民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「花咲き山」 斎藤 隆介 オリジナル

2012年10月29日 01時15分12秒 | 民話(おとぎ話・創作)
  プロローグ 花咲き山   斉藤隆介

 おどろくんでない。おらは この山に 一人で住んでいる 婆(ばば)だ。
山ンば という者もおる。
山ンばは、悪さをする という者もおるが、それはうそだ。
おらは なんにもしない。
臆病なやつが、山ン中で 白髪(しらが)のおらを見て 勝手にあわてる。
そしては 弁当を忘れたり、あわてて 谷から落ちたり、それが みんな おらのせいになる。
 
 あや、お前は たった十(とお)の女(おな)ゴわらしだども、しっかり者(モン)だから、
おらなんど おっかなくはねえべ。

 ああ、おらは なんでも知ってる。
お前の名前も、お前がなして こんな奥まで のぼって来たかも。
もうじき 祭りで、祭りのごっつぉうの 煮しめの山菜を とりに来たんだべ。
ふき、わらび、みず、ぜんまい。
あいつを あぶらげと一緒に煮ると うめえからなァ。

 ところがお前、奥へ奥へと来すぎて、道に迷ってこの山サ入ってしまった。
したらば、ここに こんなに一面の花。
今まで 見たこともねえ花が 咲いてるので、ドデンしてるんだべ。
な、あたったべ。
 この花が、なして こんなにきれいだか、なして こうして咲くのだか、
そのわけを、あや、おめえは知らねえべ。
それはこうしたわけだしゃーー。

 この花は、ふもとの村の人間が、やさしいことを一つすると 一つ咲く。
あや、お前の足もとに 咲いている 赤い花、それは お前が昨日(きんの)咲かせた花だ。
昨日(きんの)、妹のそよが、
「おらサも みんなのように 祭りの赤いベベ 買ってくれ」
って、足をドデバダして泣いて おっ母(か)あを困らせた時、お前は言ったべ。
「おっ母(か)あ、おらはいらねえから、そよサ 買ってやれ」
そう言った時、その花が咲いた。

 お前は 家が貧乏で、二人に 祭り着を買ってもらえねえことを 知ってたから、自分は辛抱した。
おっ母(か)あは、どんなに助かったか!
そよはどんなに喜んだか!
お前はせつなかったべ。

 だども、この赤い花が咲いた。
この赤い花は、どんな祭り着の花模様よりもきれいだべ。
 ここの花はみんなこうして咲く。

 ソレ そこに、露(つゆ)をのせて 咲きかけてきた 小さな青い花があるべ。
それは ちっぽけな、双子の赤ン坊の 上の子のほうが、今 咲かせているものだ。
兄弟といっても、おんなじ時の わずかなあと先で 生まれたものが、
自分は あんちゃんだと思って じっと辛抱している。

 弟は、おっ母(か)あの 片っ方のおっぱいを ウクンウクンと呑みながら、
もう片方のおっぱいも、片っ方の手でいじくっていて放さない。
上の子はそれをじっと見て あんちゃんだから辛抱している。
目に一杯涙をためて------。その涙がその露(つゆ)だ

 この花咲き山 一面の花は、みんな こうして咲いたんだ。
つらいのを辛抱して、自分がやりたいことをやらないで、涙を一杯ためて辛抱すると、
そのやさしさと、けなげさが、こうして花になって、咲き出すのだ。

 花ばかりではねえ。この山だって、この向こうの 峰つづきの山だって、
一人ずつの男が、生命(いのち)を捨てて やさしいことをした時に 生まれたんだ。
この山は 八郎っていう山男が、八郎潟に沈んで 高波を防いで 村を守った時に 生まれた。
あっちの山は、三コっていう大男が、山火事になったオイダラ山サ かぶさって、
村や林が燃えるのを防いで 焼け死んだ時に できたのだ。

