『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』
三浦英之 著 集英社 2022年
「その不可解なメッセージが私の短文投稿サイト『ツイッター』に投稿されたのは2016年3月だった。〈朝日新聞では、1970年代コンゴでの日本企業の鉱山開発に伴い1000人以上の日本人男性が現地に赴任し、そこで生まれた日本人の子どもを、日本人医師と看護師が毒殺したことを報道したことはありますか?〉」(p8)
上記は本書の冒頭に記されていた文章である。著者は朝日新聞のアフリカ特派員で当時南アフリカのヨハネスブルクに駐在していた。その著者のツイッター(現エックス)のアカウントに直接送られてきたのが上記のメッセージである。このメッセージにはその情報ソースの動画が貼り付けてあり、著者がそれをクリックすると動画はフランスの国際ニュースチャンネル「フランス24」のニュース映像であることを知った。それは約10分半にも及び、日本人男性との間に生まれた子どもと思われる人や元鉱山労働者、そしてコンゴの国会議員など多数の人のインタビューが映し出されていた。しかも、すでに子どもたちは組織を作り、救済を求める活動に乗り出しているという。この動画の配信元はフランス政府が所有する国際放送統括会社の傘下にあるニュース専門チャンネルでかつ取材者の名前も表記されていることから、決して眉唾なものではないと思う反面、「信憑性」に関する疑問や「報道姿勢」に対する疑念が著者の中で浮かび上がってくる。このことがきっかけとなり著者はこの事件について本格的に取材することとなった。
コンゴには「日本カタンガ協会」という団体が存在。活動しているのが日本人である田邊好美ということを知り通訳をお願いする。そしてコンゴに渡った著者は田邊の口から日本人残留児(日本人男性との間に生まれた子)が数十人から数百人実在するところまでは事実であることを知らされる。田邊は子ども達が立ち上げた団体のサポートもしていた。田邊の紹介で子どもたち(以下、日本人残留児)にあった著者は一目で彼ら・彼女らがコンゴ人とは異なる容貌をしていることを理解する。田邊たちの話によると、「フランス24」が報道する3年前に日本大使館に日本人残留児のリストと要望者を持って出向いたということであった。そしてその時の大使館側の回答が「東京に問い合わせてみたところ、この件は民事事案なので政府としては対応できません」というものであったという。また著者以外にもかつて日本人のフリーカメラマンやテレビクルーが取材に来たことがあるが、カメラマンは子ども達や母親の写真を撮ってそれっきり。テレビクルーの番組は子ども達のことには触れない酷い内容で日本のBPOに審査の申し立てをしている状況であるという。結果的にこの一連のことが日本では表舞台に出てきていないということになる。
結論を述べれば、日本人残留児に関して言えば事実であり、「嬰児殺し」に関しては誤った情報であると言える。実際に2022年に「フランス24」の映像は削除されている。しかし、それ以外のことは何も解決しないままである。つまり、日本人残留児は今尚コンゴで不遇な生活を続け、何も支援が入っていない状態なのである。そして、なぜこのような悲劇が起きたのか。これが最大の問題であり、日本の闇の部分であると言える。当時コンゴに鉱山を持っていた日本鉱業の労働者の宿舎は劣悪なものだったという。そのため日本人労働者の多くが性病にかかっており、かつこの時の指導の1つが「現地人と性行為をした後は力いっぱい小便を一気に出すようにしたら、病原菌も一緒に流れ出る」というものであったようである。これも一つの要因になったという。しかし、相手のコンゴの女性の多くはまだ13~14歳のいわゆる「女の子」であったということもここに付け加えておく。
1970年代と言えば、高度成長で日本はあの戦後から立ち直り、先進国の仲間入りをしたと言われた時代である。この出来事だけでも果たして日本は先進国の仲間入りをしたと云えていたのであろうか。著者は取材を始めてから出版まで6年の時間を要している。それだけ取材は困難を極めたともいえる。そして、かつ朝日新聞の社員でありながら、個人的な取材をすることで社内ではペナルティも与えられている。そのような中で本書が書店に並んだことは奇跡に近いのではないかとも思う。著者はこの本が世に出ることで子ども達の存在が社会に知れ渡り、救済の光が当たることを望んでいる。是非一人でも多くこの本を手にして欲しいと願う。そして、最後に当時のコンゴ日本大使館は大使館としては子ども達に何も出来なかったが、あまりにも不遇な立場に追い込まれた子ども達に個人的に支援していたこともここに付け加えておく。
======文責 木村綾子