を教えたので、
尼さんにもようやく理解が出来たようでした。
 とても喜んだ尼さんは、
「おかげさまで、助かりました。
 これはわずかですが、私のお礼の気持ちです。
 どうぞお餅でも、買って食べて下さい」
と、男に一文銭を渡しました。
「これはどうも、ありがとうございます」

 男は一文銭を握りしめると、いちもくさんに家へと帰りました。
 そしておかみさんに尼さんとの出来事を話して、さっそく餅を買ってくるように言いました。
 おかみさんも、とても喜んで、
「今日は、何ていい日なんでしょうね。
せりもたくさん手に入ったし、お正月でもないのにお餅まで食べられるのだからね」
と、急いで餅を買いに走りました。

 その一文銭で、餅を二個買う事が出来ました。
 つきたての柔らかくて白いお餅を大事そうに抱えながらの帰り道、
おかみさんは粗末な身なりのおじいさんに声をかけられました。
「そこのお人。どうぞ人助けと思って、このあわれな年寄りに、その餅を一つめぐんでは下さらんか」
 大切なお餅でしたが、おかみさんはおじいさんににっこり微笑むと、
「はい。どうぞ、おあがり下さいな」
と、餅を一つ、おじいさんに渡しました。
 これでお餅は一つきりになってしまいましたが、おかみさんの心は前よりももっと温かでした。

 そして家に帰って、夫にその事を話すと、
「それは、とてもいい事をしたね」
と、男もとても喜び、残りの餅を仲良く二つに割って食べました。

 さて、その夜の事です。
 二人がとても幸せな気持ちで寝ていると、
二人の夢の中に突然えびすさまが姿を現して、こう言ったのです。
「今日はお前たち、大そう良い事をしたな。
 餅をめぐんでやったのは、実はこの家に住みついている貧乏神じゃ。
 その貧乏神がわしのところに来て、涙ながらに言った。
『夫婦のやさしい心根に心をうたれたから、この家を出て行きたい』と、
そしてその代わりに、福の神を呼び寄せて欲しいとな。
 そこでわしは仲間の福の神を呼んで、皆でこの家をもりたてる事にしたのじゃ」

 えびすさまの言葉が終わったとたん、
大黒様(だいこくさま)や福禄寿(ふくろじゅ)、寿老人(じゅろうじん)や布袋(ほてい)さまが次々に現われ出て、
「さあ、ここが新しい家じゃ。皆で祝いの酒盛りだ」
と、酒盛りを始めました。

 そしてお酒がまわり始めた頃、えびすさまと布袋さまが相撲をとることになりました。
 見事な名勝負の末、二人は組みあったまま夫婦の寝ている布団の上に転がりました。
「うひゃー!」
「きゃあー!」
 びっくりした男とおかみさんは、そのひょうしに目を覚ましました。
「えびすさまが」
「布袋さまが」
 二人は同じ夢を見ていた事を知って、さらにびっくりです。

 その後、この夫婦は幸運続きでついに梅津一の大金持となり、人々から梅津の長者と呼ばれました。

 おしまい

「語りによる日本の民話」の発刊に寄せて  

2012年12月24日 00時27分21秒 | 民話(語り)について
 「語りによる日本の民話」の発刊に寄せて  日本民話の会・責任編集

 民話の生命は”語り”にある。
 民話とは 元来、眼に一丁字を持たぬ人々が、その豊かな想像力をことばと音声に託して表現し、時には身振り手振りを交えて 語り伝えてきた民衆の文芸なのである。
ことばや音声は語り手の唇をはなれた途端に空中に消えていってしまう、全く一回限りの生命でしかない。
その一回限りの生命を何とかして文字を通して再生できないものだろうか。
これは全く矛盾したことであるのは 重々 承知の上で、なお敢えて 文字による語りの再生に挑戦してみようとしたのが、この「語りによる日本の民話」の企画である。

 私たちが考えているこの本の読者は ごく普通の民話愛好者たちである。
特に研究者を意識して対象とはしていない。
もちろん、学術的な資料としての価値も 十分備えた民話集であることはいうまでもないが、全国の多くの人々が読んで興味のもてるような内容のものにしたいという希望を編集の中心に据えたつもりである。

 その場合、例えば 青森の語りを鹿児島の人が読んで 直ちに 語りのおもしろさをわかってもらうためには、ことばの壁をのり越える工夫を しなければならなかった。
各頁の下に かなり 丁寧な脚注を施したのは そのためである。

 それなら いっそのこと 共通語に直して 表記すればいいではないかといわれるかもしれない。
しかし それは間違いである。
地域語のもっているリズムや豊かな表現力を抜きにして、語りの世界を再生することはできない。
民話のおもしろさは 話の筋書きではない。

 また この「語りによる日本の民話」には、昔話だけでなく、世間話、村話、現代民話といったさまざまの形の語りが入っている。
昔話には独自の意味と役割とがあったことも承知してはいるが、今度の私たちの企画では 実際に村人たちの日常生活の中で 今日 生きている語りの世界を、全体として再生してみたいという考えに基づいて さまざまのタイプの語りを集めることにした。
民話の語りの世界のおもしろさを 文字を通して再生することは 至難の業であるが、私たちの意図するところをお汲み取り頂けたら 幸いである。

