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「ひそかなたくらみ」 マイ・エッセイ 8

2014年06月28日 00時06分24秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「ひそかなたくらみ」
                                

 還暦を迎え、仕事をやめて五年がたつ。
 現役のときは囲碁に夢中になっていて、休みの日に碁会所に行くのが楽しみだった。リタイアしたら毎日囲碁が打てる、とその日がくるのを心待ちにしていた。
 隠居生活に入って、あれほど行くのを楽しみにしていた碁会所にまだ一度も行っていない。囲碁のほかにもやってみたいことがあれやこれや出てきた。
 囲碁は、やるときに決めた目標をクリアしていた。いま以上に強くなるには、こつこつと効果のはっきりしない努力を続けなければならない。老骨の身にはつらい作業である。新しいことならはっきりと、一歩いっぽ目標に近づく楽しみと、一つひとつ新しいことを知るよろこびを得ることができる。

 一年前、生涯学習に『エッセイの講座』があるのを知り、そろそろエッセイを書いてみるのもいいか、と受講した。
 エッセイを書いたことはない。向田邦子が好きで、あんなエッセイが書けたらいいな、と思っていた。文章を書くのは嫌いじゃない。その気になりさえすれば、すぐ書けるだろう、とたかをくくっていた。ところがいざ書いてみると、思った以上にやっかいだった。
 六つのエッセイを書いた。どのひとつも生みの苦しみをあじわう。どうにか書きあげて、作品を送るときの、やったという達成感と、ほっとした安堵感はなかなかのものだった。

 今年の新年会の席で一人ひとりが、これからの抱負を述べるコーナーがあった。そのうちの一人(同年輩の女性)が、下野新聞の『読者登壇』に採用されることだった。何度か投稿したが、まだ採用されたことはないという。わたしも、エッセイを書くようになってから気になっていて、そのうち投稿するつもりでいた。これはチャンス、とどちらが先に掲載されるか勝負することになった。
 二月になって、メールがあった。
「採用されたよ。イヒヒ」得意げな彼女の顔が浮かぶ。
 わたしは、エッセイを書くのに必死で、一度も投稿していなかった。
 そのあと、「また、採用されたよ。イヒヒ」のメールが四回もきた。どうだといわんばかりにわたしを見くだしている彼女の姿が浮かぶ。
 (よぉし、オレも)と力んでも、採用されなかったら、と思うと、書く気になれない。
 こうして、わたしの名前が新聞に載ることはなくなった。

 県と市でやっている芸術祭の文芸部門に『エッセイ』がある。これに応募して入賞すれば、少しは彼女の鼻をあかすことができるかと、ひそかにたくらんでいる。