今日も髪はクルックル

コーヒーロースターの毎日です。

2015年の目標を記す

2014-12-31 09:52:00 | Weblog
2015年はたくさんのことをしようと思っている。
っていうかすでにはじまっている。
表にでたときは終わっているんだよね。
それまでの準備と製作は見えないんだ。
そこを想像できるかどうかがすごく大切。
とにかくいろんなことを考えて想像できる人になる。
これがこれからの目標。

そう私には具体的な目標もなければ
こうしたいというビジョンもない。
少し先のことしか考えてなく、状況に流されながら生きている。
これってそんなに悪くないよ。
良い流れなら流れにのってどこに行くのか楽しんだほうがいいよね。
自分の想像以上の風景が見えるかもしれない。
だから私は具体的な目標を持たないのだ。

そんなこんなで今年もありがとうございました。
2015年もよろしくお願いします。
どんな年になるのでしょう?
いいことばかりじゃないかもしれないけれど
無理してでも笑顔で行こうじゃありませんか?
しかめっ面の人より笑顔の人を見ているほうがいいもんね。
すべては自分のためではなく人のためにあるのだから。

2015年私の目標は脱無愛想です(笑
気持悪がらないでね~

あっよいお年を!

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大体こんなもんじゃないかなあ

2014-12-30 16:02:44 | Weblog
大体こんなもんじゃないかなあ。
と最近よく言っているような気がする。

元来なにかを極めるとか、寝食を忘れて没頭するということがない。
心配ごとや失恋したとき、大きな失敗したときでも
ごはんは食べるし気が付くと眠っている。
小心者のくせに神経は図太いようだ。

こんなことを言っているが神経質なAB型(血液型占いはまったく信じておりません)
案外なんでも几帳面にやらなくては気持悪い派だった。
読みだした本は最後まで読むし、仕事など一度はじめたことを途中で
やめるってことが何だか悪いことのように思ってた。

だけど歳のせいかどうかわからないが、これくらいでまあいいか。
と思えるようになった。
こんな言い方じゃ悪いことのように聞えるかもしれないが
案外いいことだと思っている。

自分の能力とそれに対して向き合った時間と情熱は
自分が一番よく知っている。
がんばれば、努力すればもっと良くなるかもしれない。
そう思うことは素晴らしいことだけれど今の私にはそんなに時間がないんだ。

若い頃はひとつのことに集中することが大切だ。
だけど歳をとる、すなわち人生は有限であるということを意識せざるを得ない年齢になると
ある程度のところで見切りをつける勇気が必要になるんだ。
もっともっとっていうのは前向きなように思うが実際は先延ばしにしているだけに過ぎないときもある。

自分が培ってきた以上の力は出ない。
やれば出来る信じれば出来るなんていう無責任な言葉に踊らされて
先延ばしにしていくほど時間はないんだ。
だから自分はよく頑張ったよ、だけどここまでだって言ってあげるんだ。

