民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「ナリキイジメ」 宮本 常一

2013年09月29日 00時06分47秒 | 民話の背景(民俗)
 「ナリキイジメ」 歳時習俗事典  宮本 常一  八坂書房 2011年発行

 また、くだものがよくなるようにといって、ナリキリイジメをする地方もあります。
私のふるさとでは、夫婦がそろってカキの木の下へ行って、夫の方が
 「なるかならぬか、ならぬときるぞ」
と言って、その切り口に持っていったおかゆをなすりつけた、ということをききましたが、
のちに、このようなことは日本じゅうにあったばかりでなく、イギリスの方にもあったことを知って、
これらをくらべて見ることによって、なぜそんなことをしたかもだんだん分かってきました。

 なってもらわなければならないのは、木だけではなく、人もいい子を生むようにとて、
子供たちが棒を持って、若いお嫁さんの尻をたたいてまわる行事が、
これも日本じゅうにあったといってもよいほどで、宮城県では「ガッテイ」、山梨県では「オカタブチ」、
九州の天草では「ハルマンジョウ」と言っています。
いま、子供たちが「お尻まくりはやった」などといって、尻まくりのあそびをしているのを
見かけますけれど、”はらみうち”の名残ではないでしょうか。

「俵編み」 宮本 常一

2013年09月25日 00時08分10秒 | 民話の背景(民俗)
 「俵編(たわらあみ)」 歳時習俗事典  宮本 常一  八坂書房 2011年発行

 稲刈りがすむと籾(もみ)すりの始まるまでの間によなべに新藁(わら)を使って、
俵(たわら)の菰(まこも)編みをする風習が各地でみられた。

 まず細い編み縄をない、次に藁のはかま(下の方の稲藁)をとってきれいにし、
これを菰(まこも)編み台を使って編んでいく。
じょうずな者なら一時間に一枚は編むから二、三人で少し仕事にはげめば一晩に、
10~20枚の菰(まこも)は編まれる。
 これをまず筒状にし、一方の端をじょうぶな縄でとじて袋状にし、その俵の中にもう一つ俵を入れる。
つまり二重俵にする。そうしないと中身がこぼれやすい。
また両端にあてる桟俵(さんだわら)を作る。俵の大きさはもときまりがなかった。
土地によっては五斗俵があり、四斗俵があり、三斗五升俵もあった。

 これは年貢の取立てと深い関係があった。
たとえば高一石について三斗五升俵の定免のところでは三斗五升俵が普通であったし、
福岡県の黒田藩のように叺(かます)を用いさせたところでは、
筵(むしろ)を袋状にとじて作ったものに、米を入れさせて俵を使わなかった。
俵はまた米を入れるだけでなくムギ・イモをはじめ、炭・塩その他の農産物を運搬する場合にも用い、
用途はすこぶる多かった。
 だから籾すり前ばかりでなく、必要に応じて編んだものである。

「よなべ」 宮本 常一 

2013年09月23日 00時45分02秒 | 民話の背景(民俗)
 「夜業(よなべ)」 歳時習俗事典  宮本 常一  八坂書房 2011年発行

 前略

 よなべにする仕事はほぼきまっていた。
男は藁(わら)仕事が多かった。
藁ない・わらじ・草履作り・筵(むしろ)打ち(筵編み)などであり、
女は糸つむぎ・砧打ち・着物のつくろいなどである。
そのほか米麦をついたり、粉をひいたりすることもあり、
イネの取り入れがすんでからは籾(もみ)すりもよなべ仕事が多かった。
 
 中部・東北へかけてワタを作らず、衣類はアサにたよっているところでは、
麻績(おう)みは大事なよなべの一つである。
農民だけでなく、町人も職人もよなべはした。
たいていは囲炉裏にまきをくべてその火のあかりで仕事したが、月あかりを利用して草履を作ったり、
唐臼(からうす)をふんだり、また稲田を刈ることもあった。
よなべはたいてい何人か集まって作業したもので、それも娘は娘で集まり、若者は若者で集まった。
普通の民家の台所や土間を利用することもあったが、若者たちはイネを刈ったあとの田の中や空き地に
小屋を建て、そこでよなべすることが少なくなかった。

 中略

 夜業をよなべというのは作業を終えると必ず夜食をする風習があったためと思われる。
つまり夜鍋を意味するものであろう。

「大田植」 宮本 常一

2013年09月21日 00時35分45秒 | 民話の背景(民俗)
 「大田植(おおたうえ)」 歳時習俗事典  宮本 常一  八坂書房 2011年発行

 いまは労働といえば、ただ働くだけのことになっており、労働が激しいとか、楽であるとか、
賃金が高いとか、低いとかいうだけが問題になていますが、昔は労働は神とともにあって、
神に仕える動作の一つだと考えられたものが少なくなかったのです。

