民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「吉か凶か」 マイエッセイ 65 (先行掲載)

2021年01月23日 21時03分02秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   吉か凶か
                                                


 正月の三日、午後三時、コーヒーをドリップして、コンビニにおやつを買いに行った。お目当てはこのところクセになっているドラ焼きである。正月が明けて初めての外出で、人も車もほとんど通っていない。驚くほど静かだった。
 コンビニは歩いて二分のところにある。以前は自転車で行っていた。今は歩くことが少なくなったことを自覚したkら、できるだけ歩いて行くようにしている。
 その帰り、道路を歩いていると前方に財布らしいモノが落ちているのに気が付いた。近づいてみると、まぎれもなく財布だった。三方がチャックになっている分厚い鰐皮の長財布だった。ボリュームがあって、とてもズボンの後ろポケットには収まるとは思えない代物だ。
「ラッキー、そうとうお金が入っていそうな財布だな。正月早々、縁起がいいや」
 はやる気持ちを抑えて拾う。誰かに見られていないか気になったが、後ろを振り返らなかった。あくまで自然体だ。
「警察に届けるつもりだからね、ネコババなんかしないからね」
 精一杯、からだ全身にそんなオーラを滲ませる。
「十万円、入っていたらどうしよう」
 悪魔のささやきが聞こえる。心臓の鼓動を激しく感じながら家まで帰った。
 部屋に入ってすぐ勇んで中身を確かめる。チャックを開けると、たくさんのカードと領収書のような紙切れが目に入る。紙幣は目に入らない。ちょっとガッカリした自分がイヤになる。中にもチャックがあった。紙幣はここに入っているのか、期待に胸を躍らせて開けると、そこにも紙幣は一枚も入っていなかった。小銭ばっかりで、数える気も起きない。
 電話番号でもわかれば拾ったことを教えてあげられる。中身をチェックすると、診察券があって名前と生年月日はわかった。偶然、オイラと同じ年の生まれだ。しかし、連絡先がわかるようなモノは見つからなかった。
 交番に届けることにした。金額が少ないから悪魔と戦うこともなくてすんだ。交番は前は赤門のところにあったから家から近かった。今は県庁の西に引っ越してしまって、わざわざ行くには遠過ぎる。交番に電話すれば見回り区域内だから取りに来てくれるだろう。ネットで交番の電話番号を調べてみたが出ていない。やむを得ず中央警察署に電話した。
「財布を拾ったのですが、どうしたらいいですか」
 落とし物の係につないでくれて、同じことをくり返すと、
「近くの交番に届けてくださいますか」
「取りに来てはくれないのですか」
「それはできません」
 えっ、そうなんだ、わざわざ届けに行かなきゃならないのか、面倒くさいが先に立つ。
「届けないと罰則みたいなのはあるのですか」
「一週間を過ぎると謝礼をもらう権利がなくなります」
 謝礼をもらおうなんて考えていないよ、と言いかけたが、言ってもムダと気を取り直して、電話を切った。
 落とし主は困っているだろう。早く届けてあげなきゃと思いながらグズグズしていた。どうしようか、思案に暮れていると、交番は県庁の西のほかに、二荒山の前にもあることに気が付いた。どちらも同じくらいの距離だ。毎朝、朝食代わりに食べているナッツが残り少なくなってきたので、近いうち買いに行くつもりでいた。乾物屋はオリオン通りのとば口にある。馬場町交番とは目と鼻の先だ。
 次の日、暖かくなるのを待って交番に行った。「財布を拾いました」と言って、財布を渡すと、プラスティックのトレイに財布の中身をバラバラと全部出した。カード、紙切れは山のようにあったが、紙幣は一枚もない。警察官が不思議そうにこっちを見た。一瞬で状況を把握して(これで全部です。中身には手をつけていません)と必死に目で訴えた。
「一応、電話番号がわからないかと思って中身をチェックしました。名前と生年月日はわかったけど、連絡先はわからなかったです。警察だったら本人に連絡は取れますよね」
「そこまではしていませんが、診察券があるから病院に連絡すればわかるでしょう」
 あまり積極的ではなく落とし主が現れるのを待つといった感じだった。
 拾った時間と場所を聞かれたほかに、書類を書かされそうになったが、謝礼はいらないからと言うと、身分を証明するモノの提示だけで済んだ。
 乾物屋は、正月だから休みなのではと心配だったが、やっていた。もう五年以上、二か月に一度は五千円くらい買い物をしているから、オーナーとは顔なじみだ。
「今日は初詣ですか」
 財布を拾って交番に届けて来たことを話す。
「意外と手続きが面倒でしょう。下手に拾わないほうがいいくらいですよ」
「交番に届けなきゃいけないなんておかしいよね。ご好意感謝しますくらい、言って、取りに来てくれてもいいのにね」
「いいことしたんだから今年はいいことがありますよ」
「そうだといいんだけどね」
 次の日、警察から電話があった。
「落とし主が見つかりました。ご協力ありがとうございました」

