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「歴史的かなづかいか、現代かなづかいか」 その2 斎藤 美奈子

2015年06月16日 00時05分59秒 | 日本語について
 「文章読本さん江」 斎藤 美奈子  筑摩書房 2002年

 「歴史的かなづかいか、現代かなづかいか」その2 P-183

 ・金田一京助の現代かなづかい擁護論

 私どもの平素崇敬措かない先生の高説(略)、最大の期待と熱望をかけて再読、三読しました。溢れる愛国のまこと、漲る国語愛、その一言一言には、慈父の訓戒のように胸にせまる響があって、深く心を打たれました。/殊に/「近年、文化財の保護といふことが重視されるが、吾々の護るべき第一の文化財は、日本語そのものでなければならぬ」/ずばりと言いすえられた冒頭の御立言、よくぞおっしゃって下すったと、頭がさがります。/(略)/ただし、「仮名遣いの問題については、私は多くの疑問を持って居り、広く専門学者の説を聴きたい」とあるのは、何という謙虚なお言葉。先生の前には、吹けば飛ぶような存在でしかありませんけれども、このお言葉にすがり、専門の端くれに立ちます責任上、失礼ながら、一言を申し上げさして頂くことになりました。みずから、はからず、ありがたい光栄に存じて、私は謹んでこの筆を執ります。
                         「現代仮名遣い論」(「中央公論1953年4月号)

 これは小泉信三の現代かなづかい否定論に対する反論ととして書かれたものの冒頭である。慇懃無礼の見本みたいな、この口調。これにカチンときたのが、早くから新かなづかいに懐疑の念を表明していた福田恒存である。彼は金田一の文章を延々と引用して反撃した。

 その3に続く(おもしろいよ)