大体こんなもんじゃないかなあ。
次へ向かうための勇気のある言葉なんだ。

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距離感

2014-12-29 19:50:46 | Weblog
抜群な距離感の人がいる。
いつも丁度いいところにいる、これ以上の才能はないと思うなあ。

いい人だけど距離が近すぎたり遠かったりする人がいる。
いい人だけどちょっと辛いなあ~って思う。

距離感のちょうどいい人になりたいと思う。
そのためにはどうすればいいのか考えた。

それは人をきちんと見ることからはじまるんだ。
主語が自分のうちはどうにもならない。

今この人は何を考えているんだろう?
それを考える。これって想像力が必要だってことだよね。

いい距離感の人は想像力が抜群なんだ。
それは人を思いやることが出来るということ。

思いやりがある人になりたい。
そしていい距離感を保てる人になりたいな。

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最近親としてしなければならないことを考えている

2014-12-28 13:50:07 | Weblog
守る人ではなく攻める人という自覚はあるのだけれど
私はいたって保守的な人間です。
って言うと何言ってんのーって声が聞えそうですが
本当なのだから仕方がないのです。
どれだけカッコつけたって自分のことは自分が一番よく知っているのです。
(理解しているのではなく知っているっていうのがミソ)
保守っていうとずっと昔からのものを守るってイメージがあるけれど
いったい昔っていつ?って話。
たかが100数十年も遡ればチョンマゲ結ってたのですから。
茶髪が普通の今を考えればこの短期間での変貌は革命が起こったと
思うでしょう、きっと未来の人たちが見れば。
そう考えると保守も革命も同じようなもの。
右も左もそんなに変わらないし、民主主義と共産主義なんて兄弟みたいなもんだ。
それなのになぜ争うのでしょう?
仲良すればいいのにね。

子供がおばけが怖いと言う。
でもね一番怖いのは人間なんだと私は言う。
小学生相手に大人気ないかも知れないが私は言う。
同族を殺すのは人間だけだ。
同族で平等だ!なんてことを言うのも人間だけだ。
優劣序列はすべての生物の中にある。
そして同族を殺すものなどない。
だから人はダメなのかと言えばそうでもない。
いいところだってたくさんある。
親として子供に伝えなければならないことはそんなに多くないような気がする。
少ないからこそ伝えなければならないことはキチンと真摯に
伝えたいと思うんだ。
世の中の常識だと思われていることはある日まったく変わるかもしれない。
そのときにどうすればいいのか考えられる人であってほしい。
そのためにはどういう思考をすればいいのか?
ものの見方を教えるべきだと思っているのです。

って言うと親の考え方や嗜好を押し付けがちになってしまうので
出来るだけそうならないように気をつけてます。
とはいえ一緒に暮らしているわけです。
知らず知らずのうちに子供は親の影響化に置かれます。
だから偏らないように心がけ子供たちが判断できるように考えてます。
私はテレビを見ないけど家には42インチのテレビがある。
回転すし屋にも行くけれど値段を書いて無いような鮨屋にも行く(稀にね 笑)
マンガも読めば偉人伝も読んでいる。
自分で考えて判断する、その答えは尊重するようにしている。
でもついそれはないよな~って言っちゃうときがあるんだ。
そんなときはまだまだ修行が足りないなあと自戒する。
どんな世界になるのでしょう?
私たち親はいつまで生きているのでしょう?
わからないから人生は楽しいんだ。
そう人生は楽しいんだ。
それを伝えられればいいなあ~

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守る人?攻める人?

2014-12-27 15:45:34 | Weblog
「いろんなことやってますね~」とよく言われる。
確かにそうかもしれないと思うのだけれど
基本18時以降は働かないし(アルコール摂取のため)毎日8時間は眠る。
どちからというと怠けものなのです。
本を出したり音楽をしたり新しい店を出したりするのはなぜか?
ただやりたいからなんでしょうね。

ありがたいことにコーヒーロースターという本業は9年目の今も
少しづつ右肩上がりで売り上げが伸びて行ってます。
こんなご時世にありがたいことです。
もっと一生懸命に取り組めば(手を抜いている訳ではありません念のため)
売り上げも大きくなり規模も拡大するんじゃないって言われることがあります。
だけどそこに興味がないんですよね残念ながら。

個人店でいるのもそんな私の性質のためなのです。
会社になるにはやはり大義が必要だと思うのです。
公共のものじゃなくアアルトコーヒーはオレのもの!って思うのです。
好きなことをしたいから個人店でいるのです。
その自由の代償としてたくさん税金を払うことになるのですが。。。
それはそれで誰かの役に立っていると思えば気持もいいのですが

ようは私は何かをはじめて悪戦苦闘している状態が好きなんですね。
以前三国志をいうゲームに嵌っていたときがありました。
国盗り合戦です。
このゲームでも曹操や孫堅などの大きく力がある国を持つ武将には何の興味もなく
小さな国の武将でなんとか生き延びるのが楽しかったんです。
一番大きくなった瞬間興味が無くなるため最後までやったためしがないのです。