 やさしいことをすれば花が咲く。命をかけてすれば山が生まれる。
うそではない、ほんとうのことだ・・・・・。

 あやは、山から帰って、お父(と)うや おっ母(か)あや、みんなに 山ンばから聞いたこの話をした。
しかし、だァれも 笑って ほんとうにはしなかった。
「山サ行って、夢でもみてきたんだべ」
「きつねに化かされたんではねえか。そんな山や花は 見たこともねえ」
そう言った。

 そこで あやは、また一人で 山へ行ってみた。
しかし、今度は 山ンばには会わなかったし、あの花も見なかったし、花咲き山も見つからなかった。
 
 けれども あやは、そのあと ときどき、
「あっ!今 花咲き山で、おらの花が咲いてるな」って思うことがあった。 (終わり)
 

「花咲き山」 斎藤 隆介 リメイク 3 ショート・バージョン

2012年10月28日 01時10分58秒 | 民話(リメイク by akira)
 「花咲き山」 ショート・バージョン 斉藤隆介 リメイク by akira

 今日は「花咲き山」って、ハナシ やっか。
(花が咲く山 って、書いて、花咲き山だ。)

 おれが ちっちゃい頃、ばあちゃんから 聞いた ハナシだ。
ほんとか うそか わかんねぇ ハナシだけど ほんとのことだと 思って 聞かなきゃなんね。

 このハナシには あや っていう子が 出てくる。
(ひらがなで あや だ)
おれは このハナシ、イヤっていうほど 聞かされたが、
(ばあちゃん、このハナシが 好きだったからな)
このハナシを聞くたび、この あや って子は ばあちゃんの ことじゃねぇか と思って 聞いてた。

 一度 ばあちゃんに 聞いてみたことがある。
「この あや って子は ばあちゃんの ことじゃねぇのけ?」
ばあちゃん、笑ったきり 答えて くんなかった。

 むかしの ことだそうだ。

 ある 山のふもとに あや っていう子が いたと。

 ある日(のこと)、あやは、おかぁに頼まれて、山に ワラビを取りに 行ったと。
ところが、ワラビをさがしてるうち、いつのまにか 道に 迷っちまったと。
あっちこっち、うろうろしていると、いい 花の香りが してくる 山を 見つけたと。
誘われるように 山に入って行くと、色とりどりの 花が 一面に 咲いているところに 出たと。

 あやが 夢中になって 花を見ていると、後ろに 誰かいる気配を 感じたと。
ふり返ってみると、まっ白の髪を 腰ぐれぇまで伸ばした ばさまが 杖をついて 立っていたと。

 「やまんば!?」
あやは 山には やまんばていう こわい ばさまが いるっていう うわさを思い出した。
(あやが)驚いて 立ちすくんでいると、
「驚くんでねぇ。・・・おめぇに 話してぇことがある。・・・まぁ、そこにすわれ。」
あやが 言われるままに すわると、ばさまも 一緒に すわって、やがて 話し 始めたと。

 「わしは この山に 住む 婆(ばば)だ。(以下 やまんばの独白)
わしのことを やまんば などと言って こわがるヤツもいる。
だが、わしは 人が こわがるようなことを したことは ねえ。

 臆病なヤツが 山ん中で わしに出会うと、こわがって 逃げようとする。
(まるで 化けモンにでも 出会った ようにな)
あわてて 逃げるもんだから、転んで 怪我をしたり、中には 崖から 落ちるヤツもいる。
人は みんな それを、わしの せいに する。
困ったもんだ。
 

 あや、おめぇは やさしい子だから、わしのこと ちっとも こわく なかんべ。
あっ、今、なんで おらの名前 知ってんだべ って、顔 したな。
わしは なんでも 知っている。
おめぇの 名前も、・・・おめぇが、どうして、この山に 来たのかもな。