 「女川・雄勝の民話」宮城  岩崎 としゑの語り  松谷 みよ子編 株 国土社 1987年

 編集委員 今村 泰子  渋谷 勲  立石 憲利  樋口 淳  
松谷 みよ子  水谷 章三  吉沢 和夫  米屋 陽一

「鳥呑み爺」 笠原 政雄

2012年12月22日 00時45分05秒 | 民話(昔話)
 「鳥呑み爺」 笠原 政雄  「日本の民話 5 甲信越 山梨、長野、新潟」

 むかしね、じさ 山仕事 行ったと。

 そして 腹 すいたので ご飯食べようと思って、持ってった だんご 食おうと思って 紙をひろげた。
そしたら 前の木のところにね、きれいな名も知らねぇような鳥が ぷぁぷぁぷぁ とたってきてとまった。
それで じさ だんご食おうとしたらね、
(じじぃ じじぃ、だんごくれぇ だんごくれぇ)って、言うたと。
「これはまた 口きく鳥だなあ」
と思って、じさ だんご(ほらっ)って、くれたと。
ひょい って 口ばしにとって ふちゃ ふちゃ って、食ってしまった。
また、(じじぃ じじぃ、だんごくれぇ だんごくれぇ)って、言った。
あんまり かわいいもんだ、みんな だんご 食わしてしまった。
それでも まだ、(だんごくれぇ だんごくれぇ )って、鳴くんだが、
「もう だんごはねえ、この紙ばっかだ」って、紙見せた。包んでいった紙。
そしたら、( じじぃ じじぃ、紙くれぇ 紙くれぇ)
「まぁ、 きれいな鳥だどど、いやしい鳥で 紙まで食うって」って、
ためしに(ほらっ)って、紙を投げてやったら その紙まで ふちゃ ふちゃ って、食ってしまった。
 
 鳥に みんな 弁当食われてしまったんだ。弁当のだんご食われてしまったし、タバコを吸いながら、
あーっ って、言うて あくびかいたと。でっかいあくび。そしたら 何を間違えたか、
鳥はじいさんの口の中めがけて、ぷぁぷぁぷぁ って、飛んできて、腹ん中へ 飛び込んでしまったと。
「あー、おおごとだ、おおごとだ」と思ううちに ストンと腹の中へ落ちてしまって、
そうして やがもご やがもご と 腹の中で 動いていた。
そのうちに へそから羽根が プルッと出たと。
「あー よかった。これじゃ 引っ張りだそう」
と思って、力いっぱい ごつん と、引っ張ったら、腹ん中で 鳥が鳴いたって。
どういって鳴いたかと思うたら、

(あや ちゅうちゅう、こゆ ちゅうちゅう、錦(にしき) さばさばさば、
五葉(ごよ)の 盃(さかずき)、もってまいりましょう、ピピラ ピー)って、いうて 鳴いたと。

 これはおもしろいと思って、また こちん と、引っ張ると、また、

(あや ちゅうちゅう、こゆ ちゅうちゅう、錦(にしき) さばさばさば、
五葉(ごよ)の 盃(さかずき)、もってまいりましょう、ピピラ ピー)って、いうて 鳴くだ。

 そいで じさもたまげて、仕事もしないで うち帰ってきて、
「ばさ、ばさ。じつは 鳥がオレの腹の中 たちこんでしまった。
そいで、へそから 羽根が出てるんだけど、おめぇ ひとつ 引っ張ってみて くんないか」
「よーしかあ」
って、ばさはたまげて、へその羽根 引っ張って、そしたら同じく、

(あや ちゅうちゅう、こゆ ちゅうちゅう、錦(にしき) さばさばさば、
五葉(ごよ)の 盃(さかずき)、もってまいりましょう、ピピラ ピー)って、鳴くって。

「じさ、これおめぇ、ばかしにいい声の鳥だすけえ、おめぇあの がいろばた行って、
あの日本一の歌うたい爺だいうて、金もうけさっせ」
「それもそうだか」っていうんで、がいろ一の歌うたい爺だって歌ったって。
そのがいろに立ってたと。そしたら そこへ 殿様が来て、
「そこにいるのは何者だ」って、言うた。
「いや 日本一の歌うたい爺だ」って、言ったと。
それで「歌ひとつ 歌ってみれ」って、言うんで、その羽根コツンと 引っ張ったら、

(あや ちゅうちゅう、こゆ ちゅうちゅう、錦(にしき) さばさばさば、
五葉(ごよ)の 盃(さかずき)、もってまいりましょう、ピピラ ピー)って、鳴いたつうだね。

 それで 殿様は あんまりいい声なんで ほうびを たくさんくれたと。
そんで 爺さ 今度は、その羽根 引っ張っちゃあ、町中 歌うとうて 歩いていたと。
それで だいぶたってから ポツンと引っ張ったら、羽根が ポロンと もげてしまって、
それっきり 鳴かないようになったと。

 いきが ぽーんとさけた。