分類・歴
慶応4年(1868)戊辰戦争に於いて奥羽列藩同盟に与した当時の家老、上坂助大夫は明治政府軍に攻められたために自ら城に火を放ち逃走し、信正(晩年は難を相馬に避け7月18日、幾世橋村興仁寺に宿り、その後は兵を率いて相馬から仙台に赴きました。
鹿島の歴史
約250年続いた磐城平城も、戊辰戦争でついに落城し、廃藩置県の際に城跡の全てと遺った建造物が民間に払い下げられました。
下の写真2枚は鹿島町御代地区にある個人宅の門ですが、どれも当時の平城から払い下げを受けたもので、頑強な骨組みで今でも残っている由緒ある門です。
《現存する移築門 S氏の個人宅》
《現存する移築門 Y氏の個人宅》
《磐城平城の古地図》
位置的には地図の右下あたりが「いわき駅」で、左端の方が平第1中、福島地方裁判所、福島地方検察庁がある所になります。
《安藤信正公の銅像》
磐城平藩5代藩主で、幕府の外国御用掛(今でいうと外務大臣)を務めました。(※写真は昨年5月下旬に撮影したものです)
【今日という日の過去】 4/6
昭和39年(1964) NHKテレビの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(作、井上ひさし・山元護久)が始まりました。
漂流する小島を舞台に先生と子供たちが繰り広げる冒険物語でした。
4月6日(金) → 四緑 赤口 旧暦3/16
慶応4年(1868)戊辰戦争に於いて奥羽列藩同盟に与した当時の家老、上坂助大夫は明治政府軍に攻められたために自ら城に火を放ち逃走し、信正(晩年は難を相馬に避け7月18日、幾世橋村興仁寺に宿り、その後は兵を率いて相馬から仙台に赴きました。
鹿島の歴史
約250年続いた磐城平城も、戊辰戦争でついに落城し、廃藩置県の際に城跡の全てと遺った建造物が民間に払い下げられました。
下の写真2枚は鹿島町御代地区にある個人宅の門ですが、どれも当時の平城から払い下げを受けたもので、頑強な骨組みで今でも残っている由緒ある門です。
《現存する移築門 S氏の個人宅》
《現存する移築門 Y氏の個人宅》
《磐城平城の古地図》
位置的には地図の右下あたりが「いわき駅」で、左端の方が平第1中、福島地方裁判所、福島地方検察庁がある所になります。
《安藤信正公の銅像》
磐城平藩5代藩主で、幕府の外国御用掛(今でいうと外務大臣)を務めました。(※写真は昨年5月下旬に撮影したものです)
【今日という日の過去】 4/6
昭和39年(1964) NHKテレビの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(作、井上ひさし・山元護久)が始まりました。
漂流する小島を舞台に先生と子供たちが繰り広げる冒険物語でした。
4月6日(金) → 四緑 赤口 旧暦3/16