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余命数ヶ月と診断された

2023年09月29日 23時46分52秒 | 身辺雑記
   病状経過報告 

 できるだけ内緒にしておくつもりだったけど、いよいよ隠せない限界まで来たようです。
 なので、思い切って言います。

 体に異変が起きたのは6月18日(日)です。どうして覚えているかと言うと、オイラが所属している市民大学の講座を企画しているグループ「宙(そら)の講座の館外学習が次の日にあって、オイラは受講者の引率という大事な用がありました。次の日の6月19日(月)はオイラが若い時に夢中になった太宰の命日「桜桃忌」の日で、二十歳で三鷹の禅林寺に行ってから、この日を忘れたことはなかったから覚えているのです。
 突然、館外学習の前日に食べ物を受け付けなくなって、とても館外学習に行ける体調ではなく、休ませてもらいました。今思えば、その時がコップの水が溢れた瞬間でした。つまり、それまで自己治癒力が病原体に打ち勝っていたけれど、その時に逆転してオイラの体を病原体が蝕むようになったようです。

 それからも食欲不振は続いて、食欲のないのは胃のせいだろうと胃薬をいろいろ買って飲んでいました。それでも食欲は戻らず、8月3日ごろから右の脇腹が痛むようになり、そのうち体の姿勢を変えるたびに激痛が走るようになりました。さすがにこれはただ事ではないと、ししど胃腸科(北山霊園の近く、知り合いに紹介されていて、行くならここにしようと決めていた)へ
8月7日(月)に行き、超音波の検査で肝臓に影があり、おそらく転移性の「がん」だろうとはっきり言われました。すぐに大きい病院で診てもらうように言われ、済生会の紹介状を書いてもらいました。

 次の日に済生会に行き、午前中、CT検査を受け、午後、検査の結果、肝臓に悪性腫瘍が20~30あり、胸腺(心臓と肺を結ぶ太い血管のまわりに大きな影、一番大きいのは10センチ大)があり、これも悪性腫瘍との診断でした。それから原発巣がどこにあるかの検査を受け、(8月は5日も済生会に行った)胃の内視鏡とか、肺のエックス線とか、大腸の検査もやることになり、検査食とか白い粉と一緒に2リットル飲む袋とかもらったけど、胃の内視鏡では医者も驚くほどきれいだったこともなり、大腸にも異常はないだろうとの自己判断と、とても検査に耐えられそうもないと思い、大腸検査は拒否させてもらった。

 原発巣がわかったって、肝臓と胸腺に悪性腫瘍がある現実に変わりはありません。75歳の誕生日を3日過ぎた8月28日(月)の医者との面談の席で、オイラの死生観として、人間には「天命」というのがあって、与えられた寿命には逆らっても仕方がないと考えていること、この病気と共存して行く覚悟があることを伝え、今後一切の治療、抗がん剤、放射線、手術(手術は出来る状態ではないと言われた)はしないでほしいとお願いしました。医者はオイラががそういう意見ならそれも正解でしょうと言ってくれました。

 そういう考えで、60歳でリタイアしてから、定期診断、人間ドッグの類は一切受けていなかった。毎年、検査をすれば違った結果になったかもしれないけど、検査をしないというのがオイラの選んだポリシーであり、それを貫いたオイラをほめてあげたい気持ちもある。

 オイラはコロナのワクチンを1回も接種していない。いろいろ調べた結果、「どうも胡散臭い」と判断を下したからです。

 8月28日(月)の医者の面談で残された時間は数か月でしょうと言われた。日増しに体が弱っていくのが実感できる。それから1週間ほど過ぎて右わき腹が痛くなってきたので、医者に処方してもらった痛み止めを服用するようになった。じっとしているときは痛まないが、動くときに激痛が走るのが心配でなかなか姿勢を変えることができない。

 いま、困っていること、
歯を磨くと必ずのざえて、それが半端なのざえ方ではなく、その恐怖心から歯を磨くことができなくて口の中がネバネバして気持ち悪い。
 右わき腹が痛んだとき、最初は効いていた痛み止めもだんだん効かなくなってきた。動くと右わき腹に激痛が走るのではと、次の行動に移すまで時間がとてつもなくかかる。
 固形物をまったく受け付けなくなった。だから、どんどん体重が減っていく。お尻の肉がなくなってイスに座ったり、仰向けに寝るときがつらい。
 オイラの年齢では1日に必要なカロリーは1.800カロリー位らしいが、ヨーグルトとかプリンしか食べられないので、たぶん300カロリーとかせいぜい500カロリーしか食べていないのではないだろうか。
 食べられないから体力が次第に奪われ、何かをしようとする気力がわかなくなっている。
 同居している101歳の母が心配するだろうと、まだ言えないでいる。これも、もうじき言わざるを得ないときが来るだろう。

 9月9日(土)は月に一度のビートクラブのライブがある日だった。歩いて1分ほどの距離だが歩くのがだいぶつらくなってきた。毎回、新曲を披露するのがオイラの「売り」だったけど、いまはそれどころではない。前に弾いたことがある曲でお茶を濁した。演奏はどうにかこなしたが、帰りの歩きは何度も途中で休みたくなるほどつらかった。この調子では来月のライブにはたぶん出られないだろう。今日が最後の舞台だったのか、もうすぐ20年連続出場だったのに残念な気持ちで一杯だった。

 9月11日(月)にカミさんに付き添われて済生会に行ってきた。歩き方がすり足でぎこちない。カミさんが車椅子を借りて来ようかといったが、まだそれを赦すほどプライドは失われていない。歩き方で「オイラはほんとに病人になったんだな」と実感させられた。
 栄養剤ドリンクを処方してもらった。1袋300カロリー、2袋で600カロリー、まずいとは聞いていたが、抵抗なく飲めた。これでいくらか体力がつくだろうか。

9月18日(月)は敬老会の集まりで「うれかじ」(オイラが入って5年ほどになるギター合奏団)が招待されて演奏してきた。ずいぶん楽譜を見失ったが、思うように弾くことができた。

10月23日(月)にはシティホールコンサートがある。オイラの最後の舞台になるだろうと、カミさん、同居している長男、東京にいる次男も来てくれることになっている。あと1ヵ月とちょっと。10月13日の「うれかじ」の合宿は楽しみにしていたが、なにかあったらみんなに迷惑がかかると思い、キャンセルさせてもらった。ほかの活動もセーブして、10月23日に焦点を合わせて体力を温存していくつもりでいる。