店をはじめるのも同じことなのかもしれません。
軌道に乗ってしまえばワクワクしないのでしょう。
ってやめませんよコーヒーロースターは一生の仕事ですから。
とはいえ需要がなくなれば続けたくても続けられません。
なのでみなさまこれからもアアルトコーヒーをご贔屓に。
ってそんな話をしているんじゃなかったですね。

そう結局は権威になりたくないんです。
反対に権威に向かっていきたいタイプなんですね。
って言えばカッコよさそうですがそんなことはまったくなく
結局はどちらも表裏一体で権威というものを意識しているわけです。
カッコいい人は、はなっからそんなものを気にしていないのです。
自分はそんな人ではないただの下世話な凡人だっていうのは重々承知しているわけです。

じゃあどちら側に立つかって話です。
どう考えても守るタイプじゃありません。
ラッキーだったなあと思うのは何かの何代目なんていう家に生まれなかったことです。
そんなところに生まれたら間違いなく私の代で終わっていたでしょう。
何かを始める才能と守る才能は全く別のものなのです。
そこを見極めなければ辛い思いをしちゃいますよね。

そんなわけでようはただの飽き性ってことなのでしょう。
それを否定するのではなく認めてしませばラクになります。
たくさんいろんなことをやればいいと思うのです。
たくさんやってたくさん間違えて。
それをやるために本業が必要なのです。
その順番を間違えなければ誰だって好きなことをやって生きていけるんです。


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吾輩は心配性でℝ

2014-12-26 13:00:43 | Weblog
心配症である。
気が小さいということもあるんだけれど、とにかく心配している。
小さなときからそうだ。
じーちゃんばーちゃんっ子だった。
小学生のとき布団の中でじーちゃんとばーちゃんが亡くなったらどうしようと
想像しては怖くなって震えていた。
それがまさかの健在(96歳と94歳)
さすがに今は布団の中で震えることはない。

こんな性格でよく旅行会社に勤めていたと自分で感心する。
飛行機が飛ばなかったらどうしよう?
そもそも予約は取れているのかしら?
台風が来てるぞ、こっちへ来るのかな?
明日の朝寝過ごしたらどうしよう。
常に不安に苛まれていた毎日。
よくお腹を下していたように思う。
いやーやめてよかったあ。

こんな性格なんだけれど病気やケガなど自分の体のことは
まったく心配をしないのだ。
むしろなったらなったで仕方ないなあくらいに思うのだ。
なんなのでしょう。
人生で一度も死にたいと思ったこともない(ずっと絶望の中にいたときでさえ)のも
ちょっと不思議な気がしている。
あまり自分の生死には興味がないんだろうな。
じーちゃんばーちゃんの生死は恐怖なのに。

だけど今も出張の前には明日の朝起きれるかしらとドキドキしている。
でもって店を開けてお客さんが何時間もいらっしゃらなければ
世界の終りのような顔をしている。
まったく正反対の性格の妻はそんな私を見てニヤニヤしている。
彼女のように豪胆に生まれれば良かったのになあ。
きっとこれからも些細なことにお腹を痛くしながら生きていくのでしょう。
心配性それはきっと責任感のこと。
なんて自分に都合よく解釈してなんとか自分の中で折り合いをつけていくのでしょうね。はぁ~


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クリスマスに神と人について考える

2014-12-25 14:49:50 | Weblog
若かりしころは神様がたくさんいる日本に生まれたことが
なんだか変な感じがして青臭いことを言っていた。
神様がいるなんて思ってないくせに、仏壇がある家に住み
元旦には神社にお参り、クリスマスツリーを飾るなんてことが
許せなかった。と言うより意味が分からなかった。
逆に神様という存在にこだわっていたのは誰よりも自分だったのかもしれない。
孫であり子であったときのこと。

親になり何だか変わった。
ご先祖さんの墓参りにお寺に行く(祖父母が喜ぶ)
元旦には神社に初詣に行く(屋台やおみくじがあるから子がよろこぶ)
クリスマスツリーもプレゼントも用意する(11才と9才の子はまだサンタさんを信じている)
みんなが喜ぶんならそれがいい。
そんな風に思うようになった。
神様はいてもいなくてもどっちでもいい(って思えるようになった)

