民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「花嫁」 石垣 りん

2015年09月29日 00時06分43秒 | エッセイ(模範)
 「ユーモアの鎖国」 エッセイ集  石垣 りん(大正9年生まれ) 北洋社 1973年

 「花嫁」 P-8

 私がいつもゆく公衆浴場は、湯の出るカランが十六しかない。そのうちのひとつぐらいはよくこわれているような、小ぶりで貧弱なお風呂だ。
 その晩もおそく、流し場の下手で中腰になってからだを洗っていると、見かけたことのない女性がそっと身を寄せてきて「すみませんけど」という。手をとめてそちらを向くと「これで私の衿を剃って下さい」と、持っていた軽便カミソリを祈るように差し出した。剃って上げたいが、カミソリという物を使ったことがないと断ると「いいんです、ただスッとやってくれれば」「大丈夫かしら」「ええ、簡単でいいんです」と言う。
 ためらっている私にカミソリを握らせたのは次のひとことだった。「明日、私はオヨメに行くんです」私は二度びっくりしてしまった。知らない人に衿を剃ってくれ、と頼むのが唐突なら、そんな大事を人に言うことにも驚かされた。でも少しも図々しさを感じさせないしおらしさが細身のからだに精一杯あふれていた。私は笑って彼女の背にまわると、左手で髪の毛をよけ、慣れない手つきでその衿足にカミソリの刃を当てた。明日嫁入るという日、美容院にも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った。
 剃られながら、私より年若い彼女は、自分が病気をしたこと、三十歳をすぎて、親類の娘たちより婚期がおくれてしまったこと、今度縁あって神奈川県の農家へ行く、というようなことを話してくれた。私は想像した、彼女は東京で一人住まいなんだナ、つい昨日くらいまで働いていたのかも知れない。そしてお嫁にゆく、そのうれしさと不安のようなものを今夜分けあう相手がいないのだ、それで―――。私はお礼を言いたいような気持ちでお祝いをのべ、名も聞かずハダカで別れた。
 あれから幾月たったろう。初々しい花嫁さんの衿足を、私の指がときどき思い出す、彼女いま、しあわせかしらん?

「ナメクジの言い分」 足立 則夫

2015年09月27日 00時04分52秒 | 雑学知識
 「ナメクジの言い分」 足立 則夫  岩波化学ライブラリー 2012年

 (ナメクジの)粘液には七つの機能 P-41

 何だって、彼らは歩いた跡に銀の筋を残して行くのか。我が家のナメクジ事件以来、ずーと気になっていたのは銀の筋、つまり粘液についてだ。
 昼間はベランダの植木鉢の下などで、仲間と体を寄せ合っている彼らは、夜になると鉢の側面や枯れ葉、草花の花弁などに粘液の足跡を残しながら、餌になる葉や花を探してさまよう。ナメクジの身になって想像すると、粘液の七つの役割が浮上する。
 第一が「カーペット機能」。粘液を歩行面に敷きつめれば、滑らかに進行できる。垂直なところでも、粘液には適度な粘り気があるので、滑り落ちたりしない。
 第二が「保湿機能」だ。人間の体の水分が約60%なのに対し、ナメクジは85%。なのにナメクジの体は、薄い皮膜でしか覆われていない。乾いた地面と直接接触すれば、体の水分が地面に吸収されてしまう。炎天下に体をさらせば、水分が蒸発してしまう。体を覆う粘液には、体の水分を外に逃がさない働きがあるのである。
 第三が「断熱機能」。ナメクジは高温に弱い。例えば、周囲の温度がセ氏33.7度、湿度24%のときに、体温を21度に数時間保った実験例がある。これは体を覆う粘液に外部の高温を遮断する機能もあるからなのである。
 第四が「洗浄機能」である。体には硬い物質や、病気の原因になる病原菌や微生物がつきやすい。これを洗い流す役割もある。
 第五が「護身機能」。ヘビや鳥などに襲われたとき、特別濃厚な粘液を分泌し、捕食者の口を封じることもある。
 第六が「ナビ機能」だ。彼らの嗅覚は、自分や仲間の粘液の足跡をとらえることで、暗闇の中でも植木鉢の下などにある巣に戻ることができる。粘液の筋が帰宅するときのにおいの目印になっているのだ。
 「ぶら下がり機能」が第七。米国北西部の森にすむ長さ25センチはあるバナナナメクジは、木の枝から、粘液を命綱にしてぶら下がり、頭を下にして地面に降りる。粘液の糸にぶら下がって空中で交尾する仲間もいる。
 いろいろな機能が備わっている粘液は、主に頭部や腹部の下にある足線から分泌される。一つは自由に流れ出て腹の底の左右に広がる。もう一つは粘性がより強く、腹に沿って後ろに流れ出る。
 この粘液の成分は何なのか。ムチンと呼ばれる粘性物質で、多糖類とタンパク質が結合したものだ。納豆やオクラ、それにウマギの体表のねばねばなどは、いずれもムチンである。人間の体内の粘膜、例えば胃腸の内壁を覆っているのもムチンである。胃が胃酸で溶けないのもムチンで保護されているからなのだ。そう見てくると、人間は、動物界の大先輩に当たるナメクジの粘液の機能を体内でしっかり受け継いでいることになる。