 田植えなどもその一つでした。
そしていまでも、はなやかな田植えをしている例が中国地方の山中にあります。
まず早乙女たちはかすりの着物に、未婚の娘なら赤いたすき、人妻ならば紺のたすき、
老女ならば白というように服装にも少しずつ区別をつけ、花がさをかぶり、手甲脚絆をつけて、
何十人というほどで田におります。

 この女たちのうしろには大きな太鼓を胸にかけ、美しい女の着物など着て、
すげがさをかぶった男の太鼓打ちがならびます。
 さらにそのあとに音頭をとる人や、小さい太鼓をもったもの、笛を吹くものなどが立って、
音頭とりが音頭をとると、笛や太鼓がこれにあわせて拍子をとり、早乙女たちは音頭につれて
歌をうたいつつ苗を植えていきます。

 よい声がよくそろい、太鼓打ちの太鼓のばちについた紅白の房が、
ばちさばきによって美しくひるがえり、また太鼓打ちたちは腰をひねり、ばち投げあげなどして、
はなやかに打ちこみますので、実にうらやましい風景なのです。
ですからこの田植えのあるときは、たくさんの人が見物にきます。

 後略

「山んばのはなし」 沼田 曜一

2013年09月13日 00時17分28秒 | 民話(昔話)
 山んばのはなし  「あずきまんまの歌」より 沼田 曜一 平凡社 1976年

 陸中の田老の奥、佐羽根に「ねんぶつ街道」と呼ばれる山道がある。
 これはあるとき、表街道に山んばが出るといううわさがたって、それでも、どうしても用があって、ここを通らなければならない人が、その道を避けて、裏の山道を、「なみあみだぶつ、なむあみだぶつ」と、念仏を唱えながら通行したところからつけられた名前だそうだ。