 どうだ、この 一杯に 咲いている花、・・・きれいだべ。
どうして、こんなに 一杯 花が咲いているか、知りたくねぇか。
おめぇには 教えてやろう。

 人が ひとつ やさしいことをすると、この山に ひとつ 花が咲く。
この 山の花は みんな 人の やさしさが 咲かせたものだ。

 あや、そこに 赤い花が 咲いているべ。
その 赤い花は 昨日、おめぇが 咲かせた花だ。

 あや、昨日のこと 覚えているか?
昨日、おめぇは おかぁと 妹のそよと 三人で、祭りで着る 着物を 買いに行ったべ。
そして そよが、
「おら、この 赤いべべがほしい。」って、駄々こねて、おかぁを 困らせた時、
おめぇは 言ったべ、
「おかぁ、おら、いらねぇから、そよに 買ってやれ。」・・・ってな。

 そう言った時、その 赤い花が 咲いた。

 おめぇは 家(うち)が貧乏で、二人に 着物を買う 金が ねぇことぐらい 知っている。
だから、おめぇは 自分だって 新しい着物が ほしいのを ガマンして、そよに 譲ってあげた。
おかぁは どんなに ありがたかったか。
そよは どんなに 嬉しかったか。

 おめぇは せつなかったべ。
祭りの 時には、友達 みんなが 新しい 着物を 着てくる。
そん中で、おめぇだけ 一人、古い 着物を 着て行くのは つらいもんな。

 だけど、おめぇは ガマンした。
妹のためを思って ガマンした。
おめぇの その やさしい気持ちが、その 赤い花を 咲かせた。

 この 山の花は みんな そうした 人のやさしさが 咲かせたものだ。
ウソじゃねぇ、ほんとのことだ・・・。あや、おめぇには わかるな。」(以上 やまんばの独白)

 「うん。」
あやが こくりと うなづくと、(ここからは昔話の語り口調で)
ばさまは あやを 背中におぶって、風のような 速さで 山ん中を 走り、
あっという間に 家(うち)の近くに 着いたと。
そして、あやをおろすと、あやの頭を なで、
「おめぇの その やさしい気持ち、いつまでも そのままにな。」
 そう言うと、(お礼を 言う間もなく)山ん中へ 消えていったと。 

 うちに帰って、おとぅと おかぁに 山でのことを 話すと、
「そんな 一杯に 花が咲いている 山が あるなんて、見たことも 聞いたこともねぇ。
夢でも 見たか、それとも キツネにでも 化かされたんじゃ ねぇのか。」
 そう言って、本気にしては もらえなかったと。

 それから、あやは もう一度 あの花が 見たいと、何度か あの山を 捜しに 行ったと。
だけど、ばさまに 会うことも、あの花を 見ることも できなかったと。

 けれども、あやは、そのあと、
「あっ、今、あの山で おらの花が 咲いた!」って、思うことが あったと。

 おしまい 
 

「立ってみなさい」 あとがき  

2012年10月23日 11時09分27秒 | 民話(語り)について
 「立ってみなさい」 あとがき  斎藤 隆介 短編集 

 この、短編集「立ってみなさい」におさめた二十八編は、日教組の機関紙「教育新聞」に、八年前から毎月一つずつのせたもののうちの半分が中心です。
 別の半分は、前に「ベロ出しチョンマ」という一冊にまとめて理論社から出版され、昨年度の小学館文学賞を受けました。

 あれは創作だけをおさめたのですが、好意的に批評してくれた新聞や雑誌の中でも、「東北民話」を見事に再話している」なぞという批評もあって、作者としては残念でした。
 そこで今度は、その時いれなかった再話もいれました。前半の「昔ばなし」というのがそれです。
 
 昔ばなしを再話する、ということには、たいへん大切な意味があると思います。
 考古学者が土の中から掘り出して研究している土器やその他の品々は、私たちの祖先の生活を教えてくれますが、いま私たちが使っている言葉や語り伝えられている昔ばなしには、私たちの先祖の日本人の生活と心が生きています。
 それを知り、受けとり、子孫に伝えていくのは私たちの大切な仕事でしょう。

