民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「語りの力と教育」 その10 高橋郁子

2014年07月31日 00時06分51秒 | 民話(語り)について
「語りの力と教育」その10 高橋郁子

第2節 「ショー」化した語り

 活字化した昔話を語りだした人たちは、
「新しい語り手」「現代の語り手」「都市型語り手」と呼ばれる。
櫻井美紀氏によると新しい語り手は1890年代、アメリカ各地の図書館に
「ストーリー・アワー」が設けられたことがその抬頭を促したという。

 1911年には、後に日本の口演童話の草分けの一人となった久留島武彦が文部省の嘱託として
アメリカの図書館の「ストーリー・アワー」の視察をし、
日本の図書館にストーリーテリングを紹介したという。

 その後、太平洋戦争でこの動きは途絶え、1960年代に入り、
アメリカのストーリーテリングを学んだ児童文学者や図書館員らによって図書館の児童奉仕として
注目を集めたという。
1970年以後、ストーリーテリングが市民文化活動に影響を与えたのは
当時の図書館側の指導によるという。
(美紀)櫻井美紀氏は、この「新しい語り手」について、

「この百年の間に出現した『新しい語りとその語り方』は、
伝統的な語りの文化から見れば異文化であるかもしれないが、
この新しい語りは、現代の社会環境の中で、
希望を見出すことのできる重要な文化となりつつあることを指摘しておきたい。
(美紀P44」と述べている。

 櫻井美紀氏が1993年度に行った「語りの調査」で「昔話を、なぜ語りたいのですか」
という問いの回答の中に、「聞き手と共感でき、幸せを感じる」
「聞き手とともに自分もゆったりする」
「語ってくれた人を思い出し、心にぬくもりを感じる」
「精神の安定を保てる」という回答があった。

 これは、語りではあるものの、やはり聞き手との「会話」が
語りの根本に潜んでいるからではないだろうか。
最近は学校が地域住民を招いて地域活性化を図っているところが多いが、
主婦が「読み聞かせ会」を行っている事例がある。「日本経済新聞(2001.9.20)」
では、地域の主婦たちが読み聞かせの会を行っており、
「主婦は自分も楽しみながら子供たちと接することができ、
やりがいを感じることも多いようだ」と紹介されている。

この「新しい語り手」たちはこのように活字化されたものを読み上げたり、暗記して語る。
これは再話されたものである。

「語りの力と教育」 その9 高橋郁子

2014年07月27日 00時04分29秒 | 民話(語り)について
「語りの力と教育」その9 高橋郁子

 第1節 「遠い記憶への憧れ」

 昔話の持つ伝承の力は独特な魅力を持ち、人々を引きつける。
語られる昔話が研究家の手によって活字化され、
それに引き付けられた文学者がさらに文学作品として昇華させていった。

 そのうちに活字から昔話の世界に入る者も出現し、
さらにはテレビアニメにより昔話を観賞する子どもも現れた。
水沢氏は社会の動きに反応する語り手の変化を次のように嘆いている。

「昔話は本来、口で語り耳で聞く語りのために、こういう擬態語が耳に残るように、
自然に、効果的に使われている。

 このごろのテレビばかり見ている近代的なおばばのムカシカタリには、この擬態語が脱落して、
まったく迫力にかける。(水沢4 p10」「現在は、もう昔話伝承の糸がきれかかっている。
村や家や小学校の生活のなかで、昔話の語りの場を失ってしまったかに見える。

 昔話は口で語り、耳で聞くというところが昔話の生命で、そこに人間的なふれあいもある。(同p14」

 水沢氏は晩年昔話を取り巻く状況の変化を嘆いていたが、
氏が精力的に収集していた昔話を活字として目にし、それにひかれて語り出した人々の出現には、
水沢氏は気がついていなかったようだ。

「語りの力と教育」 その8 高橋郁子

2014年07月25日 00時13分50秒 | 民話(語り)について
「語りの力と教育」その8 高橋郁子

第4節 「語り手の心」

 それでは、良い語り手とはどのように育っていくのだろうか。

「ずばぬけて豊かな伝承者が育っていくためには、
まず、昔話が語られ、聞いたという伝統的な環境の感化があった。
(略)家庭の環境としては、その家に抜群の語り手がいて、
その人から聞き告いだのが昔話の主流をなしている。
祖母から孫への伝承がもっとも多く、その次は母から子へ、祖父から孫へ、
父から子への順となっている(水沢4 P4」

 元来、昔話とは何のために語られていたか。
水沢氏は、古くは村に昔話の夜語りの場があったことや、村の子どもがお宮に集まって、
昔話のカタリコトをしたというのは大人がお宮で昔話を語った名残をとどめているのではないか
と指摘している(水沢4。また、かつては小正月のトリオイコヤのなかで、
村のカタリジサが子どもに昔話を語ったという事例も報告し、

