京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート 『死に山』

2020年06月16日 | KIMURAの読書ノート
『死に山』
ドニ―・アイカ― 著 安原和見 訳 河出書房新社 2018年

数週間前のこと。旧ソ連時代の未解決事件「ディアトロフ峠事件」を筆者であるアメリカの映画・テレビ監督が真相を追った本としてラジオで紹介されていた。「未解決事件」という「キーワード」、そして旧ソ連の事件にアメリカ人が挑むというシチュエーションに惹かれて私も読んでみた。

そもそも「ディアトロフ峠事件」とは何なのか。ざっくり説明すると、「1959年初冬、ウラル工科大学の学生とOB9人で構成された登山チームがウラル山脈北部のホラチャフリ山で遭難。9名はテントから1キロ半程離れた場所で凄惨な死に方で発見される。氷点下の中で衣服はろくに着けておらず、全員が靴を履いていない。三人は頭蓋骨骨折をしており、女性メンバーの一人は舌を喪失。遺体の着衣からは異常な濃度の放射線が検出された。更に9人が寝ていたと思われるテントは内側から複数の刃物で切ったと思われる跡が見つかっている。この事故の最終報告書にはトレッカーたちは『未知の不可抗力』によって死亡したとして処理され、この山とその周辺を3年間立ち入り禁止として終結させている」という事件である。

著者は2010年に自身が手掛ける映画の調査をしていた時、偶然にこの事件のことを知る。そこからこの事件についてネットサーフィンをしているうちに、実はこの事件には唯一の生存者がいることを知り、本格的にこの事件について詮索してみることになった。

著者のこの事件を追い方は凄いに尽きる。当時の資料や関係者に取材するだけではなく、遭難したほぼ同時季(つまり極寒の時季)のホリャチャフリ山に行き、トレッカー達が体感し、目にした光景の足取りをたどっているのである。最終的にはそこで彼が撮った写真が決め手となり、著者や著者の関係者たちが納得する事件の結末の形を迎えることとなる。

また本書は当時の捜査の様子を写し出した写真も数多く掲載されている。それがかなり大掛かりだったこと、そして深刻な状況であったことが分かるのだが、1つの疑問が生まれてくる。一般的にロシアとアメリカは対峙する国として見られている。現在のロシアはかなり情報公開がされてきたが、旧ソ連の時代は外への情報はかなり制約されていた。そのロシアがアメリカ人の一介の映画監督にこれだけの資料、しかも情報統制がされていた旧ソ連の資料を提供しているのである。もちろん、著者の真摯な態度と信頼性というものがそこにあったのではあろうが、思った以上に今のロシアは情報を外に向けて開示しているのかもしれない。そういう意味でも本書を手にする価値がある。
先ほど、私は「納得する事件の結末」ということを記載したが、これはとある自然現象がもたらしたものである。しかし、本書によるとこの自然現象が科学的に認知されたのは、この事件が起こったもっと後のことで、当時このことを知る人はおらず、事件がより複雑化、そして結局「未解決」という形になったとしている。そして、この自然現象のことを書いた記述を読んで私がふと思い出したのが、明治35年200名近い隊員が訓練のため吹雪の中八甲田に赴き遭難した「八甲田雪中行軍遭難事件」である。多くの死傷者を出したこの事件の要因は様々あるが、もしかしたらディアトロフ峠事件同様の自然現象が起こったのではないだろうか。そんなこともふと想起させてくれる事件の結末である。しかし、この結末もあくまでも著者たちの推測の域を出ない。そのためであろうか、何とロシアは今年に入り、この事件の再調査を再開したと発表している。まだまだこの事件、尾をひきそうである。

==== 文責 木村綾子

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