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「初心者の壁」 マイ・エッセイ 7

2014年06月04日 00時07分33秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「初心者の壁」
                                   
 どういうわけか囲碁・将棋といって、将棋・囲碁とはいわない。囲碁は碁会所で打つと言い、将棋は将棋道場で指すと言う。囲碁と将棋は似ているようだが、かなり違っている。それがどちらも経験したわたしの感じたことである。

 東京で学生をしていたころ、将棋に夢中になって将棋道場に入り浸っていたことがある。そんな学生生活も六年が過ぎたとき、「いつまで遊んでいるんだ、早く帰ってこい」と、親に戻されて社会人になってからは、すっかり将棋と縁が切れていた。
 囲碁をやるようになったのは二十年前、子どもの手が離れるようになった四十五歳のときである。将棋は四段の免状を持っていたので、初段くらいはすぐ取れるだろうと思っていた。ところが、大間違いであった。
 まわりに囲碁をやる人がいなかったので、碁会所のドアをたたいた。初めての人には敷居が高いようだが、わたしは将棋道場のことがあったので気にはならなかった。
 ところが、まったくの初心者なんか相手にしてくれる人はほとんどいない。それで、初心者でも相手をしてくれる人がいる碁会所を探した。やっと見つけたのが、当時、下野新聞の囲碁観戦記を書いていた人が日曜祭日だけ自宅の一室を開放していた碁会所だった。席料も五百円と安く、雰囲気もよかったので、毎週、通うようになった。ようやく顔を覚えてもらったころ、何人かが相手をしてくれるようになった。
 囲碁は弱い人でも強い人と対等に戦えるようにハンディがある。わたしは碁会所の中で一番弱い人が相手でも、最初に石を九つ置いてスタートする。相撲でいえば九人がかりで戦うようなものだ。
 それでも、最初のうちは勝てない。悔しいから囲碁の本を手当たり次第、買って読んだ。それだけで強くなったような気がしたが、実戦はそんなに甘いものではない。なんとか勝てるようになって、囲碁のおもしろさがわかるようになるまで二年くらいかかった。
 そうなるともうやめられない。あらためて囲碁教室に入門した。碁会所にはいなかった同じくらいの棋力の人たちと知り合って、それが励みになり、毎週、日曜日の午前中、囲碁教室に行くのが楽しみになった。通いだして三年目、囲碁の大会に出場して条件をクリアし、最初の目標である初段の免状を取ることができた。

 仕事をリタイアしてからやりたい趣味として囲碁をあげる人は多い。でも、わたしはリタイアしてからはじめたのでは遅いと思っている。習い事というのはなんでもそうだろうが、囲碁にもおもしろさがわかるまでに「初心者の壁」みたいのが厳然とある。それを破るには成果のはっきりしない努力を続ける忍耐力と、年下の者にも頭を下げられる謙虚さが必要にある。それらは年をとればとるほど維持するのが難しくなっていく。
 囲碁はとっつきにくいけれど、やってみればこんなにおもしろいゲームはない。
 今まで苦労した分、これからは初心者を相手に、「どうだ、このひよっこ」とつぶやく楽しみを味わいたいものだ。