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「エゾオオカミ物語」 あべ 弘士

2014年06月08日 00時49分24秒 | 民話(おとぎ話・創作)
 「エゾオオカミ物語」 あべ 弘士(1948年 北海道生まれ)  講談社 2008年

 寒い、寒い、冬の夜。
月の光に誘われて、モモンガたちが集まってきました。

「ふくろうおじさん、こんばんは。」
「おーおー、よく来た、よく来た。それにしてもしばれるのお。ほら、もっと体を寄せて。」

「さてと、今夜は 誰の話を しようかのお。そうじゃ、オオカミのことは、まだであったかな。」
「えーっ、オオカミがここにいたの?」
「オオカミは、とてもいいヤツだったんじゃよ。だがのお・・・・・。」
 むかし、ここ北海道の大地には、たくさんのエゾオオカミが住んでいた。

 きびしい冬もようやく終わり、うれしい春がやってくる頃、岩かげや土の穴の中で、
オオカミの赤ちゃんが生まれる。5頭も6頭も生まれる。
おかあさんのおっぱいを飲んで、おとうさんの口から やわらかくなった肉をもらって 大きくなる。
よく飲み、よく食べ、よく寝る。
そして なによりも、子どもたちは よく遊び、よくけんかする。
そうやって、いろいろなことを 覚えながら 育ってゆくのじゃ。

 オオカミは群れをつくり、みんなで狩りをする。
しっかりと作戦をたて、協力しあってな。
オオカミの獲物はエゾシカだ。
シカも、ここには たくさん たくさん 住んでいた。

 オオカミは シカを 殺して食べる。
だが、シカはオオカミに食べられることによって、自分たちの数のバランスを保っている。
ということは、シカたちに食べられる 草や葉っぱの量も ちょうどよく、森や野原は いつも、
緑豊かな ままだ。
オオカミがシカを食べることも、シカがオオカミに食べられることも、悪いことではないのだ。
そのことは、オオカミもシカも よく わかってのことだ。

 ところで、これはとても素晴らしいことなのだが・・・・・
オオカミは、大昔から この大地に住んでいた アイヌの人たちとは、
たがいの息づかいを 感じながら、共に 生きてきた。
せまい山道で 出会うと、道を 譲り合うことすら あった。

 もちろん、アイヌの人たちはオオカミがこわい。
けれども、オオカミの方も同じだ。
”こわい”というより、尊敬しあっていたのかもしれない。

 「ところがじゃ・・・・・。」

 ある冬のことだった。
雪が、何日も 何日も 降り続き、大地は まっ白に うまった。
シカたちは食べるものがなくなり、おおぜい死んでしまったのじゃよ。
獲物のシカがいなくなって、オオカミは困りはてた。

 ちょうど その頃、北海道の大地に 開拓がはじまり、内地から たくさんの人間が やってきた。
シカを狩ることができなくなったオオカミは、しかたなく 牧場の 馬を 襲った。
そして、馬を守るためにと、オオカミは次々に殺された。
ある日、とうとう オオカミは 一頭も いなくなった。
たった 100年ほど前の ことじゃよ。

 それから どれくらいの 年月(としつき)がたったかのお。
静かな森に、ぽつぽつと シカの姿が 見えはじめたのじゃ。

 オオカミがいなくなり、食べられることのなくなったシカは、どんどん 増え続けた。
今では 森や畑が シカたちに食い荒らされ、人間たちは、そのことに 怒っておる。

 「でものお、今度は エゾシカが 悪者になっておるが、
そうしたのは、本当は”誰”なんじゃろう?」

 オオカミの遠吠えは、もう 聞こえない。

 「今夜の話は、これで おしまいじゃ。そろそろ 夜(よ)があける。おかえり。」

 (注) 私の暗記用なので、ひらがなを漢字に直したところが ずいぶんあります。



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