民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「還暦後」 高田 宏

2015年06月10日 00時33分01秒 | 健康・老いについて
 「還暦後」  高田 宏(1932年生まれ)  清流出版 2000年

 「自分のからだ」 P-23

 会社勤めをしていたときには、年に一回、指定の病院で「人間ドック」の検診を受けていた。勤めを辞めてからしばらくは検診をサボっていたのだが、この十年間ばかり、ふたたび受診してきた。年中行事のようなものになっていた。
 だが、今年でやめようと考えていた。友達がここ数年つぎつぎと他界して、ぼくの死生観がしだいに変わってきたことが、その背景にある。簡単には言えないのだが、死がやってくるなら、そのときはじたばたせずに受け容れよう、といった気持ちが、ゆっくりと水位を上げてきている。自分の死に結びつく病気が出現したら、というより、いずれそうなるだるが、無理矢理その病気と戦いたくないな、と思うようになった。
 人間ドックへ行けば、例年のように肝機能とかなんとかの数値に赤信号がつくことは分かっている。しかし、それを知ったからといって、生活を大きく変える気はない。重大な病気が見つかる可能性はあるけれども、見つけてもらうほうがいいとも思えない。
 からだという自然に任せておきたい。ぼくはもう「高齢者」に属している。からだの内部にガタがきても当たり前の年齢だ。その故障をいちいち知って、どうするのか。知らぬが仏、でいいじゃないか。という気分である。

 後略

                                       1999年冬(67歳)

「男が60歳になったら」 土屋 賢二

2015年06月08日 00時18分27秒 | 健康・老いについて
 「ワラをつかむ男」 土屋 賢二  文春文庫 2014年

 「男が60歳になったら」 P-139

 多くの男は60歳前後になると人生を振り返り、「こんなはずじゃなかった、本来ならミュージシャンか作家になっていたはずだ」と思う。
 だが60歳から始めてもまず手遅れのものばかりだ。名を上げようとしても、狙えるのは長寿記録ぐらいだ。だが長寿の家系でない上に、成人病の兆候も始まっている。長寿記録は無理だ。
 かといって無理に趣味を作って時間をつぶしながら死を待つのは耐えられない。そこで男は遅ればせながら、一縷の望みを抱いて、家族から白い目で見られながら創作教室に通う。
 だがたとえ奇跡的に名を上げても百年後には覚えている者は一人もいない。五百年後には、人類が過去に興味を示さなくなるかもしれない。多少有名になっても簡単に忘れ去られるのだ。だいたい、自分の名前でさえあやふやになっているし、自分の子どもにも尊敬されず、犬もなつかないのだ。昔の体験を何倍にも誇張して自慢してもバカにされるだけだ。
 そこで男はどこで自分の人生が狂ったのかと考える。育った家が貧乏だった、結婚後は家族を養わなくてはならなかった。妻が反対したなどと原因を探し、自分を犠牲者として位置づける。
 こういうみっともない姿を見て女が軽蔑しないはずがない。そもそも女は過去に恋々としない。大恋愛も終われば、記憶からきれいに消し去るのだ。
 男は違う。どこまでも過去にこだわり、不遇の一生を嘆く。たしかに女が考える通り、もし本当に作家になりたければ会社に勤めながら睡眠時間を削ってでも執筆していたはずだが、男は今まで野球中継をテレビで見たり、新聞を何紙も買って競馬の予想に頭を使い、酒を飲みながら一晩中グチをこぼし続けて、膨大な時間を無駄につぶしただけでなく、ピアスをして髪を金色に染めて「ロックで天下を取る」と言う息子を「目をさませ!」と叱りつけたことを忘れている。
 その上で「もしこうだったら」と空しく仮定する。「マイケル・ジャクソンの才能と機会があれば偉大な歌手になれた」「妻が応援してくれて書斎を作ってくれていたら作家になれた」「テレビも競馬もなかったら一流になれた」など、何でも言えるのだ。60歳の男はこんなにみっともない姿をさらすほど追い詰められているのだ。
 なぜそんなに追い詰められるのか不思議に思うかもしれないが、若いころ、ふと心をよぎったミュージシャンや作家になる夢(「好きなことをして一生過ごせたらいいだろうな」)を思い出し、それを実現できない自分の一生は何だったのかと考えるだけで追い詰められてしまう。男はそれほど繊細で底が浅いのだ。
 自分の一生が何だったのかと考えるなら、若いうちからがんばれば何とかなったかもしれないが、手遅れになってからでないと真剣になれないのが、わたしをはじめとする大多数の男だ。
 だが、手遅れになりながらも、納得のいく人生にしようとする姿勢は評価されていいのではないか。実利一点張りの女は理解しないだろうが、男はみっともない姿をさらしてでも、納得のいく人生を求めている。広い心で見れば、その姿は気高いとさえ言えないだろうか。残念ながら女の心は広くない。年老いても野心を燃やし続ける男を演じるショーン・コネリーに重ね合わせて夫を見れば気高さを感じられるかもしれないが、それだけの想像力を女に期待するのは無理だ。
 かわいそうに女は風車に立ち向かうドン・キホーテの気高さを理解せず、ただ鼻で笑うだけだ。これでは百年かかっても男を理解できないだろう。無理もない。男自身、自分でドン・キホーテのどこが気高いのか理解できないのだから。

