民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「甦る江戸文化」 西山 松之助

2014年05月23日 02時11分51秒 | 大道芸
 「甦る江戸文化」 人びとの暮らしの中で  西山 松之助 著 NHK出版 1992年

 「根無し草の両国盛り場」 P-192

 平賀源内が宝暦13年に刊行した「根無し草」に、両国の盛り場状況がいきいきと描きだされている。
 
 中略

 大衆芸能・大道芸など、庶民が野外で自らの芸を演じて、見る人から金を貰うという芸は、
江戸時代にも多種多様に発達したが、盛り場はそういう意味では最も重要な大衆芸能、
大道芸が集まっていたところであった。

 近代社会ではまったく見ることのできなくなったこれらの様々な芸を江戸では、
いわばごく普通の庶民が大道において見たり、聞いたりしていたのである。
そして芸を売る人たちと鑑賞する人たちの関係がきわめて和やかに成立していた。

 ただ見て素通りしていくのではなく、名人芸があると、
惜しげもなく金持ちでもない庶民が金や持ち物を芸人に投げ与える。

 芸人は芸を磨くために厳しいトレーニングをして、今では考えられないような見世物小屋、
大道芸の名人が多数存在した。これら大道芸の研究は必ずしもよくなされてはいないが、
私は、日本の盛り場におけるかつての芸は、想像以上に高度で多才であり、
すぐれた名人が多数輩出していたと考えている。

「外郎売」 東海道中膝栗毛より

2014年05月08日 23時19分34秒 | 大道芸
 「薬の社会史」日本最古の売薬 外郎・透頂香(ういろう・とうちんこう) 杉山 茂 著 1999年

 外郎の行商人が、中山道の本山宿の辺りで路上で口上を述べている光景を、
十返舎一九の「続膝栗毛」(1816)の弥次、喜多が次の様に述べている。

「向こうのかたより多ぜい両側にならびて、こえごえに呼はり、売りひろめゆくは、
相州小田原ういろう売りなり」とあって、

「コレハ相州小田原の名物ういらう、御用はござりせぬかな、~エヘン~。
そもそも拙者小田原のういらうの義は、お江戸をたって二十里かみがた、相州小田原の宿におきまして、
お上りならば左の方、お下りならば右の方、表竪(おもてたて)看板には、
桐に金けいの紋御赦免ありて、むかしは虎屋藤右衛門、唯今は名を頂戴仕りまして、
虎屋藤右衛門円斉武重と名をあらため売広めまするういらうの義は、一両、一貫百両百貫まで、
お買調(もとめ)くだされましても、おまけといふは一分一厘もござりませぬ。
なれども袖の振合せも、他生の縁とござりまして、お立合いのおかたへは一粒づつお振舞申ます。
江戸表におきましても、浅草お蔵前などにて、桐に菊、きんけいの紋を贋(にせ)まして、
をだはらの、ほだはらの、灰俵のういらうういしゃくいせっくいなどと書記(かきしる)しまして
甘茶、甘草さとうこせう(胡椒)、氷砂糖黒ざとう、鍋炭はうろうのかけ、そくひなどにて調合仕り、
売り広めまするういろうとは違ひまして、
拙者ういろうの義は、一粒をくちにくわへますれば、くるくるまわる所が、盆ござ盆米ぼんむしろ盆牛蒡、つみたてつみあげつみざんしょう、ここんこごめの粉生米、親も嘉兵衛子も嘉兵衛、親嘉兵衛子嘉兵衛、
かげまからがさかげま下駄、となりの茶釜はからちゃがま、こちらの茶釜もからちゃがまと、
かようにくちがまわるはまわるわ。」

 この外郎の販売員のセリフは、歌舞伎の「外郎売り」に大きく影響されているが、
古くからの販売員のそれに忠実な部分も多くあると思われる。
金鶏紋のセリフ等は昔から在ったものであろう。

「がまの油」 安野 光雅

2014年03月01日 21時09分04秒 | 大道芸
 「がまの油」  安野 光雅 著   岩崎書店 1976年(昭51年)