ナンプレ(数独)マイエッセイ 62(先行掲載)

2020年10月06日 16時38分47秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   ナンプレ(数独)

 ナンプレに夢中になっている。やめなきゃと思っているのにやめられない。なにかというと、つい手が伸びてやってしまう。ナンプレ依存症(中毒)の一歩手前じゃないかと、いくらか危機意識を感じている。
 始めたきっかけはまったくの偶然だった。今年のゴールデンウイークの数日前、百円ショップでナンプレの本を目にして、知り合いがやっているのを思い出し、どんなものかやってみるか、百円の安さもあってついカゴに入れてしまった。
 ナンプレとは空いているマスに1~9のいずれかの数字を入れていくパズルである。
 基本ルールと解き方はすぐに理解できた。さっそく最初の問題をやってみると、拍子抜けするくらいスイスイと数字が埋まっていった。
「なんだ、簡単じゃないか。こんなの、どこがおもしろいのだろう。」
 これが悪魔の甘い罠だったと気が付くのはだいぶ先になってからのことだ。
 それからは病みつきになって、ちょっとでも時間が空くと、とりつかれたようにナンプレをやっていた。リタイアしているから時間はいくらでもあるし。ひとりでできるから、いつでもやりたいときにやれてしまう。
 一冊一〇〇問の問題集はレベルごとに全部で十二冊ある。初級編、中級編と進み、いまは六冊目の上級編をやっている。最初のころはたいして時間もかからなかったのに、ここまで来るとだいぶ難しくなって、目標タイムは二十分とあるのに、一時間ほどかかるようになった。それでも解ければいいほうで、答え合わせをすると間違っていたり、途中でギブアップすることも多くなってきた。この先にまだ超上級編、名人編がある。いま、ここで参りましたと降参するか、なにくそと上を目指すかの岐路に立たされている。

 ナンプレを解くのに特別な知識や高度な技術はいらない。コツコツとシラミつぶしに数字を探していく根気強さがあればいい。
 手応えのある問題にぶつかって、にっちもさっちも行かなくなったとき、神が降臨したかのように、パッと数字がひらめき、それを手掛かりに、次々と数字が埋まっていくときがある。そんなときは、まるで砂上の楼閣が崩れるのを見ているような快感があるし、全部のマスを埋め終わって、答え合わせをしてすべての数字が一致したときの達成感、安堵感はなかなかに得がたいものがある。かかる時間がまるっきり違うので比較にはならないが、ジグソーパズルで最後のピースをはめ込むときの感覚に近い。
 やっているときはほかのことは忘れて無我の心境になれる。集中力、注意力が鍛えられるし、頭脳の活性化になるからボケ防止にもなりそうだ。
 ただし、ちょっと気になるのは、ナンプレは詰碁や詰将棋と比べると、歴史も浅いし、奥深さがあるとは思えないので、ただヒマつぶしをしたような喪失感、虚無感がある。
 ほかにすることはいくらでもあるのに、時間がもったいないと思ってしまう。そんなことをやる時間に、ギターが弾ける、連続ドラマが一話分観れる、本だってかなりのページが読める。そんなことを考えると、やめなきゃと思ってしまう。
 オイラは怠け者のクセにけっこう向上心が強く、意外と頑張り屋なのだ。
 続ける口実はないかとインターネットをサーフィンしていて、追い風になるような情報を見つけた。フランスでは小学校の二年生のカリキュラムにナンプレ の遊び方という授業があって、子供たちはこの簡単なゲームによってロジックを習うという。
 さらに、徹底的にナンプレに付き合ってみようとの名目でとことん取り組んでみた。その結果、新しい発見があった。堂々巡りが続いて、いままでなら諦めていた局面をグッとガマンして、それまでに身に着けた解き方をフル動員して問題を睨み続ける。作者と剣を交えて果し合いをしている心境になる。そのうちまさかというところで、これが作者の作成意図だと思える手順を見つける。
 おっ、そうきたのか。思わず手を差し伸べて見えない作者に握手を求めたくなる。ナンプレにはこういう楽しみもあったのか。作者と解答者の頭脳対決である。ナンプレも捨てたものじゃない。詰碁や詰将棋にも匹敵する高尚な知的ゲームじゃないか。思ったより奥が深そうだ。みんなが熱中する理由がわかった気がする。
 とうぶん、ナンプレをやめられそうにない。


