民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「歴史的かなづかいか、現代かなづかいか」 その3 斎藤 美奈子

2015年06月18日 00時10分43秒 | 日本語について
 「文章読本さん江」 斎藤 美奈子  筑摩書房 2002年

 「歴史的かなづかいか、現代かなづかいか」その3 P-183

 ・福田恒存の現代かなづかい否定論

 なんという厭味たつぷりな文章でせう。(略)かういふことばづかひをする言語感覚で国語問題を論じられたのでゃかなはないといふ気がします。私はかうおもひます。現代かなづかひはすでに小学校教育で施工されてゐる。新聞もそれを用ゐてゐる。相手がなにをいはうと、こちらは勝つてゐるのだといふ優越感から、それも権力と数を笠に着て、なるべく相手を憫笑すべき道化役に仕たててやらうといふ意識――それがこの陰険な、爬虫類のやうにぬめぬめした文章を生んだのではないでせうか。/(略)実質的な反論を展開できぬための自信のなさが、右のごとき悪しき粉飾を必要とするのです。これはもう諧謔などといふものではありません。姑根性まるだしの意地わるさです。
                    「国語改良論に再考をうながす」(「知性」1955年10月号)

 両者がっぷり四つに組んで、一歩も引かない。この後もつづく二人の応酬は血わき肉おどるレトリック合戦にみちているのだが、あまりながながと観戦してもいられない。

 その4に続く