なんで若いころはあんなに頑なだったんだろう。
って20代もそんな感じだったから、そんなに若くないときもそうだったんだなあ。
いやーめんどくさい人だ。
歳をとるとあちこちが痛くなったり、翌朝のアルコールの抜けが悪くなったりする。
いろんなことを忘れるし、まあいいかってかなりいい加減になる。
そう若い頃にあった根拠のない全能感がなくなっていくんだ。
そうして神(若者は自分をそう思っている)から人になるんだ。

今とてもラクだ。
こだわりがなくなり、全能感どころか、いやー何にも出来ないなオレって
自分に言える強さを手に入れたから。
見た目はさえないおっさんだけど若いときよりずっと今のほうがいいな。
神様でいるより人のほうがいい。
そんなことをクリスマスに考える。
歳をとることを否定するのは、ちょっともったいないかもしれないよ。

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コーヒーロースターに決めた理由

2014-12-24 16:01:57 | Weblog
先日書くといった話。

とにかく組織にいるのがイヤでなにかひとりでできることはないだろうか?
そして妻と子供を養える仕事。
営業しかやったことがなく何の特技も技術も資格もない33才にそんなに都合のいい仕事などあるのかしら?
いやー、そんなのあるわけないんですよね、ハイ、あるわけがない。
そりゃそうですよ、やりたいことがあったってままならぬ世の中
こんな不純な動機とあまりにも何も出来ない人にそんな都合のいい仕事などあるはずもないのです。
私には何もないけれど年はとっていたため分別はあった。
(会社をやめないという分別はなかったのかってって突っ込みは無しでひとつ)
だから本屋やレコード屋をしたいなんていう自分の好きなものにかかわる仕事は
一番に除外することにしたんだ。
もちろんいろんなやり方でキチンと営業されている本屋さんもレコード屋さんもある。
あるけれど自分がそこまで真剣に向き合えるかと言われると、いやちょっとという自分がいた。
好きなものにさえ過度な情熱をつぎ込むことの出来ぬ自分。
いやー困ったものです。

徳島にはたくさんのコーヒー豆屋がある。ってことに気が付いた。
大きな店はもちろん小さな店もけっこうある。
しかも案外古くからある店が多く閉店した店もあんまりないことに気付いた。
料理を作るのと違って機械の前で居るだけでいい(そういう風に見えたのです)
これなら出来そうだ。コーヒーもまあまあ好きだし。
って簡単な理由でコーヒーロースターになることに決めたのです(本当です)
あとから知ったことだけど、だいたいコーヒー豆屋さんは
配偶者が働きに行っている(しかも公務員とか看護師さんとか)か、
代々のお金持ち(土地は自分のものくらいは当たり前!)がほとんどだと知りました。
って知らねーよそんなこと。って調べろよ自分!
どんな仕事も裏があるんだなあと(能天気な小心者すなわち最悪!)
だけど知らないおかげで始められたからそれはそれで良かったんでしょうね。
知ってたら絶対やってなかったはずだし。
小心者で臆病者ですからわたくし。。。

旅行会社という手数料収入が主な業種で働いていたため
製造小売りになるコーヒーロースターの利益率に驚いた(あくまで比較した場合ですよ)
こりゃビルが建つなあ~って思ったんだけれど気のせいでした。
そりゃあ単価が低い商売ですもの利益率なんて見たって全然意味がないんですよ(勉強しておこうよ自分)
ここ間違いがちになるんですよね(普通は間違わないのかしら)
大きな金額が動く仕事と小さな金額の仕事、1回きりの仕事とリピートがある仕事すべて違ってくるわけです。
だけど開業独立本なんか読むと原価は3割までとか書いてるわけです。
そんなわけないのになあ~と9年たった今なら胸を張って言えるのですが当時は信じてました。。
それはさておき理論上売り上げが上がれば利益は上がる。
そしてローストすることにより自分のブランドを作ることが出来る。
この2点が大きな決め手となったんだと思うのです。
煮え切らないのはたぶんそうだったんじゃないかなあと
思うだけでこれだ!って確信はのある要因がないのです。

