民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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説き語り「源氏物語」 村山 リウ その14 浮舟

2015年11月29日 00時56分45秒 | 古典
 説き語り「源氏物語」 村山 リウ その14 講談社文庫 1986年(昭和61年)

 浮舟―――三角関係にゆらぐ女心

 薫の知性にひかれ、匂宮の情熱にも負けてしまう哀しさ。二人の間を揺れ動いた女性が、恋を捨て世を捨て始めて強い女に生れ変る。

 この時代、目に見える形の美を表現する言葉に「をかし」というのがあります。見るからに美しい女性を、こういいます。
 浮舟は、美しい女性でした。「をかし」という形容にふさわしい女性です。けれども、残念ながら、内容がちょっともともなわなかった。外見の美しさにみあうだけの知性や理性が、ちょっと欠けていたんです。それが、この女性の生涯を不幸にしてしまった、そういってよいでしょう。

説き語り「源氏物語」 村山 リウ その13 大君(おおいきみ)

2015年11月27日 00時20分24秒 | 古典
 説き語り「源氏物語」 村山 リウ その13 講談社文庫 1986年(昭和61年)

 大君(おおいきみ)―――永遠の愛をもとめて

 女三の宮と柏木との運命の子、薫が深く愛した女性。結婚を拒否し、薫の愛に死をもって応えた、もっとも激しく純粋な愛とは・・・。

 源氏の君が世を去ってから、すでに十年に近い年月が流れました。
 さまざまな愛の形がある中で、死をもってまっとうする愛とは、いったいどんな愛なのでしょうか。もっとも純粋で、もっとも激しい愛といったらよいでしょうか。
 死ぬことによって永遠性を持つ愛。源氏の君の世代から数えて三代目。薫の愛した女性大君の愛とは、まさに死ぬことによって完成された悲しくも激しい愛でした。

説き語り「源氏物語」 村山 リウ その12 紫の上

2015年11月25日 01時31分52秒 | 古典
 説き語り「源氏物語」 村山 リウ その12 講談社文庫 1986年(昭和61年)

 紫の上―――生涯をかけた愛の果てに

 源氏に最も信頼された完璧な妻。絶対的愛をかちえたと信じても、いわば内縁関係。女三の宮の降嫁を機に不信と絶望を募らせてゆく。

 愛して愛し抜いていく強さと、ふとしたことでくずおれてしまう弱さと、どちらも人の愛であるゆえに表裏一体となってついてまわるものなのでしょうか。
 源氏の君が生涯にわたって愛したただ一人の女性。紫の上は、愛されながら持ち前の聡明さで自己形成に精進した女性です。源氏への愛のために、また自分自身のために、紫の上はだれよりもすばらしい。だれにも後ろ指をさされない女性になろうとしました。
 けれども、そうした精進のすきをつくかのように襲う愛の裏切りと、自分の力ではどうにもならない世の中のならい。幸せなはずの愛は悲しみに色どられていきます。

説き語り「源氏物語」 村山 リウ その11 女三の宮

2015年11月23日 00時14分43秒 | 古典
 説き語り「源氏物語」 村山 リウ その11 講談社文庫 1986年(昭和61年)

 女三の宮―――幼妻のいたいけな愛のゆくえ

 晩年の源氏に降嫁した帝の愛娘。その幼さが源氏を失望させ、柏木との過失を招く。源氏の老いと苦悩を浮き彫りにする正妻。

 歴史の中で、女はいつも生きにくい思いをしてきました。権力を持っていたのが、いつも男だったからです。けれど女であろうとも、自分の意志をはっきり持ち、自分の行動に責任を持った女は、そう不幸な一生を送ってはいません。
 女三の宮は帝の娘という最高の身分。もっとも権力に近い高貴な身分に生まれた女性でした。父帝の限り内愛に包まれて育っています。ところが、ついに自己形成をすることなく、幸せから遠のいた一生を送ってしまうのです。もっとも本人は不幸の自覚すらあまりなかったのですが。
 そしてこの女三の宮の存在が、源氏の君の栄華の裏の苦悩と老いを浮きぼりにしていきます。

説き語り「源氏物語」 村山 リウ その10 玉鬘(たまかずら)

2015年11月21日 00時25分21秒 | 古典
 説き語り「源氏物語」 村山 リウ その10 講談社文庫 1986年(昭和61年)

 玉鬘(たまかずら)―――分別ざかりの中年源氏の前に現れた、夕顔の忘れ形見。源氏の好き心をかわし、前向きに毅然と生きた、賢いマイ・フェア・レディ。

 人の一生の幸不幸は、だれにも予測することができないものです。高貴な身分に生まれたものみなが幸せになるとも限らなければ、不運のうちに育とうとも、自分で道をきり開き、幸せを手にするものもいます。
 数奇な運命をたどりながら、前向きな努力と知性、思慮深さで、幸せに満ちた後半生を送ったのが玉鬘。源氏物語の女性の中で、明石の上さえも越えてもっとも幸せに生きた女性です。こんな玉鬘は、今という時代に放り出しても、立派に生きていかれる女性です。それだけにまた、私たちが学ぶべきろころをいっぱいそなえた女性ともいえましょう。