 (マッチ売りの少女ならぬ膏薬(がまの油)売りの少女の話)←akira
 原文は旧字体である 会い→會い  カタカナは使っていない フロッグ→ふろつぐ

 前略

 御立ち会い候へ ここに取り出せし 陣中膏を知り給はずや 
東方遥かなる じゃぱんより来る ふろつぐの油なり  
彼の国にては がまと呼べり がまの住めるは まうんとつくばの麓にして
露草と車前草(おほばこ)の根を噛みて育つといへり
前足の指は四本にして後足のそれは六本なり
人これを調べ 四六てんもんのがまと名づけたり

 今こそその油をとる技術を語らむ
四方かがみにて囲みたる箱に がまを入れし様を思ふべし

 その醜き姿は 幾重とも数知れず
大軍となりて蠢めかんに 彼の魂は氷の如く 彼の肌は火の如くなりて
滲み出る恐怖の毒油は 下のうけ皿に滴るべし

 集めたる油に加へしは 天竺の鹿の骨 あまぞんの鰐の黒焼 
赤き辰砂(しんさ) てれめんていな に まんていか
さらに高貴なる香烟(香煙)をくぐらせて 三七は二十一日間を煮つめたり

 この膏薬を購ひて 不治の床より起き出でたる人 数知れず
医者の多くは闇に乗じて街を去り給ひき

 試みに その効験を数へ上げむか
皹(ひび) 皹裂(あかぎれ) 陰金(いんきん) 頑癬(たむし) 
湿疹(しつ) 雁瘡(がんがさ) 瘍梅瘡(ようばいそう)
疣痔(いぼじ) 切痔(きれじ) 脱肛痔(だっこうじ)
穴痔(あなじ) じやつか痔も数ふべき

 就中(なかんずく) 凍傷に特効を示すこと 著しきをいかにせむ

 中略

 乙女は語りつぎぬ
 
 がまの油の効用は ただ病を癒すのみに候はず 刀の刃をも 止むるなれ
この雅光の名刀を はじめより刃の無きものと思はるるは 本意ならず
いまより 試し切りを見て候へ

 と 白き紙をとり出し 鮮やかに 二つに切りぬ

 二つに折りし 白き紙は さらに切られて四つとなり
四は八 八は十と六 と 次第に細かく刻まれたるを強く息かけて 吹き払へば 
紙片は風に舞い上がり 降る雪を欺(あざむ)く如く 散りしきぬ

 さて乙女は 刀に油をぬりたり 果たせるかな 再び紙の切れることなし

 後略

 あとがき

 一冊の本は、聞かれれば、私はためらわずに、森鴎外の即興詩人と答える。
原作のアンデルセンと共に、傾倒した東西二人の作家である。
それに私は落語が好きである。

 そんな私が、柱に頭をぶっつけたりしたら、何ができ上るか。
それが、この本であった。

 鴎外の、あの流麗、典雅な文語体にあやかりたいと、敢(あえ)て、
この全くちぐはぐなものを併せて一つにした。
もし文中に優れた個所が見出せたら、それは鴎外の影響である。

 さて、柱に頭をぶっつけてできた傷は、がまの油で治るだろうか。

 私は、昔、大道のがまの油売りの本物を、一度ならず見たことがある。
刀こそ使わなかったが、腕に針を通し、水を入れたバケツをそれにぶらさげて人を集めていた。
それは大道の物売りの常で、必ずしも薬効はないものと思っていたが、しらべてみたら冗談ではなかった。

 がまの耳栓から分泌する乳白色の液は、ブフォゲニンという一種の毒を有する。
中国ではこれを「せんそ」といい、がまの油や六神丸の原料となる。
「せんそ」は朝鮮人参や、牛黄と並ぶ有名な漢方薬の一つだということであった。

「八百屋お七」(猥歌版)