「江戸の卵は一個400円」 その17

2015年06月06日 01時18分56秒 | 雑学知識
 「江戸の卵は一個400円」 モノの値段で知る江戸の暮らし 丸太 勲 光文社新書 2011年

 「時は金なり」 P-83

 時計が普及していない江戸で時間を知る唯一の手段は、時を知らせる鐘の音だった。
 江戸で最初の時を知らせた鐘は「石町(こくちょう)の鐘」だ。この鐘は将軍秀忠の時代に江戸城内で撞かれていた。しかし、鐘撞き堂は将軍の御座近くにあったため、鐘の音は差し障りがあるとして太鼓に代わられ、この鐘は日本橋石町に作られた鐘楼堂に移された。

 鐘の音が届く範囲は、江戸の中心地で一番の繁華街であった日本橋をはじめ、東は隅田川、西は麹町、南は浜松町、北は本郷あたりまで広範囲にわたっていた。その鐘の音が届く範囲内の家持ち一軒それぞれから一ヶ月4文(80円)ずつ、一年で48文(960円)を受け取っていた。
 もちろん裏長屋も鐘の料金徴収の対象だが、裏長屋の住人ではなく大家が支払った。といっても、家賃にはその分も加算されていたのだろう。
 
 江戸時代は一日に12刻しかなかった。日の出が「明け六つ」、日没が「暮れ六つ」だ。
 日が長い夏と日の短い冬では「明け六つ」と「暮れ六つ」の時間は変わってくる。だが、日の出とともに起き出し日の入りとともに家に入る江戸の暮らしでは、これで不便を感じることはなかった。
 このように、江戸では時を知るのにも金がかかった。まさに「時は金なり」なのだ。

「江戸の卵は一個400円」 その16

2015年06月04日 00時12分41秒 | 雑学知識
 「江戸の卵は一個400円」 モノの値段で知る江戸の暮らし 丸太 勲 光文社新書 2011年

 「江戸っ子の視力は超良好」 P-81

 街灯にネオンサイン、終夜営業のコンビニの灯り・・・。現在の日本の夜は宇宙から見ても輝いているそうだが、それに比べて人工的な灯りがほとんどない江戸の夜は真っ暗闇だった。夜間に斬り合う場面が映画や時代小説の中に登場するが、実際には相手の姿も見えず、とても斬り合いなどできなかったはずだ。

 江戸の夜の照明と言えば、油を使った行燈(あんどん)だった。陶器の小皿に油を満たし、そこから伸びた灯芯に火を灯して灯りとした。その灯りの周りを障子紙で囲い、床や台の上に置いて使用した。障子紙は煤(すす)けたり黄ばんだりすると暗くなるので、しょっちゅう新しい物と張替えられた。

 二本灯芯、三本灯芯とより明るくする工夫がなされたが、それでも文字がやっと見える程度。その中で縫い物や手内職をしていたのだから、江戸の人々は現代人より目がよかったのだろうか。あるいは、我々が明るさに馴らされて暗がりで物を見る能力が衰えたのかもしれない。

 灯りの元となる油も菜種油が臭いもなく煤も少ないが、米二升は買えた高級品で一升300文(6000円)近くした。裏長屋の明かりともなると、使用できるのは魚油だった。これなら菜種油の半値程度だが、臭いはするし煤も出た。そこで「油がもったいねえから早く寝ちまいな」ということになる。

 油を使った行燈よりもよほど明るいのが蝋燭(ろうそく)だ。しかし、これは菜種油よりも値段が高く、一本200文(4000円)くらいした。

「お先にどうぞ」という倫理的生き方 その3

2015年06月02日 01時45分03秒 | 健康・老いについて
 「おじさん」的思考  内田 樹(1950年生まれ)  晶文社 2002年

 「お先にどうぞ」という倫理的生き方 その3 P-92

 レヴィナス先生は、倫理の根源的形態とは「お先にどうぞ」という言葉に集約される、と書いている。
「そんなの簡単じゃないか」と言う人がいるかもしれない。たしかに、エスカレーターの前や、ドアの前で「お先にどうぞ」と言うことはそれほどむずかしくない。でも「タイタニック号、最後のボートの最後のシート」を前にして「お先にどうぞ」と言うのはそれほど簡単ではない。
 レヴィナス先生は、あらゆる場面で「お先にどうぞ」と言い切れること、それが倫理的に生きるということの具体的なかたちである、と論じている。これはむずかしい。なぜなら、「やり残したこと」がある人間は強い意志をもって欲望を抑制しないかぎり、その言葉を口にすることができないからだ。だが、「やり残したことのない」人間にはそれほどの克己心は要らない。だって、もう「やり残したことはない」からだ。「ま、いいすよ。おいらは。人生じゅうぶん愉しんだし」と心から思っているからである。
 人は幸福に生きるべきだ、と人は言う。私もそう思う。でも、たぶん「幸福」の定義が少し違う。そのつどつねに「死に臨んで悔いがない」状態、それを私は「幸福」と呼びたいと思う。幸福な人とは、快楽とは「いつか終わる」ものだということを知っていて、だからこそ、「終わり」までのすべての瞬間をていねいに生きる人のことである。そう私は思う。だから「終わりですよ」と言われたら。「あ、そうですか。はいはい」というふうに気楽なリアクションができるのが「幸福な人」である。「終わり」を告げられてもじたばたと「やだやだ、もっと生きて、もっと快楽を窮め尽くしたい」と騒ぎ立てる人は、そのあと長くいき続けても、結局あまり幸福になることのできない人だと思う。

 後略            
                                          2001年5月