民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「骨董屋という仕事」 青柳 恵介

2014年04月30日 00時14分44秒 | 雑学知識
 「骨董屋という仕事」 青柳 恵介 著 1999年

 後藤さんは昭和10年生まれ、30年以上勤めた老舗の骨董店を退社して独立した骨董店の主人。

 後藤さんの先輩には幾人ものプロ中のプロという感じの方たちがいた。
そういう人たちに一体どういう教育を受けて目の確信を得たのかと聞くと、
一流の店で修行した人たちが異口同音に語ることは、
「教育」というようなことは何も受けなかったというのである。

 後藤さんも先輩から「小学生に大学院で教えてることを話してもしょうがない」
と言われたこともあったらしい。

 私の推測だが、教えないということが一つの教育だったのではあるまいか。
教えないことが、自主性、自発性を伸ばしたのではなかろうか。
感覚は、いくら知識を注入しても育たない。
むしろ知識は感覚を侵(おか)し、感覚の働きを鈍くさせる。

 まったく活字を読まない人の中に、
光るものを発見する才能の持ち主がしばしばいることも思い合わされる。
これを徹底的に見ろとも言われないで見る視線は「盗み見」あるいは、「垣間見」の視線である。
魅惑的なものを自らのうちに取り込む視線、別の言い方をすれば、見ることの最大の快楽は、
「盗み見」「垣間見」にこそあると言えるかもしれない。

 名品が次から次に流れて行くような環境にあっては、むしろ目が飢えるような環境を作り出すために、
教えない、とりたてて見せないという状況が積極的な意味を持ってくるのである。
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「金田一京助先生のこと」 松本 之男

2014年04月28日 00時34分59秒 | 雑学知識
 「金田一京助先生のこと」 松本 之男(55才) 

 今日(4月26日)、図書館に行った帰りに、下野新聞ニュースカフェに寄った。
コーヒーでも飲みながら、図書館で借りた本を読もうと思ったのだ。
 待っている間、なにげなく本棚を見たら「とっておきのいい話」というタイトルの本が目に入った。
エッセイを書くのになにかヒントになることないかな、と手に取って読んでいると、
ほんとにいい話に見つけたので、パンフレットの白紙のとこに書き写した。

 書いた人の妹が金田一先生のところで家事見習いをしたことがあって、その時、聞いた話らしい。
 金田一先生は四人の子どもを授かったが、お金がなく、医者に見せてやれずに、
生まれてまもない三人の子どもを亡くし、たった一人、春彦が生き残った。

 前略

 金田一京助先生は「春彦には命の恩人がいます」と言って、次のような話をしてくれた。
「息子にも召集が来て、戦地へ向かいました。
数ヶ月が過ぎたころ、『日本軍の命運をかけた大作戦を行うが、もしかしたら最後になるかも
分からないので面会をしておくように』との上官の話があった。

 この手紙が届き、私は春彦の言う研究論文を持って急いで船で朝鮮に渡り、息子と面会をしました。
春彦が一心不乱に自分の研究論文に目を通して誤りを訂正しているところに上官がやって来て、
『君は何をしているのか』と尋ねられました。
息子が『私は自分の研究論文が遺書になるかも分かりませんので、
心残りがないように最後の見直しをしております』と答えると、
上官から『君は今度の作戦に参加しないでよろしい』という命令が下されました。
あの時に作戦に参加された兵隊は全員戦死されたそうです。
今、思うと、あの時の上官の一言が春彦の命を救ったのです」
と、静かに話してくださいました。

 後略


 所載「とっておきのいい話」 下野新聞社 平成11年
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「志村 ふくみ」 白洲 正子

2014年04月26日 00時19分18秒 | 雑学知識
 「志村 ふくみ」 出典「美は匠にあり」 白洲 正子 著

 前略

 だが、ふくみさんが草木染めに集中するようになったのは、そう古いことではない。
最初は化学染料でも、同じように染まるのではないかと思っていたが、
併用しているうちに両者の違いがはっきりと見えて来た。
化学染料を用いた作品には、何か異質な感じがあり、植物染料の方は自然と同じ次元にある。
人間の血に通うものがある。
そのことに開眼して以来、彼女は草木染めのとりことなった。
現代でも「草木染め」と称するものは少なくない。
が、どこか感じが暗かったり、泥臭さからぬけきれぬものが多いが、だんだん工夫して行くうちに、
明るく透明な色彩が出せるようになり、これが千年前の日本の色ではないかと信ずるに至った。
同じ木や草にも、切る時季があることも知った。
そういうことを昔の人は、経験から熟知しており、あまり当たり前のことだから、
何も書き残していない。
同じようなことは他にも沢山あって、染め織りに拘わらず、現代の工芸作家が苦心するのは、
そこの所なのである。

