民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

りんぼう先生「おとぎ噺」 林 望

2015年05月09日 00時30分38秒 | 民話(おとぎ話・創作)
 りんぼう先生「おとぎ噺」 林 望(はやし のぞみ) 集英社文庫 2002年

 「あやまりヤギさん」 P-203

 この頃はすこし噂を聞かないが、何年か前には、神奈川県警の警官やら警察官やらが、さんざんにスキャンダルを起こして、その度に、県警本部長なるエリート官僚がテレビに出てきて、判で押したように謝罪をしていたことを、まだ憶えておいでのかたも多かろう。
 その時に、言う言葉までかっちりと決まっていて、それはだいたいにこんなことであった。
「この度の不祥事につき、県民の皆さまに多大のご迷惑ご心配をおかけいたしましたことは、まことに遺憾で深くお詫び申し上げるとともに、今後二度とかかる不祥事が起こることのないよう、原因の究明と綱紀の粛正に全力を尽くしてまいりたいと存じます」
 とまあ、こういうようなことを(原稿を見ながら)申し述べつつ、やがて、何人かの幹部がそろって席を立ち、ぐっと頭を下げて「遺憾の意」を表するのであった。
 そういう景色を私たちはいったい何度見せられたことだろうか。
 この時記者団から、これも判で押したように質問が出る。
「本部長が責任を取って辞任というようなことはお考えでしょうか」
 するとこの質問に対する答えも、もう暗記出来てしまうくらい紋切り型で、
「当面は、辞任する考えはございません。むしろ、今暫く現職にとどまりまして、原因の究明と綱紀の粛正に全力を上げることこそ、私としての責任の取り方であろうと考えます」
 ってな与太を言いつつ、それで記者会見は終わって、一件落着ということになるのであった。

 中略

 こんなことをいつまで繰り返したら、官僚の連中は気が済むのであろう。
 だいたい、再発防止の為に全力を尽くすと誓ったはずのトップが、仮にその責任を取ってという建前で現職を辞任したとしても、さてその先にどういう身の振り方をしたかというところまで、市民もマスコミもほとんど関心を持たないから、実際のところが何も見えてこないのである。
 あの高級官僚の連中は、責任を取って既得権益を手放すなんてことは決してしないのである。その多くは、中央官庁を辞職して、単に外郭団体と呼ばれる財団法人などに適当な職を得、それで本省に居たときと同じような高禄を食(は)んで、あとは悠々と暇人の生活を送るわけである。そして、その職に3年くらい居たらまた次の別の財団法人にでも転職して、その度に千万円単位の退職金をせしめていく。
 だからスキャンダルで、あるキャリアの職を辞したとしても、彼らが被る最大の不利益は、それによって本省での事務次官レースから外されるというだけのことである。ま、痛くも痒くもあるまい。

 後略

「エゾオオカミ物語」 あべ 弘士

2014年06月08日 00時49分24秒 | 民話(おとぎ話・創作)
 「エゾオオカミ物語」 あべ 弘士(1948年 北海道生まれ)  講談社 2008年

 寒い、寒い、冬の夜。
月の光に誘われて、モモンガたちが集まってきました。

「ふくろうおじさん、こんばんは。」
「おーおー、よく来た、よく来た。それにしてもしばれるのお。ほら、もっと体を寄せて。」

「さてと、今夜は 誰の話を しようかのお。そうじゃ、オオカミのことは、まだであったかな。」
「えーっ、オオカミがここにいたの?」
「オオカミは、とてもいいヤツだったんじゃよ。だがのお・・・・・。」
 むかし、ここ北海道の大地には、たくさんのエゾオオカミが住んでいた。

 きびしい冬もようやく終わり、うれしい春がやってくる頃、岩かげや土の穴の中で、
オオカミの赤ちゃんが生まれる。5頭も6頭も生まれる。
おかあさんのおっぱいを飲んで、おとうさんの口から やわらかくなった肉をもらって 大きくなる。
よく飲み、よく食べ、よく寝る。
そして なによりも、子どもたちは よく遊び、よくけんかする。
そうやって、いろいろなことを 覚えながら 育ってゆくのじゃ。

