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今日も髪はクルックル

コーヒーロースターの毎日です。

マルティン・ケリーの話

2016-01-05 09:40:00 | Weblog
 つい「時間がない」と言ってしまうときがあるけれど
そもそも終わりの時間をしらない、すなわち自分の死がいつ訪れるか
しらないものが、時間がないと思うのは滑稽だってある日思って
いらい、時間がないという感覚がなくなった。
 終わりはみんな平等にくるけれど、与えられた時間は平等ではない。
同じように命の重さも平等ではないんだろう、少なくとも今の世界では。
なに言ってだ、人の命の重さは変わらないって言うんだろ、うん、そうだよな。
だけどさ、戦火の地で生まれたものと、豊かで呑気な地で生まれた命が平等だって言えるかい。
いやだから戦争のない平和な世界にしなくちゃいけないんだよって君は言う。
言うはやすし、横山やすし、だ。

 出来ないことを夢想するのはロマンティストなんかじゃないぜ。
出来ることをキチンとやって、少しずつ自分の夢見る世界にしようとするのが
ロマンティストなんだ。えっ、同じに聞こえるって。
 あのね、いつだって大切なものは、とても小さなもので、気をつけてないと
見逃しちゃうんだよ。大切な声も一緒。耳を澄ませて、注意して聞かないとね。
ケータイの画面に大切なものなんてなんにもないよ。えっ、大きなお世話、そうだな、
いつだってそう、ぼくの言葉なんて意味などないのだ。

 マルティン・ケリーの話をしよう。1924年ノースカロライナで生まれた彼は
生まれつき聴覚に異常があり、ある日すべての音は大きく聞こえ、ある日は何も聞こえないという
日常生活を過ごすのにはとても不便な欠陥を持っていた。だけど彼はそれを欠陥と捉えず
個性であると思うことにした。そうでなければ世界と対峙することは困難だったからだ。
 なんでこんな風に生まれたんだろう。普通であればどんなによかっただろう。とは考えなかった。
そういう状態が普通であるとしか経験していないからだ。すべての音が毎日同じように聞こえる
なんてことを頭で理解しようとしても彼にはわからない。体験したことも、これから先もきっと
体験することが出来ないからだ。

 マルティンは偉いわけでもかわいそうなわけでもない。
彼は、彼の人生を生きている。そう、誰もと同じように。だけどそれは彼だけの人生でもなる。
同じものはあるが、同じではないのだ。


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