京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書のノート『九十歳。何がめでたい』

2017年01月10日 | KIMURAの読書ノート
『九十歳。何がめでたい』
佐藤愛子 著 小学館 2016年8月6日

明けましておめでとうございます。本年も変わらずダラダラと本を読んだ中から、その一部の感想をこれまたダラダラと書いた駄文を皆様にお届けします。どうぞお付き合いくだされば幸いです。

さて、新年のこのおめでたい日の一冊目、「何がめでたい」という強烈なパンチのあるタイトルを引き当ててしまいました。直木賞作家で数々の作品を生み出してきた巨匠佐藤愛子さんのエッセイが本書です。昨年8月に刊行されて以来、未だに売れ続け、昨年の11月末日現在トーハンのランキングで第4位。勢いが衰えることはないようです。

御年93歳。抱腹絶倒、毒舌満載とはこのことではないでしょうか。売り上げの勢いもさることながら、本書の佐藤愛子さんの怒りの勢いは凄まじい。最初から「こみ上げる憤怒の孤独」として、自らの老いに怒っております。もちろん、老いだけではありません。日本人に対しては「総アホ時代」と銘打って憤っており、新聞の内にある人生相談の相談者だけでなく、回答者にも嘆いており、丸ごと1冊怒りに満ちています。しかし、読み手としては、それに対していちいち納得しながら、笑っているのだから不思議です。例えば、先の最初の章。佐藤さんがおっしゃるには、ご自身声が大きいらしい。そのため、「声が大きい」だけで、「元気」と思われ、あれこれ依頼が来るので困っていらっしゃる様子。弱弱しく見せようと小声でしゃべっていても、攻防戦が繰り広げられるとうっかり地声になり、「元気」じゃないですかと言われる始末。挙句には佐藤さん「声がでかいのが病気」と言わざるを得ないとか。しかし、現実的には90歳を超えた体は声が大きかろうと小さかろうと、日々の衰えを身をもって感じ、徒歩15分で行けた場所に倍以上かかったりとその年齢にならないと理解できない状況を佐藤節でまくし立てています。そして、最後彼女は、周囲の人から卒寿に対して「おめでとうございます」と言われることに対して、この状況から「何がめでたい」と一蹴するのです。

しかし、彼女の怒りは決して、彼女の年齢になったから分かるというものだけではありません。今の日本の政治や社会の流れに対しても愁いを感じています。それは間違いなく、私達がひそかに心の中で思っていることばかりです。ただその中には、それを一般の人が世間話にでさえも、口に出したらはばかるような内容も含まれています。日本は民主主義で表現や言論の自由があるはず。なのに、本書を読んでいると、案外今の日本、これらのものが不自由になってきているのではないかしらと感じてしまいます。それこそ年の功ではありませんが、御年93歳の佐藤愛子さんだからこそ、いや、彼女の筆力だからこそ、こうして笑いに変えて代弁してくれているのです。

と書いてしまうと、新年早々暗い感想となってしまいますが、本書は間違いなく素直に笑えます。「笑う門には福来る」。新年の幕開けにはもってこいの1冊です。  (文責 木村綾子)

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