五十三年ぶりの「男と女」マイ・エッセイ 59 (先行掲載)

2020年05月27日 13時15分45秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   五十三年ぶりの「男と女」
                                                 
 「アヌーク・エーメ」を知っていますか。
 フランス映画「男と女」の主演女優の名前です。 一九六六年(昭和四一年)に制作された映画で、そのときわたしはまだ高校生でした。この映画を観たのは翌年、東京の大学に行くようになってからです。それ以来、この変わった名前は決して覚えようとしたわけでもないのに、よっぽど印象が強かったのか、その名前を忘れたことはありません。
 あのころ、映画は娯楽の花形だったからよく観に行きました。下宿していた五反田にはろくな映画館がなくて、観に行ったのはたいてい渋谷駅の東にあった東急文化会館でした。屋上にプラネタリウムがある八階建てのビルで、その六階に「東急名画座」がありました。ロードショーを終えてしばらくたった映画がかかっていて、みんなの話題からは遅れることになったたけれど、一本立て、百円で観られました。いまの映画館は入れ替え制になっていて途中から入場することはできないけれど、当時はいつでも入場できて、気に入った映画は何回も観ることができました。
 「男と女」はそこで観ました。そのころはフランス映画が活気がありました。わたしの好きな映画、ベストスリーに入っている、リノ・バンチェラ、アラン・ドロン、ジョアンナ・シムカスが共演した「冒険者たち」、セリフがすべて歌になっているカトリーヌ・ドヌーブ主演の「シェルブールの雨傘」はどちらもフランス映画です。
 去年、同じ監督、音楽、俳優が再結集して、その後の二人を描いた映画が製作されました。実に五十三年ぶりのことで、みんな八十歳を過ぎている人たちばかりです。
 タイトルはそのまま「男と女」副題は人生最良の日々となっています。キャッチコピーは、
「記憶を失いかけている元レーシング・ドライバーの男ジャン・ルイは、過去と現在が混濁するなかでも、かつて愛した女性アンヌのことだけを追い求め続けていた。そんな父親の姿を見た息子は、アンヌを探し出し、二人を再会させることを決意する。長い年月が過ぎたいま、アンヌとジャン・ルイの物語が思い出の場所からまた始まろうとしていた・・・・。」
 そんな映画が「宇都宮ヒカリ座」で上映されることを知りました。期間は五月十六日から二十二日の七日間、一日、九時四十分と三時十五分の二回。これはなにがなんでも観に行かなくてはなりません。満を持して、二十一日の午後、観に行きました。
 館内はトイレが和式から洋式に変わってキレイになり、座席も新しくリニューアルされていました。映画の人気が落ち込んでいって、この映画館もいつかなくなってしまうのかと心配していたけれど、これなら当分大丈夫だろうと胸をなでおろしました。
 観客は七、八人。わたしは真ん中あたりに座りました。前には誰もいません。ひさしぶりに観るフランス映画は、期待を裏切ることなく一時間三十分、心地よい気分に浸ることができました。
 エスプリに富んだ会話は、世界で最も美しい言葉と言われているフランス語と相まって、男女の機微を表出させます。
 監督のクロード・ルルーシュは八十二歳。スクリーンの映像は、さすがに芸術の国、フランスの伝統を受け継いでいるだけあって、まるで絵画を切り取ったような美しさです。
 音楽のフランシス・レイは八十六歳。「ダバダバダ、ダバダバダ」の一世を風靡したスキャットが回想シーンで使われていて、自然と前の映画とオーバーラップしてしまいます。残念ながらこの作品が遺作になってしまいました。
 主演男優のジャン=ルイ・トランティニャンは八十九歳。年齢を重ねないと出せない重厚な存在感に魅了されました。役では車椅子でしたが、実際でも歩くのが困難で視力もほとんど失われているとのことでした。
 主演女優のアヌーク・エーメは八十七歳。漂う気品は変っていないものの、正直言って往年の美貌は面影もありません。
 二人の顔はシミが混じり、深いシワが刻まれています。監督はそんな二人の顔をこれでもかというくらい、クローズアップで映し出します。
 パンフレットのなかに、監督の言葉「私は人生が送り出すサインに敏感です」を見つけて、
(そうか、監督は一本一本のシワを克明に描き出して、シワは醜いものじゃない、美しいものなのだ)と言いたかったのではないかと推察しました。
 あるエピソードを思い出したからです。それは晩年のオードリー・ヘップバーンを撮った写真家がシワを修正しましょうかと提案したのを、
「確かに私の顔にはシワが増えたかもしれません。でも私はこのシワの数だけ優しさを知りました。だから若い頃の自分より今の自分の顔のほうがずっと好きです。一本のシワにも手を加えないで。どのシワも私が手に入れたものだから」と拒否した逸話です。
 事実、わたしが映画を観ているあいだ、ずっと思っていたことは、
「年を取るってなんてステキなことなんだろう。こんな風にわたしも年を取りたい」でした。