 少し前のひと時、「民話ブーム」と呼ばれた時があったのは、私たちが、日本人の歴史と、祖先の生活を、ほんとうの働く人民の中に生きて伝えられて来たはなしの中から知ろうとしたことから始まりました。
 こういう、ほんとうの民主主義から始まったものが、「ブーム」と呼ばれるようになった頃には商業主義と結んで、無責任で単調なくりかえしになり、今は「ブーム」も終わりに近づいているようです。

 民話に対しては、いま残っているものを正確に記録する採集と、新しい語り手をして作家が参加する再話との二つの方法があると思います。
 木下順二さんが言っておられるように、「再話」は「再創造」でなくてはならないでしょう。

 語り伝えられてきた民話と自分とが重なり合い、それを通過するのでなくてはならないでしょう。
今日まで語り伝えられて来た民話も、こうして次々の語り手に依って徐々に変わって来たものです。そして語り手の命の露でふくらんだものだけが時間のふるいにかけられて残って来ました。

 私も、新しい語り手として民話の再話に参加したものが前半の「昔ばなし」です。私の真紅の命の露でふくらんでいなければそれは消えてしまうでしょう。消えるか残るかは、皆さんがお読みになって下されば分かることです。

 さてしかし、再話を続けているうちに、どうしてももどかしいものが心に動いて来るのを感じました。
 そこで民話という民族的な形を借りて自分の心にいま一番問題になっていることを書いてみたのが後半の「新しい話」の数篇です。
 そして更に、「新しい話」の中には、民話の形を借りないで自由に書いたものもあります。もう民話の形をとらない方が、一層よく自分の言いたいことが言える、と思ったものです。その作品の中では、「たたかう人びとを描かねばならぬ」ということが私の中心課題でした。

 私は今まで一貫して「献身」というテーマを追求して来ました。マイホーム主義ではマイホームを守れないのは明白です。逆に、何千万の仲間のために命を捨ててもたたかう道をゆくことにこそほんとうの幸せはあると思うのです。「マイホーム主義」と「よい子教育」のどぶ泥を浴びせられている少年少女たちの心に、一段高い、そして真実の幸せへのあかりがともることを祈って、新しい話は書かれました。

 来年は七十年安保の年です。「でえだらぼう」の様にスックと立ち上がり、たたかう事に依って自分の背丈を伸ばし、国の中の天狗を追い出して国境でズンガと突っ立とうではありませんか。

 1969年10月                      斎藤 隆介

「現代に生きる民話」  大川 悦生

2012年10月21日 00時09分48秒 | 民話(語り)について
 「現代に生きる民話」 大川 悦生 P-62「手っきり姉さま」 能田 多代子 1958年 青森県五戸

 昔話の語られるのは、どんな時が多いかというと、寒い日の4,5人の子供達のつどいに、火を囲んで家の年寄りが語ってくれることが常ではあるが、家の赤ん坊がようやく足が立ってヨチヨチ歩くようになり、手足が氷のように冷たくなったりすれば、祖母や姉達が抱えて炉の辺りに座り、焚き火で温めてやったり、炬燵の中に入って、さあさあ むかし教えるからとか、桃太郎のむかしとか 言って、昔話に気をまぎらかして、「むかしァ、あったじォんなァ」と語りだせば、「はァ」と相槌を打つことを覚えさせ、それから甘い桃が川から流れてくるのに興味をそそり、次に「うまい桃こァ、こっちゃァ来い」と歌ってやり、「大けィ桃こだ、うまそな桃こだ」と、子らの注意を引くようにして、温めながら語ってやる。