当時あまりカッコいいパッケージのコーヒー屋は少なかった(と思う)。
コーヒーの腕は大したことがないのだからカッコいいパッケージを作れば大丈夫じゃないか。
そんな不純なことを考えながら焙煎が上手くいかない日々から目を逸らしてがいい気になってた。
だけど、どれだけカッコいい体裁でも中身がダメなら話にならないのです。
これはオープンしてつくづく実感したこと。
ダメなものはダメなのです。
だけど逆にいいものを作れば売れるわけです。
会社員時代のように誰かが作ったものを売っているというストレスに
比べると夢のような世界だなあと思えたのは自分で作ったものに言い訳は必要が無いからだったのです。
自分で作ることが出来るということがこんなにラクなことだったとは。
(簡単って意味とは全く違いますよ。死ぬほど厳しいことばかりだけれどラクなんです)
みんながそうって言うんじゃなくてたまたま私の性分に合ったのでしょうね。

ただ何となく始めたけれど自分に合った仕事。
今は大好きな仕事です。
たぶんどんな仕事でも自分に合っていれば好きになるんですよね。
好きな仕事より自分の性質に合った仕事を選ぶのがいいっていうのはきっと正解なんだと思います。
コーヒー屋になったおかげで今は本を売ったりCDを売ったり出来ているのですから。
順番が逆ならダメになっていたでしょう。
ってこれはあくまで私の場合の話。
みんな違うのです。
組織の中で力を発揮する人は決して自分の好きなことだからなんて理由で会社をやめる
べきではないのです。
自分のいる場所は自分で決める。
それを判断するのは好き嫌いじゃなくずっとそこでいられるかどうかだけ。
今なら心からそう言い切ることが出来ます。

コーヒーロースターにしようって決めた理由。
いろいろな要因があるけれど一番はその場所にならずっといることが出来るなって思ったこと。
これが全てです。
ってあまりたいした理由じゃなかったですね。
長々と読んでいただいたのにすみません。
だけど何かを選ぶってそんなもんですよね?

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自分はどこを見ているんだろう?

2014-12-23 09:40:19 | Weblog
我が家にクリスマスはない。
なぜなら今日12月23日が息子の誕生日だからだ。
9年前に生まれたときにクリスマスはなくなった。

だけど息子はちょっとかわいそう。
この時期誕生日ケーキを受けてくれるお菓子屋さんは少ない。
明日が本番だもん仕方がないんだけれど。

だけど受けてくれる店がある。
すごいことだと思う。
そうしたちょっとしたことでその店に対する印象はよくなるんだ。

個人店は大型店に出来ないことをやらなくちゃならない。
大型店がやっていることをやるのなら同じ土俵に立つという気持で
いかないと飲み込まれてしまうよ。

アアルトコーヒーにはギフトがない。
お歳暮やお中元はもちろんギフトボックス自体がない。
リキッドコーヒーやドリップパックのような加工品もない。

コーヒー豆だけを販売している。
それでやっていけているのは個人店だからだ。
大型店ならそんな悠長にやっていられるわけがない。

同じ土俵に立たない。
みんながやってないことをやる。
それは決して難しいことや新しいことなんかじゃないんだ。

コーヒー豆しか売らない。
店舗を持っているにも関わらずいろんな場所に出かけて行く。
コーヒー以外のことをいろいろやってみる。

どれも難しくも新しくもないことばかり。
だけどやろうと思っても案外出来ないらしい。
たぶんコーヒー屋らしくないからだろう。

コーヒーのことを聞かれると全部知らなきゃカッコが悪い。
私もそう思っていた。
だけどね、知らないことがあるのは当然なんだ。

そういうときは知ったかぶりをせずに知らないと言って調べればいい。
それを繰り返すことによって知識は積もっていく。
最初はなんかカッコ悪いなあって思うけれどすぐになれるものだ。