 オオカミは群れをつくり、みんなで狩りをする。
しっかりと作戦をたて、協力しあってな。
オオカミの獲物はエゾシカだ。
シカも、ここには たくさん たくさん 住んでいた。

 オオカミは シカを 殺して食べる。
だが、シカはオオカミに食べられることによって、自分たちの数のバランスを保っている。
ということは、シカたちに食べられる 草や葉っぱの量も ちょうどよく、森や野原は いつも、
緑豊かな ままだ。
オオカミがシカを食べることも、シカがオオカミに食べられることも、悪いことではないのだ。
そのことは、オオカミもシカも よく わかってのことだ。

 ところで、これはとても素晴らしいことなのだが・・・・・
オオカミは、大昔から この大地に住んでいた アイヌの人たちとは、
たがいの息づかいを 感じながら、共に 生きてきた。
せまい山道で 出会うと、道を 譲り合うことすら あった。

 もちろん、アイヌの人たちはオオカミがこわい。
けれども、オオカミの方も同じだ。
”こわい”というより、尊敬しあっていたのかもしれない。

 「ところがじゃ・・・・・。」

 ある冬のことだった。
雪が、何日も 何日も 降り続き、大地は まっ白に うまった。
シカたちは食べるものがなくなり、おおぜい死んでしまったのじゃよ。
獲物のシカがいなくなって、オオカミは困りはてた。

 ちょうど その頃、北海道の大地に 開拓がはじまり、内地から たくさんの人間が やってきた。
シカを狩ることができなくなったオオカミは、しかたなく 牧場の 馬を 襲った。
そして、馬を守るためにと、オオカミは次々に殺された。
ある日、とうとう オオカミは 一頭も いなくなった。
たった 100年ほど前の ことじゃよ。

 それから どれくらいの 年月(としつき)がたったかのお。
静かな森に、ぽつぽつと シカの姿が 見えはじめたのじゃ。

 オオカミがいなくなり、食べられることのなくなったシカは、どんどん 増え続けた。
今では 森や畑が シカたちに食い荒らされ、人間たちは、そのことに 怒っておる。

 「でものお、今度は エゾシカが 悪者になっておるが、
そうしたのは、本当は”誰”なんじゃろう?」

 オオカミの遠吠えは、もう 聞こえない。

 「今夜の話は、これで おしまいじゃ。そろそろ 夜(よ)があける。おかえり。」

 (注) 私の暗記用なので、ひらがなを漢字に直したところが ずいぶんあります。



「ももたろう」 代田 昇

2014年02月28日 11時11分42秒 | 民話(おとぎ話・創作)
 「ももたろう」 代田 昇・文  箕田 源二郎・絵  講談社

 以前、ももたろうをリメイクしたことがあるけど、その時、もっとも参考にした本です。

 とんと むかしの ことだげな。
 あるところに、たいして 仲のいい じっさまと ばっさまが おった。
 ある日、じっさまは、よっこら よっこら よっこらしょと、山へ 柴刈りに 出かけたと。
 ばっさまは、これまた とんこら とんこら とんこらさと、川へ 洗濯に 出かけたそうな。

 ばっさまが、ざんぶり じゃぶじゃぶ、ざんぶり じゃぶじゃぶ 洗濯をしていたらば、
上(かみ)の方から、つんぷか かんぷか つんぷか かんぷか つっこんこと、
大きな桃が 流れてきたんだって。
 ばっさまは うれしくなって、
「おらえの桃なら、こっちさ来るはず。よそんちの桃なら、あっちさ 行くはず。」
と、歌ったらば、桃は、つんぷか かんぷか、つんぷか かんぷかと、
ひとりでに ばっさまの 足もとに 流れ着いたと。
 ばっさまは もう ほくほくして、
「はよう 帰って、じっさまと 食べるべえ。」
と、ほいさか ほいさか、急いで うちへ 帰ったんだって。

