民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「八百屋お七」(猥歌版)

2013年07月23日 00時16分23秒 | 大道芸
 「八百屋お七」(猥歌版) ネットより

(前唄) 
さては一座の 皆様方よ ちょいと出ました 私は お見かけどおりの 悪声で 
いたって色気も ないけれど 八百屋お七の 物語 ざーっと語って 聞かせましょう 
それでは一座の 皆様方よ ちょいと手拍子 願います

(本唄)
 ここは駒込 吉祥寺 寺の離れの 奥書院 
ご書見(しょけん)なされし その後で 
膝をポンと打ち 目で知らす うらみのこもった まなざしで 
吉さんあれして ちょうだいな (ソレソレ)

 八百屋お七の みせさきにゃ お七のすきな 夏なすび 
元から先まで 毛の生えた とうもろこしを 売る八百屋 
もしも八百屋が 焼けたなら いとし恋しの 吉さんに 
また会うことも できようと 女の知恵の 浅はかさ 
一把(いちわ)のワラに 火をつけて ポンと投げたが 火事の元 (ソレソレ)

 誰知るまいと 思うたに 天知る地知る おのれ知る 
二軒どなりの その奥の 裏の甚兵衛さんに 見つけられ 
訴人せられて 召し捕られ 白洲(しらす)のお庭に 引き出され 
一段高いは お奉行さま 三間下がって お七殿 
もみじのような 手をついて 申し上げます お奉行様 (ソレソレ)

 私の生まれた 年月は 七月七日の ひのえうま 
それにちなんで 名はお七 十四と言えば 助かるに 
十五と言った ばっかりに 助かる命も 助からず 
百日百夜は 牢ずまい 百日百夜が あけたなら 
はだかのお馬に 乗せられて なくなく通るは 日本橋 (ソレソレ)

 品川女郎衆の いうことにゃ あれが八百屋の 色娘 
女の私が ほれるのに 吉さんほれたは 無理は無い (ソレソレ)

 浮世はなれた 坊主でも 木魚(もくぎょ)の割れ目で 思い出す 
浮世はなれた 尼さんも バナナむきむき 思い出す 
まして凡夫の われわれは 思い出すのも 無理は無い 
八百屋お七の 物語 これにてこれにて 終わります

「酔狂態」 マイ・エッセイ 1

2013年07月19日 00時17分00秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   酔狂態

 桜桃忌が六月十九日、三鷹市の禅林寺で行なわれるのを知って、もう四十年になる。私はそれ以来、桜桃忌を忘れたことはない。
 作家太宰治が愛人とともに玉川上水に入水自殺し、遺体が上がった日を命日として、晩年の名作「桜桃」にちなんでつけられた法要で、不思議にその日はたいがい雨が降る。
 その桜桃忌へ、学生時代に行ったことがある。近所の酒屋で二合瓶を買って、太宰の墓にかけてやった。
 本堂では法要が行われていた。もしかして知っている作家に会えるかと思って、墓地で法要が終わるのを待っていた。
 すると、まだ読経が聞こえるなか、着流しの人がふらふらと歩いてきて、墓地の中にある鐘楼に登ると、鐘を突き始めた。
 (山岸外史さんだ)おれは直感した。
「人間・太宰治」という、太宰との交友を書いた本を読んでいて、名前は知っていた。
 太宰のことを書いた本の中で、おれが一番気に入っていた本だ。
 鐘を突き終わると、かなり酒に酔っているらしく、足をふらつかせながら歩いてきた。初めて見る山岸さんの姿は、おれが描いていた「文士」のイメージ、そのままだった。
 その時の思いを手紙に書いて、山岸さんに出した。
「あれは『酔狂態』というものです」という返事の葉書がきた。「酔狂態」、初めて聞く言葉だった。

 それから、しばらくして、山岸さんの家を訪ねた。奥さんらしい人に来意を告げると、奥の部屋に行った。
「あそこに山岸さんがいるんだな」胸をときめかせた。
 ほどなく戻ってくると、「いま、とても時間を大切にしている。会っている時間はない」と言われた。
 おれは返す言葉もなく、むなしく帰った。
 あれから、もう四十数年、「時間を大切にする」という意味がよくわかる。
私もあの時の山岸さんと同じくらいの年になった。

「歌舞伎十八番」 外郎売

2013年07月17日 21時07分37秒 | 名文(規範)
 「歌舞伎十八番」 十二代目 市川団十郎 著  河出書房新社 2002年

 <言い立てのない「ういろう」>

 「外郎売」も独立した芝居ではなく、一つの演技形態といえます。
外郎という名の渡来人が、小田原で売り出した薬「透頂香(通称ういろう)」を売り歩く時の宣伝口上
つまり「言い立て」を弁舌爽やかにお聞かせする趣向です。

 父は、市川宗家と養子縁組をして九代目海老蔵を襲名した昭和十五年五月、
歌舞伎座で川尻清潭先生の脚本による「ういろう」で外郎売を演じています。
舞台は鬱蒼とした箱根権現の杉林、ちょうど辻行燈が並んでいる「妹背山婦女庭訓」の道行のような装置で、外郎売に身をやつした曽我五郎と虚無僧姿の十郎が、そこで仇の工藤祐経と出会うという筋です。
 この「ういろう」には眼目の言い立てがなく、その部分は長唄と常磐津による踊りでした。
私は、昔のように外郎の言い立てを復活できないものかと構想を練りましたが、
肝心の言い立てをどのようにしゃべったらいいのか見当がつきません。
 その後、思いがけなく外郎の言い立てをしている講釈師のテープが見つかり、それが突破口になりました。

