民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「卑怯について」 その8 倉本 聡

2016年08月30日 00時16分16秒 | 生活信条
 「昭和からの遺言」 倉本 聡(1935年生まれ) 双葉社 2015年

 「卑怯について」 その8(最後) P-81

 戦後この国は戦いから隔離され
 卑怯だ、ずるいと批判を浴びながら
 平和憲法を必死に死守した
 たしかにある意味では
 潔ぎ良いとは云えないかもしれない
 しかしそのことが70年の平和を
 この国にもたらしてくれたのだったら
 卑怯な国という世の悪名を
 敢えて受けるのもよいかもしれない
 ただし。
 国家はそれで良い。
 しかし国民は 個人個人は
 決して卑怯ではあってはならない
 さもないと70年間戦争を避けてきた
 卑怯の哲学が成立しなくなる

 大きな卑怯の世界の中にいる
 それは仕方ない 威張って認めよう
 だが俺個人は俺個人に対し
 卑怯者になることを
 絶対 許さない
 

「卑怯について」 その7 倉本 聡

2016年08月28日 00時07分35秒 | 生活信条
「昭和からの遺言」 倉本 聡(1935年生まれ) 双葉社 2015年

 「卑怯について」 その7 P-78

 若者たちに問うてみる
 日本の若者に問うてみる
 国の為に死ねるか と問うてみる
 死ねる と答えるのはほんの少数
 では今この国に
 どこかの国が攻めてきたら
 君はどうする と問うてみる
  逃げる という者が過半数
 では 家族や恋人や友人が
 危機に瀕したらどうする と問うてみる
 やっと何人かが 斗うと答える
 他の若者は
  お願いする
 と答える
 何を。と再び問う
 止めてくれと敵にお願いすると云う。
 止めなかったら と再度訊く
 許しを乞う という
 何を と更に問う
 理由は判らない。とにかく許しを乞う

 情けない
 卑怯である
 少なくとも俺は斗うだろう
 その程度の矜持はまだ持っている
 敵が理不尽を強要するなら
 老いたりといえども 斗うだろう
 卑怯に堕すのは 絶対にいやだから

 この国は集団的自衛権を認め
 他国の為にも斗う気だという
 国のトップがそう云っている
 だが実際に国のトップは
 先頭に立って斗うのだろうか
 そういう覚悟を持っているのか
 自らの家族を戦場に出すのか
 殺し合いの場に出す覚悟があるのか

「卑怯について」 その6 倉本 聡

2016年08月26日 00時03分45秒 | 生活信条
 「昭和からの遺言」 倉本 聡(1935年生まれ) 双葉社 2015年

 「卑怯について」 その6 P-74

 人のことばかり云ってはいられない
 俺自身いつのまにか卑怯に汚染して
 気づけば少年期の純粋さを忘れ
 生き抜く為だと 卑怯を犯している
 だが。
 それでも時折ドキッとするのは
 卑怯の醜さを嫌悪する者が
 時折フッと姿を見せることだ
 自分の命を投げうってまで
 人を救おうと危地にのり出す人
 消防士
 警察官
 自衛隊
 看護師。
 3・11のあの事故のとき
 現場で斗ったフクシマフィフティ
 そういう人々の存在を知る度に
 俺はドキッとし 自らを省みる。

 卑怯にならないには強い覚悟が要る
 卑怯に打ち克つには強固な意志が要る
 とてつもない量のエネルギーが要る
 意志の固さが要る
 男としての 生き方の美学が要る
 
 人々に問うてみる
 国の為に死ねるかと問うてみる

 世界の統計をひもとけば
 自国の為に死ねるという国民が
 キプロス      83%
 中国        77%
 韓国        72%
 アメリカ      63%
 日本は最下位の   15%

 日本人は国を愛さなくなったのか
 日本は自らの国民にとって
 愛せない国になってしまったのか
 日本は日本人が作っているのではないのか
 それを愛せぬのは 卑怯ではないのか




「卑怯について」 その5 倉本 聡

2016年08月24日 00時07分59秒 | 生活信条
 「昭和からの遺言」 倉本 聡(1935年生まれ) 双葉社 2015年

 「卑怯について」 その5 P-73

 自分の責任を平気でつくろったり
 記憶にございません と国会でとぼけたり
 卑怯が世間に 蔓延し始めた
 経済社会が卑怯を助長させ
 企業が卑怯を正当化させた
 政治も教育も 卑怯に犯された
 ジャーナリズムもそれに汚染され
 Itの発達がそれを後押しした
 匿名という卑怯
 ツイッターの卑怯
 フェイスブックの卑怯
 そうしたツールで金を稼ぐ為に
 卑怯の蔓延を野放しにする卑怯
 会社を守る為に嘘をつく卑怯
 核のゴミの引き取り手のないことを知りながら
 己の選挙区に引きとろうとも云い出さず
 原発再稼動を云い募る卑怯
 卑怯は賎しいというこの国の哲学が
 日本の国から消し飛んでしまった

「卑怯について」 その4 倉本 聡

2016年08月22日 00時38分29秒 | 生活信条
 「昭和からの遺言」 倉本 聡(1935年生まれ) 双葉社 2015年

 「卑怯について」 その4 P-70

 戦争に敗れ
 マッカーサーが厚木に下り立ち
 戦争裁判が開かれることになると
 何人かの軍人・政治家が
 責任をとって潔く自殺したが
 最高責任者である東條元首相は
 自殺に失敗して占領軍に捕まり
 惨めな姿を法廷にさらした。
 国民はこえまでの意趣返しのように
 卑怯者だと東條を嘲笑い
 尻馬にのって俺も笑ったが
 可哀想に と涙をためた
 何が卑怯で 何がそうでないか
 本当の意味を考え始めたのは
 もしかしたらその頃だったかも知れない

 南の島に置き去りにされ
 何十年ぶりに発見され投降して
 恥ずかしながら帰ってきました と現れた
 横井庄一さんや小野田寛郎さんの帰還に
 世間は既に呆れるばかりだったが
 死して虜囚の辱めを受けずという
 軍人勅諭をかたくなに守った
 信じられない彼らの行為は
 卑怯者と云はれることを
 ひたすら恐れたからにちがいない
 少なくても俺は彼らのことを
 その一点で美しいと思った。

 卑怯を憎悪した昭和の男が
 この二人を最後に 消えた気がする