 じっさまは、
「こりゃあ、みごとな 桃じゃわい。」と、おおよろこびで、さっそく 割ろうと したらば、
桃は ぱくりっと、これまた ひとりでに 割れて、
「ほおげあ ほおげあ。」と、中から めんこい 男の子が 生まれて出たそうな。
 じっさまと ばっさまは びっくらこいたが、そりゃあ たいして 喜んで、
桃から 生まれたによって、「桃太郎」と いう 名前に したそうな。
 
 桃太郎は、あわのおかゆを ひとわん 食べては、ずくん。
鱒の塩焼き 二串 食べては ずくん、ずぐん。
山芋汁をば 三杯 食べては ずくん、ずぐん、ずうぐん と、大きくなって、
たちまち 立派な若者になった。

 桃太郎は 図体は でかぶつだったが、たいした なまけものだった。
近所の 若い衆(しゅ)が、
「たきぎ 取りに 行くべえ。」と、言ったらば、
「草履が ねえから 行かれねえ。」と、ごろりんと 寝転んどった。
「草履 持ってきたから 行かず。」と、言ったらば、
「しょいこが ねえから 行かれねえ。」と、また ごろりんと 寝転んどった。
「しょいこ 持って きたから 行かず。」と、言ったらば、
「鎌が ねえから だちゃかんわ。」と、またまた ごろりんと 寝転んどった。
とうとう、
「鎌 持って きたで 行かずよ。」と、言ったらば、
「ほわほわあ。」と、大きな あくびを ぶっこいてから、
「しかたねえのう。」と、しぶりしぶり 山へ 出かけたそうな。

 山に 行った 桃太郎は またまた なんにも せんと、ごろりんと 寝転んどった。
 それでも、夕方に なって 日が暮れかかると、突然 むくりっと 起き上がり、
大きな 松の 根っこに しょんべん こいて、土を やっこくした。
 それから、松の木を ゆっさゆっさと ゆさぶって、
「えいややっ。」と、ひっこぬき、ぽいっと 木を 肩にかつぐと、
ほいさかどどどう ほいさかどどどう と、雷みてえな 地響き たてて、
一気に うちまでかけて、帰ったそうな。

 桃太郎が、「ばっさま、たきぎは どこさ おくだ。」と、声を かけたが、返事がない。
桃太郎は 気になって うちの中を そっとのぞいて みたげな。
なんちゅう こった、うちの中には だあれも おらん。
 桃太郎は びっくらこいて、
「ありゃあ、ばっさまよう どうしただ。」
と、叫んだらば、屋根のてっぺんに とまっておった カラスが 言った。
「えらい こったよ、桃太郎。鬼が島の 鬼どもが 村を荒らしに やってきて、
塩、米、あわを 奪ったうえに 若い 娘っこ、みんな さらっていったわさ。」

 それを聞いた 桃太郎は かっと 目を 見開いて、
「なになに!鬼が島の 鬼めが!」と、声をあらげて 叫んだ。
それから、腕を組んで すわりこんで、目をつむり むっつり 考え込んだと。
しばらくすると 今度は ごろんと 寝転んで 考え込んどった。
あんまり 考え込んどって、ばっさまとじっさまが 帰ってきたのも とんと 気がつかなかったそうな。
ばっさまが 心配になって 
「桃太郎、芋粥が できただよ。」と、何度 言っても ごろんと 寝転んだまんま、
何日も 何日も むっつり 考え込んどったそうな。
 
 桃太郎は ある日 突然 むくりっと 起き上がり、
「じっさま、ばっさまよう。わしは 今から 鬼が島に行って、鬼どもを こらしめてくるわい。」
と、たいした 大声を 張り上げた。
じっさまとばっさまは、たまげてしまって なんとか とめようとしたが、桃太郎は、
「いーや、行くと 決めたら 行くだ。そこで ばっさま、大きい キビ団子を 三つ 作ってくれや。」
と、言うもんだから、とうとう あきらめて、
「それじゃ、あんじょ 行ってこい。水だの 蛇だの サメには、とくと 気をつけて行けや。」
と、言って、大きい キビの団子を 三つ 作って 桃太郎を 見送ったそうな。