 この街道をそれて、ちょっと奥へ入ったところに、60才ぐらいのじいさまとばあさまが住んでおった。じいさまは百姓であるが、猟の名人でもある。ことに弓にかけては、近在に、ちょっと名の知れた腕の持ち主。ばあさまは、片方の目が不自由であるが、何よりも機織りがだいすきで、勝手仕事のほかは、一日じゅう、
バッタン、バッタンと、機を織っておる。
 どういうわけか、山んばは、たいそうこの家が気に入っているらしく、ひもじくなると、きまってこの家にやってきて、ずかずか部屋へ上がりこみ、いきなり、炉にかけてあるなべの中に手を突っ込むと、それこそ、むしゃぶり食らう。煮え立っておってもへいちゃらだ。相手が恐ろしい山んばだから、ふたりは部屋のすみに肩を寄せ合って、ガタガタふるえながら、なすがままにさせておる。
 やがて、たらふく食らって、腹のくちくなった山んばは、ほかにするというでもなく、そのままさあーっと、風のように出て行って、木立ちの奥へ、姿を消すのである。
 こんなことが、だいぶ前からたびたびあったけれども、命を取られるよりはましなので、ふたりはだまってがまんしておった。
 ところがあるとき、山んばが、珍しく土産を持ってやってきた。
 「いいか、だれにも、いうでねえぞ」
 岩穴の奥から、こだまして聞こえてくるような、陰にこもった、しわがれ声でそういうと、ばあさまに、麻糸のへそを置いていった。へそというのは、機織りの糸を玉のように巻いたものだ。
 少々、気味が悪かったけれども、ばあさまが、さっそく使ってみると、このへそ、不思議なことに、織っても織っても糸が減らない。麻の織物がどんどんできる。それはお金に代えられるから、ばあさまはうれしくてたまらない。
 「こりゃあ、ええもんをくれたわい」
 人間というものは現金なもので、こんな宝物をくれた人が、恐ろしい人だなどとはとても思えなくなってきた。恐ろしいどころか、ごちそうをこしらえた晩などは、
 「こんなうまいものがあるのに、どうしてこんのじゃろうか」
などと、心待ちにしておるときさえある。
 山んばのほうでも、なにか、通い合うものを感じておったのかも知れない。いつもなら、食らうだけ食らったら、さっさと闇に消えていくのだが、ここのところ、家を出て行っても、そのまま山へ帰ろうとせず、ちょっと離れて、家の中が見渡せるような場所に腰をおろし、両膝を抱きかかえたまんま、じいさまやばあさまのすることを、不思議そうに、じっとながめておるようになった。
 はじめのうちは、いつまでもながめられているのがどうも気になるし、かといって、雨戸を閉めるわけにもいかないから、こわごわとばあさまが、
 「・・・山は寒うないか」とか、「ご亭主はおらんのか」とか聞いてみたけれども、ときどきまばたきをするだけで、身動きもせずに、だまってながめておるだけである。そのうちになれてしもうて、見られておっても、気にせんようにしておったが、それでも、じいさまのほうは、どうにも山んばが好きになれない。しらみのいそうなざんばら髪に、おれてまがったような鼻、こけの生えたような指先の、長くのびたするどい爪。そして、いかにも早く走りそうな、くものようなすね。どれもこれも、気味の悪いものばかりであった。だからじいさまは、山んば見ておると何もせずに、炉ばたでふて寝をしておる。
 そうこうするうちに、八月の八幡さまの祭りの日がやってきた。
 あさから、笛や太鼓の音が鳴り響いて、町はたいへんなにぎわいである。なんといっても、この日の呼びものは、神社の境内で行われる、カケ矢である。弓矢で的を射て勝負を争う、男の遊びだ。この日のために近郷近在の男どもは、日ごろから腕をみがいておく。
 弓矢の名人であるじいさまも、毎年この日がくるのを、何よりも楽しみにしておった。
 その年のカケ矢は、例年よりも参加者の数が多く、力量も接近しておった。朝からはじまった競技は、夕方になっても終わらず、夜に入ってますます盛んになって、あかあかとかがり火をたきながら、いつ終わるともなく続けられた。
 もちろん勝ち残っておるじいさまも、時のたつのを忘れて、競技に熱中しておった。
 するとうしろから、声をかける者がある。
 「じいさまよ、じいさまよ、あんまり帰りがおそいで、おら、むかえにきただよ。そろそろ帰らんかい」
 ばあさまの声である。
 「分かった、分かった。まあ、もうちょっと待ってくれや。おら、必ず勝ってみせるから!」
と答えて、じいさまは弓に矢をつがえながら、ふと、おかしいなと思った。今まで、何十年という間、一度もむかえにきたことのないばあさまが、この夜更けに、またどうして?思えば妙な話である。的に集中しておったじいさまの心に、ふと迷いが生じ、手元を離れた矢は大きくそれて、減点になってしもうた。とても優勝はむりである。がっかりしたじいさまは、舌打ちをしながら弓矢を納め、それでは帰ろうかとばあさまを探した。
 ばあさまは、人垣のずうっとうしろのほうに、ちょうちんを持って、ひっそりと立っておった。
 うちのばあさまより、ちょっと背が低いような気がしたので、顔をのぞきこんだら、たしかにうちのばあさまである。
 「やあ、すまん、待たせたな。それじゃ帰るべか」
と、先に立って歩き出した。明るい町なみをはずれて、道はしだいに暗く、細くなってくる。空に、降るような星がまたたいて、あたりに、かえるの声が湧いている。
  ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ
 じいさまのうしろを、ばあさまが、ちょうちんを持って歩いてゆく。
  ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ
 ふとじいさまは、ばあさまの足音が、背中にひっつくように聞こえてくるような気がした。ふりむいてみると、三、四メートルぐらいのところを、ばあさまが、前かがみになって、黙って歩いておる。
 手の届くような所に見えておった町のあかりが、はるかうしろのほうに遠ざかって、やがて道は、うねうねと山道にかかってきた。
  ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ
 じいさまが早く歩けば、ばあさまも早く歩いてついてくる。ゆっくり歩けば、同じようにゆっくり歩いてくる。
 じいさまは立ち止まって、小便をした。
 ばあさまは先へいって待っておる。真っ黒い巨人のような杉の大木が、まわりを囲んで突き立っておって、星のまたたく空がわずかにのぞいておった。
 小便をし終わったじいさまが歩き出すと、ばあさまはすばやくうしろへまわって、またついて歩いてくる。
  ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ
 どうも今夜のばあさまは、何かうれしいことでもあるのか、浮き浮きと、はねて歩いているような気がする。それに、その足音が、どうしても背中にはりついてくるようで、じいさまは気になって仕方がない。
 はるかに川の音が聞こえてきた。あの川を渡れば、もうひと息でわが家に着く。
  ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ
 その足音が、きのせいか、さっきよりだいぶ大きく、力強くなってきている。いよいよ道は、坂道にかかった。
 じいさまは、息をはあはあさせて、精一杯に登ってゆくが、ばあさまは平気で、息も乱さず、ぴったりとじいさまについてくる。
 突然、じいさまの汗ばんだ背中が、すっと冷えて、からだじゅうの血が、音を立てて引いてゆくような気がした。
 若いころから、心臓の丈夫でないばあさまは、山道がにが手で、自分のうちの田へいくまでの、わずかな坂道を、何度も立ち止まって、休み休み通っておるのに、この急な坂道を!
 もう、じいさまの足は、地に着いてはいなかった。
 川音が、ぐっと高くなった。
 川にかかっている丸木橋が、星あかりにぼんやりと見えてくる。
 じいさまは、思い切って、うしろを振り向いた。
 「ばあさまよ、ちょうちんを持った者が、うしろを歩くというのはおかしいぞ。むかえにきた者は、先に立って歩くのがふつうでねえのか。おまえが先を歩け」
 すると、ばあさまは、あっさりと、
 「そりゃ、その通りじゃ。それじゃあ、ごめんよ」
と、さきになって歩き出した。
 目の前を、ばあさまの曲がった背中が、ゆれながら歩いてゆく。
 どうしてもうちのばあさまより、背が低うて骨太のような気がしてならない。それに、足の短いうちのばあさまにくらべて、しっかりと運んでゆくその足の、なんと、くものように長いこと!
 やがて、丸木橋のところへでた。
 じいさまは、そこで立ち止まって、先へいくばあさまが、どうするかと見ておると、ばあさまは、橋にそっと足をかけ、二、三歩、渡りはじめたが、何を思ったのか、突然、持っていたちょうちんを口にくわえると、四つんばいになって橋を渡りはじめた。・・・
うちのばあさまが、こんなかっこうをするはずがない。じいさまは橋を渡らずに、そのままじっと見ておると、橋の中ほどまでいったばあさまが、ちょうちんを口にくわえたまま、急にうしろをふりむいた。
 どきん、と、じいさまの心臓が音を立てた。口から、らんぐい歯の飛び出した、恐ろしいその顔に、なんとふたつの目が、らんらんと光を放っているではないか。うちのばあさまは、片目が不自由なのに・・・!
  や、やまんばだあーっ!
 全身が凍った。ふるえる手で、背に負うた弓矢を取り出すと、懸命に矢をつがえた。
 (落ちつけ、落ちつけ)
 自分に言い聞かせながら、それでも、弓矢をろればさすがに名人。わなわなふるえておった指もきりりとしまり、キューンと手元を離れた矢は、ねらいたがわず、山んばの眉間に、ぐさっと突き刺さった。
 「ぎゃーあっ」
 すさまじい叫び声とともに、橋の上にのけぞったそのからだは、もんどりうって、真っ暗な川の流れに転落していった。
 吹っ飛んだちょうちんの火が消えて、漆を流したような闇の中に、あやしげに光るふたつの目が、またたきながら、そしてじいさまを見つめながら、ゆっくりゆっくりと流されていった。
 やがて、あの、岩穴から湧くようなしわがれ声が、川底からはいのぼってきた。
 「せっかく・・・むかえに・・・行ったのに・・・」
 「せっかく・・・むかえに・・・行ったのに・・・」
 そうくり返すその声も、しだいに遠く薄れて、やがて川音に消えていった。
  