2013年07月23日 00時16分23秒 | 大道芸
 「八百屋お七」(猥歌版) ネットより

(前唄) 
さては一座の 皆様方よ ちょいと出ました 私は お見かけどおりの 悪声で 
いたって色気も ないけれど 八百屋お七の 物語 ざーっと語って 聞かせましょう 
それでは一座の 皆様方よ ちょいと手拍子 願います

(本唄)
 ここは駒込 吉祥寺 寺の離れの 奥書院 
ご書見(しょけん)なされし その後で 
膝をポンと打ち 目で知らす うらみのこもった まなざしで 
吉さんあれして ちょうだいな (ソレソレ)

 八百屋お七の みせさきにゃ お七のすきな 夏なすび 
元から先まで 毛の生えた とうもろこしを 売る八百屋 
もしも八百屋が 焼けたなら いとし恋しの 吉さんに 
また会うことも できようと 女の知恵の 浅はかさ 
一把(いちわ)のワラに 火をつけて ポンと投げたが 火事の元 (ソレソレ)

 誰知るまいと 思うたに 天知る地知る おのれ知る 
二軒どなりの その奥の 裏の甚兵衛さんに 見つけられ 
訴人せられて 召し捕られ 白洲(しらす)のお庭に 引き出され 
一段高いは お奉行さま 三間下がって お七殿 
もみじのような 手をついて 申し上げます お奉行様 (ソレソレ)

 私の生まれた 年月は 七月七日の ひのえうま 
それにちなんで 名はお七 十四と言えば 助かるに 
十五と言った ばっかりに 助かる命も 助からず 
百日百夜は 牢ずまい 百日百夜が あけたなら 
はだかのお馬に 乗せられて なくなく通るは 日本橋 (ソレソレ)

 品川女郎衆の いうことにゃ あれが八百屋の 色娘 
女の私が ほれるのに 吉さんほれたは 無理は無い (ソレソレ)

 浮世はなれた 坊主でも 木魚(もくぎょ)の割れ目で 思い出す 
浮世はなれた 尼さんも バナナむきむき 思い出す 
まして凡夫の われわれは 思い出すのも 無理は無い 
八百屋お七の 物語 これにてこれにて 終わります

「不如帰」 のぞきからくり 口上 

2013年05月31日 00時28分37秒 | 大道芸
 「不如帰」 のぞきからくり 口上 

 映画「長屋紳士録」(1947)で笠智衆が歌った「不如帰」(ほととぎす)の口上(か­らくり節)
 箸で茶碗を叩くリズム ちゃちゃちゃん・ちゃん(ちゃ) ちゃちゃちゃん・ちゃん(ちゃ)

 あらすじ
 片岡陸軍中将の娘、浪子(なみこ)は、海軍少尉、川島武男(たけお)と結婚したが、
結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑によって武男の留守中に離縁される。
二人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、
浪子は、もう女になんぞ生まれはしないと嘆いて死ぬ。

 三府(さんぷ)の・・・・一(いち)の 東京で(ああどっこい)
波に漂う ますらおが はかなき恋に さまよいし
­父は陸軍 中将(ちゅうじょう)で 片岡子爵の 長女にて(ああどっこい)
桜の花の 開きかけ 人もうらやむ­ 器量よし その名も片岡・・・・・ 浪子嬢
(ああちょいと)海軍中尉 男爵の 川島武男の 妻となる
新婚旅行を いたされて 伊香保の山に ワラビ狩り(ああどっこい)
遊びつかれて もろ­ともに 我が家をさしてぞ・・・・・ 帰らるる
(ああちょいと)武男は軍籍 あるゆえに やがて征く­べき 時は来ぬ
逗子をさしてぞ 急がるる 浜辺の波は おだやかで(ああどっこい)
武男­がボートに 移るとき 浪子は白い ハンカチを(ああどっこい)
打ち振りながら 「ねえ­、あなた 早く帰って 頂戴」と
仰げば松に かかりたる 片割れ月の 影さびし 実にまあ・・・・・哀­れな・・・不如帰

 https://www.youtube.com/watch?v=XK4ccsCI6Wc