いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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磨崖仏崩壊後の工事完了

2020-10-17 09:58:49 | Weblog
                                           分類:歴

                               場所 : いわき市鹿島町久保字相京作                                                                 鹿島街道(県道:小名浜~平線)

    800年の歴史があった磨崖仏(まがいぶつ) 
 令和1年(2019)8月24日の午後11時前後のことでした。高さ23メートルの岩山が突然崩落して 『久保の磨崖仏』(通称:久保の岩薬師) は跡形も無くなってしまいました。
 磨崖仏は山の露出した岩石に彫られてあった薬師如来形坐像と阿弥陀如来坐像で、造立年代は鎌倉時代に遡るという4体の仏像でした。
 平成21年(2009)4月27日に市指定の無形文化財になった貴重な財産(史跡)でもありました。
             
             《鹿島街道に面した岩壁にくっきりと見えた頃の磨崖仏》

 鹿島地区連合自主防災会(鹿島町区長会)は、福島県いわき建設事務所より「崖崩れ対策工事の概要(県道小名浜平線)」の説明を受けた後に崩落現場は、約1年間の工期で崩れた岩塊と上部にある岩盤を小割にして搬出作業が行われてきました。
 工事は今月の10月に入って完了し、9日(金)12時より平から小名浜に向かう車線が2車線に復活して、上下3車線に規制されていた鹿島街道は元通りの4車線になりました。


             《一瞬にして崩落した岩山によって磨崖仏は姿を消した》
               
 今後、久保の磨崖仏は原型が無く、残るのは資料のみとなってしまいましたが所在した場所は末永く語り継がれていくことでしょう。
 もともと、この岩山は昭和30年(1955)頃までは石切り場として使用されていて、山の中は天井が4~6mくらいで広範囲に亘って空洞ができていました。危ないので周囲にフェンスを張って「危険」の看板を立ててあった場所でした。
 この状況から山の崩落起因を推察すると。空洞になっていた岩盤表面が脆くなってきていて、山の重圧に耐えられなくなった……と思うのが、ごく自然な考え方ではないでしょうか。
 当時、視察した専門家たちの意見としては、「一般的には長引く降雨、あるいは一時的な豪雨や地下水によるものと解釈されるが現場では雨や地下水はなかった」と発言しましたし、更に微々たる地震すら発生していなかったのですから、そうなると事実は只一つ。
 やはり、起因は岩山そのものの脆さにあったのだと思うのが妥当でしょう。

               《工事完成後、従来通り4車線に戻った鹿島街道》strong>

 尚、工事そのものは完全に終了したわけではなく、福島県いわき建設事務所によると今後も法面緑化工事(11月~)、岩撤去(12月末)などが続けられて、実質的な工事完了となるのは来年3月末迄となっているようです。


コメント
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