『甲子園という病』
氏原英明 新潮社 2018年8月
「甲子園」という言葉を聞いて一般的には二つの事柄を日本人はイメージすると思う。一つはプロ野球阪神タイガースのホームグラウンドとしての「甲子園」。そして、春と夏、高校野球の全国大会場所としての「甲子園」。本書は、後者としての「甲子園」について論じているものである。
冒頭に著者の意見としてではなく、メジャーリーガーのスカウトたちが、この甲子園を取り巻く環境に対して表現している言葉を紹介しているが、これはかなり衝撃的である。「児童虐待」を意味する「child abuse(チャイルド・アビュース)」と言っているのである。野球の本場、アメリカでは少なからずこの甲子園に関しては好意的どころか、否定的な、いや、この言葉からすると「犯罪」と同列で見られていることが分かる。
その理由の一つが大会における投手の登板過多である。著者はかつて甲子園を賑わし、将来を嘱望されたものの、その後姿を消した選手だけでなく、当時その投手を指導した監督にその時の様子、現在の思いをインタビュー行っている。そして、そこから見えてくる現実。プロ野球選手という将来の夢を持って、幼い頃から野球に取り組む子ども達が「甲子園」という通過点でその夢を断たれてしまうことがあることは想像しないだろう。それどころか、「甲子園」は夢への近道だと教えられるはずである。だからこそ、まず野球少年たちは「甲子園」を目指すのである。
第三章では、プロ野球界で活躍した現在中日ドラゴンズの松坂大輔と元広島東洋カープの黒田博樹の高校時代を比較している。共にメジャーリーグでも活躍したばかりか、松坂選手は高校時代、登板過多ではあったが、決勝戦でノーヒットノーランを達成し、その記録は伝説化すらしている。しかし、著者は彼の野球人生においてそれが果たして「成功」と言えるのかと疑問を呈している。またここでは、現在メジャーリーグでプレイしている他の選手が甲子園時代に注目を浴びながらも、なぜ潰れずに現在着々とキャリアハイを積んでいるかについても触れている。ここに今後の甲子園の運営を考えていく上でのヒントが示されている。
今年の夏の大会は100回大会ということもあり、これまで以上に大会前からメディアを含め、甲子園は盛り上がった。しかし、その反面、その盛り上がりに対して一定数冷ややかな意見が例年になく見受けられた大会でもあった。決勝戦まで勝ち進んだチームの投手の1人は、今大会のみで881球を投げ、連日「不用意な外出を控えるように」というアナウンスが流れる天気予報の中での試合。その中で足をつって処置を受ける選手がありながら、決してそれを「熱中症」と報道しないメディア。まさか、著者もこの100回大会が、本書で自身が指摘した事柄の多くが表に出てくる大会になるとは思いもよらなかったであろう。そして、「児童虐待」と映っている海外の野球関係者は今大会をどのような目で見ていたのであろ
うか。
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文責 木村綾子