 桃太郎は 小船に 乗って ぎっこらぎっこら 沖に向かった。
「米、あわ、さらった 鬼どもめ。塩っこ 奪った鬼どもめ。娘っこ 泣かした 鬼どもめ。
日本一(にっぽんいち)の 桃太郎が きっと 退治して みせるわい。
ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。」
桃太郎は 元気に 歌いながら すうーいすうーいと、沖に向かって 行ったそうな。

 桃太郎は 船を漕いだ。ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。
ゆくが ゆくが 犬が島に 着くと イヌが言った。
「桃太郎どん、桃太郎どん。して、どこぞへ いかっしゃるのかいな。」
「鬼が島へ 鬼退治じゃ。」
「お腰の もんは はて なんじゃいな。」
「日本一の キビ団子。」
「一つ くだされ、仲間に なろう。」
「一つは ならん。半分 やろうぞ。」
桃太郎とイヌは キビ団子を 半分ずつ 食べて 仲間になった。

 桃太郎とイヌは 一緒に 船を漕いだ。ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。
ゆくが ゆくが 猿が島に 着くと サルが言った。
「桃太郎どん、桃太郎どん。して、どこぞへ いかっしゃるのかいな。」
「鬼が島へ 鬼退治じゃ。」
「お腰の もんは はて なんじゃいな。」
「日本一の キビ団子。」
「一つ くだされ、仲間に なろう。」
「一つは ならん。半分 やろうぞ。」
桃太郎とサルは キビ団子を 半分ずつ 食べて 仲間になった。

 桃太郎とイヌとサルは 一緒に 船を漕いだ。ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。
ゆくが ゆくが 雉が島に 着くと キジが言った。
「桃太郎どん、桃太郎どん。して、どこぞへ いかっしゃるのかいな。」
「鬼が島へ 鬼退治じゃ。」
「お腰の もんは はて なんじゃいな。」
「日本一の キビ団子。」
「一つ くだされ、仲間に なろう。」
「一つは ならん。半分 やろうぞ。」
桃太郎とキジは キビ団子を 半分ずつ 食べて 仲間になった。

  桃太郎とイヌ、サル、キジは 一緒に 船を漕いだ。ぎっこらぎっこら ぎっこらしょ。
ゆくが ゆくが とうとう 鬼が島に 着いた。
桃太郎は 鬼の館の 門前で 大音声(だいおんじょう)に叫んだ。
「やあ、やあ、にくき 鬼ども、ようく 聞け。
日本一の桃太郎が 鬼を退治にやってきたわい。
さあ、さあ、覚悟、覚悟。」
これを聞いた 鬼どもは、
「なにを こしゃくな あおびょうたんめ。日本一とは へそが よじれるわい。
さあ、やれるもんなら やってみろ。」と、えへらえへらと 笑いながら、ふんぞり返って おった。

 すかさず キジが、きーんと 飛び立って すばやく 門のかぎをあけた。
桃太郎が、「そうれ、やっつけろ。」
と、ほいさかどどどと 門の中に 飛び込んで、青、赤、黒の 鬼どもを ぽいんぽいんとあたりかまわず投げ飛ばせば イヌはかみつく サルはひっかく、キジは空から 突っつきまわった。

 鬼どもは おったまげて 
「あいや、あいや、まいった、まいった。」
と、ちりぢりばらばら 逃げ回った。
桃太郎は「えい。やっ!」と、とうとう 鬼の大将を投げ飛ばし すかさず ねじ伏せてしまった。

 鬼の大将は もはや これまでと 思ってか 手をついて 頭を下げて 降参した。
「どうか 命ばかりは お助けくだされ。
娘っこ、塩、米、あわは お返しもうす。
大きな船と 金、銀、さんごも おあげもうす。」
桃太郎と イヌ、サル、キジは
「えいっ!おう!わん!きゃつ!きーん!」
と、天まで 届く 勝どきを あげたそうな。

 大きな 船は 得手に 帆をあげて 走った。
「塩、米、あわは 取り返したよ。えんやこうら えんやっさ。
かわいい 娘っこ 取り返したよ。えんやこうら えんやっさ。
金、銀、さんごも ざっくざく。えんやこうら えんやっさ。
桃太郎と イヌ、サル、キジは、娘っこらの手拍子で、歌って 踊って、無事を 祝ったとさ。
えんやこうら えんやっさ。えんやこうら えんやっさ。