 中略

 「いわば花の命を私はいただいているわけですね。
ほんとうは花が咲くことが自然なのに、私が横どりするのだから、申しわけないのですけれど、
織物の上に花が咲いてほしい、咲かせねばならないという責任感が湧いて来て、・・・・・
それでますます深入りしてしまうんですよ」
 「花の命は短くて」というけれども、志村さんの手によって、永遠に生かすことができるならば、
植物にとってこれほど幸福なことはあるまい。
そこに志村ふくみの織物の秘密がある。
同じ染料を使っても、同じ色が出せない作家はたくさんおり、
それは本人のひたむきな努力によるとしても、天性の素質も多分あるに違いない。
志村さんの言葉を真似ていえば、彼女の体内には、自然の花と同じ血が流れており、
同じ次元で脈打っているのであろう。
その証拠には、健康な時には、糸もいい色に染まるし、藍もよく発酵するという。

 後略

 志村 ふくみ(1924年(大正13年)9月30日 - )は、日本の染織家、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)、随筆家。
草木染めの糸を使用した紬織の作品で知られる。
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「老木の花」 白洲 正子

2014年04月24日 00時36分12秒 | 雑学知識
 「友枝 喜久夫」 老木(おいき)の花  出典「美は匠にあり」 白洲 正子 著

 前略

 私がなぜこの本に「老木の花」という題名を与えたか、それは私の造語ではなく、
世阿弥が父親の観阿弥を評した言葉に、・・・年をとってからは、舞台の花はすべて初心者にゆずり、
自分自身は控えめに、はでなことは一切しないでいたが、
それにも拘わらず「花はいやましに見えし也。これまことの花なるが故に、
能も枝葉もすくなく老木になるまで花は散らで残りしなり」(花伝書)によったものである。

 そのほかにも、「老木に花の咲かんがごとし」という形容を世阿弥は度々用いており、
老人になってからの芸がいかに大切か、人生の最後に咲いた花こそ、
「まことの花」であるとくり返し説いている。

 先に述べたようにそれは日本の文化一般に通じる思想であって、
西洋の芸術が若さと力の表徴であるなら、
これは人生の経験を積んだ後に到達することのできる境地と呼べよう。
私はどちらがいいなどといっているのではない。ただ年をとるということは、
ある意味では生涯で一番楽しい時期ではないかとひそかに思っているにすぎない。
というのは、若い時には知らずにすごしたさまざまなものが見えて来るからだ。

 後略

 友枝 喜久夫 (ともえだ きくお。1908年9月25日 - 1996年1月3日) は
昭和期に活躍した喜多流の能役者。
特に三番目物を中心としてすぐれた境地を見せ、「最後の名人」の名をほしいままにした。
 熊本藩お抱えの能役者の家に生れる。
父友枝為城及び喜多流十四世宗家喜多六平太に師事。
老境に入って目を病み半ば失明状態となったため、
1990年の『景清』を最後に能を舞うことはなかったが、最晩年まで仕舞によって舞台に立ちつづけた。
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「読んであげたいおはなし」 松谷 みよ子

2014年04月22日 00時35分17秒 | 民話(語り)について
 「読んであげたいおはなし」 下巻  松谷 みよ子 著

 あとがき

 「トント昔のさる昔 有(あ)ったごんだが 無(ね)えごんだったが
トントわがり申さねども トント昔ァ 有ったごどぇして 聞かねばなんねェ え」


 羽前小国(うぜんおぐに)(山形県)ではかく申しきかせてから昔を語ったという。
村むらの語りを聞くた旅をして四十年余り経った。
異郷との出会いであった。

 昔話はそそり立つ山に似てそのふところは深く、
雄大な語りもあれば岩かげに咲く一輪の花のように可憐な語りもある。

 魅せられて筆で語りをと、書きためたもの、新たに加えたもので、百話を選んだ。
この巻には秋と冬の話を収めてある。
 
 どうか声にして語っていただきたい。
幼い人へ若い人へ、この豊醇(ほうじゅん)な世界を伝えてと、願いつつ。

 2002年1月 
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