FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

テオ・オン・テオその1

2005年10月26日 | Weblog
ギリシャのアンゲロプロス監督に、詩人で作家でもある池澤夏樹さんがこれまでの映画について質問し、アンゲルプロス監督が答えている。池澤夏樹さんは日本で最初に公開された「旅芸人の記録」の名前をつけ、画面に出てくる日本語の言葉も入れた。それ以来、すべてのアンゲロプロス監督の映画の日本語の言葉を入れている。日本のアンゲロプロス人気は池澤さんの日本語の言葉の力によるところが大きい、といっても過言ではないと思わせるほどだ。

アンゲロプロス監督もかつては詩人だったそうだ。短いセリフの中にこめられている内容の深さというのか、一回見ただけ終わるのはもったいない、もう一度見ようと引っ張られるような磁力のようなものがある。

「旅芸人の記録」〈1974-1975〉についての質問に答えてー。

同世代の監督でただ一人、ギリシャに残り映画を作り続けることになった。抵抗の間、独裁制は何か、どうして独裁制になったのかと自問するようになった。年月をさかのぼり、自分の歴史と重ねた。

1935年に生まれ、1936年にはメタクサス独裁になり、5歳のとき第2次世界大戦になった。ドイツ軍がギリシャを占領した。9歳のとき、最初の内戦でアテネさえ戦場となり、ついで第2時内戦となった。”山の戦争”となったパルチザンと国軍が戦った。そして1952年には右翼が復活した。多くの人々は独裁制が終わり、再び民主主義が復活すると、世の中は変わると期待したがー。

1952年のことを語りながら、1974年のことを語るにはどうするか。検閲の耳があり、人々は語らない習慣になっていた。しかし、「1936年の日々」のように、アイロニーの映画として、”イワザルの話法”ではなく、柔軟であるがはっきりした話法を選択することにした。52年と74年の2つの歴史的な時代を同じ流れで同一のカットで共存させるという方法だった。・・・

「旅芸人の記録」はやはりアンゲロプロス監督の最高傑作ではないかと思っている。「エレニの旅」も作り、まだこれからも20世紀を総括する映画を作るらしいけれど。これ以上の作品を作るのは難しいのではないか。独裁制が続いていたギリシャの中で映画を作ったというのが大きい。こういう厳しい精神状況で追い詰められた中だからこそ、いつまでも歴史に残るような傑作を作れたのだろうと思う。

旅芸人一座は雪のある細い山道を歩き、村の人々にアコーディオンを奏でながら、芝居を見に来てと今日も歌い続けるー。

ヤクセンボーレ!ゴルフォも来るよ、タソスも来るよ。
みんなそろって見に来ておくれ。話題の芝居は今夜の8時。
飛び切りおもしろい 芝居が見られるよ!!












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