 桃太郎は 村に帰ると 一番 お気に入りの 娘っこを 嫁にもらって、ほくほく 喜んだ。
桃太郎夫婦は じっさまや ばっさまと 仲良く 楽しく 暮らしたってさ。

 めでたし、めでたし。はい、これまで。

 

「たかが眉毛、されど眉毛」 タンザニアの民話

2014年01月11日 00時17分05秒 | 民話(おとぎ話・創作)
 「アフリカの民話」 島岡 由美子 (ネットより)

 タンザニアでは、昔話は今でも本で読むものではなく、誰かが語るのを聞くもの。
だから、必ず語り手と聞き手の掛け合いで始まります。
その合い言葉は地方によって違いがありますが、一般的なのは、語り手が「パウクァー」と呼びかけ、
聞き手が「パカワー」と応えてから話し始めるパターン。
意味は、「お話始めるけど、準備はいいかい?」
「準備は万端、楽しいお話聞かせてね」といったところのようですが、
お話を語るとき以外は使われません。

 今回は、まゆ毛をテーマにしたお話です。
太さや形の違いはあれ、誰の顔にもあるまゆ毛。
目はものを見るための器官、鼻は息をしたり、匂いをかぐための器官、口は物を食べたり飲んだりする
ための器官ということは誰にでもわかりますが、まゆ毛は一体どんな働きをしているのでしょう?
 目や鼻や口に比べると、必然性は薄いという感じが否めないこのまゆ毛、
それでも人間の顔についているのはなぜでしょう?

 民話には、この素朴な「なぜ?」「どうして?」の疑問に答えてくれるものがたくさんあり、
これを因果話といいます。
 因果話とは、ある物事がどうして現在こうなっているのかという原因を述べる話で、
象の鼻はなぜ長いかとか、亀の甲はなぜひび割れているのかなどについて、
そもそものいわれを説くもので、広義の自然科学にわたるものです。

 さて、今回は、ザンジバルのお話名人ビニョニョおばあちゃんから聞いた
「どうして人の顔にはまゆ毛がついているのか?」というテーマのお話を紹介しましょう。

 「たかが眉毛、されど眉毛」 タンザニアの民話

 『ザマニ ザ カレ(昔々)、あるところに、大酒のみの男がおった。
男は、酒を飲むと、大声でわめきちらす癖があった。

 ある時、男は酔っ払って、こんなことを言い出した。
「目はものを見るのに必要だ。鼻は匂いをかぐのに必要だ。
口は物を食べるのに必要だ。だが、まゆ毛は一体何の役に立っているのか? 
まゆ毛なんか、あったってなくたって、意味がない。
俺は、この役立たずのまゆ毛をそり落とすことにする」

「神様が人間に与えてくださったもので、意味のないことなど1つもない。
まゆ毛にだって、きっと何か意味があるはずだ。
神から授かったまゆ毛をそり落とすなどという大それたことをしたら、必ず神のお怒りに触れるぞ。
そんなばかなことはやめておけ」
と、周りの人々は一生懸命いさめたが、男はますますいきり立ち、床屋の剃刀をふんだくると、
本当に自分のまゆ毛をばっさりそり落としてしまった。

「ワッハッハ。神が何だ。まゆ毛が何だ!」
男は、まゆ毛のない顔で言い放つと、ゴーゴーいびきをかいて眠ってしまった。

 翌朝、男はいつものように目覚めると、仕事に出かけた。
普段どおりの道を歩いていたが、その日はどうも周りからの視線が気になる。
女子供は露骨に怯え、男の顔を見て泣き出す赤ん坊までいる。
その上、やたら日がまぶしくて、いつもなら眉をしかめればやわらぐまぶしさも、
その日は一向に和らぐ気配がない。

 目をしかめながら歩いているうちに、汗がだらだら出てきて、やたら目に流れ込み、
目にしみて困った。
修繕途中の家の前を通ると、上からかんなくずが落ちてきて、目に入って痛くてたまらない。
男はもうたまらんと、仕事に行くのをやめて家に帰ってしまった。

