京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』

2021年01月04日 | KIMURAの読書ノート

『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』
ウスビ・サコ 著 朝日新聞出版 2020年7月
 
明けましておめでとうございます。昨年末の報道から本年も新型コロナウイルスの影響を受ける毎日になる予感。心の日常を安定させるために、昨年同様、引き続き乱読した一年を過ごしていきたいと思っております。
 
本年最初に取り上げるのは、2018年4月アフリカ出身者として日本で初めて大学の学長となったウスビ・サコ氏の自叙伝です。前半は彼の生い立ちを、後半は日本で生活を始めて彼が感じた日本社会や日本の教育について語られています。
 
彼はマリの出身ですが、そもそも「マリ」という国について、アフリカの国であるということしか知らなかった私にとっては、マリそのものの文化や生活、教育について彼が綴っている前半を興味深く読み、かなりの衝撃を受けました。何せ、最初の書き出し、「時は1960年代。アフリカはマリの首都バマコにある我が家では、30人ほどの人が同じかまどのごはんを食べていた。 ~略~ 誰がいるのかというと、祖母、父の姉、そしてその姉のところに居候していた人たちが10人前後、母方の親戚が10人前後。その他諸々。つまり、『赤の他人』が半数近くを占めるわけだが、まあ、マリでは珍しくない(p16)」。日本においてこのような家族形態は江戸から明治にかけて、それなりにお金のある家庭が家の家業を住み込みで手伝わせるために…というケースについてはありますが、どうもそれとは全く違う集まり方であることに更に衝撃を受けます。どちらかと言えば、家賃をとらない下宿的な感覚。いつの間にか住み着いている他人。それでも「家族」という形態が成立しているのです。
 
このような日本とは全く違う文化や習慣が異なる国から日本を彼は見ているので、彼の日本に対する感覚は日本のそれらが染みついている私としては異次元の指摘でした。彼は日本に来て一番怖かったこととして、日本社会にはどこに「オン」と「オフ」があるかわからないことと、語っています。彼の目線だと日本はずっと「オン」のままだと言います。私としては、仕事以外で趣味を楽しんでいる時は明らかに「オフ」だと思うのですが、彼は違うと言うのです。日本人の趣味は、深く掘り下げすぎていて専門家のようになり、気楽ではないと。彼の言葉を引用すると「果たして日本人には、本当の意味でだらだらしたり、何もしないでボーッとしたりする時間はあるのだろうか。 ~略~ だらだらできないような国民性。~略~ それらのことと、引きこもりや自殺というのは、全てつながっているのではないか。日本人よ、もっと肩の力を抜こうぜと、私は言いたい(p157、158)」。
 
彼の日本に対する指摘はこれまで私が見聞きした欧米人のそれとも異なるものでとても新鮮です。その指摘が正しいのか否なのかはともかくとして、そのように日本に対する違和感を持ちながらも大学の学長として、今日本の大学生が必要な力を学生や教職員を一緒に考えながら進んでいく姿はこれからの日本に新風をもたらしてくれるのではないかと期待します。
 

このご時世ですから、第8章には新型コロナウイルスに対する提言もしています。日本でも新型コロナウイルスはますます猛威をふるっており、国内の状況に一喜一憂の毎日ですが、ここでは世界の国がどのような対策をして現状どうなっているのかということ、それらを踏まえて、日本政府がどうなのか、日本国民として本来どうするべきなのかということを考えさせてくれる1冊ともなっています。しかし、彼の関西弁を含んだコミカルな語り口調が随所に見られ、ふと肩の力が抜けていく著書です。

文責 木村綾子


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