「インドア派の遠吠え」 マイ・エッセイ 34

2019年05月07日 22時55分28秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 インドア派の遠吠え

 五月の連休を目前に控えたある日の夜、江戸時代の庶民の暮らしにスポットを当てたテレビ番組をやっていた。
 火事が頻発した江戸時代、庶民は明日はどうなるかわからない、今日を楽しく生きられればいいと考えた。自分の身の丈をわきまえて、貧乏さえ楽しんでしまうたくましさとユーモア精神を持っていた。それは「宵越しの金は持たない」という江戸っ子気質を育てた。
 歴史学者がそれを「脳内リゾート」という言葉を使って説明していた。「脳内」、つまり頭の中に「リゾート」を築くことができれば、お金がなくても、遠くへ行くことができなくても、楽しむことができる。江戸時代の庶民はそれが上手で、今の人はそれが下手じゃないかと指摘していた。 
 これでは連休の人出を当て込んでいる観光地からクレームが来るのではないかと心配したが、「脳内リゾート」という言葉の意味を知ったときには、やっとオイラの「出不精」を正当化してくれる言葉に出会ったと、モヤモヤしていた何かがくっきりとフォーカスされた。
 知り合いの女性に会ったとき、さっそく仕入れた知識をひけらかそうと「脳内リゾットって知ってる?」と偉そうに聞いた。「何? それ、どんな食べ物?」と突っ込まれて、顔面蒼白。そういえば、西洋風のおじやのことをシャレた言い方でリゾットって言ってたなと瞬間的に思い出し、「究極の節約術」とか、「俳句はその最高峰」とか、焦って説明すればするほど、「それって『リゾット』じゃなくて『リゾート』なんじゃないの?」と言われて、ウロ覚えがバレてしまった。
 悔しさもあって、家へ帰って調べてみると、赤瀬川原平という芥川賞作家が作った「脳内リゾート開発事業團」というグループ名から来ていることがわかった。すっかり忘れていたが、彼の作品「老人力」と「新解さん」は読んだことがあった。なんだ、「脳内リゾート」はあの作家の造語なのか、女性と会話したときの恥かきもあって、オイラの頭の中に完全にインプットされた。
 ライフスタイルをアウトドア派とインドア派に分けると、オイラは間違いなくインドア派だ。外へ出かけるよりも、部屋にこもって本を読んでいるほうがよっぽど性に合っている。これは若いときからの筋金入りだが、今まではインドア派は引きこもりのイメージがあって、なんとなく分が悪い気がしていた。だけど、この言葉を知って勇気凛々。これでマイナスイメージを払拭させる反撃体制が整った。
 オイラは五月の連休に旅行に出かけたことが一度もない。そのことにいくばくかのやっかみ、後ろめたさを感じていた。しかし、今年の連休は違った。明確な意思、確固たる信念を持って、たった一歩も敷地の外に出なかった。メディアでみんなが外へ出かけてはしゃいでいる姿を目にしても、妬ましさを微塵も感じなかった。逆にアウトドア派の人たちに挑戦状を叩きつけたいくらいだ。
「アウトドア派の諸君、動けるうちはいいよ。だけど、動けなくなったときのことを考えたことがあるかい?」