 じいさまは、どこをどう走って帰ったのか、わが家の土間へ飛び込むと、うしろ手にすばやく戸を閉め、はげしく肩で息をして、ものもいえない。
 「どうしただ、何があっただか?」
 物音に起こされたばあさまが、眠い目をこすりながら出てくるのへ、
 「は、は、早く、し、しんばり棒を持ってこいっ。しんばり棒じゃ」
 何やら分からんが、ただならぬようすに、ばあさまがあわてて、二三度転びながら、しんばり棒を持って来て、懸命に戸締りをした。
 土足のまま座敷に上がりこんだじいさまは、しばらく、口もきけんでおったが、しだいに気持ちもおさまって、ばあさまに、一部始終を語って聞かせた。
 聞きながら、ばあさまは、
 「なんと恐ろしいことじゃ、なむあみだぶ、なむあみだぶ」
と、くり返しておったが、心の中では、
 「これでもう、あの魔法の麻糸のへそのききめもなくなるじゃろう。惜しいことじゃ。殺されずに帰ってきてよかったが、殺さんでもよかったのに」
と、残念で仕方がなかった。魔法のへそは、ばあさまの生きがいであったのだ。それだけでなく、人里離れたこの山奥で、ひっそりと生きてゆかねばならぬ厳しさが、いつか、山んばと心を通わせていたのかも知れない。
 しかし、なぜ山んばは、ばあさまのかっこうをして、じいさまをむかえにいったのだろうか。じいさまを取って食うだけなら、山に待ち伏せしておるだけでこと足りる。
 その夜、ばあさまは、寝ながらいろいろと考えておったが、ふと、家の外にうずくまって、いつまでも中のようすをながめておった、あの、山んばの姿が目に浮かんだ。
 ひょっとしたら、山んばには、家庭をいうものが珍しかったのではないだろうか。夫婦というものが、うらやましかったのではないだろうか。
 「そうか。一ぺん、女房というものになってみたかったのじゃ・・・じいさまと肩を並べて、歩いてみたかったのじゃ・・・」
 ばあさまはそう思うと、山んばが、あわれで、あわれで、たまらん気持ちになっておった。