「飾りじゃないのよゲタは」 マイ・エッセイ 15

2015年09月25日 00時21分01秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「飾りじゃないのよゲタは」
                                              
 2005年(平成17年)に、映画「ALWAYS三丁目の夕日」が封切られた。東京タワーが完成した昭和33年当時の東京の下町を舞台にした映画だ。
 この作品は数々の映画賞を取り、世間の評判もよく、続けて第二作が皇太子ご成婚 の昭和34年に、第三作が東京オリンピックの昭和39年にと、昭和を代表するイベントがあった年代に移して製作された。
 ダイコンというあだ名の同級生がいた八百屋、魚屋、よくメンチやコロッケを買いに行かされた肉屋、豆腐屋、鼻緒をすげ替えた下駄屋、乾物屋、パンクすると世話になった自転車屋、薬屋、毎日小遣いの五円玉、十円玉を握り締めて通った 駄菓子屋 。
 今はすっかりなくなったか、少なくなってしまったお店が、「あそこにあった、ここにもあった」と懐かしく思い出される。
 空き地にムシロを張った旅回り劇団、紙芝居、デパートの屋上にあった遊園地、チンドン屋、ガマの油売りの大道芸、富山の薬売り、飛行機がバラまいたビラ、小学校の正門前で下校の生徒をねらうあやしげな物売り。
 今ではすっかり見られなくなった子どもの頃の風景だった。

 昭和三十年代は、オレたち団塊の世代にとって、たまらなく郷愁を誘う。なぜなら、オレが小学校に入ったのが昭和三十年、中学を卒業したのが昭和三十九年、ぴったりオレの小中学校時代と重なるからだ。
 小学校から帰るとランドセルを放り投げ、近所の子どもたちと、車がほとんど走っていなかったウラ通りや原っぱで、暗くなるまでチャンバラごっこや缶ケリをして遊んだ。
 小さい子から大きい子まで、まだよく遊べないちっちゃい子は「アブラムシ」としておっきい子に面倒をみてもらいながら、みんなが一緒になって遊んだ。
 既製品のおもちゃなんかなくても、風呂敷や手拭があれば、誰でもテレビで活躍するヒーローになれた。勉強が苦手でも、かけっこが速ければみんなの注目を浴びた。
 中学では、入学する前に野球部に入ったほど、野球を夢中になってやった。先輩のしごきにも耐えた。キャプテンもやった。毎日、練習が終わると学校の前にある店で、コッペパンにたっぷりソースをかけたハムカツをはさんでもらって、食べながら帰った。
 小中学校時代は、なにも考えないで、やりたいことをひたすらやった時代だ。