 後には 子らも次々に文句を覚え、その中に 自分から歌ったり、手を振ったりして、桃を招く動作をするようになるのであった。

 桃が川を流れてくる時の掛け声は言葉ではなく、おもしろいわらべ歌で、また手を上げて、桃を招くさまは、物まねで踊りといってもよいかもしれない。

 まず、いわゆる五大おとぎ話の類が、幼児に聞かせる話になっているのだが、単純化された物語のうちに、
幼児が自然になじんでいけるような道具だてと、表現とが、みごとに織り込まれていること。

「桃こがつんぶらつんぶら」とか、「じゃくっと割れて」とか、「ほほげァほほげァ」といった擬音や擬声音、また調子よく歌って聞かせる「うまい桃こァ、こっちゃァ来い」のわらべ歌、それに身振り手振りまで加わる。

 こうしたものがあってこそ、冷えたこの体へ 親の体温が伝わって暖めていくように、昔話は伝えられたのであろう。

「語りの世界」  ブログ「変幻自在」より紹介

2012年10月19日 00時03分33秒 | 民話(語り)について
 語りの世界  ブログ名 変幻自在 より

長岡を中心とする新潟中越地方は、物語を人に聞かせる「語り」の文芸が著しく発達した地域だそうです。
「昔話」など人に話しかける「話語り」。そして、今回の「瞽女唄」などに代表される、
楽器の伴奏を伴い歌いながら語る「唄語り」。

《文章に記された「昔話」は楽譜みたいなもので、語られることで完成する。》
みたいなことをこのイベントの中で聞きました。(←誰が話されたのかとか、もう、うろ覚え;;)
約40年前の記録映像作品『雪国の夜語り』での、下條登美さん他3人の昔話伝承者であるお婆さんたち。
そして、第二部で実演された4人の現代の語り手の方達。
ふと興味を持ってから初めて「昔話」の「語り」を目の当たりにして、それを実感しました。

『越後山襞(やまひだ)の語りと方言』(高橋実・著/雑草出版)の中での一文。
「かつての昔話は、聞き手に相槌を要求し、聞き手が退屈していると、話をはしょってしまう。
昔話は語り手が一方的に話すのではなく、聞き手と一緒になって作ってゆく世界だった。」

「サーンスケ」と子ども(聞き手)が相槌を打つ、本来そうであった形の「昔話」の姿を映像で確認。
映像では過不足なく語られていたが、聞き手の具合によってはしょったり、
逆に興が乗って盛ったり、といった本来はアドリブ全開の世界なんだなあと納得。
また、映像や実演で語られた方それぞれの声やテンポや間(ま)。語り手そのものが醸し出す雰囲気。
「音」として耳に入る擬声語・擬態語、あるいは方言が、文字以上に話を生き生きとさせる効果――。

本当に、もとの楽譜たる「昔話」が、語り手(演者)によって微妙に違う味わいで完成されるのですね。
なるほど、なるほど。
地味にしみじみと、そんなことに頷いて、とても楽しんできました。

10年近く前に長岡に引っ越した時は、「なんで長岡?」なんて訊かれ、
私自身よくわからないけど「なんか長岡」なんて答えたものでしたが。
漠然となんとな~く興味があった「昔話」。
これが長岡に来てみて、興味深い本に幾つか出会う中で、
生まれ育った新潟中越地方というのが非常に「昔話」が充実している地域であることを知り。
昨年の「長岡アジア映画祭」で「瞽女」という盲目の女旅芸人の存在とその文化を知って、
よりこの地方の口承文芸の豊かさに触れ。
漠然とした興味だったものが、尊敬と畏敬の念をもって明確になっていき。
そして今回、このような催しを見ることもできて。
や~、長岡に越してきて良かったな♪ 

この地方の「語り」の文化、本当に素敵だと思います。
時代の中で一時は失われかけた「昔話」や「瞽女唄」。
この貴重な口承文芸がこれからも保存・継承され、また豊かになっていくことを祈ります。
(楽しんで祈るばかりで恐縮ですが…;;)