京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『氷柱の声』

2021年12月02日 | KIMURAの読書ノート


『氷柱の声』
くどうれいん 作 講談社 2021年7月
 
盛岡に住む伊智花は、高校2年生の時に東日本大震災に見舞われる。年度が変わり3年生になった伊智花は美術部で以前に賞を取ったこともあり、教育委員会絡みの取り組みで「絵画で被災地に届けよう、絆のメッセージ」の出展を名指しされる。内陸で被害をほとんど受けていない自分がそれを描いていいものなのか悩むものの、断ることができずにニセアカシアの白い花が降る絵を描く。そしてこの絵に関し取材を受けることとなるが、絵ではなく、被災地に向けてのメッセージを届けようとする高校生に喜んでいる記者の意図を知り暗澹たる思いになる。その後大学に進学した伊智花は4年生の時に、2学年下の医学部のトーミと知り合う。トーミは福島で直接震災時、津波を目の当たりにしていることを伊智花に話す。そしてトーミはそのことがきっかけで医学部を中退、アメリカに留学をする。また、伊智花のボーイフレンドの中鵜は震災時、宮城の内陸におり、停電の中ろうそくで過ごしたことがトラウマとなっていた。そして、時が経ち伊智花は社会人となり、地元でフリーペーパーを作る編集部で働いていた。ここでも震災について思いを巡らす人物と出会う。
 
この本を読みながらすぐに脳裏に浮かんだのはこの春から秋にかけてNHKの朝の連続テレビ小説『おかえり、モネ』だった。このドラマは震災が起こった時、高校受験で地元気仙沼沖合の島を離れており津波には遭遇しなかったため、周囲の人との被災経験を共有できず、何も力になれないことに苦悩を抱えながらも、自分の道を見つけていく永浦百音(モネ)の物語ある。ドラマではモネだけでなく、震災後被災していようとそうでなかろうと、その人その人によって抱える悩みや葛藤を細かく描かれていたが、この作品もまた同様であった。主人公の伊智花は前述した通りであるが、大学で友人となったトーミは、津波が自宅の一歩手前で止まったため、大きな被害を免れている。しかし、そのため、自分が何も失なわなかったから友人の家が全壊したと思ってしまう。だからこそ、せめて自分は傷ついた人を救う職につきたいと思い、医学部に進学する。しかし、そのことを知っていた教授がトーミに「本当に美しい努力だ」という声がけをしたことにより、トーミの中の何かが割れてしまう。伊智花が社会人となって知り合った松田は、震災で家族を失っている。その後彼は、親戚が引き取ってくれ、大学に進学して東京で就職する。それでも思うところがあり、上司に相談したところ、「せっかく、震災採用なのに辞めたら後悔するぞ」と言われる。『被災者』を入社させることが企業の社会貢献だと思っている現実に憤りを感じていた。
 
この作品の初版は今年の7月であるが、初出は雑誌『群像』(講談社)の4月号である。つまり、NHKのドラマの脚本とこの作品は同じ時期に、脚本家と作家が同じような思いを持ち、それぞれがそれぞれの形で執筆していたと考えられる。確かに今年は震災から10年の節目ではあった。しかし、それだけが執筆と言う思いを突き動かしたのではないであろう。『おかえり、モネ』を見逃した人だけでなく、モネファンだった人にも是非手にして頂きたい1冊である。最後に作者のあとがきの最後の言葉をここに引用する。
 
―――書き終えて感じたのは「震災もの」なんてものはない。ということだ。多くの方が「話せせるほどの立場」ではないと思っているだけで、2011年3月11日以降、わたしたちの生活はすべて「震災後」のもので「『震災もの』の人生」だ。どこに暮らしていたとしても、何も失わなかったと思っているとしても。だから、この作品は「震災もの」ではない。だれかの日常であり、あなたの日常であり、これからも続くものだと思う。(p119)―――

=====  文責 木村綾子


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