 ついに、あこがれていた一本歯ゲタを手に入れた。天狗が履いているような歯が一本しかないゲタだ。白い鼻緒で歯の長さは十二センチ、かなり高い。
 三年くらい前、ユニオン通りにある下駄屋のショーウインドウに飾ってあるのを見つけて、釘づけになった。学生時代からずっと履いてみたかったゲタだ。いろいろな思いがこみあげてくる。
 あれから四十年以上の年月が流れた。もうオレにこのゲタはあぶなっかしくて履けない。足をくじいてネンザでもしたらいい笑いものだ。
 (でも、欲しい)
 それ以来、その店を通るたびに、恨めしそうに一本歯ゲタを横目でにらんでいた。
 職人でもある主人と話をするようになり、前にテレビの番組で、一本歯ゲタを履いて歩くと姿勢がよくなる、と有名なファッションモデルに紹介されたことがあって、それから月に二、三組は売れるようになったと教えてもらった。
 学生時代はどこに行くのにも高ゲタだった。高ゲタは、オレの青春の象徴と言っていい。
 社会人になってゲタから遠ざかっていたが、リタイアしてまた履くようになった。今度は高ゲタではなくふつうのゲタだ。歯がだいぶ減って、歩きづらくなってきたので、前から欲しかった日光下駄を買うことにした。ゲタの上に草履が貼ってあるヤツだ。
 ユニオン通りの店に行くと、あいにく主人が留守だった。もう一軒の日光下駄と一本歯ゲタを売っている店に行って、日光下駄を見ていると、根っからの商売人らしいかなり年配のじいさんが、いきなり思いがけない値引きの金額を口にした。
(そんなに安くなるのか。一本歯ゲタと抱き合わせならもっと安くなるかもしれない)
 スケベ根性を出して言ってみた。思ったほど値引きしてはもらえない。逆に、じいさんの商売上手な口車に乗せられて、両方とも買うハメになってしまった。

 家に帰って、こわごわ手すりにつかまり、一本歯ゲタを履いてみた。身体に緊張が走る。背筋をピンと伸ばして遠くを見ないと、足が前に出ない。いつもと景色が違って、世界が変わって見える。
 (これはいい。凛とした姿勢。これからのオレの生き方を示唆してくれているようだ) 
 いい買い物をしたとほくそえんだが、転んだときのことを考えると、もう買って一ヶ月はたつというのに、まだ履くことができないで部屋の飾りになっている。



『たけくらべ』の人々 その7  田中 優子 

2015年09月23日 00時04分46秒 | 古典
 『たけくらべ』の人々 その7  田中 優子 

 三五郎はもっとも貧しい階級の少年である。6人兄弟の長男で、13歳のときから働きつづけている。祭になっても揃いの浴衣を作れず、家族が世話になっている正太郎にも長吉にも頭が上がらない。暴力を振るわれても、生活のためにそれを親に告げられない。大人の世界の貧富の差を、子供の身体の中に組み込んで生きているのだ。だからこそおどけ者で、皆を笑わせ愛され、そういうふうになんとか日々を生きている。
 『たけくらべ』はこのように、ストーリーよりキャラクターの小説である。人の顔が生き生きと生々しく見えてくるそのことこそ、『たけくらべ』の特質であり、それが近世(江戸)らしさであると同時に、近代なのだ。他にもたくさんの、注目すべきキャラクターが『たけくらべ』には見える。それはまた、次章に書こうと思う。美登利は彼ら個性的な子供たちのひとりであり、彼らの群れの中から立ち上がり、動き出す。
 私は一葉の作品に、まず、登場人物たちの多様さと個性とを感じ取る。そのたびに、彼女がじつに細やかにひとりひとりの人間を見つめ、その人の立場になり、深い想像力、洞察力を働かせて書いていたことがわかる。一葉の能力のもっとも優れている点は、他人への想像力である。すでに『たけくらべ』の時点で一葉は、人間とは何か、人間はなぜ生きるのか、という哲学に歩み出していた。

『たけくらべ』の人々 その6  田中 優子

2015年09月21日 00時17分16秒 | 古典
 『たけくらべ』の人々 その6  田中 優子

 長吉は、鳶の頭を父親にもつ。鳶職は高いところで仕事をする職人のことだが、江戸時代ではそれ以上の意味がある。火消しのリーダーが鳶の頭なのである。江戸の町火消しは「いろは」で分けられた47組、約1万人の大組織(時期によって変動)で、その各組のリーダーが頭である。水で消火し切れないため、鳶は迅速に家を壊して空き地を作り、類焼を防ぐ作業の中心を担う。自分も命をかけながら、人の家を壊す決定を下さなければならないため、コミュニティの人々から篤い信頼を受けている人物だけが頭になれる。
 江戸時代においては収入や職業とは関係のないところで、このように尊敬を集める人物がいた。そして彼らもまた、人のために生きることに、誇りをもっていた。世間で一目置かれる、という存在である。長吉はその誇りの中に生きる、乱暴で粋な少年だが、明治にあってその存在も誇りも、風前の灯であることはいうまでもない。さまざまな新らしい人間が台頭してくるなかで、長吉は相変わらず「喧嘩をふっかける」というかたちでしか、その相対的な誇りを保てないのであるが、「義に篤い」という性格は受け継がれている。