民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「日本語の呼吸」 その2 鴨下 信一 

2014年06月10日 01時52分59秒 | 朗読・発声
 「日本語の呼吸」  鴨下 信一 著  筑摩書房 2004年

 基本 1 「適切に区切る、それがすべて」 P-9

 日本語を声に出して読むときの、いちばん基本的な注意、
いちばん最初にしなければならないことは、何でしょうか。
 それは、
 
  読もうとする文章をきちんと区切ること。

 すべてはここからはじまります。
 区切る、ってのは「。」や「、」の句読点のことだろう、
読む時に打ってある句読点を忠実に守る、そんなことはわかってるよ―――とんだかんちがいです。

 書いてある句読点は、読むときは必ずしも守らなくてよろしい。
そのかわり自分で句読点を打ち直すこと。
これが大事です。

 だいいち、あなたは「。」で休む、「、」で息を切るのが法則だとかんちがいしていませんか。
息を切るといっても「息を吸い込む」「息を継ぐ」「息を止める」といろいろあるのですが、
そのどれですか。

 中略

 日本の文章で、普通に句読点が使われだしたのは明治になってからで
(句読点そのものは漢文を読むために平安時代からあったらしいのですが)、
それまでは文の切れ目の目安が何もありませんから、ずいぶん誤読もあったらしい。

 「ここではきものをぬいでください」

 これは、着物をぬぐ、履物をぬぐ、の二つの意味にとれるけれど、
「ここで」の後に読点を打てば誤読が防げる。

 こうして読解を助けるのが、まず句読点の役目でした。
つまりは便宜的な役割のものですから、クリアな法則化はもともと難しいのです。


「エゾオオカミ物語」 あべ 弘士

2014年06月08日 00時49分24秒 | 民話(おとぎ話・創作)
 「エゾオオカミ物語」 あべ 弘士(1948年 北海道生まれ)  講談社 2008年

 寒い、寒い、冬の夜。
月の光に誘われて、モモンガたちが集まってきました。

「ふくろうおじさん、こんばんは。」
「おーおー、よく来た、よく来た。それにしてもしばれるのお。ほら、もっと体を寄せて。」

「さてと、今夜は 誰の話を しようかのお。そうじゃ、オオカミのことは、まだであったかな。」
「えーっ、オオカミがここにいたの?」
「オオカミは、とてもいいヤツだったんじゃよ。だがのお・・・・・。」
 むかし、ここ北海道の大地には、たくさんのエゾオオカミが住んでいた。

 きびしい冬もようやく終わり、うれしい春がやってくる頃、岩かげや土の穴の中で、
オオカミの赤ちゃんが生まれる。5頭も6頭も生まれる。
おかあさんのおっぱいを飲んで、おとうさんの口から やわらかくなった肉をもらって 大きくなる。
よく飲み、よく食べ、よく寝る。
そして なによりも、子どもたちは よく遊び、よくけんかする。
そうやって、いろいろなことを 覚えながら 育ってゆくのじゃ。

 オオカミは群れをつくり、みんなで狩りをする。
しっかりと作戦をたて、協力しあってな。
オオカミの獲物はエゾシカだ。
シカも、ここには たくさん たくさん 住んでいた。

 オオカミは シカを 殺して食べる。
だが、シカはオオカミに食べられることによって、自分たちの数のバランスを保っている。
ということは、シカたちに食べられる 草や葉っぱの量も ちょうどよく、森や野原は いつも、
緑豊かな ままだ。
オオカミがシカを食べることも、シカがオオカミに食べられることも、悪いことではないのだ。
そのことは、オオカミもシカも よく わかってのことだ。

 ところで、これはとても素晴らしいことなのだが・・・・・
オオカミは、大昔から この大地に住んでいた アイヌの人たちとは、
たがいの息づかいを 感じながら、共に 生きてきた。
せまい山道で 出会うと、道を 譲り合うことすら あった。

 もちろん、アイヌの人たちはオオカミがこわい。
けれども、オオカミの方も同じだ。
”こわい”というより、尊敬しあっていたのかもしれない。

 「ところがじゃ・・・・・。」

 ある冬のことだった。
雪が、何日も 何日も 降り続き、大地は まっ白に うまった。
シカたちは食べるものがなくなり、おおぜい死んでしまったのじゃよ。
獲物のシカがいなくなって、オオカミは困りはてた。

 ちょうど その頃、北海道の大地に 開拓がはじまり、内地から たくさんの人間が やってきた。
シカを狩ることができなくなったオオカミは、しかたなく 牧場の 馬を 襲った。
そして、馬を守るためにと、オオカミは次々に殺された。
ある日、とうとう オオカミは 一頭も いなくなった。
たった 100年ほど前の ことじゃよ。

 それから どれくらいの 年月(としつき)がたったかのお。
静かな森に、ぽつぽつと シカの姿が 見えはじめたのじゃ。

 オオカミがいなくなり、食べられることのなくなったシカは、どんどん 増え続けた。
今では 森や畑が シカたちに食い荒らされ、人間たちは、そのことに 怒っておる。

 「でものお、今度は エゾシカが 悪者になっておるが、
そうしたのは、本当は”誰”なんじゃろう?」

 オオカミの遠吠えは、もう 聞こえない。

 「今夜の話は、これで おしまいじゃ。そろそろ 夜(よ)があける。おかえり。」

 (注) 私の暗記用なので、ひらがなを漢字に直したところが ずいぶんあります。



「日本語の呼吸」 その1 鴨下 信一 

2014年06月06日 01時00分00秒 | 朗読・発声
 「日本語の呼吸」  鴨下 信一 著  筑摩書房 2004年

  「(ド)ツボの音」を出してはいけない P-112

 実は邦楽では<唄は、楽器のツボで出る音には合わせない>のです。
このことはセリフの要素が多い語り物(義太夫節など)では、
音楽的要素が多い唄い物(長唄など)よりやかましくいわれます。

