民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「無名の人生」 その2 渡辺 京二

2018年01月31日 00時07分45秒 | 生活信条
 「無名の人生」 その2 渡辺 京二  文春新書 2014年

 序 人間、死ぬからおもしろい その2 P-9

 江戸時代の人間は、今よりもずっと簡単に――簡単にというと語弊があるが、「生」に執着することなく死んでいきました。当時の文献を読んでみると、本当にあっさり死んでいる。すでに生きているときから覚悟が決まっているのでしょう。そもそも江戸時代の平均寿命が今と比べてずいぶん短かったということもあるでしょうが。

 私の女房は68歳で逝きましたが、そのとき「人生は長さじゃない」という言葉を残していきました。女房だって死にたくはなかったにちがいないが、覚悟のできる人間だったのでしょう。

 それはいいとして、江戸時代の人生は短かったかも知れないけれど、彼らには「短すぎる」という感覚はなかったはずです。さすがに30代で死ねば早死にと思っただろうけど、40過ぎればもう早死にとは言わず、ましてや50になると、これはもう非常にあっさりと死んでいった。

 では、あっさり死んで何事もなく死を受け入れていた江戸期の人と、そうではない今の人とはどこがちがうのか。

「無名の人生」 その1 渡辺 京二

2018年01月29日 00時29分52秒 | 生活信条
 「無名の人生」 その1 渡辺 京二  文春新書 2014年

 序 人間、死ぬからおもしろい その1 P-8

 だいぶ長生きしてしまいました。もうすぐ80代もなかばです。
 いつ80を越したのか。たしかに60までは「ああ、ここまで来たか」と自覚があった。けれども、60から一足飛びに80になったような気がします。いつの間に70代をすっとばして80を越したのか。それでも、もう少し生きていたい。
 
 考えてみると、友は死んでゆくし、周りは知らない人ばかりになりました。かといって、友が生きているときも、ほとんど行き来しなくなっていた。若いときとちがって、年を取るとあまり出歩かなし、もう相手のことも分かっている。いかに親しい友であっても、お互いにしゃべることはしゃべり尽くしたし、新しいことは何もない。退屈だ。人間というのは、「この人はどういう人かな」「え、こんな一面もあったのか」そこに好奇心が湧き、感動が生まれて付き合いをするものです。

 しかし、私はちょっと長生きしたものだから、2、3歳年上の人間はすでに死んでしまっています。ずっと若くて死んだのも多い。仮に彼らが生きていたとしても、ほとんど行き来がないから、死んでいるのと同じなのです。
 結局、これ以上長生きしても何も変わらない。この状況はどこかで打ち切ったほうがいい。それが「死」というものなのでしょう。しかし、そうは思っても、まだいきることに執着もあります。

「大本営発表」 その7 辻田 真佐憲

2018年01月27日 00時04分10秒 | 雑学知識
 「大本営発表」 その7 改鼠・隠蔽・捏造の太平洋戦争 辻田 真佐憲 幻冬舎新書 2016年

 「はじめに」 その6

 ましてこの国では、現在でも、政権による報道への介入がしばしば問題になっているのである。今後どのように政治と報道の関係が変化するかわかったものではない。世界的に見ても、政権によるメディア・コントロールの動きは決して過去の話ではない。

 再びいうが、大本営発表は日本メディア史の最暗部である。政治と報道が一体化したときに生ずる悲劇を、これほどよく示しているものもない。したがって、その再来を心配しても、決してしすぎるということはあるまい。

 本書の目的は、主に太平洋戦争の歴史をたどりながら、大本営発表の破綻の原因を詳(つまび)らかにすることである。では、なぜわれわれは大本営発表の歴史を知らなければならないのか。それは、この悲劇的な歴史を広く共有することで、政治と報道が再び一体化するという事態を防ぐためにほかならない。本書が最終的にめざすところも、実にここにこそあるのである。

「大本営発表」 その6 辻田 真佐憲

2018年01月25日 00時02分00秒 | 雑学知識
 「大本営発表」 その6 改鼠・隠蔽・捏造の太平洋戦争 辻田 真佐憲 幻冬舎新書 2016年

 「はじめに」 その5

 ところで、われわれは戦後70年以上にわたって「大本営発表」という比喩を絶やさず、その再来を恐れてきた。一定の条件が揃えば、再び大本営発表の悪夢がよみがえるかもしれない。そんな恐怖が日本人の心を捉えてきたのだ。

 それは決して杞憂ではなかった。

 不幸にも、福島第一原発事故は「あてにならない当局の発表」が依然としてまかり通っていたことを明らかにした。電力会社による広告費を使ったマスコミ懐柔の実態もまた明らかになった。

 もちろん、現在の日本には戦前のような陸海軍もなければ、抑圧的な言語統制の仕組みもない。反対に、表現の自由を保障する憲法や、多種多様なメディアも存在している。ただ、それにもかかわらず、原発の「安全神話」なるものが日本社会を覆ってしまった。われわれが大本営発表の歴史から学ぶべきことは決して少なくないのではないか。

「大本営発表」 その5 辻田 真佐憲

2018年01月21日 00時05分20秒 | 雑学知識
 「大本営発表」 その5 改鼠・隠蔽・捏造の太平洋戦争 辻田 真佐憲 幻冬舎新書 2016年

 「はじめに」 その4

 詳しくは本文に譲るが、その謎を解く鍵は、軍部と報道機関の一体化にある。
 先述のとおり、日本の新聞はもともと軍部に好意的ではなかった。ところが、1930年代に満州事変や日中戦争が勃発するとその流れが大きく変わった。各紙は戦争報道でスクープをあげるため、軍部に協力的になったのである。軍部はこの変化を巧みに利用し、取材の便宜を図って新聞を懐柔するとともに、「新聞用紙供給制限令」や「国民徴用令」などを用いて新聞を隷属化に置こうと目論んだ。こうして1941年12月の太平洋戦争の開戦までに、軍部とマスコミの関係は、対立から協調、そして支配・隷属へと急速に変化した。

 なるほど、デタラメな大本営発表の原因には、日本軍の組織的な欠陥(組織間の不和対立や、情報の軽視)もあった。あるいは戦局の急激な変化もあった。ただ、軍部と報道機関の一体化は、こうした問題を何倍にも膨れ上がらせた。ジャーナリズムのチェック機能が失われたからこそ、大本営は縦横無尽にデタラメな発表を繰り返すことができたのである。