「神に昔語りを語り献じて、予祝し感謝するという昔話の信仰的機能を知ることができる。
(水沢4 P5」と述べている。

 昔話は文化、信仰といった、生活のすべてを若い人たちに伝承していく場だったのかもしれない。
語りの場が変遷していってもその語りを伝える人々の気持ちは同じだった。

「好きだということが、やがて数多くの昔話を覚え、
一流のカタリバサやカタリジサとなることにつながっていく(略)人間、好きなことを語るとき、
もっともいきいきとしている。
(略)昔話を語りつづけているうちに気がサッパリして、
だんだん病気がなおってきたくらい好きだった。

 このように、研究者などにより、語りの場を失っていた昔話は、
研究対象として語りの場の中に蘇った。

 しかし、高齢者の手から離れていった昔話もあった。

「語りの力と教育」 その7 高橋郁子

2014年07月23日 00時47分26秒 | 民話(語り)について
 「語りの力と教育」 その7 高橋郁子

「蘇った語り」

 また、話を昔話に戻し、形を変えて戻ってきた昔話を検証したい。
昔話の古い形での語りは姿を消したものの、その記録は研究者達により残されていた。

 しかし、問題点があった。
「なぜならば、そこにはせいぜい素材が提示されているだけであって、それがどのような意味をもち、
どういう教育的効果があるかなどは、いっさい述べられていないからである。
(略)地域社会において理想的な社会科教育を実施するためには、ほかの場合と同じように、
この場合もまた、まっさきに地域社会そのものの調査、
すなわち郷土研究から出発しなければならなかったのである(桜井P19」

 水沢謙一氏はその時代の小学校長であり、昔話研究者の旗手となった。
水沢氏は当時の様子を次のように記している。

「いまは、村の老女などは、自分の話を聴いてくれる人を待つさびしき人が多く、
たずねていけば喜んで語ってくれるだろう。
話は幼い日の青空にも似て、純な思い出と微笑みにあふれている。
昔話をきかせてほしいと頼まれて怒る人はいない。
(略)何のために昔話を集めるのか、その採集の意義なり、研究の意義なりを、
しかつめらしくなくやわらかに話して理解してもらうことも大切だ。
それがまた、語り手が人生意気に感じて、積極的な姿勢で語ってくれるようになることを、
私は経験している。(水沢3 P273」

 また、地方自治体の高齢者の文集の編集に携わった経験者も次のように述べている。

「原稿にはならないけれどもそれに付随したり、あるいは全く関係のない話の中でも
わたしどもが教えられることが沢山ある。
それに始めは遠慮されて中々話もとぎれがちだが、次第に話に力が入り熱がこもり、
顔に生気さえ帯びてくることが常である。Y生(P151こつ」

 高齢者はよく「知識の宝庫」「知恵袋」と称されるが、相手がいなければ効力が発揮されない。
それどころか力が失せていくようにも思われる。

 語りは聞く者にも、語る者にも力を与えるものなのではないだろうか。

「語りの力と教育」 その6 高橋郁子

2014年07月21日 00時41分36秒 | 民話(語り)について
 「語りの力と教育」 その6 高橋郁子

「口を閉ざす語り手」

 昔話の場の変化を考察する前に、この章では家庭内で語りを行っていた
人々の心の変遷を考えてみたい。

「私のうちも五人の子供が皆出てしまい、孫もいません。淋しいことです。
たまに孫を連れて息子や娘が遊びにきますが、
たまに会うだけだから『いい顔』をしなければなりませんし、
孫のしつけなどにいいたいことがあっても言えないのが正直のところです。/斉藤清吉(こつP63」

 これは地方自治体がまとめた、高齢者の文集の中の一説である。
高齢者は、それまで当たり前であった幼い者へのしつけですら、
「いいおじいちゃん」であるために躊躇しているのである。

 かつて、語りの場が提供されていた時代はどうであったか。

「幼いときの聞き好き、語り上手が、やがて長じて語り好き、
語り上手のムカシカタリのカタリジサやカタリバサになるのだった。
どの伝承者も子どものときには語り手からムカシを掘り起こす驚くべき聞き手であった。(水沢4p8」

 昔話を上手に聞く子どもは、素晴らしい伝承者に育つのである。
よい話も悪い話もたくさん聞き、取捨選択をして子どもの感性は育っていくのである。
高齢者は「いい高齢者」「悪い高齢者」などと考えて子供たちに気兼ねをする必要などなかった。

「積極的に自分の聞きたい話を、かんたんなヒントで語り手の記憶を掘り起こしていく。
記憶の底に埋没している光ったムカシを、忘却の深層部に眠っているムカシを引き出していく。
(中略)自分一人では、そのすべてを思い出すことはできなかったであろう。
引き出し役の聞き手が必要だった。
聞き手しだいによるのだ。(水沢4 p8」

 これは、昔話の研究家として膨大な資料を収集した水沢謙一氏の言葉である。
研究家と、幼い子どもの聞き取り方には大きな違いがあるだろう。

 しかし水沢氏は、昔話の伝承者が子ども時代には「驚くべき聞き手であった」と評している。
高齢者は幼い子どものあどけない表情や無邪気な質問を受けることによって、
「忘却の深層部に眠っている」記憶を引き出すこともあったのだ。

 高齢者と若年層の者が語りあう重要性はここにある。