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「会話の日本語読本」 その1 鴨下 信一

2014年06月22日 18時19分17秒 | 日本語について
 「会話の日本語読本」  鴨下 信一 著  文春新書 文藝春秋 2003年 

 「話し下手の日本人が発明した会話の妙案」 P-26

 「あいづち」「合いの手」「オウム返し」・・・
三つとも、こうした<日本語に関する本>ではあまり聞いたことのない名だろう。
もちろん文法上・学問上認められている名でもない。
しかしこれらの名称は日本では旧く以前から、
文芸以外のところで非常に重く用いられていた言葉なのだ。
まず、言葉を調べよう。

 <あいづち>、相槌と書く。
鍛冶職がトンテンカン、トンテンカンと鉄などの金属を打ち鍛える。
その工程のうちでは、どうしても二人で打たなければならない時がある。
鍛冶仕事の画で座っている鍛冶職の向かいに立って大槌をふりかぶっているのが相槌で、
向かい槌ともいう。
 
 これが昔からとても大事に重んじられた。
刀鍛冶などではこの相槌が良くないととても名刀は打てぬという。

 中略

 <合いの手>はもともと邦楽のほうの言葉だ。
歌と歌の間に入る楽器だけの演奏の部分をいう。
合い方とも書く。
それから民謡の囃し言葉も合いの手という。
民謡の間にハイハイとかドッコイセ、ソリャソリャ、ハイヤーとか入るあれである。

 中略

 <オウム返し>・・・あの鸚鵡が人の真似をして、
そのまま言葉を返すのがもとになっていることはたしかだが、
これだけは文芸のほうで昔から秘事として伝わっている言葉なのだ。

 それは返歌、歌の贈答のとき送られた歌に対して歌を返す、
その技術の一つで相手の歌をほとんどそのままに、ほんの少しだけ変えて返歌とすることだ。

 中略

<あいづち>も<合いの手>も、コロケーション(将棋を指す・碁を打つとはいっても、
将棋を打つ・碁を指すとはいわないように、語と語には特別な結びつきがあること)に従って、
あいづちを打つ・合いの手を入れるといえばそれは元の意味から派生して言葉の用法となる。
そして、その原意の生まれたジャンルで重い意味を持っていたことが
「小鍛冶」や「追分」の例でわかる。
とすれば、日本人の意識の中で<あいづち><合いの手>は言葉の用法としても
重要なものだったといえるはずなのだ。