京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

日本のカタチ2050 「こうなったらいい」未来の描き方

2014年12月20日 | KIMURAの読書ノート
『日本のカタチ2050 「こうなったらいい」未来の描き方』
竹内昌義 馬場正尊 マエキタミヤコ 山崎亮 著 晶文社 2014年8月

今から35年後、自分は何をしているだろうか。正直明日の自分も推測できない日々を送っているので、その先などはとんと考えたことがない。それでも、35年後というと、80歳に手が届く年齢になっているので、できれば夫とのんびりと茶の間で毎日お茶をすすっていたいなという思いはある。

本書は今から35年後の2050年の近未来の姿を4人の論客が描こうとしたものである。これは、「推測」したものではなく、あくまでも前向きに捉えた未来の描く方法論である。

まず、2050年の日本の姿をデータとして示しすことから始まり、第1章では、「コミュニティー」について、第2章では「都市と地方」、第3章では「エネルギー」、第4章では「政治」。そして最後の第5章では「働き方・生き方」について論じている。

全てにおいて、「2011年東日本大震災」がキーワードとなっている。それ以前とそれ以後とで考え方を大きく方向転換せざる得ない状況が生まれていることは誰もが納得することであろう。それは最初に提示されている35年後の予測データが記されていてもである。

こうした中で、主に「コミュニティー」について論じている山崎亮は、「つながり」よりも「参加」することができる社会の確立を説いている。「つながる」ことを意識することなく、「参加」することで必然的につながりが生まれ、それがセーフティーネットにもなるという。しかし、「参加」することを苦手とする人にとってはどうするのか。そこで必要なのがこのような機会を創出するデザイナーであるとしている。一般的な建物をデザインするデザイナーが最終的に人々をつなげる役割を担うという発想がその後も展開され、その視点に魅了される。

また、この読書ノートが掲載される頃にはすでに結果が出ているであろう、衆議院の総選挙。正直、色んな思いが交錯して開いた口がふさがっていないというのが、私見である。これについて述べているマエキタミヤコは、現在の政治の状況がこのような形になったのは、日本風土そのものが外部からあまり脅かされることなく、のんびりとした歴史があり人権意識が低く抑えられていたと記している。近代になってからも、政治をしていく上で国民が人権を意識しない方が統治しやすいということから、あえてそこに目を向けさせなかったと指摘する。現在もメディアリテラシーという言葉は流布しているものの、親世代が実はリテラシーを持っていないとし、「普通政治」を実現させるためには、まずリテラシー格差をなくすことが先であると言及している。

本書は総じて、論客たちがただ漠然と語っているだけではなく、現在活動していることを基に話を展開している。それが35年後の2050年の理想の日本の姿に繋がっているのである。先にも述べた総選挙の件では、リテラシーを誰もがリテラシーを学んでいかなければならないが、一方で今回の選挙はおかしいのではないかと声を上げる人も多いように思える。山崎亮が述べていたように、声を挙げることも参加の一つとするなら、4人の論客が描いた理想の日本に実は一歩一歩近づいているのではないかと淡い期待を得ることが出来たことだけでも、本書を読んだ意義があるというものである。

35年後の自分。お茶をすすっていたいということは、冒頭に書いた。それはあくまでも個人的な話。来年は少しだけ、個人から離れて社会の35年後の未来も描いていけたらいいなと思う。みなさん、よいお年を。     
                                       文: 木村綾子

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