「退会」 マイ・エッセイ 33

2018年08月16日 21時23分01秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   「退会」
                                  

 三月の第三水曜日の午後、今日は何がなんでも「辞める」と言わなければならない。固い決意を持って上河内地域自治センターへ向かった。オイラの行動範囲で唯一、車に乗って出かける場所だ。
 平成二十四年にシルバー大学を卒業したあと、毎月第三水曜日の午後は上河内に行く日と決めていた。生涯学習の講座を企画・運営する委員として活動してきた。四年間、ずっと続けてきた。カレンダーに予定を書く必要もないほど、すっかり生活のリズムになっていた。まだ駆け出しだったころ、先輩たちにはずいぶん世話になった。飲み会での付き合いも回数を重ねて、情が移ってもきていた。
 けれども、このたび、オイラは委員を辞める決心をした。会長に電話で伝えてそれで終わりも考えた。しかし、それは男らしくない。大義名分はある。正々堂々とみんなの前で態度をはっきりさせようと決めた。それでも、辞めるっていうのは言いづらいものだ。みんなの前に顔を出すのに、憂鬱な気分でうちひしがれそうだった。
 会議室に入ると、全員がそろっていた。初めて見る女性が二人いる。どうやら新しく委員になる人のようだ。よしっ、追い風が吹いている。肩の荷が軽くなる。四年が過ぎてようやく後輩ができたというのに辞めなければならないのか。
 テーブルの上の資料に目を通すと、会員名簿にオイラの名前が入っている。あちゃ、逆風も吹いている。もっと前に言っておかなきゃいけなかったか。ふりかえって気が滅入る。式次第に目をやると、委員継続確認の項目を見つける。よしっ、このときだ。心の中で手を叩いた。どのタイミングで「辞める」と言い出したらいいか、ずっと迷っていたが、これでモヤモヤがスッキリした。
 会議が始まって、そのときがやってきた。
「みなさん、来期も引き続きやっていただけることでよろしいでしょうか?」
 進行係の職員がみんなを見回す。すかさず、「ハイッ」オイラはふっきるように勢いよく手を上げた。みんなが何事かと驚きの表情を浮かべる。
「辞めさせていただきたいんですけれど・・」
 言いにくさが言葉尻に出てしまった。みんなの反応をうかがう。
「そんなの聞いてないよな。」
 会長がみんなに声をかける。
 重苦しい沈黙。それを打ち破るようにオイラが口を開く。
「理由を言います。」
 第一関門を突破したからもう大丈夫。あとはみんなを説得するだけだ。そして、去年の六月に「音訳ボランテイア養成講座」を受けて今年の二月に修了したこと、その後の活動として「音声ガイド」の仕事をしたいこと、それが毎週水曜日の九時から三時まであって、ここと重なってしまうことを、「音訳ボランティア」、「音声ガイド」とは何か、どういうことをするのかを説明しながら伝えた。
「そういうことじゃ、しょうがないな。」
 会長がみんなに同意を求めるようにつぶやいた。みんながうなづく。一件落着。
 それからは式次第に従って会議を続けた。オイラはいつもより積極的に発言した。会議が終わった。
「ダメだったら、戻っておいで。」
「残念だけどしょうがないわね、頑張ってね。」
 社交辞令には聞こえなかった。
 四年間、世話になった礼を言って、みんなと別れた。