ロースターでバリスタで経営者でコーヒーを買い付けに行く。
個人店ではかなり難しいと思う。
だったら自分はなに?っていうのを明確にするといい。

そしてそれが出来るようになると次となにをしようって考えればいい。
全部ひとりで出来ている人が稀にいる。
でもね、そういう人は何十年もかけてそうなっているんだ。

今を見るのは危険。
その人がどうやってそうなったのかを知ることが重要なのだ。
点じゃなく線で見ないと大切なものは見えないんだ。

強みと出来ないことを明確にしよう。
出来ないことは不利じゃないよ、こだわりだって受け取ってもらえるときだってある。
個人店だから出来ることはたくさんあるんだ。



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僕らはスリーコードさえ知っていればカッコよく生きていけるんだぜ

2014-12-22 17:00:56 | Weblog
はじめることは簡単、お金があれば出来る!って言われている。
だけど本当だろうか?
ウダウダ言わずにはじめられる人はいるだろう。
はじめなければどうにもならないってみんな言う。
だけどね、はじめるのが怖い人のほうが多いし、怖いと思う感覚が普通なのだ。
私もそうだった。
なにかしたくてお金を貯めた。
さあコーヒーロースターになろうと思ったときに貯めたお金が無くなることに恐怖した。
使うために貯めたお金なのに、いざ使おうと思ったらそれがストレスになったんだ。
人は何かを所有すると失くすのを極端に恐れる生き物なのだ。
比較的所有欲や物欲の少ない私も持ってしまうと失くすことが怖くなると知った。
そしてなにかをはじめることに絶対成功する保証はない。
そんな保証があるのならみんなやるよね。
そしてへそ曲がりな私のようなものはやらない。
言ってることが矛盾しているって言うのはわかっている。
はじめるのが怖くてお金を失くすことが怖いくせに、絶対に成功することはしたくない。
めんどくさい性格だ。

こんなにめんどくさい性格だから地方都市で生きていくのは結構辛かった。
小学生までは比較的普通だったと思うのだけれど
中学生くらいになると思考や嗜好が完全にマイノリティだった。
もちろん若気のいたりってやつでカッコつけてメジャーなものに対するなにかがあったのだけれど、
どうやら本質的にマイノリティなものに惹かれる性質のようだ。
みんなと同じようなものが好きでいられるとどんなにラクだっただろう。
いつも思っていた。
選民意識じゃない、逆にどうして自分は違うのだろうっていう難民意識に支配させていた。
それは今もあまり変わってないかもしれない。
だけど私とは全く正反対の妻と出会い共に生きることでだいぶん変わったような気がする。
選民意識も難民意識もない。メジャーもインディーもどちらもいいものはいい。
そう思えるようになった。
カテゴライズするのはイヤだーっ!って言っていた自分が一番カテゴライズの檻の中で右往左往してたんだ。
逆にメジャーでいることの重圧と責任を目の当たりにして
自分には絶対無理な場所だってあらためて理解した。
だから決めたんだ。
インディーのままでメジャーな場所で仕事をする。
そしてインディーな場所でメジャーな仕事をする。

それってカッコいいと思いませんか?
私はやっぱりパンクが好きなんだ。
ノーフューチャー!だよ。
すべての基準、そう判断するのはカッコいいか悪いかだけだ。
褒められるからとか評判がいいからとかじゃなく
自分のやっていることがカッコいいか悪いかだけだ。
気が付くと日寄ってたり天狗になったり落ち込んでたりと忙しい私のような愚か者は
難しいこと考えずに3コードのギターをかき鳴らせ続ければいいんだ。
メジャーとインディーまったく違うようで実は同じ。
ようは自分のスタンスの問題なんだ。
だから自分のその姿勢で生きていけるように力をつけようと思う。
たくさんコードを覚えるんじゃない。
3コードで最高の音楽を作るんだ。
そのスタンスが一番カッコいい。

そうすればどこでだって生きていけるんだ。

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