 <復活>

 さっそく劇作家の野口達二先生に構想を伝えて台本を書いていただきました。
野口先生は、ひとりでしゃべるにはあまりにも膨大な量の「言い立て」を大薩摩を入れて
ちょうどいい寸法にしてくださいました。
 
 舞台装置も背景を富士山にして、松を配し、二代目が活躍した頃の芝居小屋を模して破風造りの
屋根をかけるなど私の希望をくんで、鳥居清先生に道具長を描いていただきました。
 こうして新しい「外郎売」を昭和五十五年五月、歌舞伎座の円菊祭で上演することができました。

 「外郎売」復活には、また現実的な理由もありました。
 歌舞伎の正月公演には曽我物を上演する習慣があり、長い間に上演された曽我物の芝居は
数知れずあるのです。
ところが、近年は「寿曽我対面」ばかりで、若手の頃の私も朝の序幕に「対面」ばかりやらされていました。
「対面」にかわる明るくめでたい曽我物はないかと考え、思いついたのが「外郎売」でした。
 こうして復活した「外郎売」は、その後幾度も再演する機会を得て、
今年襲名した松緑も演じてくれました。
倅の新之助は六歳の初舞台に私とふたりで外郎売を勤め、今年の一月には狂言なかばの口上に
市川家の「睨み」を加えた演出を、大阪松竹座でお目にかけました。
「外郎売」がこれからも演じ継がれていくように、立ち廻りや口上などさらに練り上げていきたいと
思っております。

「外郎売」 解説

2013年07月15日 00時26分07秒 | 名文(規範)
 「歌舞伎十八番」 十二代目 市川団十郎 著  河出書房新社 2002年

 「外郎売」 解説

 七代目団十郎が制定した歌舞伎十八番の名目では「外郎」である。
 「外郎売虎屋藤吉」などと役名をつける表現から、現代は一般に「外郎売」の名で知られている。
市川団十郎が小田原の外郎という薬を売り歩く行商人の扮装で現れ、この薬の由来や効能を、
すらすらとよどみなく述べ立てる。

 享保三年(1718)正月江戸森田座の「若緑 勢曽我(わかみどりいきおいそが)」の中で、
二代目団十郎の扮する畑六郎左衛門という人物が、外郎売の姿で登場し、
長い「言い立て」のせりふを滝の流れるように流暢に、勢いよく述べ立てて大好評を博したと言う。
弁舌に優れていた二代目の特徴を十分に発揮させようとの意図によって創作された役であろう。
頭巾をかぶり薬箱を背負ったユニークな扮装と、長せりふを心地よく聞かせるだけの役だから、
とくに荒事の様式的な演技があるわけではないのに、江戸の外郎家に伝わる伝承によると、
実際に外郎売の行商をしたことはないのだが、
二代目団十郎の懇望によってその扮装で売り歩いたとする創作を許したのだと伝える。
実情はわからない。

 二代目が大阪に上った時「外郎売」を演じたが、いざ眼目の長いせりふにかかろうとすると、
意地の悪い観客が早口で先回りして言ってしまった。
二代目は少しも慌てず、せりふを終わりの方から逆にすらすらと言ってみせ、
観客を一驚させたと伝えられる。
話の真偽は別として、二代目の偉大さ讃仰して語られた逸話であるのは間違いない。

 天保三年(1832)三月、七代目団十郎が「助六」を上演した時、十歳の海老蔵改め八代目団十郎に、
外郎売の藤吉が吉原の廓内に登場する趣向で勤めさせた。
しばらく中絶していたのを、大正十一年九月の帝国劇場で、
市川三升(十代目団十郎)が常磐津の所作事で独立させて上演した(平山晋吉脚本)。
その後、昭和十五年五月の歌舞伎座で、十一代目団十郎が市川宗家の養嗣子になって海老蔵を襲名した時、
「曽我対面」の趣向を借りて「歌舞伎十八番の内 ういろう」の外題で復活した(川尻清潭脚本)。
いずれも眼目の言い立てが所作事仕立てになっていた。

 昭和五十五年五月、海老蔵時代の十二代目団十郎が復活した作(野口達二脚本)が
「歌舞伎十八番」と銘打って現在も行われる。
曽我物の一場面とした設定で、富士山を背景にした初春の大磯の廓で、
外郎売 実は曽我五郎が敵の工藤祐経に対面する趣向の創作である。
この作では、外郎の言い立てを本来のせりふに戻した。
昭和六十年五月の歌舞伎座、十二代目団十郎襲名披露の興行で、七代目市川新之助の初舞台も披露された。
この時の狂言が「外郎売」だった。
野口達二が前作を改訂し、団十郎の外郎売が新之助の扮する貴甘坊と連れ立って登場し、
言い立ては貴甘坊がすべて演じるという趣向にしてあった。


「吉原言葉」

2013年07月09日 00時13分02秒 | 雑学知識
 「吉原言葉」 ネット「吉原雀」より

「大かた、内にはおかみさんがござんせうね」
きっと、家には奥さんがいるんでしょうね。

「生まれつきでおすものを」
生まれつきなんだから(しょうがないでしょ)

「後生だから、ちっとものを言わずにいておくんなんし」
お願いだから、少し黙っててくんない

「わつちやァいや」
え~、私ヤダぁ~

「もちっとゐなんせ、まだはやうおざんす」
もうちょっと居てよ、まだ早いわよ

「すかん」
嫌い

「モシヘわつちやたつた一つねがいがござんすよ」
あのね、私一つなんだけどお願いがあるの

「ほんにかへ」
本当?

「嘘をおつきなんし、よくはぐらかしなんすヨ」
もう、嘘ばっか言わないでよ、ごまかしてばっかりなんだから

「あい、お出でなんし、おあがりなんし」
はい、いらっしゃいませ、上がっていって下さい