分類:催
場所 : 鹿島公民館
いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
考古学者で福島県に功績を残した人
《遺跡に関して数々の業績を残した八代義定》
今日(25日)、鹿島民俗見聞会では渡邊一雄さん(福島県考古学会顧問・いわき地域学会顧問)を招いて、地元鹿島の考古学者だった八代義定(明治22年~昭和31年)との交流を含め、その事績、人柄などを2時間に亘って講演して頂きました。
《満席になった公民館の講座室》
八代義定(やしろよしさだ)は、村(当時)の人たちから「義定(ぎてい)」さんと呼ばれて親しまれ、昭和22年の公職選挙法による鹿島村長選で当選し、同26年に再選され、同29年に町村合併の先鞭をつけて退職した人でもあります。
昭和27年、福島県古文化財の研究と保存に尽力した多年の功績を讃えられて、第1回福島県文化功労賞を受賞しました。
《若い時代の交流を懐古しながら熱弁を振るう渡邊講師》
1町歩(約9,900㎡)近い水田を自ら耕作する百姓でありながら、人類・考古学専攻の学究でもあり、また若い時から筋の通った社会主義者としても知られました。このため八代の監視に村の駐在所の巡査が別途、特別手当が支給されていたと伝わっています。
自宅の隅に茅葺(かやぶき)の隠居所を設けて、窓から遠く湯ノ岳の南端が望まれるこの書斎を自ら残丘舎と呼びました。 ※一時期、「静観荘」とも言っていたようですが、当時の写真(玄関先表札)を見る限り、「残丘舎」と書かれています。
部屋には思想的な文学書が山積されていたが、考古学的な資料や土器などが置かれている1部屋だけは誰にも見せなかったとも語られました。
大正9年から昭和20年にかけて文化財の保護活動を精力的に行い、史跡名勝天然記念物60件、国宝指定19件、重要美術品指定30件、仮指定4件とされ、国指定件数は全国一と云われています。勿論、これらは単独ではなく、各委員(スタッフ)の協力・活動の結果でもあります。
いわきの作家、吉野せい(1899~1977)の小説 『道』 に出てくる原さんという人物は、八代義定がモデルとされています。
実直で人に好かれ、信念を貫いた人=八代義定は昭和31年9月25日没。享年67歳。