 楽器のツボで出る音、西洋音楽いえばドレミファのような楽音に、
本来日本では、唄い手は合わさない。

 ツボにはまる―――たいていはいい意味で使われる言葉ですが、
義太夫などではこれをドツボにはまる―――こういって嫌がります。

 じゃ何のために三味線はあるんだ、ツボは何なんだ。
邦楽の人はこう答えます。
ツボの音そのものは出さないが、それに無限に近づくのだ。

 これを<ツボの音に向かって躙(にじ)る>というんだそうです。
<ニジる>上体を屈(こご)めて膝で摺(す)ってだんだんと近づくことです。
茶室に<にじり口>という、体を折り曲げなければ入れないとんでもなくせまい入り口があるでしょう。
ニジるとはうまい譬(たと)えです。

 鴨下 信一 1935年生まれ、TBSに入社。「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などの演出を手がける。

「初心者の壁」 マイ・エッセイ 7

2014年06月04日 00時07分33秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「初心者の壁」
                                   
 どういうわけか囲碁・将棋といって、将棋・囲碁とはいわない。囲碁は碁会所で打つと言い、将棋は将棋道場で指すと言う。囲碁と将棋は似ているようだが、かなり違っている。それがどちらも経験したわたしの感じたことである。

 東京で学生をしていたころ、将棋に夢中になって将棋道場に入り浸っていたことがある。そんな学生生活も六年が過ぎたとき、「いつまで遊んでいるんだ、早く帰ってこい」と、親に戻されて社会人になってからは、すっかり将棋と縁が切れていた。
 囲碁をやるようになったのは二十年前、子どもの手が離れるようになった四十五歳のときである。将棋は四段の免状を持っていたので、初段くらいはすぐ取れるだろうと思っていた。ところが、大間違いであった。
 まわりに囲碁をやる人がいなかったので、碁会所のドアをたたいた。初めての人には敷居が高いようだが、わたしは将棋道場のことがあったので気にはならなかった。
 ところが、まったくの初心者なんか相手にしてくれる人はほとんどいない。それで、初心者でも相手をしてくれる人がいる碁会所を探した。やっと見つけたのが、当時、下野新聞の囲碁観戦記を書いていた人が日曜祭日だけ自宅の一室を開放していた碁会所だった。席料も五百円と安く、雰囲気もよかったので、毎週、通うようになった。ようやく顔を覚えてもらったころ、何人かが相手をしてくれるようになった。
 囲碁は弱い人でも強い人と対等に戦えるようにハンディがある。わたしは碁会所の中で一番弱い人が相手でも、最初に石を九つ置いてスタートする。相撲でいえば九人がかりで戦うようなものだ。
 それでも、最初のうちは勝てない。悔しいから囲碁の本を手当たり次第、買って読んだ。それだけで強くなったような気がしたが、実戦はそんなに甘いものではない。なんとか勝てるようになって、囲碁のおもしろさがわかるようになるまで二年くらいかかった。
 そうなるともうやめられない。あらためて囲碁教室に入門した。碁会所にはいなかった同じくらいの棋力の人たちと知り合って、それが励みになり、毎週、日曜日の午前中、囲碁教室に行くのが楽しみになった。通いだして三年目、囲碁の大会に出場して条件をクリアし、最初の目標である初段の免状を取ることができた。

 仕事をリタイアしてからやりたい趣味として囲碁をあげる人は多い。でも、わたしはリタイアしてからはじめたのでは遅いと思っている。習い事というのはなんでもそうだろうが、囲碁にもおもしろさがわかるまでに「初心者の壁」みたいのが厳然とある。それを破るには成果のはっきりしない努力を続ける忍耐力と、年下の者にも頭を下げられる謙虚さが必要にある。それらは年をとればとるほど維持するのが難しくなっていく。
 囲碁はとっつきにくいけれど、やってみればこんなにおもしろいゲームはない。
 今まで苦労した分、これからは初心者を相手に、「どうだ、このひよっこ」とつぶやく楽しみを味わいたいものだ。

「焔に手をかざして」 石垣 りん

2014年06月02日 00時44分27秒 | 雑学知識
 「焔(ほのお)に手をかざして」 石垣 りん  埼玉福祉会  1980年

 ぜいたくの重み P-22

 一昔前に用いられていた台秤(だいばかり)。
あれは物の重さをはかるとき、物に見合う分銅を一方に置いて、目盛りを合わせました。

 もし仮に、ぜいたくという言葉の重さをはかろうとしたら、
やはりこの古めかしい台秤でないと具合が悪い。
どんなに精密でも電子計量秤では、言葉の重さは量(はか)れない、ということがあります。
なぜなら、も一つ別のものを対置することではじめて均衡が得られる。
重さの見当がつく。
そういう性質のモノ、ではないかと思うからです。

 後略

 玄関先のハカリ P-37

 贈り物には目方があるから、どうしてもハカリにかけてしまう。
この目盛りが単純ではない。
贈られた品のおよその代価、送り主の情けの重さ軽さ、お返しの心配などによって、
心の針が微妙に動く。

 「ごめんください」とあいさつして、招じ入れられた家の玄関先に、肉屋の店頭にあるような、
品物を載せさえすればたちまち何グラムでいくら、と数字があらわれるような電子計量ハカリが、
客の面前に置かれてあるはずはない。

 あうはずのないその計量器が、どうしたわけか見えないかたちで置かれている。
その家によって目盛りの違う、心の器のようなものかもしれない。
それを感じるからこそ、人は贈答品に、あれこれ頭を悩ますのだろう。

 後略