 男は、家に帰って、鏡に映った自分の顔を見て驚いた。
まゆ毛がないだけなのに、別人のように怖い顔になっていた上、目が真っ赤に充血していたのだ。
でも、男はまだこんなことを言って笑っていた。
「ふん、どうせ、まゆ毛なんて1、2週間ではえてくるさ」

 しかし、どうしたことか、男のまゆ毛は2週間経っても全くはえてこない。
1カ月経っても3カ月経っても全然生えてこない。
外を歩こうにもまぶしいわ、汗は目に入るわ、ゴミや埃がやたら目に入るわで、
楽しいことが一つもない。
しかめっ面をしたまゆ毛のない男の怖い顔に、子供達はおびえ、
人々もだんだん寄り付かなくなっていった。

 男はだんだん無口になり、酒もやめ、外にもめったに出なくなった。
どうしても外に出なくてはならないときは、帽子を目深にかぶって、
人目を避けながら歩くようになったとさ。

 たかが、まゆ毛、されどまゆ毛。
偉大なる神がすることには、意味なしのことなどなんにもありゃしない。
まゆ毛にだって、ちゃんと意味があるのさ。

 眉毛の話は、これで、おしまい』

「でんでんむしの かなしみ」 新美 南吉

2013年12月30日 00時13分20秒 | 民話(おとぎ話・創作)
 「でんでんむしの かなしみ」 新美 南吉 (原文)

 いっぴきの でんでんむしが ありました。
 ある ひ その でんでんむしは たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで うっかりして いたけれど わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるではないか」
 この かなしみは どう したら よいでしょう。
 でんでんむしは おともだちの でんでんむしの ところに やって いきました。
「わたしは もう いきて いれれません」
と その でんでんむしは おともだちに いいました。
「なんですか」
と おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは なんと いう ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるのです」
と はじめの でんでんむしが はなしました。
 すると おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです」

 それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは べつの おともだちの ところへ いきました。
 すると その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです」
 そこで、はじめの でんでんむしは また べつの おともだちの ところへ いきました。
 こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも おなじ ことを いうので ありました。
 とうとう はじめの でんでんむしは きが つきました。
「かなしみは だれでも もって いるのだ。わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしのかなしみを こらえて いかなきゃ ならない。
 そして、この でんでんむしは もう、なげくのを やめたので あります。



  「でんでん虫の 悲しみ」 新美 南吉 (漢字混じり文)

 一匹の でんでん虫が ありました。

 ある日 その でんでん虫は 大変なことに 気がつきました。
「わたしは 今まで うっかりしていたけれど わたしの 背中の からの中には 悲しみが 
一杯 つまっているではないか」

 この 悲しみは どうしたら よいでしょう。

 でんでん虫は お友だちの でんでん虫の ところに やって行きました。
「わたしは もう 生きていられません」
と その でんでん虫は お友だちに 言いました。
「何ですか」
と お友だちの でんでん虫は 聞きました。
「わたしは なんという 不幸せな ものでしょう。わたしの 背中の からの中には 悲しみが 
一杯 つまって いるのです」
と はじめの でんでん虫が 話しました。
 すると お友だちの でんでん虫は 言いました。
「あなたばかりでは ありません。わたしの 背中にも 悲しみは 一杯です」

 それじゃ 仕方ないと 思って、はじめの でんでん虫は 別の お友だちの ところへ 行きました。
 すると その お友だちも 言いました。
「あなたばかりじゃ ありません。わたしの 背中にも 悲しみは 一杯です」

 そこで、はじめの でんでん虫は また 別の お友だちの ところへ 行きました。

 こうして、お友だちを 順々に 訪ねて 行きましたが、どの 友だちも 同じことを 
言うので ありました。

 とうとう はじめの でんでん虫は 気がつきました。
「悲しみは 誰でも 持っているのだ。わたしばかりでは ないのだ。
わたしは わたしの悲しみを こらえて いかなきゃ ならない。

 そして、この でんでん虫は もう、嘆くのを やめたので あります。